―― 赤の神国の場合
壇上に在るは大神の玉座。
赤の神国に聳える大神殿の中央、謁見の場と成る閉じられた聖域。
左右に並ぶは上位の従属神たちと、それに従う死せる勇士たちの姿。
そしてただ1柱、高みに座る赤毛の大神の姿を灯火が照らしていた。
赤の大神アハマルの眼下に、砂漠より帰還した者たちが頭を垂れている。
赤金と黄金の境にあるが如き、黄銅の玉座の輝きが灯を受けて揺れる。
「それで、その神は大神と偽りそなたらを返したと」
世界に重さが加わる。
謁見の場をアハマルが所有する空間と世界が承認した証。
「し、しかしそれは全て我らがためッ、何卒、慈悲を……」
圧力に抗いながらの言葉。
先だって砂漠で対話に立っていた若者は、死力を尽くし抗弁を臨むも、止まる。
僅かな単語を紡いだのみで、口は開けど舌は動かず、喉が音を響かせる事も無い。
「あの球体、あのヒトの縁も失われた、か」
呼吸すらも困難な、空気が鉛と化した世界。
それでも打ち上げられた魚の如く、口を開け閉めする若者の有様に意気を感じたか、
その神とはそれほどの者であったのかと呟き、赤の女神は軽く笑って託宣を下した。
「まあ良い、そなたらが生きて戻れた事こそが重畳よ」
空気が重さを失う。
砂漠より戻った者たちは残らず肩で息をはじめ、居並ぶ上位神たちも肩の力を抜いた。
「それで、その神は何と言ったのだ」
空気を換えたアハマルは、慈悲を湛えた微笑を浮かべ玉座から降りる。
信仰の対象が近寄る気配に総毛立ちながら、若者は伝えよと頼まれた言葉を並べた。
あの砂漠の神が、異邦の者たちを帰すがための言葉。
「この砂の地に、偽りの大神アルフライラが在ると」
凄い音がした。
若者の目の前で偉大なる赤の女神が、大地を持ち上げるかの如く
天地を逆転させた姿勢でねじ曲がっていた、床に頭を、爪先は天に。
要するに、偉大なる赤の女神が壇上から転げ落ちていた、頭から一気に。
起こった事態に、場に在る誰もの理解が追い付けない。
とりあえず何か動く、蠕動する中、腕だけが何かを押し留める様に揺れる。
「待って、いや待って」
言葉を発し身体を起こすも、鼻からダバダバと髪よりも赤い液体が零れ落ちる。
慌てた上位神の内、筆頭の座に在る古代女神が主に玉座へ戻る様にと促す。
黄銅の鎧兜に身を固めた彼女は、冷や汗を流しながら場を繋ぐ様に問うた。
「その、アルフライラ様の外見はどの様なものでしたか」
玉座に戻り顔から蒸気を吹いている大神を見ない振りをしながらの対話。
「どのようなと言われると、とても小神とは思えぬほどに美しく」
「華奢な体躯に月の輝きの如き薄く柔らかい金髪、だったりなんかー」
言われ、その様な外見でしたと言葉が返り、筆頭女神が頭を抱えて叫んだ。
「うあああああああぁぁぁッ」
言葉を聞いた赤の女神も玉座で突然に引き付けを起こし、頭を抱え悶えている。
常ならぬ様相に、謁見の隊員たちの他に、周囲の神族までも騒然と成った。
「生きてるしッ、確かに常時死にそうな割に殺しても死にそうになかったけどッ」
「え、待って、もしかしてこれ私が姉上様に折檻される流れッ⁉」
筆頭の身も世も無い風情の叫びに、大神が何か錯乱した叫びで応える。
「あ、アハマル様は、大神13柱の長女なのでは」
姉上との言葉に何か恐ろしい気配を感じながら、近場の従属神が筆頭に問う。
「アハマル様は次女です、長女は創世の大神アルフライラ様ですッ」
返答に場に在る者たち全ての表情が凍り付く。
初期の中位新人類として作られた古代神である筆頭は、面識が在る世代であった。
もはや謁見の場は絶叫と動揺と、何もかもが混ざった混沌の場の様相を呈している。
そして使者であった若者は、自らが積み上げた不敬と無礼の数を思い気を失った。
―― 青の神国の場合
「え、やっぱ姉さん生きてたんだ」
青の女神が軽く言った内容の重さに、周囲の者は鉛を呑み込んだ表情になった。
柔らかに流れる青の髪が、昼の潮風を受けて軽く揺れる。
「姉、ですか」
港湾に面した交易所、その2階に在る貴賓室での対話。
「あー、球体はもう少し持つと思ってたから伝えてなかったのよねー」
報告を上げ、少しばかりはしゃいだ小神のお痛をどうするべきかと問うはずであった場は、
何か突然の信仰対象からのとんでもない発言で、途端に修羅場の様相を呈していた。
「始原の球体の中に居たのよ、神代で皆の面倒を見てくれた長女のアルフ姉さん」
私は三女になるわねーと、大神アズラクは気楽な声色で言う。
聞かされている者たちの顔色は、青を通り越して黒く成りはじめている。
「神話に、載っている名前から、貴女様は次女だと思っておりましたが」
恐る恐るの気配が滲む問いかけの言葉に、首を捻り軽い声色の返答が在った。
「最初に書いているじゃない、千の夜アルフライラって」
そこか、それですかと、室内に居た何人かの表情が物語る。
「あ、うん、昔とは言語の発音結構変わってるし、わかんなくても仕方ないか」
ナハースの興味を引かない様に名前出す事を控えてた弊害かと、女神は眉を寄せた。
「え、それではアズラク様に美食を授けたと語られている古代の創世神とは」
「アルフ姉さんの事ね」
「君臨すれども統治せずと、神の知恵を授けた賢神とは」
「それもアルフ姉さんね」
報告者が神話に思い当たる内容を問えば、当然との軽い色合いの神託。
引き攣り気味の声色で、それで如何致しましょうと問いを重ねれば。
「そんなの、決まっているじゃない」
海原を渡る風の様に、爽やかな笑顔と言葉。
背後の、どこか生物的な青い意匠の玉座を寄せながら、立ち上がり部屋を出る。
報告に訪れた者たちを付き従え、朗々とした宣告が建物に響いた。
「船を出せ、錨を上げろぅ、美食船団出航するわよぉッ」
途端、扉から、階下から、物陰から、様々な者たちが姿を現す。
老若男女、様々な種の人と神、雑多な者たちにはただひとつの共通点が在った。
全員、コック帽を被っている。
「標的は、食文化を司る古の大神アルフライラッ」
歓声が上がる、意気に応えるかの如く海原が盛り上がり船団が空中に並ぶ。
「6千年前からの悲願を叶えに行くわよーッ」
交易都市に大神の御言葉が響き、都市の住人はまたかと苦笑を零していた。
―― 銅の神国の場合
朗らかな昼下がりの日差しが礼拝堂に差し込む。
最奥に祀られているのは、どこか女性的な意匠の黒い玉座。
かつて妃の大神マリカが所有し、紆余曲折の果てに此処に在る。
その上に座るべきであろう黄金の大神は、人と同じ高さの椅子に座り、
当代の銅の聖女と共に喫茶の時間と洒落込みつつ、報告を受けていた。
「球体は、消えたのか」
「おそらくは天羽楼の連中とは思うんですが、現場は抑えられませんでした」
憂いを帯びた大神の言葉に、軽い声色の報告が続く。
赤金の髪を聖職の貫頭衣に流す幼さを残す少女の前には、早摘みの紅茶。
褐色の肌に淡い金の髪を持つ偉丈夫の前には、黒く香ばしい液体。
珈琲、南方に農園を建造してまで特にと作られた、銅の神国の特産品である。
「そんなわけで帰って来たんですけどねー」
そして赤毛の神殿戦士、ジャルニートが砂漠の顛末を報告していた。
アルちゃん様が大神を騙った事に関しては、何卒ひとつと苦しそうに願い出る。
「もう凄く可愛い神様ですよ、そこらの小神が束になっても敵わないぐらいッ」
とりあえず的確に仰ぐ主の弱点に抉り込めば、キュピンと音を立てて大神が振り向く。
聖女がその様をジト眼で眺めつつ、かみさまと声をかければ、固まる黄金神。
ザハブは軽く咳をして決まり悪い気配を飛ばし、問いかけて報告の先を促した。
「そしてカイナン・カミンを破壊して、獣人勢力がキッタ・アビヤドを回収したのか」
「遠目で見ましたが、猫神様も素晴らしく可愛らしい感じでしたよ」
何か爪を立ててカリカリしてましたと言えば、神代でもよくやってたと大神の言葉。
一通りを聞き、黄金の大神は深く息を吐きその身を椅子に沈めた。
獣神、姉であるキッタ・アビヤドの無事を聞き憂いが晴れたのだなと、誰もが察した。
「それで、後はそのアルとやらに関してだな」
言葉を紡いだのは礼拝堂に入って来た影、黒髪を聖服に流した佩刀の女性。
近衛の任にあたる神殿騎士、名はアージュ。
「是非ともザハブ様に誑し込んでいただき、神殿に迎えたいところですね」
ウチの部隊員、もう根こそぎ信者に成る勢いですしと言葉を付け足せば、
いったい何が在ればそんな事態になるのだと、困惑顔の黒髪剣士。
「随分と心を許したのだな、鮮血のジャルニートともあろう者が」
「水とご飯ですっかり餌付けされましたよ」
訝しげな色合いの言葉に、悪びれない軽い声色での返答。
一閃。
気が付けば刃は抜かれ、刀身は床の上すれすれに止まっている。
アージュの抜き打ちは皮一枚の幅を残し、ジャルニートの眼前を通り過ぎていた。
「お前の中に巣食った神は斬れたか」
その言葉に斬りつけられた側は、特に思う所も見せず視線を逸らして心の中を覗く。
赤毛の神殿戦士の心中に、うひょっほーいとか言っている少女が見えた。
「あ、凄い、アルちゃん避けてる」
「本気か」
「その上で何か、あぶなかったーとか棒読みで煽ってきてる」
「良い根性してるなそいつ」
刀を納めながら、黒髪の神殿騎士が呆れた声の感を出した。
「貴女たちにそこまで言わせるとは、只者ではありませんね」
そして一連の流れを聖女が纏めれば、相対する大神も頷いて珈琲を口に含む。
「それで、そのアルちゃん様とか言う神の正確な名は何ですか」
保護を試みるにしろ何にせよ、まずは名前を教えろと。
と言うか報告なのにアルちゃん様って何だと聖女は表情で雄弁に語っている。
ジャルニートは例によって何の気負いも無く、その一言を口から届けた。
「アルフライラ様です」
聖女が珈琲色に染まった。
―― 黒の神国の場合
神殿の最奥、神の塔の尖塔にて連絡を受けた神が在る。
「アルフライラお姉さま、やはり生きておられたのですね」
黒髪を腰下にまで伸ばす少女、姫の大神エミーラ。
その足には神鉄の輪が嵌められ、鎖で壁に繋がれている。
愁いを帯びた顔で窓の外の夜空を覗き、
報告に訪れた者の心を軽く掻き乱す。
やがて報告者は離れ、室内は孤独の場所と化し。
「つまり今こそ、トチ狂ったお父兄様をシバいていただく好機」
座った眼をした大神が居た。
その眼前に在る物は、たった今に生成した神代級の超凶悪棒ヤスリ。
姫の権能、即ち保有情報の物質化による一品である。
やがてゴリゴリと鎖を削る音が夜の塔に小さく響く。
「まず切り落とす、次に玉座を呼んで飛んで逃げる、そして砂漠に、完璧」
物凄く雑な計画が口から零れている。
「削った場所は柔らかい素材で補填して偽装、と」
誰も居ないせいか、独り言のクセがついちゃったなーと嘆息の声。
何にせよ、姫の大神が神国を脱出するには今しばらくの時間がかかる模様。
そんな地味に積み重ねる神の作業を、ただ月だけが見つめていた。