遠く、建物が密集した土地が見えた。
昇る陽が渓谷を照らす頃合いに、岩の砂漠を越えて都に至る。
道中の護衛依頼は果たされ、ペル・アビヤドで隊商と別れた。
冬の間も発展を続けたか、見覚えの無い建物が乱立している。
聖地より流れる水が三叉に整備され市街を貫いた、獣人の都。
交易に騒ぐ石畳の中央広場を避けて、左道から聖域を目指す。
居住の区、砂の混ぜ込まれた泥で造られた簡素な住居が並び、
中天も近く人通りの途絶えた道を、板と3人が行く。
人の多い場所を通れば悪く目立ちかねないとの判断であったが、
それが間違いと気付くまで、さほどの時間は要らなかった。
刹那である。
時と言うにも僅かな隙間、アルフライラから視線を切っただけ。
それだけで創世神はぐえと潰れる様な声を漏らし、へし折れた。
猫とは待ち伏せ型の狩猟動物であり、加速、跳躍、空間把握、
それらの性能、感覚は人などとはとても比べ物に成らず。
獣神の土地、遮蔽物の多い場所を通るのは自殺行為であった。
そして障壁を張る間も無く姉の腰に飛びついた白猫大神は、
勢いのままに姉を、アルフとライラに分割してしまうのだろうか。
否、キッタ・アビヤドは成長していた。
手を姉の腰に回し飛びつきつつ、そのベクトルは少しずれており、
アルフライラを焦点とし、板上を回転して威力を逃がす。
何周か回り切った後、姉を千切る事無く静止する事に成功した。
そして芸術的に捻じれた上半身のまま、倒れ伏し煙を吹く獲物の、
所有権を主張する様にまったりと顎を乗せる白き狩猟大神。
物陰で様子を見ていたサヤラーンが、主の成長にほろりと涙を零し。
いや人間だったら死んでるからなと、呆れた内心を表情に滲ませ、
サフラがキッタ・アビヤドの首根っこ掴み、そのまま運搬に移った。
中空を猫鉄拳で穿ち不満を表現する猫神を無視し、獣神神殿に配達。
その間に捻じれのアルフライラは元に戻り、千夜神殿に辿り着いて。
「まさか隠形で、密林の山猫を越えてくるとわ」
「口は災いの元じゃったのう」
身体を起こしつつ、とりあえずの陽除けと屋根の下に進む。
照りつける太陽を避けるだけで、随分と涼し気な体感を得て。
そして神殿内の猫人たちが、五体を投地して祀神の帰還を寿いでいる。
信仰の表れである、決して床が冷たいから伸びているわけでは無い、
腹を上にしたり尻を向けたりしているが、信仰の表れのはずである。
とりあえず信仰方向に投地している邪魔な猫は作業用フットで除け、
本殿の代理猫神像を仕舞い賽銭箱を設置、千夜神の降臨であった。
てふてふと歩み寄り板に乗った黒い毛玉に身体を沈めながら。
「何か見覚えの無い猫獣人が増えていたんだけど」
「家猫族ではあるの、棒猫支族や猫飯支族じゃな」
聖地は白兎の支族と共に在ったひげ饅頭支族の土地であったが、
発展するにつれ、各地から様々な家猫族が集って来たらしい。
そして序列か縄張りでも在るのか、本殿に転がっている毛玉は
馴染みのひげ饅頭だけであり、他支族の姿は無い。
そんな説明を白兎から受けたハジャルは、軽く本殿を見渡した。
創世神に吸われながら、微妙に嫌そうな顔をしている板上の黒猫。
開いた本殿の扉の上に引っ掛かり、降りられないぜと顔で語る灰斑。
どこか色気の在る三毛猫を枕にし、すやぁと休むマルジャーン。
「いやマルジャーンよ、何を感染しておるか」
「だってこの床、冷たくて気持ち良いのよ」
白兎族が日々渾身の清掃をしている、豚人族渾身の飾り床。
「……道理で獣神神殿でなく、千夜神殿に溜まるわけじゃ」
様々な獣人種族が騒がしく往来する神殿とは、天地の差である。
そして遠くを見る博士の視界に入る、届け物が終わった剣士の姿。
扉上の灰斑が通りすがりの頭を足場にし、とととと降りる。
それを気にせず合流するサフラに、呆れた声でハジャルが言った。
「お主、実は猫に好かれておらんか」
「踏まれるのが好意なのか」
剣士の顔に浮かぶのは、理解ができない困惑と疑問が在り。
「好意だったのかもしれないな」
自答したサフラの視線の先には、肉球で潰されているアルフライラ。
猫は吸われるのをかなり嫌がる、それでも吸われて抵抗しないのは、
単純に相手に対する親愛の表れであり、当然に限度と言う物が在った。
「それで、目的のでかい仮面は居たのか」
「残念じゃが、今は不在じゃったらしい」
開拓少女たちが近隣の依頼を受け、詩神と精霊が同行していると。
「留守役を置いておるから、その内に帰って来るじゃろとな」
白兎に聞いたとハジャルの言に、アルフライラが反応する。
同時、外れた肉球の腕に絡みつく様に蠢き、そのまま背中にもふぅ。
「動きがジャマール神とそっくりじゃのう」
家猫への寄生に関し、祟り神と邪神の確かな繋がりを見せつけつつ、
ともあれと黒猫ライドした創世神は、留守役を訪ね移動した。
そして昼の軽食の香りが漂う厨房横、食卓の在る広間の中央。
猫を背中に乗せ、四つん這いに成っている神族の女性を発見する。
肩口程度の長さで膨らんだ栗色の髪と、豊かな胸の膨らみ。
それらが重力に引かれ床に垂れるままで、背中に白猫が腰掛けている。
全身が白い毛に覆われた猫人の女性は、揃えた足の上に前足を置き、
人待ち顔で首を傾げていたが、ふわりと花咲く笑顔を板の方に向けた。
そして板の横を、一輪の花を持った同種族の猫人が通り抜けていく。
長毛の体質らしく、全身が膨らんだ白い毛玉の様な猫人男性であった。
はにかみ乍ら寄り添い広間を出て行く恋人たちと、伏したままの神。
「何で、何で恋人たちの待ち合わせ場所にされてるんですかあぁぁ」
猫に無体を働くと主神がキレる、そんな経緯からの現状であったが、
嘆きの問いに答える者は無く、いや本当に何でとただ疑問だけの空間。
「マウジュ、マウジュ・カビールか、久しいねマウジュ・カビールッ」
そして相手を認識し、花も綻ぶ笑顔で驀進した創世神が居た。
「いいいいいいやあああああぁぁアルフライラ様ああああぁぁッ」
「丁度良いマウジュ・カビール、強化キットだマウジュ・カビールッ」
かつての加害神を認識し、脱兎の如く逃げ出そうとした改造従属神を、
板から生えた鉄鋼無敵神速電磁触手で捕獲するマッドな創世邪神。
そして逆さ吊りで電流を流され、あばばと痙攣している美貌の女神に
魂消槍をぷすぷすと刺し込んでいく板の上の美少女神。
たゆんたゆんと揺れる膨らみを眺めながら、ハジャルが零した。
「忘却のマウジュ神、実在しておったのか」
「いやそこより、今はアルちゃんを止めるべきな気がするわよ」
槍が刺さる度に犠牲神は、それはもうたゆんたゆんと暴れており。
控え目に声を掛けた人の言葉に、作業終了まで手を止めたら危険と。
「あッ…………」
返答した直後の声、そして凍り付いたように止まる広間の時間。
静寂の中、無言で槍を抜き板に仕舞うアルフライラと、
静かに床に降ろされ倒れ伏すまま痙攣しているマウジュ・カビール。
「今日の昼の軽食は何だろうね」
「丁度今、白兎が持ってきたの」
「いや現実から目を逸らさないで、今何があったの」
厨房から出てきた白兎の持つ皿には、切り分けられた薄焼きパン。
生乾酪と薄切り玉葱、拍子切りの塩漬け肉を乗せて焼かれていた。
「青の料理じゃな、
「焼きたて美味、簡単に見えて計算された組み合わせだね」
「拍子切りされてるのが背脂肉なのが工夫かしら、じゃなくて」
次いで冷水で割った酒杯を受け取りながら。
「きっと大丈夫マウジュは強い子だから、苺かな」
「ほほう、これが話に聞く豚人の果実漬け酒か」
「うわ呑み易ッ、豚人本気でヤバイわね、じゃなくて」
普段通りに騒ぐ面々と、呑食を黙々と進める寡黙な剣士。
ともあれ詩神を待つ間、神殿に腰を落ち着ける運びに成る。
そして人知れず厨房で、冬場に本国より神殿に送られていた
苺を漬けた蒸留酒の好評に、豚人と兎人が喝采をあげていた。