特筆するほどの事でも無い。
長く柔らかな琥珀の髪と、紅玉の様な瞳を持つ女性が居る。
ある時に彼女は思い立ち、古びた鞄と白い外套を箪笥から取り出した。
そうだ、旅に出ようと。
熱砂が舞う大陸南部、幼い頃より憧れていたシェヘラザードの旅路に。
思い立ったが幸いとしばしの有給を確保して、旅券も更新。
そして大陸中央が近年の土地開発、巨大ダム建設などに因る気候変動で、
旱魃や水害の連鎖など、極めて混沌としていたので陸路が選び難く。
素直に空路で東南諸島に迂回し、海を越え砂漠に入った。
青の古都イルカディーム・アズラク名物、千夜の肉詰めも興味は在ったが、
紅玉平野を抜ける道のりを考えれば、獣の神都テルバードの方が近い。
なので肉詰めは帰りの目的とし、まずは砂漠を越えようと港湾を発つ。
トラックの荷台を改造した乗り合いバスで、長距離バスの停留所に向かう。
回された空き缶に運賃を放り込み、3度のパンクを経ての砂砂漠。
軽く砂を被る舗装道路の横に、漆喰が塗られた箱の様な建物が在った。
ここだよと気楽に言う運転手に、ここかよと思わず聞き返す彼女。
陽除けを兼ねて中で待つと良いと勧められ、不安混じりに中に入った。
影の中に入れば、空気も乾燥しているため体感温度ががらりと変わる。
民家の様な箱の中身は、小売りの在る待合所であった。
薄暗い中、店主の老婆に予定を聞き品物を見る。
瓶入りのコカコラ・タンサンを見つけ購入、冷えてないが。
それでも貴重な水分と糖分と、2本買って1本を飲む。
商品名のコカコラは、古代語で「ありふれた」と言う意味らしい。
待っている内に陽も中天に至り、喉が渇いたので飲料水も買う。
コカコラの糖分は旅路には貴重だと、温存の方向である。
そうこうしている内に内燃機関の音が聞こえ、バスが到着した。
外に出て見てみれば、意外にしっかりとした近代型の大型バスである。
箱型で在りながら、近年の流行の通りに車体の角が若干丸まっている。
乗りますと先払いの運賃を払えば、すれ違う者が在った。
陽除けのケープを肩に掛ける、緑髪と長い耳、森人らしき女性。
彼女はそのまま停留所に入り、水と固焼きパンを抱え戻ってきた。
そして抱える一部を運転手にほれと渡し、席に向かう。
「前を失礼、旅行者さんですか」
車内で二人掛けの長椅子は向かい合う形に設置されており、
旅行者である彼女の前の席に、その緑髪の女性は座った。
「ええ、千夜物語の名所を訪ねようと思いまして」
「まさかの観光、するとイルドラードまで行く感じですかね」
砂砂漠を越えるほどの覚悟に少し引いた感じの言葉に、返す。
「イルカディア湖まで行って、折り返す予定なんだ」
「驚心動魄、大神巡礼全制覇狙いですか」
緑の森人は発言に驚きの色を見せ、そして改めて口を開いた。
「ああ、私はアルフリーフ、しがない歌い手です」
名乗っていなかったと気付いた風の言葉に、女性は驚愕の色を見せる。
「あ、あの莫逆のロックンローラーと呼ばれたアルフリーフ様かねッ」
「風聞喪胆、意外と名前売れてますね私」
食い付きが凄く、握手とサインを求めた上で早口で語り始める信者の姿。
幾年か前に王国を襲った暴風被害、続々と被災者が詰め掛ける地獄に、
無線で掛かった楽曲が、救護所で活動していた人員の心を支えてくれたと。
「『てめえらみんな死んじまえ』は、間違いなく名曲だよ」
「慮外千万、どんな立場のどんな気持ちで聞かれたのか」
ひとしきり語った女性は、自らの名を返していないと漸くに気付き、
少し恥ずかし気な顔色を滲ませながら、改めて名を名乗った。
「あー、私はジェーン・ドゥ、連合王国から来た只人だ」
そして和気藹々と会話が積み重なる中、バスは行く。
空調は全力で動いているが、それでもバス内の昼は暑く、夜は寒い。
陽も傾いて気温が下がれば肌寒く、ジェーン女史は外套を羽織った。
その内に砂が平野に変わり、草原から穀倉地帯に変わる。
高速道路前の停留所に停まり、若干の休憩時間が取られた。
朧な光量の車内で、運転手から飲料水と挟みパンが配られる。
「ふむ少し癖が在るね、平パンにこれは、羊の燻製と乾いた葉か」
「流石の王国民、酪すら無い質素な物でも文句が出ないのですね」
干からびた萵苣に辟易とした様相のアルフリーフの発言を受け、
ジェーンは喰えるだけ上等と言う物だよキミと、かんらから笑った。
やがてバスは発ち、高速道路の上で光が流れる。
「しかし話に聞くよりも、実に見事な平野だな」
「古来より、千夜神が一夜で均した平野と謳われています」
そう詩神が案内すれば、いくら何でもそれは無茶だと人が遮る。
かの大神たちやアルコーンを以てしても不可能であろうと。
「そう言えば、千夜神がご存命なら今どうしているのだろうな」
「先日、バーチャルネットチューバーとやらで見かけましたよ」
思い付いた様に零れた疑問には、変な角度からの回答。
何事かと女性が問えば、元森神は荷物の液晶パッドを起動させる。
車内に回線は繋がっていないが、オフラインで動画が残っていた。
世界食べ歩き系ヴァーチャルネットチューバー、アルちゃん様。
―― あがめよー、さあ信者どもよ賽銭するのだー
画面では、何か金髪の二次元少女が開口一番にスパチャを要求していた。
―― と言うわけで今日は北方国家共同体首都、旧革命広場からです
そして画面が切り替わり、寒々とした石の広場と屋台が映る。
―― 店主さん曰く、よくわからない魚と野菜を巻いた巻き寿司を
その中のひとつの屋台前で、可愛らしく透き通った声で説明していれば、
視聴者コメントに、よくわからないとは何事かと疑問が連続投下。
―― 知らないらしい、たぶん毒は無いだろうって
集まった疑問を店主に問えば、凄く良い笑顔で答えた屋台店主。
―― そんな謎太巻きに衣を付けて揚げて、はい共同体名物
白魚の様な指が画面に映り、画面外で揚げ太巻きを齧るアルちゃん様。
―― あ、油が乗って意外に美味しい、極東人はガチ切れしそうだけど
「こんな感じで、まあ元気でやっているみたいですね」
「いやいや、いくら名前が千夜神ぽいからって無理やり過ぎだよ」
お道化て大真面目に語る神族の妄言に、苦笑を滲ませて受け応える只人。
笑いが重なる中で夜も更けて、幾度かの休息の果て、やがて空が白み始める。
地平の果てから注ぐ朝の光の中で、道路の先に摩天楼が姿を見せた。
「獣人連合首都、古くはペル・アビヤドと呼ばれた聖都テルバードです」
広大な耕作地に囲まれた高層建築群、そして都を貫く様に伸びる人造大河。
その先に聳える岸壁の向こうには、様々な形で謳われた三大神殿の聖地。
遠景を目にし固まったジェーンに対し、アルフリーフは懐から書状を出した。
「合縁奇縁、せっかくだから幾つか紹介状を渡しておきますよ」
贔屓の宿と千夜神殿に対する物、少なくとも無下にはされまいと伝え。
恐縮しながら受け取った旅人に対し、流離の吟遊詩神は謳う様に告げる。
「では改めて、ようこそ聖都テルバードへ」
朝の光の中でジェーン女史は、アルフリーフの並外れた美貌に漸く気付いた。