冬が来たりて夜は長く、宵闇に染まる人が動く時間も伸びていく。
そして油灯の光に暖かく照らされる、あんにゅいであんにょいな宿場酒場。
あんにょいって何だ。
古びた木製の机に灯が在り、空いた杯と腸詰の残る皿を照らしている。
だからあんにょいって何。
新式麦酒が尽きて物足りなそうな顔をしているマルジャーンの席に、
代わりと肴を持ち寄り大神の3姉妹、もとい邪神と姉妹が座った。
あんにょいの謎が刻の流れの中に消えていく中、話題は尽きず。
「そう言えば、貴族の生活ってどんなものだったのかな」
板に乗った神に貴族の生活を問われた開拓者は、静かに思いに耽った。
酒精に火照り、整った顔を想い出に染めて、そっと息を吐く。
かつてマルジャーンが、何もわからない小娘だった時代。
軍馬の後ろ脚に蹴られ、館の庭園を転げ飛ばされる。
脚を防いだ両の腕は交差され、その姿勢のままでかなりの距離を転げ伏した。
敢えて受け止める事無く、身体を後ろに飛ばし衝撃を逃がす。
しかし打撃を受けた腕は痺れ、ドレスは芝生に塗れ汚れ破れた。
「未熟未熟未熟ッ、才に溺れたかマルジャーンッ!」
その有様を、馬の尻に片足立ちをしている老人が叱咤する。
「なるほど、その年齢でありながら見事な隠形ではあった」
老いた師は、高きより見下しながら言葉を続ける。
「だが、何も無い空間程に人の意識を引き付ける場所は無いと知れッ」
両の手を広げ、高らかに教導の声が響いた。
だが不思議と、足の下に在る軍馬は何事にも気付かぬが如く微動だにしない。
「風を見ろ、音に触れろ、魂を世界に開き意識の影に身を潜めろ」
聞いていた弟子は、驚愕を以てその眼を大きく開いた。
言葉を受ける内に老師の身体が、薄れる様に、視認し辛くなっていく。
「見えども見えず、自らをどこにでもある世界の一片と化す」
そしてついには、マルジャーンの視界から完全に消え去った。
―― これこそが黄金の流れのひとつ、牙なき者の牙、陰流の神髄
何処からともなく声が響き、周囲を見渡すマルジャーンの眼前に、
突然に眼球を乗せた掌が突き出された。
「さすればこの様に、生き馬の目を抜く事すらも容易いのだ」
なお、隻眼になってしまった軍馬は、この後でスタッフの手により田舎に送られ
嫁を貰って農耕馬としてそれなりに幸せな生涯をおくったそうである。
そして過去を思い返したマルジャーンは、麦酒を掲げ軽く答える。
「生き馬の目を抜く様な生活だったわね」
「殺伐としてそうだなー」
何か互いに微妙に捩じれて交わっていない認識に気が付く事も無く、
水屋が麦酒に氷を配っている中で、黒き姫が問いを重ねた。
「巷でよく聞く、悪役令嬢との婚約破棄って本当にあるんですの」
王子に見染められた庶民が婚約者を差し置いて妃に成りあがる。
巷の詩吟や演劇にて、それなりに人気の演目である。
「流石に演劇みたいなのは、脚色が過ぎるでしょう」
夢見がちな妹の言葉を、呆れた声で嗜める獣神の言葉に、
苦笑を零しながら、そうでもないと答えるのは元高位貴族令嬢。
「いやまあ人間のやる事だからね、そりゃやらかす事もあるわけよ」
王族としてあるまじき蛮行、学園卒業式での婚約破棄宣言。
寄子や従士も集まる爵位持ちの子弟が学ぶ学園での思い出。
記憶の中の壇上に、王子とピンク髪のヒロインを見上げるマルジャーンが居た。
今まさに万感の思いを込めた婚約破棄が宣言されるその時、
マルジャーンの横を頭からボロ布を被り、中身のわからない令嬢が通り過ぎた。
「ちょっとお待ちなさい、そこの貴女」
声を掛けた相手はそっと手を出してエスコートの姿勢を見せる。
そこで互いに手を取り合い、フィンガーロック、空いた手も。
互いのドレスの背中に鬼の顔が浮かび、手4つ令嬢比べのゴングが鳴った。
「あら、マルジャーン様と令嬢比べとは」
「何て身の程知らず、どこの田舎者かしらね」
くすくすと囁き合う令嬢の言葉に、だが反するが如く闘士の顔に驚愕が浮かぶ。
「そんな、私は学園最高の100万令嬢パワーの悪役令嬢であると言うのにッ」
膝が、折れる。
日に1万、感謝のカーテシーで鍛え上げた体幹が抑え込まれているのだ。
「100万、随分とひ弱なんですのね」
ボロ布の下から、令嬢の嘲る様な言葉が零れだした。
布の下から現れた美しい令嬢は、その金髪の左右に巨大なドリルを備えている。
そして彼女は、そのままに雄々しく叫びあげた。
「わたくしの令嬢パワーは1千万ですわッ」
―― 1千万令嬢パワーッ⁉
会場に驚愕の叫びが木霊する中、絶叫と共に投げ飛ばされるマルジャーン。
螺旋を打って会場の床に頭からめり込み、ドレスのスカートが花弁の如く開く。
だが埋まったまま、そのままに両手でスカートの裾を握り、足を曲げてカーテシー。
そう、丸出しでは無く礼である、令嬢としての矜持は辛うじて守られた。
しかして間を置かず、金髪ツインテドリルは壇上へと疾駆する。
双角のドリルが唸りを上げて王子へと迫り、激突した。
「ハリケーンミキサアアアァァッ!」
哀れ、顔しか取り柄の無い王子の肉体はバラバラ、そのまま会場に撒き散らされ。
何時の間にか会場に居た、ボロ布を被った令嬢たちに確保される。
「騒ぐには及びませんわ、7日以内に繋げば元に戻ります」
悲鳴の上がった会場に向かい、凛とした声色で宣言する襲撃者。
そして壇上に上がったボロ布令嬢たちは、布をとりながら宣言した。
「私たち7人の悪役令嬢は、王子を賭けてヒロインに勝負を申し込みますわッ」
そろそろ回想が面倒なので以下はダイジェストでお送りします。
―― 48のテンプレ技のひとつ、断罪バスターッ!
―― 6を引っ繰り返せば9になる、逆転、ざまぁバスターッ!
―― 断罪ドッキング……そんな事が可能なんですのッ!
―― 何て冷静で的確な判断力ですのッ!
―― 悪役令嬢にだって、友情はあるのですわッ!
最終的にヒロインがヒロインフェニックスを断罪スパークで仕留め、
血染めのウェディングドレスが完成し、長かった学園生活よさらばであった。
そして回想を終えたマルジャーンは、疲れた声を零す。
「けどまあ、いろんな家が関わっていたから大騒ぎになったわね」
「貴族の結婚だもんねー」
板が相槌を打つが、相変わらず噛み合っているようで理解は平行線である。
「貴族の生活ですか、いまいち想像ができませんね」
「きっと美味しい物を食べてだらだらできるのですわ」
「アビちゃんはともかく、エミちゃんはそれでいいの」
神の呑気な感想に人が言葉を挟む、神代と開拓しか知らない獣神はともかく、
姫神は普通に黒の神国で祀られていた立場である。
「まあ、マリクの断罪ゲージが増えるだけだから気にしないー」
「何かごく自然にお父兄様の命が風前の灯にされていますわッ」
内心に怖い物をカウントしている片鱗が見え隠れする創世神の言葉に、
苦笑して、そんな良い物では無かったわねと続ける人の子の言葉。
「例えば常日頃にいろいろあるのに、連日の舞踏会舞踏会ってね」
そしてマルジャーンが出奔する契機となった、最後の舞踏会を思い出す。
「ひッ、ま、まさか貴様ッ」
天地を貫く瀑布に掛かるが如く、絶壁の狭間に作られた舞踏会場。
「や、やめろーっ! はなせーッ」
「ふふッ、往生際の悪い令嬢ですわね」
天挑五輪大舞會準決勝、梁山泊十六令嬢との死踏。
舞踏の末、眩魔切断術でドレスの下半分を失ったマルジャーンは、
下穿きを丸出しのまま舞踏相手の酔嬢を羽交い絞めにして移動する。
もはや令嬢としての命は尽きた、スカートの下がもろ出し的な意味で。
「うおぉーッ、ま、マルジャーンッ!」
「道連れに滝壺に飛び込む気よーッ」
崖の上から学友たちの声が響く。
「よ、よせ、よすのですわマルジャーーンッ!」
王子の婚約者であった侯爵令嬢に、血塗れのままで笑顔を返した。
「こ、今度ばかりはタネはありません、本当にさよならですわ」
そして、舞踏会場の端から勢いをつけて飛び降りる。
「貴女たちの健闘を祈りますわッ、必ず優勝をーッ!」
「うがああぁぁーッ」
その時、一陣の風が主を失ったパニエを舞い上げた…………!
王国学園鎮守直廊三人衆、最後のひとり道化のマルジャーン……死す!
「まあいろいろあって、何か私が死んだ事に成ってね」
「貴族のあれこれってやつだね」
頷きながら相槌を打つ神は変わらず平行線。
「無理に貴族籍に復帰するよりも、まあこのまま出奔しようかなって感じで」
そして手をパタパタと振り、軽い声色で神に告げる。
「正直、高位貴族なんて人間がやる事じゃないわ」
連日外交のために零時過ぎまで宴席に在らねばならなかった、
時間拘束超絶ブラックな貴族生活を歴史として知っているアルフライラ。
神代に低位新人類と一緒に不毛の地を開拓し、現在に大神として祀られ
さほどの時間が過ぎていない、単純に知らないキッタ・アビヤド。
長期間監禁され、吟遊詩人の知識しか持っていないエミーラ。
4つの認識は見事に錯綜し、僅かも交わる事の無い女子会トークであった。