旭光が船舶に影を作り、石造りの埠頭を照らす。
海岸を正す様に造られた広い石畳の搬入路は、外壁の隊商宿場にまで直通で至っており、
道中に折々の通りに接続されて町の大通りとしての性質も重ね持っていた。
その様な場所を、ふゆふゆと漂う板が在る。
何某かの産物を板に乗せ、同行するいつもの3人も荷物に手を埋めている。
人足の邪魔にならぬ様にと街並みの側に寄り、仕入れの帰りと隊商宿に戻る途中。
ふと、少女が海側に目をやれば、通り過ぎる子供が居た。
「あ、アルちゃん様だ」
継ぎ接ぎの質素な衣服ではあるが、良く洗い清潔感を与える小柄な少女。
首から下げた袋には平焼きパンが入っており、売れ残りが2枚在ると言う。
「はいはい、銅片でいいかな」
「まいどありー」
そして商品を受け取り、手を振りながら別れる互い。
そのまま平パンを割って半切れを齧りながら、残る1枚半を剣士にと渡した。
「うーん、粉っぽいんだぜ」
「何と言うか馴染み深い質素さだな」
「まあ、焼いたその日ならば食える代物じゃな」
「このところ贅沢に舌が慣れてたし、何か新鮮だわ」
適当に齧りながら、それで今のは知り合いかと神に問いが飛ぶ。
「裏手の孤児院の子だね、今日は行商の帰りかな」
最近、孤児院の畑の作物が全部枯れてしまい困窮しているので、
平パンを焼いて職人や人足の軽食にと売り歩いているらしいと答えた。
「赤毛の踊り子を連れた商人の入れ知恵だとか」
「あやつも、いろいろな所で名を聞くのう」
どこからか水音が響く海沿いを、平パンを齧りながら歩が進む。
「美食船団が寄っているおかげで、仕事が増えて買い手も多いらしいね」
何故か土地が死んでいくせいで、港町はだんだんと不景気に飲まれ
治安の悪化などが深刻になりかけていたが、船団のおかげで持ち直したと。
「とは言え、いつまでも居るものでは無いじゃろう」
「まあ、あの娘は根本原因の方も何とかするつもりみたいだけど」
そう言い、姉は昨晩の妹の姿を思い起こす。
姉に逢えて嬉しかった、砂漠に戻っても元気でなどと簡単に終わらせて、
一刻も早く長女を港町から追い出そうとしていた青の女神の言動。
「あのわざとらしい態度は、誘い受けなのだろうか」
「いや、素だろ」
齧りかけの平パンを手に持ち悩む少女に、食べ終わった剣士が答えた。
「まあ、姉としては妹の気遣いは嬉しいけど」
知ったこっちゃないかなと、軽く言う。
「ふむ、何かあるのかの」
「あの娘が空間の支配権を、何とか私から取り返そうと頑張っているね」
まあ多分無理だろうけどと素で語る神に、姫が疑問を述べる。
「アルちゃんが支配権を取り返される可能性が無いぐらい、差が在るのかしら」
「妹どもに注意を向けさせている間に、町の各所に仕込んでみました」
何か爽やかな笑顔で酷い言葉が出た。
自分以外の神族に対する妨害の術式をと、板神は笑顔のまま細かく語り、
仮にも外国の要神相手にと、聞かされた3人は眉間を抑えて天を仰ぐ。
「最近気配が薄いと思っていたら」
「あー、もしや厨房に潜り込んだのもそれか」
昨今の少女の行動を思い起こし、頭痛を耐える顔で博士が聞く。
「船団内部にも妨害放り込んでいるとは、まだ気づいていないみたいだね」
外ばっか探しているしと、けらけらと哂う邪神の姿がそこに在った。
「それで、何が変わるんだ」
宿場の壁が見えてくる頃合に、頭痛から帰って来た剣士が問う。
「まあ要は、土地の魔素が枯渇している以上は原因があるわけで」
それに気軽に応える神の推測。
「魔素を食べる何かは、魔素の塊の人間もパクパクですわなわけで」
最近の失踪の結構な割合はそんな感じじゃないかなと軽い口調で語り、
先日の宴席なんかは、良い感じに撒き餌がばら撒かれた状態かなと続く。
「ふむ、その場でやらかした神が在ったのう」
段々と話が一点に纏まっていく気配の中、博士がジト眼で言った。
全ての魔素を支配下に置き、纏めて特大の餌と化した板の神に向けて。
返されたのは、アズラクは自分がやるつもりだったんだろうねとの悪い笑い。
「私が掌握した以上は、それはもう場から魔素を取り込む事も出来ず飢え続け」
響く水音に紛れ、段々と不穏な気配が積み重なっていく。
そして宿場の門を潜り、陽除けに建物へと向かう一行にアルフライラは居ない。
気付いた3人が後ろを振り向けば、門の所でぽけらと静止して浮いている。
「だからちょっと、私が他の個体から離れて孤立しただけで来るんじゃないかな」
そもそも耐えるとか考えるとかが出来る知能が在るかも怪しいしと、
へにょりと笑いながら言う少女に向かった視線が、門の上へと移動した。
何か居る。
「光学迷彩てわけでもないね、ただの体色変化に因る擬態か」
アルフライラが釣られて目を向ければ、そこに在ったのは巨大な肉の塊。
蚯蚓に似た長細い体躯に、先端に在る口には数多の牙が積層されている。
豚の肌の様な質感の肉はやや透明感を持つ肉色であり、円らな瞳が覗いていた。
僅かの間、周囲が何かを言う隙も無くそれはアルフライラに食いついた。
音が宿場に響く。
牙を鳴らし板の障壁に食いつき、その身から生えた触腕が障壁に絡む。
「牙で食い付き吸い込み、奥の臼みたいな歯で磨り潰す感じなのかな」
ようやくに宿場に叫び声が響き、砂埃が午前の光のを遮る。
その中で少女は呑気に、至近距離から巨大蚯蚓の観察をしていた。
「アルや、大丈夫かのー」
障壁に絡みつく巨大な肉の姿に、少しばかり引きながら博士が問いを投げれば。
「葉足類にしては足の数が少ないし、大きさの狂った
「何言っとるか本気でわからんが、大丈夫みたいじゃなー」
「ああ、極限状況で僅かでも情報を渡そうと言う決死の努力がぁ」
「はっはっは、物は言い様じゃのう」
緊張感のまるで無い会話を、剣士が引き継いで普通に聞く。
「で、本当に大丈夫なのか」
「障壁は大丈夫だけど、じりじりと動かされているからお持ち帰りされそう」
普通の答えが在り、普通の危機も在る。
「普通に危険だな」
大剣の鞘を払いながら纏めた剣士の横で、姫が切羽詰まった声色で叫んだ。
「アルちゃん、今こそ必殺技よッ」
「あるふぱんち!」
声援に応え放たれた作業用ハンドの拳が、肉の肌にぽよんと当たる。
「あるふきっく!」
返す腕で操作して生成した作業用フットが、肉色にもにょんと弾かれる。
「あるふちょっぷ!」
トドメとばかりに始動したアルフチョップが、めにゅんと音を立てて埋まる。
「駄目だったッ」
「うんわかってたッ」
「遊ぶな、お主ら」
やりきった笑顔の女性陣に、頭痛を覚える野郎2名。
そして改めて武器を構えた3人に、先駆けた者たちが居る。
「者ども、血肉を払うは今ぞッ」
「応ともよおぉッ」
豚面の集団、オーク族隊商が槍を構え肉蚯蚓に吶喊していた。
「あ、えーと、何で」
「我らを人と認め、獣神に口添えしてくださった方を見捨てては」
巨大な肉色が裂け紫色の体液が散り、絶叫が宿場に響き渡った。
「我らが王どころか、帝都の民にも顔向けできねえんだよおぉッ」
「やっぱり獣の人はガチすぎて怖いーッ」
飛び散った体液が掛かったオーク商人の肌が、煙を上げて灼け始める。
「あるふ水流ーッ」
即座に平手を交差した様な作業用ハンドから放水が行われ、洗い流す。
「おお、忝いッ」
「商人なのに武闘派が過ぎるッ」
精悍に笑い槍を回す豚面の有様に、顔色を無くした少女が叫んだ。
「け、剣士さーん、へるぷー」
半泣きで同僚に救けを求めれば、呆れ混じりの返答は近く。
「へるぷが何なのかはさっぱりわからんが」
宿場に伸びる肉壁の、槍で抉られ触腕が伸びている方向の反対側、
アルフライラの目の前で、大剣使いサフラが自らの刃を叩きつけた。
「水流水流水流ーッ」
食い込む刃に、噴き出る紫色の液体。
そして剣士の全身にかかる体液は即座に洗い流され続けた。
そして振り抜く事は出来ず、刃は途中で止まる。
サフラは即座に片腕を、刃に伸ばし握り込んだ。
全身の力を腕に籠め、梃子の要領で肉壁を切り抜いていく。
一般に大剣の刃の鍔元に近い部分は、切れ味が悪く作られている。
潔く刃が付けられていない事も珍しくは無く、剣士が握る事が可能になっていた。
刺突、取り回しに優れ大剣を力強く、あるいは手槍の如く軽妙にと扱う技法。
半剣、そう呼ばれる大剣使いの基本である。
「姉様、何事ですかッ」
大きく蚯蚓の叫びが響いた頃合に、宿場から獣神一行が顔を出した。
「おお、アビヤド様ッ」
「姉君様が何物かに襲われておりますですッ」
即座にオーク族が答えれば、ひときわに速く動いた者が居る。
駆け抜け様々を足場に宙を飛び、銀閃が天地を割るかの如くと煌めく。
「疾れ、スガリ・マールッ」
カフラマーンの斬撃はサフラの切り口の逆に在り、綺麗にその身を切断した。
撒き散らす体液を必死に洗い流す板神と、激しく暴れる胴体部分。
「ていやさッ」
そして獣神の一撃が、容易く巨大な肉の塊を宿場の壁にまで吹き飛ばした。
やがてアルフライラの障壁に絡んでいた頭も、力を失い砂の上に落ちる。
「姉様、いったい何なんです、この化物は」
飛び散った体液を洗い流し、ひとしきりが終わった後にアビヤドが問うた。
半透明の巨大な肉色は、未だに僅かに痙攣を続け生命の残り香を有している。
「オークだね」
さらりと答えた姉に、疑問の視線が集まる。
突然の暴言染みた言葉に、オーク族隊商の纏め役が怒りや驚きよりも
困惑が強い色合いでアルフライラに言葉を向けた。
「ええと、アルフライラ様、俺たちはこんなじゃありませんけど」
「いや、残念だけどこれはオークだ、ただしかなり純血に近い」
迷い無き断言に押され、隊商は困惑のままに口を閉じる。
「血が濃すぎるせいで孕み袋の再利用も出来ないだろうし、数は居ないな」
そのまま思考を纏める様に、創世の大神が分析を言葉に零せば、
大多数の意思を代弁するかの様に、博士が少女に問い掛けた。
「そもそも、オークとは何なのじゃ」
「はてさて、裏切り者の末裔か海の悪魔か」
何とも抽象的な返答が煙に巻けば、丁度良いのがあったと言葉を締める。
「悪霊の躯、かな」
どういう意味かと重ねて問えば、それに関しては私よりも詳しい者がいると。
そう言って板神は宿場の門の、外側に集まって来た人の群れに言葉を投げる。
「なあそうだろう、神代後期を生きた青の女神」
欠片も感情の籠らない言葉は、アズラクの表情から色を失わせた。