やがて月輪が映える砂が礫に変わり、旭光の届く前には宿場へ辿り着いた。
大神姉妹と共に歩むのは帰還する開拓者たちと、少数の獣人。
キッタ・アビヤド付きとしてカフラマーンとサヤラーン、そして若干名と成る。
獣人勢力の内の幾らかは、拠点の撤収のため道中で別れていた。
そのような多少偏りの在る混合部隊の目に映ったのは、宿場周辺の天幕の数。
事態の収拾を受け、国軍が隊商宿場に撤収のための陣を張っていた。
見れば国軍相手の隊商の姿も在り、閑散期の夏場とは思えない人の入りである。
そして知った顔とは挨拶を交わし、姉妹はその美貌で無駄に兵士の視線を集め、
ようやくに酒場に入り込めば、誰ともなく深く息を吐き疲労を現す。
「お、妹さんを連れ帰れたんだな」
「死ぬかと思ったー」
店主が声を掛ければ、いつもの声色で板神が言う。
「むしろ7回ぐらい死んだ気がする」
内6回は帰還の最中に肋骨をへし折られ続けた分である。
かつて知ったる人の店とばかり全力でだらける姉と、初々しく怯えながら挨拶を続ける妹。
そんな姿を視界に入れ、店主は苦笑を混じらせながら簡単に説明を述べた。
端的に言えば、ある程度の人員が戻り次第に宴席を作ると。
「国軍兵士の慰安を兼ねる、と言うか祝勝会だな」
何にと問えば他国勢力の追い返し、カイナン・カミンの破壊、キッタ・アビヤドの奪還。
名目はどれでもより取り見取りと、肩を竦め乍らの回答が在った。
なんかもう纏めてやれば面倒も無いだろうと言う事らしい。
「しかし困ったな私、無一文」
そして酒場にすこぶる哀しい神託が下される。
「厨房の食材、好きなだけ使っていいぞ」
特に間を置かず気前の良い返答が在り、透明感の在る歓声が響く。
「さっすが店主、太い腹ー」
「商人じゃねーんだから、その褒め方やめろ」
早速に厨房に板ごと乗り込み、食材と調味料などを確認するアルフライラと、
その姿を見て冷や汗を流しながら、ぽつりと呟くキッタ・アビヤド。
「姉様、料理を作る側で参加する事に僅かの疑問すら持たないのですね」
姉の仕事中毒は健在であったかと引き攣り顔で言う妹の気も知らず、
厨房からは、何かやたらと香辛料が揃ってるーと嬉しそうな声色が上がっていた。
何とも言い難い姉妹の有様に、どのような顔をしたら良いのかと固まる獣人。
そんな光景を脇目に、店主から麦酒を受け取りながら博士が気の無い声で問う。
「ところで、仲介で幾ら儲けたのじゃ」
「住み着いている野良神に、食材使い放題させても痛くない程度だな」
よくもまあと、聞かされた答えに浮かぶ苦笑を杯で隠し、そのまま呑み込んだ。
そんな呑み手の目の前に、店主が硬貨の詰まった革袋を幾つか置いて言う。
「やたらと送り付けられてきた羊を軍に売った金だ」
後で賽銭箱にでも入れておいてやれと、視線を逸らしながらの言葉。
そして明日以降、兵士が羊の解体で広場を血に染める予定だと通達を足す。
端材と臓物の腸詰を戻す契約だから、振る舞いと賄いはそれで済むなと軽く言った。
「手持ちの札を有効活用しまくっとるのう」
「まあ機を見るに敏でなくては、開拓など進まんものさ」
などと俄かに騒々しく、それもやがて陽が昇り動く者は絶え。
宿場外壁に叩きつけられた駱駝糞が乾ききり、固形燃料と化す日没。
都度解体された羊は食肉と化し、余りの端材は臓物と刻んで腸詰にされる。
幾度かのそのような時間が過ぎ、やがて帰還者を迎え篝火の焚かれる日が訪れた。
広場に様々な布が敷かれ席が作られ、席の無い者にも振舞いの腸詰汁が配られる。
中央広場を囲む様に作られた幾つかの席に、料理と酒を囲む様に車座に座る。
アルフライラたちの席、獣人の席、傭兵上りと商人の席、相互扶助隊の席、準男爵の席。
特別扱いについて板神が問えば、必要な事じゃと近くの博士が答える。
功労者が目に見える形で贅沢に報われる事が、全体のモチベーションに繋がると。
聞いてアルフライラは、そんなもんかーと頷いて焼いた羊肉を食んだ。
広場の中央では炎段が組まれ、羊肉を香草を重ねながら円柱状に押し固めたものを、
ぐるぐると回しながら焼いては、焼けた部分を刃物で削り取り配っていた。
「南方軍名物、城壁破りの肉柱じゃな」
群雄割拠の時代、敵国に餓え殺しをかけた副王が城壁外で焼かせた羊肉柱だと言う。
何某かの醤も塗り込まれているらしく、肉の香りに香ばしく焦げる香りが混ざっていた。
「鬼かな」
「鬼じゃな」
そんな食欲のそそる香り漂う中、剣士が深刻な表情をして言った。
「ガチで辛かった」
「やられた側かい」
見れば剣士の古巣の傭兵上りの席の人間は、全員微妙な表情をしている。
頭を抱えて沈み込む者も居て、一同はそっと視線を外し見なかった事にする。
そのままに博士が、そろそろ持ち込みの品を披露するかと話を変えた。
この宴席では各席から宴席への持ち寄りと、各席への持ち寄りの2種が在る。
有害3人+板の席からは参加者への感謝の意味も在りアルフライラが宴席に、
他3名が席への持ち込みで料理に華を添えると前もって伝えてあった。
「まあ素直に、葡萄酒じゃ」
まず博士が出したのは、濃い赤色を湛える素焼きの瓶。
諸王国時代には王侯貴族のみが口にする事が許されていた嗜好品の類であり、
帝国に纏まってからは交易に乗り、増産の末に消費者の基準が緩和されたと言う。
昨今は商人、金を持っている開拓者、あるいは農民も冠婚葬祭の折にと、
高級品ながらも手が届く機会が貴族以外にも散見できる。
「マルジャーンの紹介でな、良い赤らしいぞ」
などと言いながら瓶2本を、割り材の氷水が満ちる器の横に置く。
言葉に視線を集めた姫は、バチコーンと悪戯めいた仕草で片目を瞑り、
そのまま後ろに隠していた小さめの硝子瓶を取り出した。
「私からは蜂蜜酒ね」
篝火の灯を受けて、黄金色に染まる瓶が妖しく揺らめいている。
酒が被ったのうと笑いながら向かい合う博士と姫を見て、
少しばかり疲れた表情で少女の隣の剣士が息を吐く。
「して、サフラは食い物であろうか」
「もう貴方が最後の希望なんだからね」
そして凄く勝手な酔っ払い候補どもが居た。
アルフライラの料理は宴席に持ち寄るため、席には運ばれない。
そのためここで剣士までもが酒であった場合、何とも偏った席に成ってしまうと。
「宴席料理だ、今は竈で焼いて貰っている」
そろそろ持ってくるだろうと言う言葉に、小さな歓声が席に響いた。
「まずは水で小麦を練った生地に、山羊の白乾酪を乗せた」
白く柔らかい生の乾酪、千切って成形するので千切り乾酪などとも呼ばれる。
外側を岩塩で固め保存し、使用時は塩を削り落としてから使うものだが、
それはそれなりに余裕の在る家庭のやり方であり、傭兵式だとそのままに使う。
「山羊の乳を胃袋で固める物が多いが、今回のは無花果の樹液で固めた物だ」
そして蒸した鳥を千切り乗せ、上からもう1枚生地を被せ袋の様に閉じる。
「それを燃えさしの灰に埋め、上から灰を掛けて熾火を乗せて焼き上げる」
そうやって熱を通し生地を焼くと言えば、少女が首を捻り問いかけた。
「灰塗れな気がする」
「灰塗れだ」
身も蓋も無い返答が在った。
掘りだした後、灰を払って切り分けて食べると細かく説明を足す。
そして手を洗い生地を練る水と、小麦が確保できる場で無いと作れないと。
「戦勝の宴席で、たまに誰かが作ってた」
戦場の貴重な楽しみであり、気が付けば自分も作れるように成っていたと語る。
「まあ今回は、素直に竈を借りて焼いて貰っているが」
安心しろと苦笑を込めて剣士が言う頃に、語った通りの焼き上がった袋が届いた。
席に置かれ切り分ける中、少女が視線をやれば傭兵上りの席にも同じ物が見えた。
そんな視線を追い、遠く聞こえる歓声を聞きながら剣士が小声で一言を零す。
「仲間で食う、御馳走なんだ」
すかさずキュピンと音を立てて少女が振り向けば、即座に剣士は目を逸らす。
回り込んで覗き見るも、意地でも目を逸らす剣士はエグイ角度に首を捻る。
「アルちゃん、近い近い」
そして姫が笑いながら追及の手を留めた。
その手には既に氷水で割った葡萄酒の杯が握られている。
「とりあえず、切り分ければ良いのかの」
そのようないつもの戯れを関せずと、食に意識を割いていた博士が、
刃物で等分の扇状に切り分けた袋焼きを一欠けと手に取る。
断面より湯気が上がり、生地に付いて熱に溶けた乾酪が糸を引いた。
「上品に作ると塩気が無く、少し物足りないんだよな」
「その場合は、赤茄子とか入れれば良いんじゃないかな」
視線を合わすのを諦めた2名が、並んで食べながらの感想。
そして剣士は赤茄子かと、満更でも無い印象を受けた表情を見せた。
「そう言えばアルは何を作ったのじゃ」
閉じたピッツアとでも呼ぶべき一品を食み、口から乾酪を伸ばしながら博士が問う。
「まずは香葉と一緒に下茹でした長粒米を鉄皿に敷いたかな」
そして使ったのはコレと、複数の香辛料が混ざる複雑な香りの粉を見せる。
「
「
途端にその場に漂った複雑な香辛料の香りに、興味深い風情で博士が感を零した。
アルフライラはそれを頷いて受け、さらに料理の工程の説明を続ける。
「これに大蒜を効かせて、鬱金と馬芹も多めに配合してから骨と香菜を茹でて汁を作った」
その場の誰も理解できなかったが、この時点でガラムマサラとして在り得ない点がひとつ在った。
鮮やかな黄色の発色を伴う鬱金は、使うが最後強力に食材を黄金に染め上げて
色彩と言う物のバランスを破壊しがちであり、ガラムマサラに於いての禁忌とされる。
だが、それでも敢えて鬱金を入れる、その様な混合香辛料は何と呼ばれるか。
そう、カレー粉である。
「同じ香辛料を発酵乳で溶いて、骨を取った鶏肉を漬け込み氷室に一晩放置」
さらにタンドリーチキンまで作っていたと告白する、予算上限ガン無視の調理神。
「あとは肉に鉄櫛を挿して米の上に置いて酪と汁掛けて、竈に放り込んで焼き上げたら」
挙句の果てに、全てを纏めて鉄皿に炊き込んだと語る。
その時点で暴力的な香りがついに酒場から広場へと届き、一気に膨れ上がった。
強烈に意識を引き付ける大蒜が、複雑な香辛料の組み合わせの香りを纏っている。
広場の視線が、酒場の入り口に集まった。
遠隔作業用ハンドが広場に持ち込んだ大鉄皿には、語った通りの料理が乗っている。
そして満を持して、アルフライラが料理の名を告げる。
「伊達男が我慢できずに摘まんで食べたらその夜の寝台で新妻に指を切り落とされた鳥」
微妙な静寂が訪れた。
「何て」
一瞬、無駄に静かに成った広場に、姫の短い疑問の声が無駄に遠くまで響く。
「伊達男が我慢できずに摘まんで食べたらその夜の寝台で新妻に指を切り落とされた鳥」
「よしやっぱり酷い名前じゃった」
臭いが酷かったらしい。
見れば料理に駆け寄ろうとした獣神と獣人も、臭いにあたり倒れている。
そんな聞き間違いでは無かったかと、博士が眉間を抑えて言葉を発する間にも、
羊肉柱の隣に置かれた鉄皿で、作業用ハンドが鶏肉を小さく刻んで米に撒いている。
そしてその前にいつの間にか作られた行列に、いつの間にか剣士も並んでいた。
配られるのを待てなかった者の列である。
「何かすぐ無くなりそうな気がするー」
大匙で並ぶ容器に続々と料理を放り込む作業用ハンドを視界に入れて、
手間かかったのにと残念そうな声色で言う作り手が居る。
「こうしてはおれんな」
「急ぐわよー」
それを気にせず、そそくさと皿を持ち広場中央に向かった博士と姫を見送り、
アルフライラは席に置かれている灰埋め焼きを、もう一切れと口にした。
乾酪の塩気が鶏と生地に対し丁度良い塩梅と、頷いて食む。
騒がしくも奏でられる人々の夜を、外れから眺める神の座がそこに在った。