駱駝が闇色の砂を踏みしめる内、空が東雲に染まる。
歩を進める一行の中、板娘は半分眠っている様な気配で座り込んでいた。
「見えて来たな」
先頭を征く剣士の声に、ようやくと目を開いたアルフライラの視界に映る河。
水が流れ込む先の水平線から、光が水面を伝い砂丘の闇を祓っていた。
「そろそろ着くのかな」
「まだ少し先じゃな、このあたりは砂のせいで水深が浅いのでな」
河の中央は流れに削られ、そこそこに深いがと補足が入る。
ともあれそう距離も無い故、このまま進もうと本日の予定を博士が述べた。
そしてそれほども歩かぬ内、砂に礫が混ざり、土が朧に見え隠れする様に成る。
遠目に砂を割る様な水の流れの終わりが見え、土がその周囲を染めている。
「湾が在るんだね」
「何か、以前より緑が無いのう」
水の流れに沿う様に散見する椰子は在れど、それぐらいである。
「前は畑とか在ったけど、無くなってるわね」
「交易に全振りな路線変更をしたとかかな」
あるいは開拓者がサボって魔素が枯渇しているのかもなと、剣士が訝しんだ。
魔物の間引きを怠れば、魔物が周囲の魔素を食い尽くし土地は枯れていく。
そんな疑問に答えも無く、そのうち水の流れ込む湾の先に人の営みが見えた。
「では、ワシとサフラは開拓団の方に顔を出すから宿の方は頼むぞい」
幾つもの帆船が並ぶ海岸には石造りの建物が並び、様々な人々が行きかっている。
海に向かい、小規模な街を形作っている港の両端には隊商と開拓の宿場が在り、
一行はそれぞれの目的に従い別れ、各々の目的地へと足を向けた。
「イルドラートに比べると、何と言うか建物が粗いね」
「ここって何度も増築を繰り返しているのよねー」
隊商宿場に向かうのは少女と姫、獣人勢力と幾人かの商人である。
駱駝と人足代わりの若手は倉庫の方へと向かい、荷物を降ろしている。
不揃いな壁に囲まれた部屋の一角、宿場事務所に向かい手続きに臨み、
降ろした荷物の登記、宿の手配など雑多な物事が処理されていく。
「私たちは個室で、神族2柱に関しては紹介状が在るわ」
「イルドラードと、待て、副王様だと」
紹介状を受け取った宿の主は、冷や汗混じりで大神姉妹に貴賓室を用意したが
それぐらいしか目立った事も無く、無難に獣人と開拓者分の宿が確保された。
そして姫が借りた部屋に荷物を置き、待ち合わせの飯場へと向かってみれば騒がしい。
見れば賽銭箱を置き、陽除けの客に麦茶を配っている創世の大神がそこに居た。
「俺たちが祈っても良いのかい」
「賽銭箱が求めるのは祈りと小銭以外に何も無いのだー」
豚面の獣人の一団が困惑混じりに聞いており、祀神からそんな神託が返る。
いいから金払え的ないつものアルフライラであったが、豚人の一団はその返答に
何か感じ入る物が在ったらしく、深く頷き軽く瞳を潤ませながら賽銭を入れていた。
「アルちゃんって、オーク族に何の隔たりも無いのね」
また何か意思疎通が事故を起こして無駄に信仰を集めていると、
状況を把握した姫が呆れ混じりに、参拝客に麦茶を配っている神に声を掛けた。
「とりあえず賽銭箱の前では皆が等しいのだ、隔たりって?」
あ、何か的確にヤバイ言葉が出たと、姫の経験が意識に物語った。
アルフライラは小銭と麦茶にしか意識が行ってない、それは凄く良くわかる。
だがそれ以外の全てを綺麗に無視するその態度は、間違いなく公平な物であり。
「昔から俺たちは、神族に人間扱い、されないから」
感極まり顔を覆う豚人の中で、纏め役的な者が絞り出す様に声を出した。
「災難だねー」
「すっごい他人事」
気の無い言葉に、豚面の一団は膝から崩れ落ち嗚咽を繰り返す。
「まさか、我らの境遇に心を傾ける神が在られるとはッ」
「いやあんたら、これでそれってどれだけ抑圧されてきたのよ」
神が麦茶を配りながら宥め、落ち着いた頃合に豚の一団は語り始めた。
オーク族と言うだけで大神には疎まれ、神族には襲われる長い苦難の日々を。
「帝国と、青の神国ぐらいだ、俺たちが生きていけるのは」
当代のオーク王は紆余曲折の末に貴族に列せられ帝都に居を構えている。
そして金さえ在れば豚でも取引する商人の国である、青の神国。
「銅の神国も大丈夫そうな気がするけどね」
「大神が良くても、配下が駄目なんじゃないかなー」
「ええ、あの国は神族が多いので」
そこでふと思いつき、獣人集落なら何の問題も無くないと神が問うた。
「同じ獣人と言う事で、犬狼族にはいろいろと世話を受けているのだが」
問われた豚人は決まり悪そうな顔で、しかしキッパリと断言する。
「我らは、王に従うモノなので」
獣神に帰依する事が出来ないので、獣人には属せないと。
「オーク王が信仰すれば話は簡単なのだがな」
語る内、飯場に入ってきたカフラマーンが聞きつけて会話に入ってきた。
飯場の客がウルの牙と囁き合い、豚人の一団が背筋を伸ばす。
「だが敬意を以って受け止めよ、この方こそが獣神キッタ・アビヤド様だ」
その言葉の先に在る神が、飯場の視線を集めた。
息を呑み、言葉すら出せないほどに美しい女神の姿がそこに在る。
白き猫の耳がピンと立つ頭から、輝く白銀の髪を肩に伸ばす獣の大神。
浮いた板に乗って麦茶を配っていた怪しい神とは随分な違いである。
逡巡、そして気を取り直しすぐに全ての豚人が膝を折り敬意を表した。
飯場に在る周りの客たちも襟元を正し、軽く頭を下げて意思を表明する。
世界がその場を獣神の所有と認め、板神はそれを爽やかにスルーし気配を絶つ。
衆目がその身で理解できる大神の格に、午前の飯場が聖域と化した。
やはり、浮いた板に乗って麦茶を配っていた怪しい神とは随分な違いである。
そして、そなたらの意思も理解はできるがと虎縞の犬狼は言う。
「しかしだな、全ての獣人の祖であるアビヤド様に帰依できぬとは」
「え、待って私、豚の獣人造ってない」
会話を途切れさせる獣神の身も蓋も無い神託に、その場の獣人全てが凍結した。
「えと、兄様たちも造ってないはずですし」
ギリギリと音を立てる様に軋みながら振り向いたカフラマーンの視線に、
慌て乍ら白猫の大神は姉の方へと視線を渡す。
「そもそも獣人を造ったのは私じゃないー」
軽く手を振りながら、神代以降の出来事に対して無関係を主張する長女。
雑な対応に、あれ、あの板ってもしかして凄い神なんじゃねと囁きが飛び交った。
「す、すると我らは」
「まあ獣人には違い無いんじゃないのー」
困惑の豚人に、気楽な様相で板神が告げる。
「まあそうですね、ならば私の庇護下に受け入れるのに問題はありません」
姉の言葉を受け、獣人勢力全てを代表する意思を獣神が示す。
ただ、オーク族がどの大神の民であったのかはちょっとわからないとアビヤドは言った。
「えと、私、神代の中期から封印されてましたし」
「あるふあーい」
会話の横で何やら板娘が両目をキュピンと光らせているが、誰も気に留めない。
「まあ信仰するなら我が民と受け入れますし、信仰しなくても別に良いです」
造ったの他の大神だから無関係だしと、責任の所在を明確にしつつの神託が在った。
かなり適当な言葉ではあるが豚人にとっては福音であり、その頬に滂沱と水滴が伝う。
「これが、獣神、キッタビヤド様」
「キッタ・アビヤド様だ」
そして飯場が優し気な空気に包まれる最中、厨房から声が掛かった。
「板神さまー、作業台空きましたよー」
「はいはーい」
声を受けて厨房に移動する浮遊板。
「いや姉様、何でごく自然に厨房に入ろうとするんですかッ」
「アルちゃんだからねー」
妹と姫の言葉を背中に流し、鼻歌混じりで新食材の世界に入り込む神であった。
何か忘れている様な気もするけどと呟き、まあいいかと気に留めずに流す。
「
考えが零れた様な小さな呟きは、誰にも拾われる事は無く。
やがて博士と剣士、サヤラーンも合流し、その日はそのままに何事も無く過ぎた。
そして、青の女神はその間も神御座船でひたすらに姉の到着を待ちわびていたと言う。