テルバードから発ったバスのタイヤがパンクして、中々に修理できず、
時間を浪費したためジェーン女史は、想定外の宿泊を余儀無くされた。
そして早朝、都市イルマクラムのバスターミナルに向かう。
「邂逅相遇、奇遇ですね」
州都イルドラードへの長距離行路を臨む停留所に、
見慣れた詩神の姿が在り、偶然の再会を互いに喜び合う。
「奇想天外、イルドラードへ行くのに高速を選ばなかったんですか」
「なるべくシェヘラザードの旅路に沿っているからね」
ジェーン・ドゥが選んだ旅路は、テルバードからイルドラードへの
高速バスでは無く、イルマクラム経由の下道ルートであった。
相変わらず気合が入っていると呆れ気味な旅神に、苦笑で返す旅の人。
「待ち時間が長め、そこに良い軽食屋が在るんですよ」
そしてアルフリーフはジェーンを誘い、停留所から移動した。
数件隣に在る映画館の正面、建物の1階には鉄板焼きの小規模店舗。
薄焼きの
片手で齧りながら、瓶に入った搾りたての柑橘果汁にストローを入れた。
ストローを遣うのは感染症対策である。
「何と言うか、ご機嫌な朝食だね」
「品質本位、観客相手の老舗ですから」
アルフリーフは果汁に追加料金を払い、牛乳を入れていた。
そして店頭に並び黙々と食事をする視界には、主張激しい映画館の看板。
「旅先の映画館と言うのは、何となく旅情を感じるのだよ」
「国が違えば目新しく、大抵は時間が無くて寄れないので猶更ですね」
連合王国では見ない俳優たちが描かれた看板に、しかし知名度の在る題名。
エドガー・ワラン・ポー 怪人黄金虫
瀕死探偵アルナイネ 本神殺人事件
名探偵シャーロット 赤銅毛組合
「探偵もの3本立てか」
「無難と言うか、外れない感じでしょうか」
やがて食べ終わり容器を返し、停留所へと戻っていった。
飲料水を買い、互いに補水を続けながら待ち続ければバスが来る。
トラックの荷台を改造して客車にした、落書きだらけの車体。
荷物を屋根に乗せ縛り付け、窓が全開の車内に入って座れば、
前方の座席から空き缶が回されて行き、乗車賃を中に入れた。
そしてバスは行く。
「都市から州都へ向かうのに、何か素朴過ぎないかね」
「至極当然、普通は高速を使いますからねえ」
細々とした舗装路を進み、かつての隊商宿場を回る旅路。
大抵は遺跡として姿を残し、時折に村や街などが存在する。
停留所に停まると、小売りの少年が車内に乗り込み売り込んで来た。
勢いに呑まれ思わずと買ってしまったジェーン女史と、
少し笑いながら同じ物を購入するアルフリーフ。
口に杯が被せられている、小さな素焼きの壺
「思わず買ってしまったが、何だねこれは」
「薄荷茶ですよ、良い感じに冷めてますね」
中の茶を杯に移し、がたごとと揺れる車内でしみじみと飲む。
「意外に良い買い物だったが、容器がかさばるね」
「車外廃棄、窓からポイ捨てすれば良いんですよ」
それはどうなんだと引き攣る連合国人に、旅神が笑う。
素焼きだから割れて、雨が降れば土に還ると。
「そういう風に扱う前提の商品なのか」
感心した声の女史の横で、次々に素焼き壺が宙を舞っていた。
そして草原を渡る風の中、色彩豊かなバスは進み続ける。
国境を越え、旅券を出し。
やがて陽も陰り、空が茜に染まり影が伸びた。
気が付けば道は広く、車両の交通量も増えて街灯も増える。
「これが州都イルドラードか」
停留所に降り、荷物を受け取ったジェーン・ドゥは感嘆した。
バスを降りれば石畳の大通りが続き、立ち並ぶ土色の建物を、
建物に備え付けられた灯が柔らかく照らし出している。
「腹案を保有、今宵の宿はお決まりで」
詩神の問いには、肩を竦めて答えた連合国人の有様。
良い宿が在るのですよと、大通りを進んでアルフリーフが案内した。
食事所や土産物、あるいは宵に涼む住人の席などを通り過ぎれば。
その最奥、日焼き煉瓦の城壁にまで辿り着いた。
「旧総督府、そしてかつての隊商宿場イルドラード」
神が、今も纏め役の末裔が店をやっているんですよと軽く言い、
唐突に提示された物語の舞台に、衝撃を受け言葉も無い観光客。
かつて開拓者たちが行き交った水路の在る広場には、
今は幾つもの篝火と席が置かれ、しかし詩神は通り過ぎて奥へ行く。
「へい店主、アルちゃん様2号のご来店ですよ」
「来やがったな猫嫌われ神」
厨房に居た若者の気安い言葉に、やかましいわと返す詩神。
邪魔だから席に戻れと促す言葉に、幾つかの注文で返した。
ジェーンとアルフリーフが広場の適当な席に着く。
ほわあと周囲を物珍しそうに見渡す女史に、微笑む詩神。
そして間も無く、席にとりあえずと水と茶器が届けられた。
薄荷茶が好まれる地域に於けるだいたいの傾向として、
北部は杯に薄荷を入れ、南部では茶器に薄荷を入れる。
そしてイルドラードでは、堂々と花瓶に薄荷が活けられていた。
好きに千切って好きに入れろと、全力でぶん投げる姿勢である。
互いに水を飲み、薄荷を千切って茶に放り込む。
「さっきの彼の先祖が、物語に出てきた宿場料理人なのかね」
「そして当然、開拓少女タサウブの末裔でもありますよ」
さらに遡れば、青の世界踏破に居た流浪の包丁人の血筋でもあると。
「何かまたとんでもない血族だなあ」
観光客が僅かに呆れを滲ませた声色を出した頃に、料理が届けられた。
踊り子風の衣装を纏った給仕の女性が内容を説明する。
「ギョーザの焼きと揚げ、そして豚さん印の開拓者ラガーです」
かつて千夜神が伝えたと言われている包み料理であるギョーザ、
安心の豚さん印で、若干酒精を強めた銘柄の下面発酵麦酒。
他地域とは違い、原点のイルドラード式ギョーザは大蒜を効かせ、
そして、ラガーは冷やすのがイルドラード式であると。
「これは良い、料理は元より冷えたラガーと言うのは素晴らしいな」
「かの千夜神が、開拓者から小銭を巻き上げた伝説の品目ですからね」
開拓者以外には結構不評であった事実は、歴史の闇に消えている。
なお千夜物語にも、この品目に関する項目が存在する。
アルフライラがシェヘラザードに変われば、容赦無く集金する邪神から、
歌って踊って皆で楽しく飲み食いする愛され小神へと変化していたが。
「既往不咎、まあ新式麦酒が廃れたのだけは残念ですか」
かつての古式と新式の開拓者麦酒を懐かしむ言葉を、小さく詩神が零した。
やがてたけなわに、宿泊所へと案内される1柱と1人。
隊商宿場の建物の2階へと移動して、広々とした個室へと案内された。
「強力なコネ、千夜神アルフライラ専用個室です」
「ちょ、何でそんなとこを予約も無しで泊まれるんだねッ」
さりげに長生きしてますからと笑うアルフリーフに、戦慄するジェーン。
そして入室前に軽く止められ、中ではスリッパに履き替えると告げられる。
僅かに逡巡し、編み上げ靴を脱ぎスリッパを履く王国人。
「極東様式、流石に王国人だと慣れませんかね」
「いやそうでは無いんだ、ただスリッパがね」
飴玉中毒の同居人が、スリッパに飴玉を隠す悪癖が在るからと告げる人。
意味が分からない顔の詩神に、私もわからないよと宇宙顔な只人。
「十人十色、ま、まあ人にもいろいろ在りますよね」
困惑のままに荷物を置き、空調を稼働させる。
そのまま最後に窓帷を開けば、既に空は宵の色に染まっていた。
「ふむ、これが物語に在ったイルドラードの夜なのかね」
「大異小同、当時は砂漠でしたから結構趣が違いますかね」
星空を見て零した言葉に、軽く否定で入る流離の詩神。
そして、イルカディア湖まで行くのなら道中で見れるでしょうと続く。
ジェーン・ドゥはふむりと頷き、窓枠に腰掛けて軽く諳んじた。
「天の海、雲の波立ち月の舟、星の林に漕ぎ隠れ見ゆか」
千夜物語に於いて、砂漠の星を見たシェヘラザードの感嘆を謳った詩。
かつては開拓者たちが転がっていた広場に今は料理店の席が並び、
どこまでも広がっていた夜空は都市の灯りに遠ざけられている。
詩吟の遠きイルドラードにて、旅路の幸いを祈る夜は更けていった。