作業用ハンドが小麦粉を捏ねる。
陽除けの時間帯の飯場に居るのは、基本的に砂漠側の人間である。
水溜めであったり、単に生活習慣に成っていたりと理由は様々ではあるが。
逆に港湾に住む者は熱気の中でも幾らかは動き、外からは喧騒が響いていた。
―― この海に育ちし兄弟よ 自由に血と汗を捧げたれ
青の神国の神兵、いわゆる美食船団の構成員が謳っている。
積み降ろしなど、肉体労働の折に何某かの労働歌を歌う事は珍しくはない。
―― 我らの権利が侵されば 聞け四方に木霊すこの声を
調子の良い音の連なりに釣られ、生地を捏ねる腕の速度がリズミカルに変わる。
船団が到着してからは、毎日がこの様な有様だと逗留客は言っていた。
―― 喝采を 我らが一つ星の青き旗
生地の温度が下がって来たのをアルフアイが確認したので、湯が足される。
途端に湯気が籠る、湯捏ねなどと言う生易しい代物では無い、熱湯である。
―― 喝采を 喝采を 一つ星の青き旗に喝采を
そして歌が区切りに成る頃には捏ね終わり、平たく伸ばし大皿に乗せた。
焼いたり煮たりなどの調理工程には移らない、これで完成である。
レシピ提供した厨房主曰く、青の神国湾岸部の伝統料理らしい。
小麦粉の熱湯練り、手で千切りソースを付けて食べる。
分裂ハンドが作り終えていたソース皿を持ち、空中を漂いながら席に運んだ。
座っているのはいつもの3人と獣神組、大皿は軽食には手頃な量だろう。
「蓋が割れた葡萄酒が在ったそうでな、安く譲って貰えたぞい」
席にふゆふゆと板神が寄れば、博士が笑いながら素焼き壺を掲げて言った。
「うーん、どろり濃厚」
割り材の氷水を出しながら、葡萄酒を受け取ったアルフライラが言う。
素焼き壺で運搬される葡萄酒は、水分が抜けて濃厚に成りがちである。
「青の神国では、葡萄酒は海水で割るんだったか」
「ああ、海岸沿いの貴族の流行りね」
氷をからからと杯に鳴らしながら、剣士と姫が聞いた話を披露する。
内陸だと葡萄汁で割り、庶民は葡萄の絞り粕を溶いて飲んでいるらしい。
「割り材にも、お国柄が出るもんだねー」
「帝国だと水か果実水よね、氷が入っていればなお良し」
そんな会話を続け、濃厚葡萄酒を舐めながら眉を顰めていた神の視界に、
黙々とひたすらに食べ続けている獣神とお付きの獣人たちの姿が入った。
消費されているソースは、刻み肉の臭みを酒で飛ばし魚醤と蜂蜜で煮込んだ代物。
「姉様の照り焼きもどきソース好きー」
「これが、あの伝説で謳われた、テリヤキ・モドキイ」
「甘味と塩っぱさの組み合わせが実に素晴らしいですな」
「しみじみと『大豆醬油』が欲しい」
噛み合っている様に見えて、暴投しか無い言葉の連なりである。
どうでも良い話だが、アルフライラは大豆醤油を普通に生成可能ではあるが、
妹の食生活に影響を与えないために、最近は調達可能食材縛りで料理をしている。
そして今回の他に用意されたソースは、空豆を潰し蜂蜜で和えた物。
あるいは乾酪を酒で伸ばし蜂蜜で割った物、あとは蜂蜜で練った酪。
「そう言えば、何故か驚くほどに蜂蜜が安かったのだけど」
「青の神国の料理は、かなり頻繁に蜂蜜使うからねー」
青からの船団が寄港している期間は、やたらと安く流通しがちと言う。
「蜂蜜料理が捗りそうだなー」
何の気無しに呟かれた言葉は、周囲からの驚愕の視線を呼ぶ。
固まる席の中で、唯一慣れていた獣神が間髪入れずに自らの要望を叫んだ。
「はいはい姉様、蜂蜜カステラと蜂蜜檸檬が食べたいッ」
「お、俺は今、神話を目にしようとしているのかッ」
「ラマディ様が至福と評した、蜂蜜かすていら、ですと」
「え、何この食いつきの良さ」
獣神組から醸し出される大事の気配に板神は引き、博士が苦笑混じりに言う。
「いや、普通は蜂蜜などと言う贅沢品のレシピを複数は持たんぞい」
「椰子砂糖の代用とかでは使うけど、蜂蜜の料理ってなるとねー」
村娘基準で言えば、ひとつ持っていれば嫁入り道具に数えられるほどである。
「は、蜂蜜煮とか蜂蜜芥子とかは」
「まあ料理人ならば持っている者は居るじゃろうがな」
引いたまま、は、蜂蜜饅頭作ったら売れそうとか何か微妙な感想を出した神に、
ちょいちょいと横から注意を引き、剣士が軽く聞き留めた単語を問う。
「蜂蜜檸檬、が気になるんだが」
「飲む?」
言われ即座に杯、生成した熱湯へと沈められる檸檬の蜂蜜漬け。
そのまま軽く振り、権能で熱量を飛ばした後に氷を放り込んで完成と成る。
「悪くない、と言うか良いな、これ」
口を付ける熊を、涙目で指差し叫ぶ獣神と、圧力を込めた数多の視線。
「あー、はい」
無言の要求に屈したアルフライラは、同様の作業を硝子の冠水瓶で行った。
「檸檬の蜂蜜漬け、簡単そうに見えて実に簡単なのに、何この完成度」
生まれ育ちが確か過ぎる姫が、味わった舌を巻く言葉で端的に感想。
そのまま葡萄酒をそれで割り、口を付けてみれば笑顔で親指が上がる。
「果実の蜜漬けは聞いた事があるが、檸檬だとこうなるのじゃな」
想像を越えて来たと博士が頷き、獣人組は酸味に耐えながら飲み干している。
残る剣士と獣神は、底の方の濃厚を楽しんだ後に檸檬を齧っていた。
「そう言えば、何か忘れている気がするのだけど」
一区切りついた所で、アルフライラがそんな事を言う。
先日から時折頭を過ぎる物の、護衛依頼はもう完了しているはずだしと。
新食材も新レシピも無難に集まり、取り立ててやる事も思いつかない。
そう言って首を捻れば、白猫な妹が青い顔で震えはじめた。
「姉様、申し訳ありません」
海岸近くに至るまで、魔素の情報網で確認出来なかった件が在ると言う。
改めて生態系の調整に臨んだ獣神の元で判明した失態。
そしてアビヤドは、悔恨の表情で絞り出す様な懺悔を述べた。
「サカバンバスピスが、絶滅していました……ッ」
サカバンバスピス、4億8千万年前のオルドビス紀に生息して居た無顎類であり、
上下から甲殻で挟む様な形の骨格を持つ、魚類の祖先にあたる生物である。
その構造上正面を向いた顔と、開きっぱなしの口が何となく可愛らしい。
尾鰭は在るが他に鰭は無く、基本的に泳ぐのが下手である。
そのため、為す術も無く海老や蟹の様な生き物たちに捕食されまくっていた。
「私が不覚をとったばかりに、姉様の寵愛を受けた生物を……」
アルフライラは真面目な顔をしているが、その視線は泳いでいる。
「おのれナハースッ」
気が付けば、赤銅の大神が変な角度から恨まれていた。
「いやアレは半分以上ネタで造ったし、むしろ絶滅しない方がおかしいし」
「何か聞いてはいけない創世の秘話を聞かされておる気がするぞい」
露骨に生命を弄ぶ邪神の言動である。
ともあれ白猫を宥めながら、姉が他の面々に視線をやれば、
特に思い付く事も無いと返答があり、一息の後に頷いて口を開く。
「帰ろうか」
「って、ちょっと待ったああああぁぁッ!」
途端、何か入り口で隠れて出待ちしていた何者かが叫んだ。
アルフライラが浮世離れした美貌だとすれば、その麗人は肉感的なそれである。
丸味を帯びた姿態は健康的な魅力を纏い、柔らかい布の衣装に包まれている。
その裾に合わせ、青く、柔らかく広がった長い髪が身体の動きに添い中空に踊る。
青の大神、アズラク。
「アズラク、久しぶりだねー」
「軽うぃッ」
そして平素と変わらぬ長女の言動に全身で抗議を示す。
何か言い募ろうとした所で、その視界に動き出した白猫が入ってきた。
「アズラク姉さーん」
両手を広げ、軽く涙目で駆け寄ってくる妹の姿に、表情が引き攣る姉。
僅かな間に覚悟を決め、足を肩幅に広げ、重心を落とし待ち構える。
「よっしゃ、ばっちこーいッ」
激突である。
青の大神の全力を以って受け止めたその挙動は、足の裏が床石を削り、
砂埃を上げ乍ら何歩かの幅を押し込まれ、そして止まった。
しかし依然、アズラクの全身の関節からはみしみしと嫌な音が響き続けている。
「ごふぁッ」
べきりと響いてはいけない音が響き、その口から鮮血が吐き出された。
口元から紅を垂れ流しつつ、それでも柔らかな笑顔で震えながら妹の頭を撫でる。
「ひ、久しぶりね、また逢えて嬉しいわアビヤド……」
そして急速に名の如くと青に変わっていく顔色を笑顔に固めたまま、
アルフライラの方へと顔を向けて、抗議の言葉を発する、血を吐きながら。
「これですよ、これぐらいの感動があってしかるべきでしょうげふぁッ」
そんな三女の要望を受け、真面目な顔で長女は頷いて応えた。
「つまり、ジェットあるふロン轢き逃げアタックだね」
「何か凄く不穏な単語の連なりッ」
かくしてパーフェクトなコミュニケーションから繰り出された長女の親愛は、
即座に港湾の昼の空に、高く青の大神を打ち上げて弾き飛ばし。
「何を間違ったのかしらあああぁぁぁ……」
大神砲弾を追いかける青の玉座を確認してから、アルフライラは板ジェットを止めた。
うひぃ、あひょう、どすこいッなどと響いていたエンジン音も止まり、訪れる静寂。
「入り口でひたすらに出待ちしていて、なかなか入って来なかった事かな」
そして何かバレバレの言動に、少しばかりイラッと来ていたと語った。