熱砂、などと言う生易しい代物では無い。
そのような灼熱を、赤毛の神殿戦士ジャルニートは歩んでいた。
文字通りの炎天の下、皮を灼き肉を焦がす灼熱の黒砂。
黒色に染まる地平には、風に削られた歪な岩山が幾つも聳えている。
玄武岩溶岩で造られる礫と砂は、陽光を吸収しその熱を大地に留め。
靴は灼け膠は溶け、度々の交換を繰り返した。
水を吞み、潤う喉を自覚するその一瞬で既に口は乾いている。
陽除けの帽子と頭の間に挟んだ濡れ布が、気化熱で頭部を冷やす。
それはすぐに乾き、その度に繰り返し頭から水を被る。
焦げ麦の砂漠と呼ばれている。
焦げた麦の様な礫のためと言う者も在り、荷物の麦が焦げるからと言う者も居る。
開拓者も忌避する地、時折に駱駝すらその熱で倒れる極限の砂漠。
渡れないわけではない。
先程から延々と浪費している、それを可能とするだけの水さえ在れば。
節約は即座に死に繋がる、故に荷物の大半は水と化す行路である。
そしてジャルニートが何度目かわからぬ水を被った。
やがて陽は中天に近付き、風に因り削られ造られた小さな断崖の岩山の
僅かに作られる影に滑り込む様に潜り込んだ。
影の中、無言で粗く呼吸をする。
ようやくに息ができると、零しながら座り込み熱に茹る水を呷る。
陽のあたる場所は、ただ息をする事さえも難しい熱量であった。
「大丈夫ですか、我が騎士」
そしてその後ろから、瀟洒な黒い玉座に乗った黒髪の大神が話しかける。
華奢な身体つきの白い肌に、癖も無く伸びる黒髪を左右に括っている。
レースなど、多少に装飾過多な黒色を基調とした衣服を身に纏う神。
姫の大神、エミーラ。
言葉に合わせ生成した水をつめた革袋を傾け、ジャルニートの頭を濡らす。
「うああ、生き返るううぅぅ」
「噂以上の極限地帯ですわね」
影の中から見える景色は熱量に歪み、遠い山脈を隠し幻を見せる。
見える限りに続く黒色の砂漠は、中天に至り此の世ならざる場所と化していた。
「まあ何ですか、いろいろと言いたい事はあるのですが」
そんな僅かの先に転がる死の世界を覗きながら、赤毛の戦士は問う。
「その、我が騎士って何ですか」
人の問いかけに、神は可愛らしく笑って続きを促す。
「私、銅の神国に仕える神殿戦士なんですけど」
「ザハブの物は私の物なので何の問題もありません」
即答である。
「ウチの神様、立場弱ッ」
美女や美少女に弱いのは神代からかよなどと嘆く神殿戦士。
その様を見て、楽しそうにころころと笑う姫の大神。
「かつて神代で、偉大なるアルフライラお姉さまはこう言われましたわ」
流石にそれだけではどうかと思ったのか、もう少しだけと言葉が足された。
言いながら両の掌を身体の前に伸ばし、何かを持って動かす様に右に移す。
「それはそれ」
「それはそれ」
手の動きに合わせて視線が動き、降った神託は鸚鵡に返る。
「これはこれ」
「これはこれ」
右に動かした両手を、左に動かしてからの言葉。
「なので貴女が、我が騎士である事に何の問題もありません」
「この苦情は、アルちゃん様に届けるべきなのだろうか」
女神としては7女、10神で見れば末っ子であり、相応の身勝手さであった。
「それで何すか、イルドラードとは別方向に向かってる気がすんですけどぉ」
疲れているのか、大神相手に段々とざっくばらんな言葉遣いになる神殿仕え。
「直行したいのですが、黒の神国からの追手が待ち構えているでしょうしね」
なので大きく迂回して、死の焦麦砂漠を越えて
「流石にこの地方で待ち構えるのは、無理そうですし」
「乾くどころか焦げますからね」
会話をしながら日向に目をやれば、小さい飛蝗が影から飛び出して、そのまま死んだ。
「こんな場所にも、生き物って居るんですのね」
「と言うかどうやって今まで生きて来たんだこいつ」
言いながら革袋に口を付け、水分を補給する人間の業。
「こうして水を無尽蔵に生成出来るのは、私とアルフライラお姉さまぐらいですから」
姫の権能、保有情報の物質化に因る水の生成。
かの板神があるふ水流などと言って遊んでいるのは、基本的にこの権能である。
「せめて、玉座に私以外の者を乗せる事が出来れば良かったのですが」
その言葉に、女戦士は違和感を覚えた表情を見せる。
「アルちゃん様は気軽に乗せていた気がするんですが」
「お姉さまが玉座を持っていたとすれば」
過分にして知りませんがと断り、仮に持っていたとすればと続いた。
「確実に旧神製の原型機ですから、私の様な模造品とは格が違い過ぎますわ」
さらに言えば10番目の最終廉価版なので、姫の玉座は性能が最も低いと。
「ああそう言えば、ヤルダバオトなら乾く前に突っ切れますわね」
そして他の大神も自分の権能を使えば結構何とかなりそう、とか言っている内に、
そもそもアルコーンを喚んで一気に突っ切れば良いのではと気が付いた。
「私のアルコーン、アルムピアエールを喚べば渡るのは楽なのですけど」
しかしと、言葉が止まる。
「喚べるんですか」
「ちゃんと玉座に入っていますわよ」
聞かれた瀟洒な大神は、得意気な顔で自らの玉座を叩いた。
「ただ、喚んだ瞬間に私の居場所がバレますわね」
そして身体に他にもいろいろと制限が書き込まれていますしと、嘆息。
制限と聞き訝し気な顔のジャルニートに、エミーラは軽く袖を捲って肌を見せた。
呪い。
腕から身体にかけびっしりと、何某かの刻印が埋め込まれている。
「え、と、大神相手に、何ですかコレ」
「黒の勢力を害さぬ様、起動すれば居場所がわかる様、様々ですわね」
「いやそもそも、どうやったら大神相手にこんな事が」
その権能、その神威を縛る強力な術式。
「ナハースなら、出来ましたわ」
それは当然、人の手に因る物では無く。
ザハブもきっと出来るのではないかしらと、他人事の様に笑う。
「ウチの神様がその方向に詳しいってのは、ちょっと想像つきませんねえ」
「何か買い被られていますわね、或いは主を過小評価されているのではなくて」
あるいは、あの子が親しまれているのかしらと、ひとつ上の姉はころころと笑う。
「創世10神はあくまでも世界を使う者であり、創る者では無いのです」
創られた箱の中を整える役目であり、箱を創るものではないと。
それは旧神と創世の大神の御業であると語る。
「そしてそれは、雑用とは言え黎明3神が関わった神の御業」
故にその方向性に関しては、黎明3神は創世10神を軽く凌駕すると。
「つまり、アルフライラお姉さまに出会えれば『おおるおっけえ』と言うヤツですわッ」
そしてそんな世界に突然に放り込まれた鬼札、存在の次元が違う創世神。
彼女ならば自分たちではどうにもならない呪縛も、片手間に解除できるだろうと。
「なのでまずは穴居人集落に行き、旧神のお爺様の遺産を受け取りますわッ」
「え、何か今ちょっと怖い情報をさりげに混ぜませんでした」
聞いてはいけなそうな内容を聞かされた神殿戦士に対し、
片目をバチコーンと閉じ悪戯めいた表情の神。
「アルムピアエールが使えれば良かったのですが、追手に抗う事は封じられていますし」
「いやちょっと待って、旧神の遺産って、何やる気ですかアンタ、いや本当にちょっと」
そして息が切れ、慌てて水を呑むジャルニート。
日向よりはマシとは言え中天の焦麦砂漠、日陰も普通に殺人的な環境である。
そして一息が付き、その目からハイライトが消える。
「あぁ……まあ何ですか、とりあえず砂漠越えるんですね」
「ええ、いずれはこちらにも追手は向かうでしょうけど、時間はかかります」
何でこんな神を道端で拾ってしまったんだろうと、頭を抱える神殿戦士に、
まさに運命の出会いでしたわねと、何の悪意も無く断言する姫の大神。
「と言うか知ってる神話には記載が無いんですけど、いつそんな呪縛を」
「神代でマリクお父兄さまのアルコーン、ハオートの改造が為された時ですわね」
ヤルダバオトの簒奪を狙い幾度も襲撃をかけ、その度に撃退されていた王の大神。
それが最終的に選んだのは、ナハースの協力の元にアルコーンを改造する事だった。
ついでに病んだシスコンみたいな長兄が、門限縛りみたいな術式を妹に書き込ませた。
「そして造られたのが、ヤルダバオトに対抗するための偽典アイオーン、デミウルゴス」
かくて白き双角のアルコーンは、白銀に輝く偽のアイオーンとして生まれ変わる。
「ええと、その名は神話では赤銅の大神の神威であったと記憶しているんですが」
「盗まれましたの」
さらりと言う。
「あのド腐れ妹と言うべきか、粘着系長兄ざまぁと言うべきか」
隠しきれない黒い物が滲む含み笑いで、何か酷い感想を述べた。
「どちらが良いと思います、我が騎士」
「ひ、人の身では如何とも」
どう答えても他国の大神に対する不敬、完全な詰みである。
そんな聞いてはいけなそうな情報の洪水は、神殿戦士の視線を涅槃に飛ばさせた。
やがて陽は中天を過ぎ、確死の砂漠が決死の砂漠程度に危険度を下げる。
そして神と人の逃避行は砂漠を越え、幾許かの時間を稼ぎ得たと言う。