準男爵の軍勢は連なる岩場を越えている。
自らの領地への帰路であり、道中の折々に他領の兵は別れ、荷車は減り、
準男爵と幾人かの従士、それと武装領民と荷駄の小規模な軍勢に成っていた。
「あー、あの指切鳥だっけか、凄かったよなー」
ただ延々と続く行軍の疲れを紛らわせる物と言えば、行進歌か無駄話。
そんな気遣いの気配をおくびにも出さず、集団を率いる嫡男が口を開いた。
話に出したのは先日の祝勝会で出た宴席料理。
途端に思い出したのか、集団が思い思いの言葉を発し騒がしくなる。
「駄目元で頼んでもらったが、レシピは譲って貰えたか」
「いやそれが、驚くほどアッサリと譲っては貰えましたけどね」
予想外の言葉に、え、本気でと呆けた顔に成る集団の長。
そんな主の態度に苦笑しつつ、女性従者は軽く頭を押さえながら結論を口にした。
「ちょっと尋常でない数の香辛料を組み合わせますから、完璧に作るのは無理です」
そう言って細かい材料を並べれば、聞かされた準男爵令息の顔色が青くなる。
「王都の宴席ですら見なかったぞ、その数は」
「いや流石は神族と言ったところでしょうか」
あとは香辛料が渡る交易路なだけはあると。
「ウチで手に入ると言えば、塩と胡椒と大蒜、野草と樹液ぐらいか」
基本的に地産地消、及び支配下の村落の産物で食卓は構成されていた。
ただし胡椒だけは貴族としての面目のため、費用をかけて取り寄せている物である。
「まあ鬱金を少し買い込みましたし、似た様な色合いの鶏料理なら作れますよ」
そして件の神が、牛酪を使えば大体何とかなると言っていたと続けた。
「本領の定期市、声を掛ける範囲を少し広げるかあ」
「金を回すためにも、それはやるべきですねえ」
歩を進めながら、しかし牛酪かあと繰り返し言葉に出し互いに何度か頷き合う。
そして手に入りそうなギリギリを突いてくると、頭を抱えた主従がそこに在った。
―― その頃の隊商宿場
大きかった。
そして丸かった。
黒くモフモフとした毛皮の生き物は、首元に鈴の付いた首輪をしている。
尖った耳は頭の上にピンと立ち、座った眼はどこか遠くを眺めていた。
猫である。
いや本当に猫だろうか。
そんな言うならば髭の生えた巨大な饅頭、恐らくは獣人の一種であろうそれは、
早朝の酒場にいつまにか居座っており、気が付けば作業用ハンドに捕獲されていた。
そして板の上で、猫派の創世神が全力で吸う。
猫の様なそれは、面倒そうな表情を見せつつも面倒なのか、為すがままであった。
健康そうなお日様の匂いなどと、毛皮の隙間から猫ソムリエの評価が聞こえる。
穏やかでないのは白き獣神である。
「ね、猫ですよー、ココにも居ますよー」
板の周りを不安そうに廻り、耳などをアピールしつつも華麗にスルーされる。
少しばかり悩んだ様子を見せ、覚悟を決めた表情で身体の前に両手を丸める。
「にゃ、にゃー……」
周囲の観客は悶えていたが、姉からは極めて冷たい返答が齎された。
「10割猫が我が手に入った以上、もはや1割猫に用など無いのだ」
「姉様ッ、姉様ああああぁぁッ」
いつもの姉妹の間に挟まれた黒猫獣人は、心底面倒そうな表情をしていた。
緑の中に石造りの建物が並び、その狭間を豊富な水量が流れ続ける副王都。
湧出の上に蓋をする様に作られた都市であり、都市から流れ出した水は
河となって周囲の荒れ地へ流れ出し、そのまま下流へと流れていく。
帝国に従う諸王国、その内の一国に仕える副王が治める土地である。
南方砂漠に至るまでの範囲を領土としており、副王都は過去の旱魃の折にも
何故かこの都市だけは水が枯れなかったため、枯れずの都などとも呼ばれていた。
神代と現代の間に存在した古代文明の時代に、地下水流に対して
下流の地中に壁を差し込む様な形で流れを止め、上流の水嵩を上げる。
言わばダムの上下を逆さにしたような工夫が為された土地故ではあるのだが、
その事実は既に失伝しており知る者は居ない。
その様な土地の、領主が住む城の一角。
落ち着いた色合いの、しかし高価な調度品が並ぶ主の部屋。
副王サバルジャド。
老いて猶と、折々に語られる諸王国時代を知る白髪の老人が報告を受けていた。
諸外国勢力の顛末、隣接領土の行動、それらからの様々な被害と収益。
そして中心であった事の顛末、至る現在に砂漠に在る2柱の大神。
「やれやれ、娘婿の活躍だけを愉しみにしておる老後だと思っておったが」
騙り終えた吟遊詩人の前に、白い髭を撫でながらの嘆息。
ここで言う娘婿は跡継ぎでは無く、件の商人の事である。
老齢の副王にとって、ハレムに在る者は皆が自らの孫娘の様な物であった。
そも都市の人間しか知らない事実だが、副王のハレムは妾を囲う場所ではない。
副王が囲っているのは唯一人、古馴染みである舞踏団の女座長だけであり、
一座の拠点として、その団員がハレムに住むのを許しているだけである。
その中でひときわ目立っていた、赤毛の踊り子を娶っていった若い婿。
そんな彼の活躍を聞き、孫自慢半分で世間に広報しているただの娯楽であった。
しかしその中で、えげつないほどの大問題を引き当てた現状。
頭を抱えず、苦笑で済ますのは老齢の経験故の余裕であろうか。
そのままに報告を聞き続ける。
獣神の帰還、獣人族の動向、そして砂漠に住み着いた小柄な大神。
獣人曰く、月と太陽のアルフライラ。
「その有様に人は惑い、仮に手を出せば火傷で済まぬ、か」
まさに名の通りの大神よなと、更に笑った。
―― その頃の隊商宿場
「おお、こちらにいらっしゃいましたか」
午前の酒場に長毛のサヤラーンが入り、板上の黒毛玉を見定めての言葉。
聞けば獣神神殿の候補地として、最寄りの集落の長を招いたと言う。
「兎人と猫人の集落ですな、支族としては白兎族と家猫族に成ります」
兎人の長の方もこちらにと示した先には、獣人の集団。
犬狼に周囲を固められ、涙目でぷるぷると震えている一回り小さい兎。
集落の長を招いたと言うよりは、本日の昼食と言った風情である。
「アビヤド様の神殿を建てる件も、快く請け負って頂けましてな」
「た、食べないでくだしぁ……」
パーフェクトコミュニケーションであった。
そんな仲良し獣人の空気を微塵も読まず、アルフライラは問い掛ける。
「何、何なの、もしかしてモフモフ天国なのその集落」
「え、いえまあ、獣の特徴が多い支族ではありますが」
打ちひしがれた風情の獣神と、全身で毛玉を抱えている創世神の有様に、
少しばかり引き攣った表情を見せながらサヤラーンは語った。
礫砂漠の外側、岩砂漠の範囲に在る獣人集落であり、
天然の要害の中で兎と猫が暮らしていると。
白兎が家を建て、家猫が住む。
白兎が食事を作り、家猫が食べる。
白兎が畑に出て、家猫は昼寝をする。
その様な共生関係を築いている集落だと言う。
「見事な共生だね」
「共生って何でしたっけ……」
毛玉の顔を埋め乍ら深く頷く猫派の神の宣告と、
板上の障壁にもたれ掛かる猫神の、困惑した様な声色の言葉。
「ま、まあ荒事や対外的な行動は家猫の受け持ちだそうですし」
寝床を守るためなら全力を出すらしい、それ以外は猫だから仕方ないと。
話題にされている家猫族は、微塵も興味を見せず抱えられながら欠伸をしていた。
砂丘の影に張られたテントに、外に住む者の一団が陽を避けている。
手元に在る様々な収穫物に、誰もの頬が緩んで弛緩した空気。
諸外国の勢力が補給を考えた場合、それはどの様な物に成るであろうか。
比較的友好な銅の神国、交易の果てに在る青の神国、規律を重んじる赤の神国。
そのあたりはまあお行儀よく、近隣の村々を回り物資を買い集めただろう。
略奪免除のための貢ぎ物を要求する傭兵団、このあたりが限度である。
乳酒を口に含みながら、頭首が手に取っていた貴金属を放り投げる。
既に別動隊が各所を回っている、彼らもこれから回り続ける。
焼かれた村は何処か、生き残りは居ないのか、そんな日々が暫くは続く。
人間は拾う、人で無い者は切り捨てる、余禄は回収する。
「惜しかったかなあ」
いっそ全部投げ出したい、頭首の心に思い浮かんだそんな弱気に何故か
月光の髪を持つ小柄な女神の姿が連想された。
軽く哂う。
そしてくだらないと唇を歪め、革袋の酒で一気に呑み干した。