―― 嗚呼 布施の者よ 優しき君よ
歩み続け給え 衆生の心に寄り添いて
アルフライラが愛用の二弦を弾きながら、悪魔の言語で謳っていた。
油断である。
どうせ内容はわからないだろうと、賑やかしで音を出していただけだが、
先史悪魔の言語話者である忘却2柱が居る事をすっかり忘れていたのだ。
かくして偉大なる千夜神が残した波羅蜜の誉れとして、拠点の壁に刻まれ。
謳われ被害の比重をアルフライラ側に傾ける事に成功したハジャルが
直後に全力で追撃する板から逃走していたが、それは余談になる。
大戦は終わり、軍勢の引き上げが始まった。
種族も、所属も、何もかもが違う色彩豊かに混沌とした大集団が、
相応に細かな騒ぎなども在れど、潮が引く様にその数を減らしていく。
そして改めてアルフライラを確保しようとする諸勢力を。
獣神パワーがぶち破り、
獣神パワーがぶち破り、
獣神パワーがぶち破り。
最後に、獣神パワーがぶち破った。
そのまま開拓組は獣人勢力と共に海に出て、大陸南方より砂漠を渡り、
復員する獣人たちに混ざりペル・アビヤドにまで辿り着く。
残った問題は、如何にして獣神から逃げ出すかと言う点であろうか。
ともあれ今は勇士たちの凱旋であり、人々が沸いていた。
陽も暮れなずみ空の茜も黄昏を帯び、通りには幾つもの篝火が焚かれる。
色とりどり、様々な獣人たちが列を成し歓声に応えていた。
犬が、猫が、兎が、狸が、狐が、木材が、鉱石が、機械が、只人が
様々な獣人たちが混ざり合い、通りを複雑な色合いに染めている。
家族の在る者は再会に歓び、雇われた兵は報酬に懐を温め。
そしてアルフライラは、板上で黒猫ライドして聖域に向かっていた。
周囲を囲む家猫族たちは隊列を組み、飾りを鳴らして練り歩いている。
少し離れた場所には、祟り神を寄生させた灰斑の家猫族が居り、
ここは俺に任せて先に行けと、雰囲気だけで語っているが些事である。
対し反対側には、急造の輿に乗せられた赤い単眼海星が居り、
その周囲を囲む様々な奇獣人たちが、百鬼夜行の雰囲気を醸していて。
「邪神度で、負けている」
黒猫の背中にもふぅと埋まる創世神が呟き、そのまま力尽きた。
「邪神悪神が揃い踏みしてるわねー」
「そのうち千夜神殿が禁足地に指定されそうじゃな」
同行の人々は勝手を言い、待って、もしかして全部ウチで引き取るのと
今更な事実に気が付いて狼狽する千夜神殿の祀り神。
「世話になるぜッ」
「宜しくお願いしますねッ」
すかさず存在感を出して畳みかける忘却の2大神。
ようやく会えた妹に寄生する気全開の兄姉であった。
そんな新人類試作最終形素体たちの戯れに、近寄って来る制式素体。
「名案提案、せっかくだし世界樹的な物でも生やしておきましょうか」
「どさくさに神殿敷地を緑の聖域化しようとしていやがる詩神まで居る件」
祀神が困り果て視線を回せば、離れた場所で親指を立て良い笑顔の豚人頭。
宜しくお願いと猫上に伏す神意を受け、豚人隊は俄然と猛進していった。
そして人の足音に混ざりぽてぽてと歩む猫と、ふゆふゆと進む板。
手持無沙汰な時間を埋める様に、黒髪の48号試作素体が妹に問い掛ける。
アイオーンシリーズに関して、昔から疑問に思っていた事が在ると。
「『国際映画社』作品には手を付けないのですか」
板上の65号素体は素直に応える。
「え、だって基本ロボがダサイし」
「なんだぁ、てめぇ……」
だが、それがカイカブの逆鱗に触れた。
憤怒の気配に狼狽えたアルフライラが、慌てて言葉を追加するも。
「『バロンや28号』ぐらいガッシリしていたら考えるけど」
とても素直な言葉が試作姉から返って来る。
「オムツを履いた短足ロボはちょっと」
「なんだぁ、てめぇ……」
だが、それがアルフライラの逆鱗に触れた。
黒髪の美女がそっと板の上に乗り正座して、打撃用猫ぐるみを受け取る。
対し月光の髪の美少女も正面に正座して、板から猫ぐるみを取り出す。
後は互いの誇りを猫に込め、もぬもぬと顔面を叩き合う姉妹であった。
「無駄に可愛いわね、この姉妹」
「とは言えこれは、実の姉妹の様に深刻な溝が生まれておらんか」
神々の争いを目視した人々が呆れた声色で感想を述べれば、
蚊帳の外に置かれてしまった、黒い蓬髪の57号素体が肩を竦めた。
やがて、何の問題も無く素直に千夜神殿へと辿り着く。
凱旋の屋台で買い物をしていた精霊と開拓少女たちが一旦合流し、
贄の家猫族に寄生する祟り神を連れて帰還の宴席へと移動する。
先着していたマウジュ神が旧友を誘い、神殿内の居候区画へと案内し、
増築する奇獣神殿に関し話を纏めるために、パイラたちも分離した。
後に残るは、いつもの1柱3人と黒猫布団。
そっと近寄って来た三毛猫柄が、板の上に乗り空いた面積に丸くなり、
毛皮に誘われマルジャーンも乗り込んで、そのまま枕にする。
「感染しておる」
愕然と零したハジャルの後ろで、サフラの頬が引き攣った。
やがて料理の香りに誘われる様に、本殿を放置して野外広場に向かう。
慌ただしく兎人と豚人が動く中で、開拓者たちが騒いでいて。
篝火に照らされ、鉄板の上で焼かれているのは肉を挟んだ醗酵パン。
豚人料理人が鉄板上のパンに上からも焼けた鉄板を押し付け、
上下両面に焼いている挟みパンの具は、薄切りの炙り豚肉。
パンには芥子菜が塗られ、乾燥腸詰と乾酪、火腿、漬物も挟まれていた。
一回り小さな、名前の通り宵の刻限に好まれる由来の挟みパン。
かつて労働者に好まれていた豚肉挟みパン、それを青の神国が洗練させ、
料理店から気軽な宴席までと幅広く提供される事になったレシピである。
「豚人は豚肉食を嫌うと聞いたのじゃが」
「国では販売が制限されてますけどね、実は普通に食べるんですよ」
繊細な話題じゃったかと気を遣う只人を、笑い飛ばす豚人料理人。
挟みパンを受け取りつつ、成程のうと納得を見せるハジャルの横で、
焼きたての挟みパンを齧っていたタサウブが何に納得したのかと問うた。
「豚人国の国力が増した一因じゃよ」
自然の流れでは無く、王が狙ってやったのじゃなと答えた。
家畜を太らせる場合、増加分を遥かに越える重さの飼料が必要であり、
だいたい牛は11倍、豚は7倍、鶏だと4倍程度が消費される。
先史では品種改良や効率化の果てにその数字も緩和されてはいたが、
それでも生産までの消費量が2倍を下回る事は無かった。
「牛や鶏と違い、豚は人の食べる物しか食べられないからね」
アルフライラが補足する。
豚肉は畜産の効率に於いて他を抑えて極めて優れた食肉ではあるが、
その人類に似た内臓組織のため、飼料は可食の物に限られる。
牧草を食べる牛の様に、不要物で育てる事が極端に困難であった。
要するに、手付かずの範囲の在る森林に放し飼いなどが出来ない地域、
砂漠やその周辺に於いては、豚の畜産は直接に食料生産を圧迫する。
だが逆に、豚肉食を禁じてしまえばどうであろうか。
それまで確保していた豚肉の、7倍質量の食糧が確保出来る様に成る。
他に要因も在るだろうが、豚人の国が急激に勢力を伸ばした原因に、
かなりの割合で豚肉食の制限が影響していた事は疑い様が無い。
そんな頭脳担当たちの後ろで黙々と挟みパンを消費する剣士と、
三毛と一緒に豚さん印のラガー麦酒を傾ける呑酒女怪。
おおこれはいかんと、呑酒妖怪の片割れが慌てて麦酒を確保に走り、
挟みパンを齧っていた少女と黒猫も木製の樽杯を受け取った。
麦酒を権能で冷やし、さらに氷を入れて傾けるアルフライラ。
ついでに空いた大皿に立方氷を大量に生成し、勝手に使えと示せば、
周囲の酒精に踊らされている宴席参加者たちから歓声が上がった。
やがて夜も更けて、星々が宵闇を照らす時間。
聖域よりもさらに奥、断崖に挟まれた広場にカリカリと音が響く。
ふたつ並んだ墓石の前で動くのは、人間サイズの赤い海星。
「これで良しと」
触腕で汗を拭う様に目玉の上を擦りながら、パイラが言った。
獣神たちの墓所、キットゥ・アスワドの墓石。
墓碑銘の下に、生存確認と新しく彫り込まれていた。
無駄に律儀な奇獣神である。
その背後から、土を踏む音がする。
「それで、弟らしきナマ物が私に何か用事ですか」
「アフダル姉さんらしきナマ物に何か言われた」
言われた姉っぽいモノは、ナマ物姉弟ですねとかんらから笑う。
ともあれと弟が姉に渡したのは、花弁以外は造りが雑な謎の花。
アルフライラが奈落より持ち帰った、犬狼花の一輪である。
「これで、このあたりに花畑を造れませんか」
「問柳尋花、には寂しい地域とは思いますがね」
この生態系として思い切り破綻している植物擬きをどうしろと、
などと元緑の大神が眉を顰めると、そこを何とかと拝む元獣神。
「ラマディ兄様が造った花、なんですよ」
寂しそうに語る海星の姿に、疲労の混ざる溜息を吐く吟遊詩神。
「問答無用、ちゃんと代を重ねる様に調整しますよ」
夜の中、墓石の周りを花畑が囲む。
星月の灯りの下、吹き抜ける風に花弁が揺れる。
そして世界樹の落葉が、花弁の上で風に踊った。
「完璧、流石の私ですね」
「うわヤベッ」
流れのままに容赦無く新規の世界樹まで生やした緑の悪神と、
勝手に造られた緑の聖域を長女にどう言い訳しようかと固まる海星。
不完全な植生のまま花畑を維持するには精霊の加護が要るからと、
五弦を鳴らしながら全力逃走を決め込む吟遊詩神と、追う奇獣神。
翌日の神殿に、簀巻きで天井から吊るされたジャマール・シャムスと、
中身が出そうなほどに荒縄で絞られ吊るされたパイラが居たが。
それはそれとして、犬狼の花畑は聖域として永く伝えられたと言う。