狐神神殿は、千夜神殿の横に在る。
豚人族が威信を賭けて建立した千夜神殿に比べれば小さいが、
本殿は木造極東様式で、相応に格式高い造りに成っている。
そして赤い欄干を持つ板張りの外廊下に、板と猫が転がっていた。
板張りは獣耳巫女が日々掃除して、風通しも良く冷えている。
そんな場所に板が在り、その上で黒猫を枕にするアルフライラ。
すやぁと休む少女が時折に、寝返りに偽装し猫を吸おうと試みるが、
その度に肉球に阻まれ、元の姿勢に戻されを繰り返す事、幾度か。
「いやアル姐さん、せめて広縁で転がりませんか」
無言の攻防に呆れ顔で声を掛けたのは、神殿を預かる獣の神族。
長い黒髪を纏め結い、妙齢の身を濃い色の着物に包んでいた。
神殿を預かる神の、その手の盆に在るのは幾つかの杯と冠水瓶。
狸神ルンマーン。
極東の希少な獣人種族の小神であり、狐神ラーレの腐れ縁でもある。
「板張りが私を魅了するから無理ぃ」
「風通しも良いですしねえ」
苦笑交じりに創世神の横に腰を落ち着けた小神は、杯に酒を注ぐ。
軽く泡の浮かぶ透明度の高い液体の中で、カラリと氷が鳴った。
「涼し気な口当たりと、どこか薄荷に似た仄かな爽やかさ」
「松葉酒ですよ、あちしの故郷の酒なんです」
砂糖水に松葉を漬け、松葉の酵母で数日醗酵させて作る酒である。
弱い酒精と微炭酸の呑み易い酒であり、年を通して造られるが、
中でも松葉の生え変わる、晩春から初夏に掛けてが旬とされる。
「しかし姐さん、自分の神殿に居なくて良いんですかい」
「何か参拝客がー、参拝客がぁ」
珍しく祀神が居る千夜神殿には、この機を逃がすわけにはいかぬと、
連日に信徒や猫以外の毛皮自慢獣人などが押しかけていた。
ペル・アビヤドからの遠征軍編成に関する相談なども在り、
猫を吸う暇も無いと少女が顔を毛皮に寄せれば、またも肉球。
「神殿も豚の人が気合入れまくって増築を続けているしー」
そして気が付く度に広間が増えて、謎の仕掛けも設置され続け、
本殿以外に転がっていられないほどに慌ただしいと、愚痴が続いた。
「あー、まあ正直ご来訪は嬉しいですし」
逃げ出した創世神の有様に少し呆れが見える、小神の無難な返答。
そのまま掛ける言葉も無く、客神の空いた杯に松葉酒を注ぎ直した。
「そ言えば姐さん、あちしにも名前を貰えませんかね」
ふと思い出した様にルンマーンが話題を変えれば、何でとの問い。
「流石にそろそろ、喪服も脱ぎ時かと思いまして」
時代も移り変わり、外に住む者の神殿も出来たし良い機会だと語る。
あと、顔を合わせる度にラーレが自慢してくるのが凄くウザイとも。
「ルンマーンも奇麗な名前だと思うけど」
「それと恥ずかしながら、昔のやんちゃも祟っておりまして」
冥府送りのジャザーイルと人食いルンマーン。
かつて戦乱の大陸に名を響かせた、外に住む者の神々である。
「じゃあ
アルフライラの視線の先に、椿が生えていたのは言うまでも無い。
その頃の青の神国、大神殿にも客神が訪れていた。
「なのでアズ姉さま、可愛い妹のお願いですわ」
青の大神の前に座っているのは、黒髪を二つに括った黒の女神。
朗らかな笑みで要求するエミーラに、アズラクは頭を抱える。
対ナハース戦に関する限定的な軍事同盟。
商人からの報告を受けたエミーラは、即座に青の神国に飛んだ。
国内勢力からの軍事力抽出、その他諸々をマリクに押し付け。
青を迂回するかしないかで、行軍難易度が激変するが故に。
「金貨で殴り合ってる最中の相手に言う事かしら」
「あら、私たちは仲良くやれると思いますわ」
応接の間に同席し、緊張に蒼白に成っている神国の重鎮の中、
紅茶を優雅に嗜みながら言い切った黒と、呆れた目線の青。
「ぬけぬけと言い切るし、どこを見たらそう成るのよ」
「だって、殴り合えるほどに価値観が共通していましてよ」
そして親指で首を搔っ切る仕草をしながら、発言を続ける黒の女神。
「正面から叩きのめして、朋友だと認めさせてやりますわ」
「エミーラ貴女、同盟組みに来たの、それとも喧嘩売りに来たの」
敬愛するお姉さまに真逆、などと嘯くエミーラの手元から
はらりと一枚の紙片が落ち、わざとらしくアズラクの足元に飛んだ。
拾い上げた青の女神が掛かれている内容を見る。
―― 蒼天、已に死す 玄天、当に立つ
暦は循環を継ぎ 天下は大いに吉となる
どう見ても扇動目的の檄文であった。
「青の同盟都市の貧民街に撒こうとしていた人が居ましたわ」
「わあ、まず治安と信頼を削りに来るあたり凄く姉さんぽい」
止めておいたのでご心配無くと笑う妹と、棒読みで礼を告げる姉。
そして誰に似たのかと、聞くまでも無いわねと深く溜息を吐く。
「じゃあ真面目に話しましょうか、通行料について」
「お姉さま、ま・け・て」
わざわざスタッカートで切って、あざとく告げる黒。
流石のアズラクも、上目遣いで強請って来る妹の米神に両の拳を当て、
全力でごりごりと絞り上げる、国際問題上等な対応一択であった。
やがて生命が爆発している塔から長い影が伸び、神殿に届く。
世界は茜に染まり、日中の酷暑から解放された人々が動き出していた。
そんな喧噪を遠く、狐神神殿の廊下で涼む神に客が在る。
「アルちゃん様ー、私が来たぜ」
「フルの旦那、お久し」
男爵の妾従者スファルと、隻眼の兵長であった。
対し手を振り客を迎える創世神と、その下で耳だけ動かした黒猫。
肉体の代わりと尻尾が数度振られ、面倒だったのかそのまま落ちた。
そして砂漠ほどでは無いが急激に気温が下がる中、狸神が火鉢を置く。
羊の醗酵乳から
外に住む者の保存食であり、湯で溶かし飲料として使う他、
水で戻し固形の醗酵乳として食べたり、汁の味付けなどにも使える。
「深夜には塩や酪を入れたりするけどね」
言いながらルンマーン改めカミリヤが
「道理で、以前に砂漠で貰ったのより軽くて呑み易いです」
口を付けたスファルが簡単な感想を述べ、廊下に座り込んだ。
華麗にスルーされ続ける広縁が、存在意義を問われっぱなしである。
「取り急ぎウチから、遠征分の法術兵を持ってきましたよ」
男爵は後日に合流すると意向を告げ、湯呑みを傾ける。
「神国の向こうの話なのに、随分と気合が入ってるね」
「まあウチの交易は、ペル・アビヤドが最重要地ですからねえ」
それだけでも獣神に合力する理由になるが、それだけでも無い。
「何ですか、天羽楼が全世界規模でやらかすと聞きましたが」
「そだね、放置すればあらゆる地の生きとし生ける者が絶えるかな」
「軽く言う内容じゃねえ」
気が付けば場の者は板張りに車座で座り、醗酵酪の飲料を傾けている。
「全ての神国が対応しているのに、帝国だけ何もしないとか」
面子丸潰れだから、必死に先陣に混ざるために駆けてきたと語った。
「と言うわけで、コネを全力で活用しに来ました」
目立ちつつ、比較的安全な場所に配置をお願いしますと、
きっぱりと言い切った女従士に、コネが少し呆れた視線を向ける。
「あと近場だと、副王の軍が合流しますね」
余所からもちらほらと、武名のために集ってくるみたいですと告げ、
その内容に神が首を捻り、浮かんだ疑問を言葉に乗せた。
「そんな大所帯、どうやって銅と赤を通過させるのかな」
「交渉役が泣くんじゃないですか」
交渉役かと鸚鵡返したアルフライラを、じっと見つめ続けるスファル。
創世神はねっとりと絡み付く様な視線から、全力で顔を背けた。
「ぶっちゃけ両神国に無茶を通せる存在なんて」
「は、ハジャルんなら、きっとハジャルが何とかしてくるはずー」
あとサヤラーンと続く。
現在進行形で帝国が事後承諾の行軍をしていると言う事実を知り、
全力で責任をぶん投げようと試みる姉と、同情の視線を送る妾。
大事になってきたなあと遠い目をした神に、大事ですよと人が笑った。