へし折れたアルフライラは、板の上で修復の煙を吹いている。
それだけならよくある事ではあるのだが、今日はその横に黒の玉座が在り、
同じ様にへし折れたエミーラが修復の煙を吹いている。
アビヤドは首から「私は姉妹をへし折りました」と書かれた札を下げ涙目で正座をし、
生命力が枯渇したジャルニートは、呪いの斧を傍らに置いて敷布に倒れ伏す。
襲撃を掛けて来た黒の従属神たちは法術的に縛り上げられ、呻き声を漏らしながら
広場で陽光に干し神族へと加工され、長期保存が可能にされそうな有様であった。
昼時の宿場酒場は、控えめに言って死屍累々である。
晩秋の少しばかり弱く、それでも命を容易く奪う南中の陽光は広場を明るく照らす。
「しかし何だ、水屋よ」
そして折れた状態でふゆふゆと、厨房方向へと流れていた板に店主が話しかけた。
「帝国にこれ以上大神を持ち込むなって俺、言ったよな」
「流石に濡れ衣だと声を大にして訴えたいー」
とは言え妹が全力で迷惑をかけたのに違いは無いのかなと、諦め声の言葉が続く。
見渡せば酒場の中には、何やら黒き姫の祭壇が作られ供物が積まれ、
広場では今も穴居人が即席の炉で、鉄製の鍋釜などを叩きながら作っている。
黒き姫を称えていた信者たちは、今は正座している獣神を囲んで称え続けていた。
「猫姉さまに信仰を物理で奪われましたわああぁぁ……」
何やら板まで届いた凋落した大神の嘆きを右から左へと受け流しつつ、
ハイライトの消えた目で周囲を見渡した長女は、溜息を吐く。
「
板から取り出した白酒の硝子瓶を、店主に渡した。
賄賂、先史にて観世音菩薩が玄奘三蔵にこれこそ悟りと語った人類の知恵である。
「東方の男酒か、また随分と上質な代物だな」
古代にて酒造は女の仕事であり、東方に当時から続く黄酒の系譜は女酒と呼ばれ、
後の時代に薬事に携わる官が作り出した、白酒の系譜は男酒と呼ばれていた。
交易に回る東方酒は主に、色が濃く匂いの強い糯米の醸造酒である黄酒と、
穀物を使い色の薄い、または白濁した醸造酒である白酒の2種類に分類される。
昨今では、東方にて蒸留によって造られた酒もその色合いから白酒に含まれているが、
美食船団から奪い板から取り出したそれは、米から作られた醸造の清酒であった。
「米の葡萄酒とでも言うのかな、白酒のひとつの到達点だね」
「まあ万人受けしそうな品だな」
物陰で受け取った白酒を小盃に受け、軽く舌先で転がしながら店主が言えば、
何時の間にかアルフライラの背後に、野獣の眼光を宿したマルジャーンが居る。
店主と創世神の断末魔の悲鳴が酒場に響き、開拓者たちの肴となった。
そして飲酒妖怪をけしかけたハジャルは静かに麦酒の杯を傾け、
久々のイルドラードの麦で心を癒していたが、相席を望む者が居る。
黒い覆面に、似合わない鯰髭の神族。
「あの邪神は、今も元気に死にかけているようですね」
「何か凄く矛盾している言葉を聞いた気がするぞい」
軽く礼を交わし合い、静かに互い杯を傾ける。
「失礼ですが、以前に豚小屋で飼われていた方では」
「本気で失礼じゃな、まあ違いないが今はただのハジャルじゃ」
杯が空く。
「して、そちらは高貴なる黒き姫の守護神アシュラーフ様じゃったか」
「二十面相ですよ」
会話が重なる度、互いの表情に苦々しさが増していった。
声だけは朗らかで、殺伐とした卓は不気味に和気藹々とした空気を醸し、
周囲の黒子と開拓者たちの体感温度を下げている。
「何故にああも的確に相手の嫌がる言葉を選べるのか」
「同族嫌悪か」
余り者の剣士卓で黒子5号がぼやき、サフラが短く現状を纏めた。
「それで結局、貴方たちは何をしにここまで来たのですかな」
落ち着いて話せそうな気配の5号に、長毛のサヤラーンが問い掛ける。
「エミーラ様を連れ戻す、と言う名目だったんですけどね」
話しながら麦酒の杯を受け取り、顔の前の布を上げ緩んだ口元が見える。
そのまま軽く口を付け、生き返る―と神族らしからぬ俗さを見せて言葉を続けた。
「隊長が何を考えて、どこに落としどころを求めているのかはサッパリですよ」
随分と簡単に語るなと言えば、愛着は在りますが私はただの雇われですしと返る。
曰く、4号までは隊長に拾われた子飼いで、自分は配属されただけの縁だと。
「道理で、他の黒子は何を聞いても二十面相贔屓な」
「あと、表で乾いていっている3柱が何も考えてないのは確かです」
広場からは絶えず呻き声が響き酒場に届き続けていた。
「同僚に厳しいな」
「神族だらけの職場だと気疲れが多いんですよねえ」
塩を振った茹で豆の皿を引きながらサフラが感を漏らし、5号は嘆息する。
「まあ、エミーラ様の呪縛を解ける可能性が、あれって解けるんですかね」
「それは初耳ですな、どういう事で」
サヤラーンが問えば、隠す事でも無しとエミーラに施された大神の封印を語る。
「裾とかチラッと見ましたけど、大神2柱がかりだけあって」
どうやっても無理でしょと呟く後ろで、復活したエミーラがアルフライラに話しかける。
―― アルフライラお姉様、この刻印どうにかなりませんか
べりべりべりと音がした。
「ごぎゃらあああぁぁああぁぁぁあうぁぁおおおぉおぅあぅふッッッ‼」
酒場に、乙女の口から出たとは思えぬ野太い絶叫が響いた。
悲鳴に周囲の視線が姉妹に向かえば、そこには黒の玉座に倒れこみ、
煙を吹きながらえぐえぐえぐと泣き伏せているエミーラと、いつもの板。
その手には物理で剥がした封印の刻印が摘ままれていて。
「うーん、見事な『スパゲッティコード』」
布越しでもわかるほど露骨に、黒子5号の顎が落ちた。
悲惨な有様を全身で表現する芸術と化したエミーラに人だかりが出来、
我関せずと術式を見るアルフライラの方にハジャルが問い掛けた。
「何かわかる事があるのかの」
「最初は凄く綺麗だけど、度重なる仕様変更で凄まじい最終形」
ナハースが作ってマリクが途中で山ほど仕様変更したと見た、と続く。
「他の組み合わせじゃこうはならないかな」
ハジャルが軽く視線を向ければ、5号がこくこくと無言で頷き続け。
「いろいろとわかるもんじゃのう」
呆れ半分の口調で言葉が零れた。
そうこうしている内に人だかりの雑音がどよめきに変わり、
やがて元気に高笑いと化して改めて酒場に響き渡る。
「私、大復活ですわあああぁッ」
「エミーラ様ッ」
「エミーラ様ッ」
「エミーラ様ッ」
突然の大音量に、寝込んでいたジャルニートが悪夢の如くと悶え転がる。
刹那に妖しい宗教施設と化した宿場酒場を、本尊を称える斉唱が埋め尽くし、
穏やかな心の中に激しい怒りを宿した酒場店主は、そっと耳栓を用意した。
殺っちまいなと、板と獣神組に目線で合図しながら。
そして次々と重なる絶叫と悲鳴、広場からは絶え間無き呻き声。
今日もイルドラードは平和が騒がしく奏でられていたと人の言う。