晩夏に至るも未だに熱砂は人を灼き続ける。
国軍も国許に戻り、隊商が訪れるにはまだ少しばかり時期は早い。
気が付けば閑散としていた宿場酒場には、幾らかの水溜めに残る者の姿。
そして例によって脇腹から修復の煙をあげながら、板上でふて寝る神に音が届く。
「遭難者だ、水をくれッ」
朝方に間引きに出ていた開拓者が、陽も避けずに乾いた人体を担ぎ込んできた。
急行した板から寝ころんだ水屋が常温水を渡す物の、水は遭難者の口から零れていく。
「駄目だ、喉まで乾いて水を飲みこめねえ」
極端に乾燥した人体は、必要であるはずの水分の補給すらも困難とする。
「尻からねじ込む?」
「それは最後の手段に置いておいてやってくれ」
眉一つ動かさず言いきった美貌の神の提案を、開拓者が引き攣りながら押し留めた。
ならば仕方ないと幾人かの待機者が排水路の水を路傍に撒き、陽除けの布を張る。
濡れそぼり湿気に包まれた石畳の影に、干乾びた人間を横たえ放置した。
水の側に置く事に因り、喉に湿気を吸わせるためである。
やがて酒場に戻ってふて寝る板娘から蒸気が吹きあがるのが止まる頃、
ようやくに僅かばかり潤った遭難者の喉が、水差しの水を嚥下した。
割れた唇はようやくに血が滲む事を思い出し、咳き込む事が出来るほどに生命が戻る。
そして乾ききった瞼が開き、朦朧としていた視界に入った物は、
白銀の髪を肩に流し、微笑みを浮かべる美しき獣の属性の少女。
「め、がみ……」
知らず手を伸ばしていた遭難者の首元に、刃金が添えられる。
「我が神に不埒な真似は許さぬ」
虎縞の犬狼が放つ殺気にあてられ、委縮した乾燥死体予備軍は涙目で手を引いた。
「カフラマーンッ」
キッタ・アビヤドの困ったような色合いの叫びは、昨今の宿場の名物と成っている。
そして峠を越した遭難者は、宿場の大部屋に運び込まれ雑に介抱される事になる。
白き獣神はそれを見届けた後、姉がふて寝る酒場の方へと戻っていった。
気が付けば日差しも中天に至り、排水路に撒いた水も渇き広場にまで陽炎が立つ。
果てしなく気温の上がる中、作られた薄闇に眠る者も在り、起きる者も在る。
夜間に動く者と、水溜めなどの理由で夜間を眠る者の違いであった。
日除けの酒場には軽食などが用意され、手頃な価格で提供されている。
油を塗り折り畳み、四角く焼き上げた生地に幾つかの味付け。
何某かの家畜の酪であったり、潰した空豆や棗椰子などになる。
それらを運ぶ、白いシャツを上から胸を強調するように締め付けた黒い給仕服。
黒白の衣装にかかる白銀の髪が、席を移るたびに軽く揺れた。
板神が用意した服を着るそれが、白き獣神である事は問題であろうか。
「すいませんサヤラーン、人と関わるのが嬉しくてつい」
幾人かにかの如くと問われ、少し困った様な風情で従者に釈明する白猫。
「いえいえ、謝罪なさる様な事など何一つありませんとも」
長毛の犬狼は、微笑ましい物を見る目線で優しく応える。
ハタラ・カザール・モノク・ウベ・カラーズ、ウルの支族に伝わる古代語の祈祷文である。
如何なる存在も飲食は勤労の対価である事を忘れるな、と言う意味らしい。
それを聞いたアルフライラは目を逸らしていたが、それはまあ些事であろう。
ちなみに開拓者が給仕に手を伸ばす度、虎縞の犬狼は鯉口を切っている。
その度に騒がしく成る様に、何故に飽きずに手を伸ばすのかと長女が問うた。
「アル様の場合は手を出すのが畏れ多くて」
「そのあたり、アビちゃんは気安くて良いよな」
「解せぬ」
具体的に言えば、浮いている怪しい物体と歩いている猫の差である。
「お主の場合は、気安いと言うよりは雑じゃからの」
酪を塗った生地を食みながら、博士が身も蓋も無い結論を出した。
雑と言われ仰け反る着た切り雀な太陽と月の女神。
綺麗に着飾っている妹とは一目でわかる違いに、何とも反論の余地が無い。
ふて寝リターンズな板を放置して、ハジャルはカフラマーンに軽く言う。
「たいした事も起こらぬし、いちいち鯉口を切る事もなかろうて」
言われた犬狼は、昨今の事柄を思い返す様な表情で口を開いた。
「まあ確かに、意外に行儀は良い」
開拓者などと言う物は、もう少し下卑た行いで生きていると思っていたと。
「朝に日銭を稼いで、昼から飲んでいる様な輩の事ね」
麦酒を空けながら、どの口が言うのかと問いたげな視線の中で姫が語った。
「そういうのは、昼間に外に居るだけで死ぬ様な土地には来ないのよ」
「吹き溜まるには、ちと環境が過酷すぎるからのう」
最前線、その中でも特に砂漠地帯は開拓者の下限が厳しくモラルが高いと。
「そういう意味でも女性開拓者にとっては、中央よりは安全ね」
力無き消耗品として使い潰される様な事も無く、人間として扱われると言う。
ならばしばし獣神が戯れるのも良い物かと、納得の表情を見せたカフラマーンと、
そもそもの長期滞在を予定している獣人勢力在り様に一言が出るサヤラーン。
「いっその事、アルフライラ様が祀られてくださればのーッ」
「すまない聞こえなかった、耳に実芭蕉が入っていて」
獣神が近隣の獣人集落でなく開拓者酒場に逗留している唯一の理由は、
合祀の誘いをスルーして、板の上に寝転び実芭蕉を齧っている。
そんな同僚の姿に苦笑した姫は、楽しそうに給仕を続ける白猫の姿に視線を移した。
はたと気が付く、彼女はアルフライラより少しだけ背が高く、少しだけふくよかである。
「何故に無言でコッチを見るのかなー」
慎ましい胸と平たい胸の間には、越えられぬ壱と零の差が在るものだ。
「アルちゃんより、歳が少し上に見えるのよね」
内心をおくびにも出さず、当たり障り無いと言う割に若干掠めている発言。
「見る限り太腿の肉付きも良、待て刃物を抜くでない」
釣られた博士が、頬を引き攣らせながら殺気の発生源を慌てて留める。
その横で首を捻った長毛の犬狼が、板の上に自らが抱いた疑問を問いかけた。
「神族の肉体は活性化し、その在り様を全盛期に保つと聞きますが」
そんなサヤラーンの疑問に、全盛期と言っても様々な解釈が在るとアルフライラは答えた。
若く生命力に溢れた年齢、全体の調和がとれた年齢、肉体が衰える寸前の年齢。
後天的な神族も、その全盛期と言う物は自らの意識の中を基準に判定されていると。
「私は内臓が成長を終える年齢で止まっている感じだねー」
肉体年齢で言えば、十代の中盤あたりの年齢になる。
それでいつも死にかけていたのを見て、初期4体の大神の肉体は二十代に設定された。
それらからの記録を元に、僅かばかり肉体の全盛期を過ぎていたと判断されたため、
後に造られた獣神三柱の成長上限は十代後半に設定されたと言う。
「アビヤドは肉体的には、私よりも少し歳をとっている感じ」
そんなものかと聞いている周囲に配膳を終えた獣神が寄り、得意そうな声色で述べた。
「あ、なら姉様は私をお姉さんと呼んでくれてもいいんですよ」
可愛らしい言い草に、聞かされた姉の口元もほころぶ。
「アビヤドがお姉さんかー」
7番目のキッタ・アビヤドは、下に6柱居るので別に間違いではない。
そしてアルフライラは楽園の花が咲くかの如く可憐な微笑みのまま、板に手を突っ込んだ。
引きずり出されたのは、超古代にピコピコハンマーなどと呼ばれれていた逸品。
大神特攻兵器45番、お仕置き君エキスパートエディション。
60世紀科学で絶対命中に回避不能と防御不能が添付された悪魔の兵器である。
「ひぇッ」
長男マリクですら為す術も無くシバき倒されていた恐怖の象徴。
自らの持つ神代の記憶に怯えたアビヤドが、小さく悲鳴を上げた。
「あ、アルフライラ様、何卒何卒ッ」
「おるぁッ」
獣人の静止も聞かず、ぶん投げたハンマーは勝手に弧を描き飛びまわり分裂する。
炎を纏い、紫電を疾らせ、闇と光を撒き散らし、時折姿を消しながら、
無駄に派手なエフェクトの中で最終的に白き獣神に向かって襲い掛かった。
―― キッタ・アビヤドに7回ヒット、すごいダメージ
アルフライラは過去の経験で散々に思い知っている。
姉の威厳は全力で守らないと様々なトラブルを誘発すると、故に微塵も情け容赦は無い。
具体的に言えば長男だ長男と、内心でこの場に居ない黒の大神に責任を擦り付けた。
「のきゅー……」
「アビヤド様あああぁぁッ」
そして、ぺこぺこと微笑ましい音で叩かれ続けた白猫は目を回し倒れている。
一見便利そうに見えるが、獣神が全力で迎撃した場合ハンマー自体はどうにもならないが、
その向こうに居るアルフライラは即座に挽き肉と化すので、微妙に使い勝手は悪い。
「『デストロイエディション』でないだけ温情と思えい」
どうでも良い話だが、デストロイは100tハンマーである。
今日も姉の威厳を死守した無駄に見栄えの良い神の奇跡に、
酒場の中の開拓者たちも無駄に盛り上がる。
「お姉さんも大変よね」
白濁した濁り麦酒を空けながら、しみじみとマルジャーンが呟く。
気が付けば日差しも斜めと成り、本日も昨今の騒がしき宿場酒場であった。