地球地球化計画も準備段階を終える。
高位素体補助のための中位新人類も制式個体に移行した神代初期。
いまだ低位新人類の作成には魔素の深度が足りず、循環を待つ神話の狭間。
氷砂糖の入った袋を咥え、両の手に資料とマグカップを持ったアルフライラが
陽気なテンポで休憩室に踏み入れば、そこには先客の姿が在った。
黒髪を肩より上に切り揃え、優美な曲線を白いシャツと黒いズボンに包む。
大人びた表情の女性は、机に肘をつき何をするでもなく時間を潰している。
後の世に妃の大神と呼ばれる8号素体、マリカ。
「アル姉も休憩?」
成人女性から少女に向かっての言葉は、見る者の違和感を拭えない。
「海洋再生も経過観察の段階だしね」
「地軸をずらしながら衝撃で地殻に結合した海水を分離させる、だっけ」
地殻に取り込まれ失われた大量の海水を水に戻し、大海を再生する。
その工程で何故に地軸まで移動させる必要があるのと問い、応え。
「両極の下に陸地が在ると、地表が冷え込みすぎるのだよ」
かつてパンゲアから分裂し幾つかの超大陸が存在していた時代、
両極点の下に大地が在った年代には、地表が極端な寒冷に襲われていた。
北極でも後の南極大陸の如く陸の上に氷が作られ堆積し続けた結果、
海水は奪われ続け海面が下がり、地表に残り続ける氷は大気を冷やし続ける。
両極点から赤道に向かい、侵略する様に地球が凍結されていく。
人類に適した地表にするためには、片方の極点は海上に置く必要が在った。
そんな説明をしながら、姉が机の上に氷砂糖の袋を開けコップに珈琲を生成すれば、
妹は気軽にコップを奪い取り、氷砂糖を口に放り込みながら香りに口を寄せた。
奪われた場所には、同じ物が複製されて置かれている。
「何故にオリジナルをもっていくのか」
「誰かが淹れてくれたってのは希少価値なのよ」
そして姉も同じ様に氷砂糖を口に含みながら、複製珈琲を口にした。
「しかし何、相変わらず頭悪い感じに濃いわね」
「疲れた時に効くのだ」
粘液を連想するほどのエスプレッソに砂糖の塊、扱いはほとんど栄養剤である。
休憩時はこうだが、水分補給のためのガブ飲み時はアメリカンになる。
「ウチの旦那や三色姉もこの方向なのは、完全に貴女の影響よね」
「文句を言ったり自分好みを開拓したのは、アズラクぐらいだったなあ」
そのアズラクも後の時代の旅先では、ドロドロの珈琲で英気を養っていた。
それに比べて獣組は甘やかしすぎじゃないとマリカの言葉は続き、苦笑と返答。
「甘やかしたと言うか、過去の失敗を反省したと言うか」
猫弟妹には珈琲牛乳を出す優しさが、アルフライラには存在して居た。
以降の妹弟に対して、機会が在る時は普通の珈琲を用意している。
「そ言やさ、アル姉ってウチの旦那殴りすぎじゃない」
魔素に輝く腕を
「あー、妃的には止めてほしかったりするのかな」
「いやいや、そう言うのじゃなくて、むしろもっと殺れ」
両腕拉ぎ瞬転膝当
「何か殴られているの見る度、旦那の新しい扉が開かれそうで怖いのよ」
ハイライトの消えた目で遠くを見る妹の姿に、姉のハイライトも消える
「何か、ごめん」
「おお、もう」
珍しく心の籠った謝罪の言葉に、犠牲の羊は嘆きの声を上げ顔を覆い俯いた。
「役割とは言え、造られた時点で旦那と2人の子持ちだし」
文化継承を目的とした王族4体をひとまとめに扱う延長で、便宜上の設定。
とは言え、処女懐胎を阿修羅の如く凌駕している酷い現実でもあった。
「あー、本気で嫌だったらどうにかするけど」
「いやまあ馬鹿可愛いから良いんだけどね、旦那も娘も」
息子役の9号素体エミールは普通に良い子である。
「ただまあ、何かやるせないものがあるってだけの話」
言いながら氷砂糖をもうひとつ口に放り込み、珈琲に口を付ける。
アルフライラも氷砂糖を摘まみ、香りに包まれた静寂が訪れる。
しばらくの猶予の後、ぽつりとマリカが心の内を音にして場に零した。
「愛は、いつも私の前にあった気がするわ」
前世の記憶は残されていないけど、と続く。
「情熱的な言葉だね」
「鼻先にぶら下げられてんのよ」
追いかけても近付けない、手を伸ばしても掴めない。
常に目の前に置かれ無情に誘い続ける。
そんな諦観の色の在る言葉に、珈琲を飲みながら長女が言葉を返した。
「今度殴った時に縛り上げておくから、持ち帰ると良いよ」
「アル姉は、もう少し情緒って物を持った方が良いと思うわ」
つまり抱けば解決だなと、身も蓋も無い姉の示唆は妹のジト眼で阻まれた。
理解できずに首を捻る人の心が摩耗しきった試作体の有様に、
こいつもう駄目だと絶望的な視線を投げる8号素体。
遠く大地から噴き出す海洋の産声が届き、何でもない日は過ぎていった。