砂の丘に陽が沈む。
昼の灼熱も幾らかは息を潜め、紅に染まる空の彼方に宵闇が混ざりはじめる。
ハジャル、博士と呼ばれる彼は伸びる影を眺めながら、先程の会話を思い返していた。
「もびるとれえすしすてん、じゃったか」
古代神が剣士に説明していた内容であり、人の動作を傀儡に伝える古代術式だと言う。
砂地に刀剣を突き刺した姿勢で語るうち、両腕が震え体重が掛けられて居たのを察し、
見れば両足も小刻みに震え、最終的に首根っこを引っ掴まれて板に放り込まれていた。
「まさか、杖代わりじゃったとは」
珍しく刀剣など持ち出し何事かと思っていたら、この結末である。
あの虚弱さは一体何事なのか、神なのに、恐らくは想像もつかない程に高位の。
「案外普通に聞けば、素直に答えそうじゃのう」
過去の価格は氷2つ、そこまでの価値を好奇心に認めていなかった故に放置していたが。
先日の会合から、遅かれ早かれアルフライラの存在は各神国に伝わってしまうだろう。
隠れるのをやめたのか、いや。
「キッタビヤードの回収を優先したのじゃな」
長毛のサヤラーンに聞いた犬狼の大神カルブラマディの最後を思い起こす。
かの大神は、弟妹への親愛を示すがために自死を選んだと。
「口先のそれなど睦言の類、か」
少女の行動に重なるそれは、ルンの支族に長く伝えられた神の言葉でもあり、
それ故に犬狼の血脈は多くを語らず、ただ死地に在りて刃を振るう。
日溜まりの気質に時折酷薄さが見える、アルフライラの言いそうな事だとも思った。
見れば砂に長く伸びた影は、いつしか闇に混ざり薄れはじめている。
少女と剣士、即ちアルフライラとサフラは日没と共にカイナン・カミンの破壊を試みる。
残る手勢はある程度の距離を取って周囲を回り、邪魔な物を排除する。
それは例えば魔物であり、あるいは。
「久しいと言うべきかの、ハジャル・アズラク」
博士が誰も居ない砂地に向かって問い掛ければ、風景が歪み人影が現れた。
「生きていたのだな、ハジャル・アル・カマル」
姿隠しの古代道具、天羽楼に幾つか現存するナハースの秘宝。
そこに居たのは先日の会合でただ一人残った天羽楼の外交官であり、
古くからの知己である、という事実は互いに知らぬ顔をして通していたが。
「今のワシは、ただのハジャルよ」
抜き身の小刀を互いの狭間に突き付ける暗殺者に、気負う事の無い声が在る。
「東地区16のハジャルか」
「いいや、ただのハジャルよ」
重ねる問いに、重ねる答。
そもそもハジャルとは石を意味する言葉であり、天羽楼の民は全てハジャルの名で呼ばれる。
学を修め国家運営に携わる者にのみ名が追加される、そんな文化を持つ。
「待ち構えていたのは見事だが、お前如きに止められると思うたのか」
「皆で芋を盗んで懲罰房に入れられた仲なのに、寂しい事よのお」
感情の籠らない哀し気な表情の言葉には、ただ嘲笑のみが返った。
空間に差し込まれていた刀身は改めて構えなおされ、
暗殺者の重心が僅かに落ち、その身が引き絞られる。
「しかしお主、ワシを少し買いかぶりすぎでないか」
その言葉の意味を取る間も無く、ハジャル・アズラクの喉に刃が生えた。
突然の事に驚愕の眼を開き、口を開け、しかし音は出ずに鮮血のみが吐き出される。
倒れ伏し、砂が吸い込みきれぬ流血が身体の下から滲み出て、周囲に鉄の臭いを撒く。
「まあ、懲罰房から何故かお主だけが即日解放されたのは覚えておったが」
誰が売り渡したのかと。
その様な気質の者がただ一人残ったのならば、まず間違いなく潜んで機を伺う。
知己の博士さえ居なければ、調略なり何なり別の手段も選べたであろうが。
故に獣人勢力に頼み、報告を受けて待ち構えていた場所であった。
「ところでマルジャーンよ、堂に入った暗殺ぶりにワシの心胆が凍え切っておるのじゃが」
正面に見ていたのに突然に喉に刃が生えた様にしか見えなかった。
喉を抉った小刀を拭いている姫に、博士が呆れ混じりの言葉をかける。
「高位貴族の生まれなら、このぐらい誰にでも出来るわよ」
「貴族の事は深くは知らぬが、絶対に違うと断言できるぞい」
天羽楼が暗殺者送り込みまくるから、幼少期から鍛えられまくるのようと泣き言が在り、
古巣のせいで驚異の殺人機械が量産されていると聞かされた博士は、考えるのを止めた。
「うむ、きっと帝国独自の文化じゃな、神国には神の加護が在るものな」
「そこ、現実から目を逸らさない」
倒れた者はいつしか痙攣も収まり、砂漠で見慣れた物体へとその意味を変える。
年月が砂と風に朽ちさせて骨と成し、長らくの果てに砂と化すのであろう。
そして伸びる影が夜に消え、宵の中に月光が影を作り出す頃。
光源が、増えた。
「始まったのう」
「でっかぁ」
高く、砂漠に機神の咆哮が響き渡る。
始原の球体が在った場所に留まるカイナン・カミンの目の前に
光臨したのは、砂の丘の向こうに容易く視認できるほどの大巨神。
質量。
無骨な、無遠慮な、無作法なほどに装飾の少ない、鉄塊の如き大威容。
灼熱の如く、鮮血の如く、生命の如く、太陽の如く、赤く染められた大神機。
その胴には、神代すら越える遥か古代の言葉が記された鋼が埋め込まれていた。
「神話の通りじゃな」
紅玉のアイオーン。
実在の疑われた、ヤルダバオトをすら最下級のそれと下に置く
銅の神国の神話にのみ言い伝えられた最上位のアイオーン。
それが咆哮を上げる獣神機の前に、威風堂々と立ち塞がっていた。
かくして巨神、相対す。
神か、機械か、何かともとれぬ絶叫を響かせながら、
破損して罅だらけの獣が砂の上を駆ける。
破片、散り、砂が爆ぜる。
対するは質量任せの無遠慮な一撃。
紅の拳が振り抜かれ、カイナン・カミンに激突した。