陣幕の中には甘い香りが漂っている。
整った目鼻立ちに、流れる様な金髪の青年が口を開けて呆けていた。
汚物に汚れた衣装は一目でわかる高級仕立てで、身分の高さがうかがえる。
現在に獣人領に攻め込んでいる、傑物と名高い隣国の王である。
美貌の賢王から漂う甘い香りは、どこか生理的な嫌悪感を誘発する面が在り、
それに混ざる垢とアンモニアの臭い、もはや拭かれる事も無い涎。
「お食事ですよ、我が王」
香菜と香辛料に煮込まれた、肉団子の入った器を持ち陣幕に入る者が居た。
鼻筋の通った顔に日に灼けた肌、癖の在る短髪が頭頂に丸まっている。
「おおハジャル、兵が食べぬのに私が食べるわけにはいかんだろう」
来客に向かい、しかし視線は斜めに飛ばしたままに王が口を開く。
「先ほども申しましたが、これは私めが調達してきました羊です」
味は宜しくありませんが、大量に在るので兵にも行き渡っておりますと続く。
「そうであったそうであった、やだやだあやだあ、おいしくないのにいやあ」
会話の途中で、突然に赤子の様に泣き喚く王。
ぐずるそれを辛抱強くあやしながら、ハジャル・トルキは王を嗜めた。
「王が、兵と同じ物を食べると申したのですよ」
「そうであったそうであった、ならばいただこうたべるたべるうう」
横に置いてある食器に目もくれず、手掴みで肉団子を頬張る若き賢王。
「さて、前線に辿り着くまで持つのかねコレは」
その呆れ混じりの声を聴く知能は、もはや王には無く。
両の手の汁を下品に舐めながら満ち足り、僅かに戻った正気が言葉を発した。
「魔族のおかげで糧食は解決したか、良い奴ら」
「ええ、聡明なる王の感じる通りで」
それに比べて民の食を奪った獣人どもは許しがたいと、義憤に燃える。
「獣どもより、魔族の方がよほどに人間では無いか」
「ええ、まことにおっしゃる通りで」
そして自ら陣頭に立ちと言った次の瞬間、痛いのいやあと泣き叫ぶ。
身体の大きい赤子をあやしながら、大丈夫ですよと肉の塊を渡すハジャル。
「生きた鎧です、必ずや王の御身を守って下さる事でしょう」
賢明なる王に心服した、魔族たちからの贈り物ですよと哂った。
かの様に本命たる第二陣は問題なく進軍し、やがて国境を越えるだろう。
そして鉄人の残骸転がる戦場は、一時の落ち着きを見せていた。
投降者を受け入れ、拠点に使われた開拓村跡地を兵たちが検分する。
「第二陣が本命で、第一陣は捨て駒でしかないんですよ」
巨人に集落を踏み潰させた後、略奪の限りを尽くしているであろう第一陣を
残った獣人ごと始末するのがはじめの予定であったと、元陪臣騎士が語る。
「どうしようもない奴らを間引いておこうって狙い、なのかなっと」
言いながらジャルニートは獲物を振り回した。
踏み潰された集落跡に潜んでいた襲撃者は、声も立てずに倒れ伏す。
鋭く頭部に叩き込まれた獲物は、棘の付いた鉄球が付く鉄棍。
「うーん流石はアルちゃん、良い武器持ってるわ」
エミーラ係の迷惑料名目で、ジャルニートに渡された旧神遺物である。
軽く振れば棍の長さが変わり、その度に時止めの秘法が起動する。
「何ですか、その、見てるだけで怖くなる聖水噴霧器」
多少の心得の在る元騎士は問う、質量変化に時間軸干渉。
並みの神族では手が出ない領域が、凄く手軽に武器に仕込まれている。
色々な意味で、怖い。
「出がけにアルちゃんがくれたんだ、先史の勇者ロトが使ったロトの剣」
かつてイルドラードに訪れた若干名の男爵兵たちが、訳知り顔で深く頷いた。
「……剣?」
「ロトの剣」
棘付き鉄球の付いた棒である、剣よりも鉄球とでも呼んだ方がそれらしい。
そんな会話をしている間も、時折に飛び掛かっては鉄球の餌食になる敗残兵。
「投降を呼びかけているのに、聞く耳持ってないなあ」
「もう理解するだけの知能も残ってないんですよ」
投降してきたのはまだ正気が残っている連中で、残りは狂人しか居ないと。
あるいは道端に転がる幾名かの様に、痙攣を続けやがて死に至る者。
石や壁に頭を打ち付けて死んでいる、つまりは自由意志で動けない物ばかり。
「何でこんな事になってんの」
問われた元騎士は、無言で首を振った。
「投降してきた人も、突然に泣き叫んだりポックリ死んだり」
「末期の者とその家族ばかりの陣でしたから」
疫病かなと、嫌そうな顔で零すジャルニートはロトの剣を振り返り血を払う。
そのままで手近な家屋の扉を突き開き、中に人が居ない事を ――
「…………羊の団子、だっけ」
人は、在った。
「あいつは、一体何を考えてッ」
肉と骨を挽き潰し、団子へと加工するための石臼が並ぶ。
悪臭の染み付いた部屋を無言で眺めるわずかな時間が過ぎれば、外が騒がしい。
そっと後ろ手に扉を閉め、場を後にする一行の前には玉座と信者が居る。
「あああ我が騎士、ちゃんと装備一式整えないと駄目ですわよッ」
出会い頭の発言に、ジャルニートが砂を飲み込んだ様な顔に成った。
「お姉さまも言っていたでしょう、血液を媒介に感染すると」
ちゃんと着ていたら、返り血ぐらいは自動で弾いてくれるという姫神に、
何ですかそのやたら高性能な装備一式はと、引きながら問う元騎士。
「先史の英雄、勇者ロトの扱いし伝説の装備たちですわ」
図らずも神代の昔にどこかの板が、弟妹たちに寝物語で語ったせいで
気が付けばロト三部作は神国で失われた史実扱いをされていた。
「異なる世界より訪れ、憎魔なる大魔王を討伐した勇者ロト」
神代末期に造られた、記憶消去のコストすら惜しんだ低コスト型量産兵士、
近年に遺物より造られたそれが、異世界人と認識されている一因である。
ちなみに滔々と語る後ろには、獣人や兵士に連行されて行くジャルニート。
「異なる世界、ですか」
元騎士が気になる単語を聞き留め、かつての主の言動を脳裏に思い描いた。
「王は、上の世界から落ちてきた方だったのかもしれない」
「つまり、ロトの末裔に討たれた竜の王と御同類ですわねッ」
どこかの板のせいで、情報伝達がわけのわからない方向に歪んでいく。
「しかし竜の王はただ1柱、私のアルムピアエールのみですわッ」
そして結論。
竜に住処に居ると謳われる、ドラゴン族の王もそのうちシバく。
天に指を衝き宣言する姫神が在り、周囲の信者は敬虔な表情で褒め称える。
「エミーラ様ッ」
「エミーラ様ッ」
「エミーラ様ッ」
何かごく自然に元騎士も礼賛集団に混ざっていた。
そんないつもの突発的祭祀が収まる頃、連行されていたジャルニートが帰還する。
光を纏うかの様な輝く布地で、膝が見える程度に短めのスカート。
柔らかい材質のそれは1着のドレスと成って鍛え上げられた肉体を包んでいる。
そして頭全体を覆い隠す目抜きの覆面と一体化したマント。
手には棘付き鉄球。
「……見るからに不審者なのですが」
「これを身に着けて戦ったロトの末裔は、真に勇者でしたのね」
元騎士と姫神が目を逸らしながら感想を述べた。
破壊の鉄球、光のドレス、オルテガの兜、もといロトシリーズである。
「いや無理に着せておいてその感想は無いでしょおおおおぉぉッ」
土と岩に囲まれた岩砂漠に、神殿戦士の嘆きが木霊した。