時には砂漠に雨が降る事も在る。
などと細やかな物言いに不満を示す様に、弾丸の如き降雨が港町を叩く。
響き渡る轟音は存在感を示し、貧民街の貧相な日焼き煉瓦を微塵に砕いた。
その様に方々に雨漏りの悲鳴が響く中で、確かな貧富の差と言うべきか、
僅かも揺るがない隊商宿場の飯場に、板娘と鬼瓦面な老料理人が居る。
二人相対し、半泣きで間に置かれた壺中に魚の切り身を放り込んでいた。
鮪である、船団の遠洋漁業班が釣って来た逸品である。
近海に魚が居ないのでと、遠方まで漁業担当船が出たのが先日の事。
そして帰港した船を、解体包丁を担いだ料理長とアルフライラが迎えたのが早朝。
内蔵と血抜きを行い、冷凍持ち神族に冷凍させて持ち帰られた大振りの鮪。
スパスパと神と料理人が慣れた手つきで解体し、とりあえずと造られた刺身。
絶不評であった。
「いいじゃねーかよお、生魚食えよおぉ」
「まさか港町に生食の文化が無いとわ」
そして余った刺身が壺に放り込まれる今現在。
壺の中にはかつて青の大神が意地と根性で探し当てた列島の土、
それを使って育てられた大豆、からの発酵調味料である大豆醤油が入っている。
他に軽く酒と蜂蜜が入り、刻んだ乾燥大葉などのハーブが幾つか。
「何か身形の良い観光客っぽい人たちも眉を顰めてたしさ」
「遊行できるほど金持ってんなら、生食ぐらい嗜んどけよなあ」
互いに愚痴りながら段々と、壺の中で漬けの深さが物理的に増していく。
一種近寄りがたい空気を醸して居り、他の料理人たちは距離をとっていた。
「つか、あの人ら何処に泊まってんだろ」
街中で折々に見かける金持ちたち、しかし彼らを宿場で見かけた事は無い。
「あぁ、一応は他に泊まれる施設とか、何て言うかだな」
料理長が歯切れの悪い返答を流せば、少女は頷いて口を開く。
「性風俗関連の話だね」
「ちょ、慎みを持て、少しぐらい言いよどむ程度には」
アルフライラの外見年齢と同じぐらいの歳の孫娘を持つ料理長は、微妙に細かい。
「まあ何だ、開拓者宿場側にそう言うのが固まってんだ、当然に宿所もな」
だから隊商関連の施設が固まるこちら側には居ないのだろうと語る。
聞いた板娘はそんなもんかと頷き、また黙々と壺に切り身を放り込みだした。
「油煮は物凄く好評だったと言うのに」
余った鮪の身を適当に放り込んだ塩と大蒜、香辛料と共に果実油で煮込んだ品。
「保存食なのに作ったその日に全部消えるって、どういう事だよな」
などと愚痴を言い合ううちに、切り身が終わり壺も埋まる。
そこでさて、この鮪の漬けをどうしようかと言う話に成る調理先行な二人。
「生が駄目なら、汁物の具とかに使うのも良いかもね」
「けどよ、火が通るとボソボソにならねえか」
疑問を持った料理長に、澄んだ瞳で女神は神託を降した。
「そこは諦めよう」
「迷い無い瞳で酷い事を言いやがる」
鮪なんか唯の匙休めと言い切った神は、少し細かく発言を補足する。
「鍋物の鮪なんか、汁の味に深みを出すための素材でしかないのさ」
「あー、主役は他の野菜とかで汁を支えるための具材って感じか」
僅かな言葉に頷いた料理長の後ろで、料理人が軽くツッコミを入れた。
「いや、普通に船団で消費出来るから生で大丈夫ですよ」
言葉に、一般人前提な盲点を突かれた表情で向き合う互い。
生でも良い、その言葉だけが調理神と料理長の脳内を占めた。
「萵苣で巻こう」
「よし、つまり中身を見せなければ良いんだな」
途端に想像の翼が羽ばたき出した場を、慌てて同じ料理人が引き留める。
「中身が見えない食い物なんて、手を出す人が居ないのでは」
クリティカルヒットであった。
即座に互いの脳内に列挙した様々なレシピ、その大部分が否定されていた。
無言のまま隣の席に移り、渡された氷を入れた麦酒の杯を手に持ち、
机に叩きつけ崩れ落ちながら魂の叫びを発する少女と老人。
「畜生、なんて時代だッ」
「現代人は冒険心を忘れてしまったのかッ」
「いやあ、それで毎回ぶっ倒れているのが我らが頭領ですからねえ」
その言葉に、見事な反面教師の姿が飯場に居た全員の脳裏に浮かぶ。
言うまでも無く、ばちこーんとムカつくドヤ笑顔の青の大神である。
そして訪れた僅かな静寂に、豪雨の騒音が通り抜ける。
「皆、大丈夫かなあ」
「動きそうなヤツの間引きは終わったし、まあ何とでもなるだろ」
現在に開拓者勢と獣人勢、船団戦闘班は沿岸の調査に向かっていた。
その内容故に、居るだけで怪物を引き寄せる板に乗った生餌は留守番である。
そしてアルフライラは、手に持った麦酒に口を付ける。
「おお、何か普段の物より切れ味が良いのに深みも在る」
「オーク王の産物だぜですよ、果実味が薄くて中央では不人気だけどな」
答えたのはオーク隊商の長、横から麦酒を二人に渡した者である。
料理長も口を付け、これは良いと頬を緩める。
「下面発酵がどうとか言ってたけどよ、まあ門外漢なので何ともです」
「え、まさか『ラガー』」
詳しくは担当にと頭領、驚く少女に、言葉を聞いた料理長が詮索を足す。
「らがあだったか、何だそれ知ってるのか」
食いつきに応える様に、簡単な説明をアルフライラが口にした。
「低温かつ軟水で発酵できる酵母で作る麦酒だね」
「要は寒い地方独特の麦酒か、しかし良いな、すこぶる良いなオーク麦酒」
その有様を見た船団経理担当が、さりげなくオーク隊商との商談に入る。
「そう言えばさ、前に人間化身って言ってたけど何なのかな」
そして板神は、くぴくぴと杯を傾けながら問いかけた。
「オークに伝わる御伽噺だですよ、まあ若い頃は探し求めて各地を回りまくったけどよ」
呪われた豚面から解放され人間の身体を手に入れる秘術、人間化身。
初老の隊商頭は、王に仕える前は開拓者として各地を回って探したと語った。
「それで、何か見つかったのかな」
アルフライラが聞くと、豚面の頭領は遠い目をして口を開く。
「時々、居たなあ」
「居たんかい」
幾度か人間化身を果たしたオーク族に会ったと語る、身振り手振りを交えて。
「こう、身体中に変な管とか挿して顔だけ人間の化物とかが、んで言ってくるんですよ」
「ふむ」
「お前も人間に成ろうって」
その内容は、あまり愉快な物では無い。
「先史を神代、神代を古代、古代を現代で、無理に技術再現したとかかな」
「まあよくわからねえけど、王に会って人生に意義を見出すまではそんな感じだでして」
少女は聞きながら杯を空け、感を漏らす。
「慕われてるなあ」
途端に飯場に走り込む人の音。
「あ、あるふらいら様ッ」
継ぎ接ぎの服を着た少年、全身が水に濡れみすぼらしい風情と成っている。
「うちの、が、連れていかれて、た、たすけてくださいッ」
絶え絶えの言葉を纏めてみれば、平パンを売っていた孤児院の少女が、
何やら怪しげな人間にかどわかされて開拓宿場の向こう、魚醤村に向かったと言う。
聞いた神は軽く眉を顰め、張り付いた笑顔で周囲に指示を飛ばした。
「船団は孤児院に確認、悪いけどオーク族はちょっと手伝ってくれるかな」
少年に案内を頼み、入り口に向かわせれば料理長が予定を聞く。
「連絡を終わったら後を追えば良いのか」
「いや、たぶん孤児院に居るから確認だけでいいかな」
不自然な発言を問い返す間も無く、急ぎ出た板が雨の中を進む。
豪雨の中、時折に落雷が濡れ鼠の一行を照らし天地に音が響く。
槍を横抱きのオーク族商人たちを引き連れ、土砂降りの港町を横断し、外に出る。
そしてアルフライラの目の前を走っていた少年が、雨の中に姿を消した。
宿場と魚醤村の狭間、非合法なあれこれが行われる貧民窟の市場。
普段ならば様々な後ろ暗い輩が屯するそこは、雨に洗われたように無人で。
軽く板から周囲を見渡せば、連れていたはずのオーク族も居ない。
「人除けの術か何かしらか、同胞を手にかける気はないとかかな」
降りしきる大量の水は、砂の上に河を作り海原に流れ込んでいる。
板の乗って浮いていなければ、足をとられるぐらいはあったかと軽い嘆息。
見れば空中に、雨を弾く何かが複数忍んでいる。
弾く水滴が不可視の輪郭を浮かばせて、異形がそこに居ると示す。
稲光が走り、全体が露わに成れば其処に在ったのは様々な化生。
「囲まれてるなあ」
その中で、人型に水滴が弾かれている部分がある。
「まるで事を知っていた様な落ち着きですね、何故ですか」
雨音の中に誰とも知れない声が響き、疑問を呈せば神が応える。
「孤児院の彼女たちには、アルちゃん様としか名乗ってないのだよ」
まあ件の宴席でアルフライラと名乗ったから知ってはいたのかも知れないが、
わざわざ「あるふらいら様」と呼びかける意味がわからないと。
「ならば ――」
「会話の途中にあるふびいいいぃぃむッ」
何かを言い募ろうとした人影に向けて、板から取り出したデバイスを持ち叫ぶ。
片手で握る玩具の様な器具の先は、渦巻き先細りし先端に小さな球体が在る。
そこから山なりの怪しげな光線が、ビビビと音を立てて発射された。
「な、くそッ、お前らさっさとコイツを捕まえろッ」
創作物語の様な怪しげな光線に撃たれた透明な人型は、すぐに正気に戻り
荒れた声色で周囲の怪物たちに指示を叫ぶ。
「うーん、見事に効いていない」
所詮は玩具だからなあと、アルフライラが苦笑した。
「はん、落ち着いた態度もすぐに余裕が無くなりますよ」
触手に囲まれ、板の障壁が肉で埋まり始めた頃に人影の声だけが届く。
そして大神の玉座の障壁に関して、何らかの手段を持ち合わせていると匂わせる。
「ああ、やはり何かを持たされているのか」
そして触手に引かれ、ずるずると移動する板の障壁。
「何するにしても、周辺の魔素が薄いしなあ」
移動を強制される中で、少女は呑気にそんな事を言った。
間引きを進め、ようやくに幾らか回復の兆しが見えた周辺の魔素。
後日に大掛かりに使う事を考えれば、現時点であまり浪費は出来ないと。
「ならこうかな」
そう言ってアルフライラは、玩具を天に向けて軽く一度だけ引き金を引いた。
「障壁設定、反射、拡散」
工具的用途のノーマルな光線、視認の出来ないただ単純なそれ。
豪雨の中、極端に周辺を埋める分子が大量に在る空間を、
凄まじい勢いで減衰を重ねながら不可視の光線が走り抜け、消える。
ただそれだけの行動。
刹那、周辺の空気の全てに浮遊感が纏われた。
音すらも無い、僅かの間。
アルフライラを中心として世界が白熱し、直後に音の速さで轟音が周囲に響く。
障壁に守られた彼女以外、その場の全てが膨大な熱量に灼き殺される。
周辺に吹き飛び転がる黒焦げの何かから火と煙が上がり、雨に消される。
光線に因る空間の電離。
分子が電離し、極めて電流が流れやすくなった空間を目指し天より雷が落ち、
それを受け止めるかの如くに地上からも雷が吹きあがった。
落雷誘導。
言うなれば、紐付きの避雷針を空中高くぶん投げた様な行動。
確実なものでは無いが、落ちるまで何度でも試行すれば良いと。
「1度目で上手く行くとは、ツイているのか憑いているのか」
感想を口にして耳をすませば、遠くオーク族が名を呼ぶ声がする。
聞こえた少女が軽く声の方向に視線を向け、板の上で苦笑して場を後にした。
かくて豪雨の中で神鳴る槌が全てを祓い、後に残るは大神の姿だけ。