熱砂の炎天もようやくに峠を越し、砂混じりの風が肌を焼かなくなる刻限。
どこまでも白い、砂砂漠の只中で簡易テントを張っていた3人と板は、
日没後の移動に備え俄かに動き始めた。
鍋に炒り麦と乾燥野菜、岩塩と油脂で固めた香辛料を放り込み火にかける。
その横で音を立てる缶には、生成した水と砂糖に薄荷が入っている。
「出がけに椰子砂糖が入って幸運じゃったわ」
砂漠の交易路周辺は産地も近く、砂糖と塩は比較的安価である。
椰子の樹液や棗椰子から作られるものは特に安く、普段使いされている。
そんな糖分が添加された薄荷茶が沸きたつのを眺める少女が。
「何か砂漠の人って、水が濁ってても気にしない人が多い気がする」
などと言う、自身が生成した透明度の高い水からの連想だろう。
「濁った水を避けるのは、ワシらの様な外から来た者じゃなあ」
手間をかけて水の濁りをどうにかするよりも、そのままで飲む。
一度沸かしてしまえば問題は無いだろう精神が砂漠の民の標準である。
理屈はわかるのじゃがなと疲れた声色の博士が言えば、他2人。
「戦場暮らしを思い出すから嫌だ」
「私って意外とイイとこの生まれですしぃ」
こと水に関しては、贅沢極まりない価値観の集団であった。
「あと何か皆、いつも何かしら飲んでるね」
そして沸き立ち取り分けた薄荷茶に口を付けながら、
宿場で出会った人間に関する印象を述べる板の神。
「まあ、飲まんと死ぬからのお」
身も蓋も無い回答が来る。
熱砂の住人は常に茶を愛飲している、それはもう頻繁に点てる。
諸王国時代はそれぞれの国の草花で茶を点てていたが、
帝国に纏まってからは各国の茶が交易路を飛び交い。
もはや大茶会時代とも言うべき現状と相成っていた。
平野に比べ砂漠地帯では、人体から発散される水分量の桁が
あからさまに違い、それ故に常に水を補給する必要に迫られていて。
濁った水を浄化する手間を惜しむのは、その頻繁さ故でもある。
「ワシは薄荷茶が涼し気で好ましいの」
「茉莉花茶が良いわね、花も香りも」
薄荷の香りを愉しみながらの博士の言葉に、姫が乗る。
「緑茶だな」
「ああ、神国から流れてきおる高級品じゃな」
剣士が意外に贅沢な好みを言えば、板神はと促され。
「麦茶かな、氷を大量に放り込んだヤツ」
「製氷神ならでは超絶贅沢嗜好が来たのお」
じゃが麦茶と言うのは珍しい、聞いたことが無いと続き。
言いながら手早く周囲を片付け、戦杖を手に取る。
「すべてが終わり、宿場に戻れば作って貰うとするか」
そう一言で区切り、砂丘の上を眺め仰いだ。
気が付けば剣士は外していた自らの大剣を身に帯びて、
姫が愛用の弓矢を手元に引き寄せていた。
神は何かへっぽこな速度のシャドーボクシングをしている。
やがて少女が疲労で崩れ落ちる頃、風に乗る砂が一行に届き、
其処に混ざる血の臭いが誰しもの眉を顰めさせる。
その内に駱駝の足音、やがて砂の丘に幾つかの姿が見える。
「おや、麗しき真珠とその一行かい」
駱駝に乗った人物は、良く見知った外に住む者の一党。
「珍しい場所で会うのお」
「まあ、掻き入れ時ってヤツだな」
博士と互いに張り付いた笑みで言葉を交わし、僅かの間。
その場に居る誰もが手を空け、武器に届く位置で止めている。
「で、あんたらはどこの勢力だい」
重さを感じるほどに張り詰めた空気の中に、問いが在る。
僅かな間に、加速度的に張り詰めた隙間に軽い言葉が有った。
「私かな」
特に気負う事の無い少女が、言葉を続ける。
「私の私による私のための我が侭に、付き合ってくれてる」
言葉に駱駝に跨る数人が、縋る様な視線を頭首に向けた。
言わずの言葉を受け、外に住む者の頭首は肩を竦める。
「真珠じゃあ手が出せないな」
全員、昼に酔い潰れて少女に介抱された経験持ちであった。
霧散した緊張に身を緩める全員と、板の上から軽い質問。
「お頭さんに暇は在るのかな」
「その肌に、傷を入れさせてくれるかい」
誘いの問い掛けには、面白がる様な気配の返答が在った。
砂漠ではよくある慣用の言葉。
真珠は美しい乙女を表し、傷を付ける行為は同衾を意味する。
「外に住む者を、我が民とするか」
だからあくまでも軽口であったのだろう。
しかし返答は切り裂く様な鋭さを持った声色で。
熱気の残る砂の上が突然に静謐な神域と変わる。
息をする事すらも憚られる、神聖なる気配が満ちた。
弛緩した瞬間に叩きつけられた衝撃に、誰しもの膝の力が抜ける。
駱駝の上に在る者は、我知らず降りなければと思い込み、しかし
急激な差異に思考は痺れ、身体を動かす事すらも満足に出来ない。
神の何を映すでも無い瞳に見つめられ、無意に頭首の喉が鳴った。
どれほどの時間がたったのか、それとも僅かな間であったのか。
「残念だが、信仰は、棄てられない」
絞り出す言葉に、少女はへにょりと笑って弛緩する。
「そっかー」
支配が解け、肩で息をする誰しもの中で長く息を吐いた頭首は、
その後のお狐さん可愛いもんねと、訳知りな言葉に頬を引き攣らせた。
「ウチの神と、御面識が在、お在りで」
知らず、物言いが丁寧になっている。
問いかけに軽く首を捻り、頬に指を付けて答える少女。
「井戸の濁りを相談された時に、何か凄く感謝された」
「何か、誘いを断ったと知られたら、殴られそうな気配なんだが」
気のせいかなと問う言葉に少し考える様、ふむと頷き予測を語る。
「無体を働いたなんて聞いたら、燃やされるんじゃないかな」
柔らかな笑顔は、生殺与奪を握った悪魔の笑みが如く。
どう返答しても間違いなくロクな事にはならなかったと種明かし。
「待てやこの神、ウチの拠点を掌握してやがるんだけどッ」
終に開拓者たちへと向けられた言葉は、魂の叫びであった。
そして精神的疲労に満ち溢れた会合はお開きと成る。
あの羊のどれかじゃったかーと遠い目をした博士たちは場を引き払い、
外に住む者たちも次の仕事場に向かうと言い、踵を返す。
別れ際、それで結局どこに向かっているのかと尋ねられ。
「獣の人にお世話になるかな」
「ああ、そこの3つ右の砂丘の向こうに陣を張っていたな」
方向を伝えられ、感謝のやりとり。
そして何か他勢力に関して気に成る事は在るかと聞かれ。
「天羽楼は、間違いなくいらない事をするだろうね」
「気に留めておこう」
そして互いの姿が砂丘に消え、砂を踏み落ちた陽の影が伸びる。
空が夜の色を纏い始めるころ、博士がようやくに所感を零した。
「まあ何じゃ、上手い事に引き込めたの」
届く言葉に、言われた意味が分からずキョトンとする神。
「誘ったけど断られたって感じじゃ無かったの」
「さてはお主、何も考えておらんかったな」
その反応を見て、一行の向ける視線が半目と成った。
断らせる前提の問いかけでは在ったが、それでも神の圧力に耐え信仰を守る。
ほんの僅かなやり取りで、頭首の男振りは桁違いに跳ね上がっていた。
同行していた配下の視線に宿る敬意が、信仰に近くなるほどに。
故に彼は受けた恩義の分、少しばかり少女のために動くであろうと。
「天羽楼拠点を焼き討ちぐらいしてくれるかな」
「まあ、いけそうなら略奪ぐらいは試みるじゃろうな」
不穏な内容のやり取りをしていれば、姫が板に乗り込み背後に回る。
そのまま後ろから少女の頬を摘まみ、みよんと左右に引っ張って言った。
「何にせよ、深く考えずに身体を張った交渉なんかしちゃいけません」
「もぎゅー」
下世話な言い方に会話を訳せば、私と犯りたければ一族を寄越せ、である。
無理ですごめんなさいと言われなかったらどうなっていたのか。
女の子なんだからと頬を引っ張りながら言う姫と、
ついでに剣士が正面に移動し両の拳を側頭にあてる。
「のぎょおおおぉぉぉ……」
仕置かれた神は倒れ伏し、しかし板は普通に動くので何の問題も無い。
長く伸びた影が、夕闇に染まる砂の上に夜の色を描く。
やがて砂の丘を幾つか越え、先に固まるテント群を見つけた博士が声を上げた。
「おお、アレじゃな」
獣人勢力拠点、深夜の光源を遮る様にテントで囲われた寄り合い。
円状に隙間無く配置されたテントは全て内側を向き、
その内側の砂の上には布が敷き詰められている。
「光が漏れないようにって感じだね」
「獣避けじゃな、人と言う名の」
復活した少女が軽く所感を零せば、簡単な返答が在る。
そんな夜の帳が降りる狭間の世界、遠く狂神の響きが伝わっていた。