外輪は回り続け、時折に開かれた帆が風を受けた。
神御座船は星月と灯台に導かれ幾つかの夜を越え、速やかに海路を進む。
気が付けば水平線に陸地が見え、航海の終わりが近付いていた。
「遠目でもわかるほどに、高い建物が多い街かな」
甲板で午前の光を受けていた板神が、青の都の第一印象を語れば、
船に酔った末に板の上に安置されたハジャルが、死人の声で応えた。
「青の商都は高層で有名じゃからなぁ……」
3から4階までは石で造り、その上に木材で階を増やす。
青の女神のお膝元は、そんな高層建築が立ち並ぶ景観だと語る。
「お金持ちが多いとか」
「いや、暗くて狭い低所得者層の住居じゃ」
立ち並ぶそれは個人では無く、内部に区分けされた共同の住宅である。
その様に縦に人を抱える構造に、都の面積に対する人口はやたら多い。
「全員を平屋に入れたら、都の土地が10倍要るとか言われておるのう」
揺れない浮遊板に少し癒やされたのか、口調に僅かだが生気が戻っている。
「するともしや、貧民街」
「そこまででは無いじゃろ、大方雇われ向けでないかの」
「細かく言えば1階が店舗で2階が小金持ち、3階からが雇われだ」
流石に港湾に貧民窟は隣接しないと、鬼瓦顔料理長が口を挟んで来た。
「そして神殿に向かい奥に行けば、貴族たちの邸宅が在る」
言いながら近付いてくる都を手で示し、運河の方へと流していく。
「青にも貴族とか居るんだ」
「とは言え形骸化しておるがの」
「古くから住んでるヤツら、程度の扱いだな」
ハジャルの言葉を受け、料理長が語った。
その名は名家として扱われこそするが、それだけの話でしか無いと。
実際に官僚に奴隷あがりは多く、港の労働者にも貴族が普通に混ざっている。
「とは言えそれでも、都の運営は貴族が大部分を占めるがな」
「家に金と信頼が在って、子には教育を受けさせておるからのう」
そもそもの土台が違うと。
「成り上がり商人が貴族の嫁を取り、なんてのも立身出世の定番なんだが」
「ああ、当然の様に財産として身分に値札を付けてるのかー」
アルフライラが流石は商人の国と、しみじみと感心の声を出した。
やがて埠頭が近付き、外輪が動きを止める。
曳航船に繋がれる頃合いには、アルフライラたちは船室に戻っていた。
そして埠頭に着き板が渡される頃、改めて甲板に出る。
開拓者たちと共に出てきた海賊団頭首の姿に、船員たちが息を呑んだ。
板の上に座る少女が纏うのは、袖余りの獣人礼装では無く青の古装。
軽い装飾の入った白く大きな布地に挟まれ、肩口を飾りで留める。
腰回りを括り独特の皺を造り、露わの胸元から折り返した布が垂れている。
そして月光に例えられがちの長髪に、鉱石の額飾りが陽光を受けていた。
引っ込んでいる内に無駄に元気なマルジャーンに捕まり、事務長の協力の元、
問答無用で散々に飾り立てられた、青の象徴たる大神の姉神の姿である。
黙って座っていれば、実に神々しい。
そして船員たちは、次いで自らが掲げる青の大神に視線を移す。
船乗り衣装を雑に着こなし、波打つ髪は乱暴に括られている。
溜息が漏れた。
「何でよおおおおおッ」
あからさまに世を統べる大神たる神秘さが足りない。
アズラクも素材自体は間違い無く良いのだが、飾り度合は雲泥の差であった。
そして船を降り、世界が切り取られアルフライラの所有と成る。
埠頭の、通りの、行き交う人々が足を止め、呼吸すらも忘れ魅入る姿。
美と言う概念が具現した存在に、普段は喧噪に包まれる街が静寂と化す。
神威が、空気の色を変える。
進む。
路が開く。
神の渡りを、誰も塞ぐ事は無い。
耳敏い商人たちも埠頭に集まっていたが、全て呑まれて動きを止めていた。
やがて商都に降り立った神秘が、青の大神殿に至った後に。
ようやくに呼吸を思い出した人々が、俄かに今見た幻はと騒ぎ出す。
「いよっし、切り抜けたあ」
「アルちゃんを前面に出して突っ切る作戦、図に当たったわね」
「いやのう、まさか本当に上手く行くとは」
当然に神殿敷地で、神秘がそんな会話をしていたとは夢にも思わない。
なお、後から降りた青の大神と黒の商人は逃げそこね、
容赦無く様々な勢力の商人に囲まれ、長時間の足止めを受ける事に成った。
そして捕食者たちが生贄を食んでいる中、板娘と開拓者組は神殿に入る。
からころとサンダルを鳴らしながら石畳を行けば、水の回廊。
山中を抜いた
「俗世の穢れを洗う足洗いの回廊、などと言われておるのう」
「私、浮いているんですけどー」
邪神を清めるには無力極まり無い構造であった。
「横井戸1本、まるまる使っているのは流石に青の大神殿ね」
「まあ、多少は神殿内で用水には使っておるじゃろうがな」
元貴族と元外交官の言葉でありながら、若干に呆れの色が混ざっている。
地下水を横に流す横井戸は、陽光の影響を受けず冷たいまま注がれる。
そのため取り出し口近くには身分の高い者が住み、流れ、温度が上がり、
取り出し口から離れるほどに温く、住む者の立場も弱くなっていく。
横井戸の在る土地と言う物は、自然とその様な形に成りがちであり、
それだけに1本まるまる使えているのは、神殿の権威の表れでもあった。
そして建物に入り、連絡を受けていた神官たちに持て成しを供される。
赤の砦に在った様な入浴施設にて旅の疲れを落とし、通気の良い古装で、
貴賓の客室にて用意された酒肴を口に運んだ。
流水に瓶を晒し、気化熱と合わせ冷やされた葡萄酒。
「帝国の方々ですから、割材には冷水を用意致しました」
地元ならどう呑むのかと板が聞けば、海水で割るのを好むと言う。
「青で海水割りは流行っておったが、定着したのじゃな」
「確かに帝国育ちだと、ちょっと抵抗あるわねー」
しみじみと語る妖怪たちの横で、無言で杯を進めるサフラ。
「月桂樹と棗椰子を漬け込んでるのかな」
「あと蜂蜜が入ってるわね」
瓶を見てアルフライラが問い、口を付けたマルジャーンが受けた。
そのままポリポリと、酢で和えた春玉菜を齧る。
やがて酒と魚醤で煮込んだ野菜と腸詰の汁が出て、魚の切り身、
香辛料と塩で焼かれたそれを平らげる頃には、果物の皿が並べられた。
「どれも蜂蜜が混ざってるね、全体的に甘口」
「青の料理って感じねー」
切り分けた甘橙を齧りながら神が述べれば、呑気な声で人が受け。
「甘橙か、食った事は無かったな」
「果肉で喉を潤すも良し、皮を削って香りを楽しむも良しじゃよ」
食事の豪華さに、少し身構えている風情が覗く他2名。
客室にも用意しているので、就寝時に削ると良いですよと神官が勧め、
当然の如くと自然体な女性陣に、価格を考え緊張が強まる男性陣。
そして陽が沈むまで青の大神の威信を賭けた持て成しは続き。
逃げそこねていたアズラクは、終に神殿へと戻ってくる事は無かった。