少し話は前後する。
獣の聖都ペル・アビヤドは、馴染みの男爵領からの客人を迎えていた。
幾らかの兵団、数多くの荷駄、垢抜けた従者たちとその主。
クファール男爵夫人、アイン・アル・ヒッル・クファール元皇女である。
選帝王族であるヒッルの血族の名が残ってはいるが、継承はされない。
輿に乗せられ、宝物の如く大切に扱われている夫人の胎は膨らみ、
係累の途絶え切った男爵領の、新しい血筋を宿しているのが見て取れた。
犬狼3支族の内、神殿留守居役のフの支族の女長が受けて聞く所、
神代より続く大神大乱の終局を迎える今、聖都にて出産に臨みたいと。
新たな世代に獣人勢力との縁を結ぶため。
そして、今こそ恩が高く売れる時と見極めたが故の行動であった。
男爵領の兵を受け入れ、ペル・アビヤドの防衛戦力は飽和した。
即ち、さらに西方への援軍を追加できる余地が生まれた事に成る。
妊婦の、そして出産に至るまでと生命を賭けた押し売りを受け、
留守居役もまた、男爵領の誠実さに賭け治安維持の権を一部貸与する。
後の帝国分裂、及び独立戦争に至っても僅かと途切れる事の無き、
鉄血の交易路と呼ばれた関係性が確立した瞬間であった。
そして、俄かに慌ただしくなった都の様相で。
口と頭を白い布で覆い、長い耳だけが出ている白兎看護団が、
わらわらと集まっては妊婦を大切に千夜神殿へと輸送する。
周りを囲む毛玉に癒されながらも、夫人が犬狼に困惑混じりに問う。
「ああ、えーと、獣神神殿の方では無いのか」
「ご安心を、千夜の白兎ほど医に長けている者は居りません」
どこかの邪神に暇潰しで衛生観念を叩き込まれた猛者たちであった。
なお、若手は従軍しているので子供と老人しか残っていない。
ともあれわらわらと輿に集まり、波の如く揺れる大量の兎の耳。
「アルちゃん様は、本当に趣味が良いな」
夫人は流血の予感を抑える様に鼻を抑え、震えながら言葉を絞り出した。
側付きの女官も、震える身体を腕で抑え目を血走らせている。
兎派であったかと女長のハイライトが消えつつも、
白兎の群れに連れられて男爵領の一行は聖域へと移動していく。
そして、都と聖域の境の大用水路にて人の群れを見咎めた。
「あの集団は何であろうか」
妊婦の問いかけに、フの長は吐き捨てる様に返す。
「聖域に押し入ろうとする難民ですね、滞在税こそとっていますが」
都に帰順するわけでも無く、ただ居座り要望だけを叫ぶ集団だと。
「難民は受け入れていたのでは無かったのか」
「獣神の都ですからね、住人は基本獣人しか受け入れませんよ」
千夜神の影響も在り、交易路を渡る商人や巡礼者に制限は無い。
しかし、主に元隣国の生き残りなどで構成された大量の只人難民には、
炊き出しと仮設のテント、そして短期労働の斡旋で対応していた。
獣人でなくば受け入れない、故に只人は路銀を稼いで余所に行けと。
「いや、思い切り住人に只人が混ざっておらぬか」
軽く振り向いた夫人の視線の先には、虎の覆面を被る偉丈夫と機械の人形、
そしてどこをどうみても只人の少女が屋台前で談笑している。
「虎の獣人、機械の獣人、只人の獣人ですが何か」
「最後ちょっと待て」
機械人類を鮮やかにスルーさせるほどの面の皮の厚さであった。
「まあ、出征している皆が帰れば自然に消えるでしょう」
「道理で必死に訴えておるわけよ」
受け入れられた新たな獣人たちは、自らの存在意義を示すために、
或いは栄誉か報酬を好み、此度の大戦に積極的に協力していた。
視界の先でも、覆面の青年は会話の後に従軍希望の受付に向かい、
説得されたらしい少女が機械人に連れられ支援団体の詰め所に向かう。
そして聖域との狭間には、獣人に相容れず血肉も払わぬ集団が残るのみ。
女子供を前に立て、後方から成人男子が声高に情を訴えている。
他者の行いを論い、正しさを騙り、聖都の在り様は間違っていると叫んだ。
獣人だけで無く、只人にも公平に慈悲を示すべきと。
「アルちゃん様は何と言うだろうな」
「畜生道の住人の鳴き声は聞くに値しない、などと言っておりましたな」
何かまともな内容に聞こえても、結局は鳴き声だから聞くだけ無駄と。
「畜生か、獣人の前で使うには危ない単語じゃな」
「人の三道を踏み外さぬ限り、種族に関わらず全て人だそうですよ」
故にアレは、既に人では無いと現時点では認識されているらしい。
なお、アルフライラが積極的に語った内容では無く、
男爵夫人にも縁の深い仮面の神官に詰められて半泣きで語った内容である。
人を三善道、三悪道の六道に分類し、六波羅蜜に因る廃悪修善の思想。
今こそ真理を受けりと感涙の雫を仮面と顔の隙間から滂沱と零す神官に、
冷や汗を流しながら取り繕っている神の様相など気付くはずも無く。
気が付けば聖典が厚くなり、神殿に慳貪、破戒、瞋恚、懈怠、散乱、愚痴を
踏みつけ戒める六波羅蜜猫心像が建立され、飾られる事と成り。
ハイライトの消えた瞳で猫可愛いと、棒読み感想を述べた祀神が居たと言う。
「千夜神殿で世話に成るのなら、朕も猫人と言い張るべきであるか」
「愛でられるだけですから止めておいた方が宜しいかと」
ともあれと集団は進み、付け猫耳屋台を眺めながら夫人が聞けば、
苦笑を零しながら女長が応え、それは残念と問い手が肩を竦めた。
途中、押し寄せようとした者は守衛に留められ、老家猫に追い散らされる。
何故どうしてと、叫び声を背に受けながら、男爵一行は聖域に辿り着いた。
怠けている、無思慮と言う苦しみに囚われている。
苦しみを反芻し後悔に縋り、誰かを攻撃できる事ばかりを思い、
獣に堕ちて人に嚙みつく事を、正当化する事で安心を得ようとする。
誰かを苦しめる事を正しい事だと言いたがる。
「そう語ってもおりましたね」
「アルちゃん様は、やはり神なのだなあ」
そも大神は、救う者では無い。
「炊き出しで猶予を与えているだけ温情だと思いますけどね」
事実、言葉を受けるなり何なりを切っ掛けとし思う所が在った者は、
既に行動に移り従軍なり後方での補充作業なり、何某かに従事していた。
ともあれもう関りも無いだろうと集団は千夜神殿に向かい。
そして、神殿前を箒で掃いている女神に遭遇する。
錻力の悪魔博士仮面で顔を隠す、栗色の髪が膨らむ巨乳の女神。
「おー見たところみんな揃っとるな、俺はマウジュだロボ」
仮面の汚染が随分と進行しているマウジュ・カビールである。
「ま、マウジュ様、その仮面は封印されたはずではッ」
「だって錻力だぞお前ぇ、それを顔に付けたらビッタだロボッ」
そしてフの女長の号令に応え、フの支族が総出で女神を抑え込み、
改めて呪いの錻力仮面は神殿奥深く、旧神遺物保管庫に再封印された。
「ううぅ、ジャマール様に置いて行かれて哀しかったんですロボォ……」
仮面を外し正気に戻っても語尾のロボは抜けない、ロボ部の罪は深い。
そして流れで同行し、保管庫に在る様々な旧神遺物に戦慄する夫人が居た。
見てもわからず、しかし存在感は圧力と化して空気に満ちている。
その中で中央、例外的に見てわかるに易い巨神が座りこんでいた。
「忘却の、アイオーン……」
お伽噺に謳われる、古き偽りの大神たちが操る神威の名称。
鋼の色に輝く機体はロボブーの片割れの手で修理され、放置されている。
「す、するともしやそのお方はマウジュ神かッ」
精神安定に子兎を持ち上げ抱きしめながら、輿上で夫人が気付いた。
忘却3神の1柱、熊の神機の操手である古代神マウジュ・カビール。
「ええ、彼女が仕えている神が働き過ぎだからと」
「アイオーンだって修理して貰えたのに、ジャマール様あああぁぁ」
マウジュは悲痛に、遥か遠き戦場で地味に相手陣地の飲み水を汚染して、
嫌がらせをしている神話の悪神筆頭である吟遊詩神の名を叫んだ。
「……ロボォ」
語尾は忘れない、忘れたら某邪神が何をするかわからないから。
なお、忘却のアイオーンは1柱でも動かす事自体は出来るが、
戦闘機動をとれば、瞬く間にマウジュの干物が出来て終わりである。
「えー、ああ、うん、とりあえず私たちが来たのだから」
留守番の古代神1柱ぐらい向かわせても良いのではと妊婦が気を遣い、
アイオーンがまともに動いてくれないと無理だと、神が嘆いた。
「生命を捧げようとしたら、凄く怒られましたロボ」
それでも干物になるまでだけとは言え、貴重な戦力には違い無く。
体前屈で語る、出陣時に忘却のアイオーンの不完全な起動を提案したら、
ジャマール・シャムスが珍しく烈火の如く怒り、留守役を命じられたと。
「合体変形を封印すれば、大神と言わず古代神程度でもロボオォ」
あと2柱居てくれればと絞り出すように呻き、その内容に絶望する。
古代神程度とは、小神だと論外と言う意味でもある。
「相変わらず、傲慢なんだか無欲なんだかわかんねえ奴だな」
突然、男爵夫人たちの後ろから声が掛けられた。
フの女長が戦慄を伴い青ざめる、千夜神殿最奥、幾重の防壁の内、
戦力外とは言え数多の家猫族すらも通過して侵入を果たした誰か。
黒髪が雑に荒れた大柄な青年と、真っ直ぐに伸ばす細身の女性。
その顔は頭ごと荒い布を、幾重にも巻き付け隠されている。
「あ、え、何で、ロボ」
マウジュの知己であったのか、指さし震え、細切れの言葉を零す。
「何だ、知らないのマウジュ」
黒髪の女性が、鈴を鳴らした様な声で楽し気に笑う。
そして互いに顔に巻き付けられた布を握り、引き降ろした。
「ダチってのは、キツイ時にゃ勝手に集って来るもんだぜ」
野獣の如き荒々しい笑顔と、整った顔立ちの悪戯な笑みが在った。
「ダウイ、カイカブ、生きていたロボかッ」
「いやロボって何だよロボって」
忘却の名で謳われた3柱が再会を果たし、謎の語尾に苦笑が生まれる。
そして留守居役の頬を伸ばして遊ぶ男神の後ろで、黒髪の女神。
「では、以降のこの場は貴女たちに任せて構いませんね」
留守居役マウジュの代役を、男爵領の兵士たちが受け持つと。
それで良いなと偽りの大神カイカブが問い、男爵夫人は請けた。
「カイカブ神に言われては是非も無い、あと後日サインを頂けるか」
幼き頃より聞かされた神話の英雄の要望に感極まりながらも、
零れ落ちた欲望を受け、前に居たダウイが笑いながら応える。
「おう、何なら生きて帰れたら名付け親に成ってやろうか」
是非と応え、ならと応じ、じゃあ征くから道開けてくれと頼み。
そして、報酬に見合うべき働きを求められる従者たちの顔が青褪めた。
「忘却のアイオーン、プロトゲッターワン、出るぜッ」
「ちょちょっとお、いくら何でも急すぎませんかロボ、支度とかッ」
「気にしないない、道中程度なら私たちの劣化権能でも余裕ですよ」
慌ただしく神殿から避難する人々の中から、鋼色の巨神が姿を見せ、
瞬く間に空へと駆け上がり、飛行機械に分離して飛び去って行く。
轟音と、後に残される静寂。
突然の騒動を受け、聖都の住人は西の空を仰ぎ呆けていた。
「何とまあ、何だったのか」
勢いに流されきってしまった男爵夫人は嘆息し、自らの胎を撫でる。
「ともあれ何だ、アルちゃん様のまわりはやはり退屈しないな」
そして呆れる従者の前で呵々と笑いながら、初子の安寧を願った。