荷を積載した駱駝が連なり、岩砂漠の隙間を抜けていく。
赤毛の踊り子を連れた商人が獣人自治区に着いて目にした物は、
頭を抱える男爵と、頭を抱える皇女と、上機嫌なサヤラーンであった。
そっと厄介事から遠ざかろうとすれど、長毛の犬狼がお構いなしに絡む。
指し示された方角を見やれば、以前に訪れた時には無かったはずの断崖絶壁、
その狭間から見えるのは地平線、そしてそこまでに幾つか見える豊かな水流。
「今は開拓村ですが、この平野はいずれ都に成りますよ」
黒姫の神威たる岸壁に守られた獣神神殿予定地へと繋がる、獣神の神都。
「とりあえずは
後の時代に獣の聖都、テルバードと呼ばれる都市のはじまりであった。
とは言え、それは今では無い。
一夜にして岩山が失われ、土と水の露出した広大な平野を手に入れた自治区は、
早速にと開拓と区割りを進め、数多の獣人が作業に従事している。
どこか朗らかな彼らの視線は時折に厨屋に向き、何故かその度に尻尾が丸まる。
商人が視線を向ければ土竈と軍用の鉄竈、そして厨屋を覆う屋根と柱が在り。
その柱に、縄で繋がれている邪神が居た。
何か捏ねてる。
「何やってんですかアル様」
「慰霊の宴席料理作る合間の、菓子作りかな」
商人が問えば、いつも通りに気楽な神の言葉。
「とは言え動きにくいから、ちょっと縄を解いてくれるかな」
「これですか」
言われるままに神を柱に繋いでいる絆を持ち上げれば、横に居た剣士が口を開く。
「そこ、邪神の讒言に唆されて封印を解こうとするな」
「のぎゃー」
企みを防がれ断末魔を奏でる板神の有様に、そっと絆を元に戻す邪悪な商人。
「いや何やらかしたんです」
「ちょっと妹に豊かな平野を贈っただけなのに」
物は言い様であった。
それはともかくと、手持無沙汰なら手伝いたまへと誘い手を洗わせる調理神。
「えーと、形を整えれば良いのですねって何ですかこれ」
「すり鉢で潰した莎草芋を蜂蜜で煮詰めて、冷ました物」
莎草の芋、先史では蚊帳吊草とも呼ばれた植物の塊茎である。
別名にタイガーナッツとも呼ばれ、木の実の様な香ばしい香りと豊富な食物繊維、
ナッツの香りがして芋の味がするが食感はレタス、などと言われる謎植物である。
これをすり鉢で磨り潰し、蜂蜜と好みで果実油などを加え弱火で煮詰める。
冷やした物を成形すれば、木の実の香ばしさが漂う柔らかな蜂蜜鼈甲飴と化す。
保存食でもあり、貴重な甘味として宴席に使う菓子でもある。
大体は円錐状に成形するのが一般的ではあるが、縄目の模様や顔などを作り、
見た目にちょっとの変化を付けて遊んでいるのが、板神の厨屋。
「時々宴席で出ていたわね」
踊り子が菓子を丸めながら相方に言えば、商人は遠い目をして口を開く。
「宴席に出る時は、いつも緊張で味がわからない様な状況ばかりでしたから」
御労しい旦那の有様に苦笑いを零した踊り子が、ならはいと欠片を食べさせる。
「ザラリとした中に、無茶苦茶蜂蜜が濃いですね」
「煮詰めてるからねー」
成形が終わり、鉄皿に張り付いた飴をこそいで役得と洒落込む成形要員。
あらためて厨屋を見回せば、円錐的な形の菓子を並べていたのは白兎族、
他に数名の獣人に、馴染みの剣士と吟遊詩人の姿が在った。
「厨房で見かけるのは珍しいですね」
「そこの邪神も俺も、詩人に少し用があったからな」
「何かごく自然に邪神が定着しようとしている」
対話ついでに菓子作りを手伝っていたと語る。
資材と入れ違いで副王都へと戻る予定の吟遊詩人に対し、
もはや自分たちの事を歌うなと頼んでも無理があると諦め。
その代わりにと、幾つかの歌のネタを提供していたと。
「そう、可憐なる白き獣神キッタ・アビヤドを褒め称える歌を」
「何やらかしているのですか姉様」
そして甘い香りに誘われ訪れた獣神が、到着早々不穏な言葉に迎えられた。
「ついでに月光の賢者と黄昏の歌姫を称える歌もな」
「ちょと待とうかの、サフラ」
同じく誘われたハジャルとマルジャーンが、突然の酷い単語を耳にする。
企みが暴露されてしまった空間に、アルフライラとサフラは濁った眼で語った。
曰く、偽りの大神と紅玉の剣士が歌われまくってしまうのはどうしようも無い。
男爵と皇女への箔付けも在り、共に歌われるのはもはや不可避であると。
「ならば、数を揃えてひとつひとつの印象を薄めるしか無いよな」
瞳のハイライトが消えた剣士の言葉を契機に、吟遊詩人は脱兎の如く現場を離れ、
追いかけようとする巻き込まれ被害者たちの前に、立ち塞がるのは板の邪神。
「ふぅーはははぁもう遅い、お前たちもうたわれるものに成るのだあ」
言いながら縄が生物の様に蠢き、追撃者を絡めとる。
どこまでも濁り切った瞳は、まさに邪神の風格であった。
その膝の上にはいつのまにか獣神を寝かせ、喉元を撫でゴロゴロ言わせたり、
腰の後ろから太腿にかけぽんぽんと軽く叩いて悦ばせたりしている。
「くぅ、最大戦力が既に堕ちておるじゃとおッ」
「流石の猫好きねアルちゃん、猫の可愛がり方を熟知しているわ」
俄かに騒々しく成った厨屋を眺めながら、商人と踊り子は蜂蜜飴をこそぐ。
「この人たち、相変わらずですね」
「何か安心するわね」
やがて蜂蜜が無くなる頃には陽も傾き、広場に篝火が焚かれる。
―― そうさ獣人たちの通夜は陽気な物さ
吟遊詩人が賑やかな葬送歌を歌い、人は踊り、様々な食事に舌鼓を打つ。
―― さあさ踊れよ ぐるぐる回れ 故人の蔵開け酒を出せ
やけっぱちの様に歌い踊る獣人の群れは、やがて些細な事から殴り合いに発展し、
騒々しく奏でられた数多の打撃音の末には、敗者の中でただ1柱だけ立つ獣神の姿。
―― 呑み尽くすまでに起きてこい さもなきゃ全部呑んでやる
荒々しい葬送の中、久しぶりに謎ペーストから解放されて泣いている捕虜の横を、
作業用ハンドでガラガラと車輪付き鉄竈を移動させる板神の姿。
それを視界に入れた獣人は、揃って尻尾が丸まり太腿の間に隠している。
何とも言い難い空間で、賑やかさに呆れ半分な皇女が竈を問うた。
「牛の肋肉、骨付きの塊をひたすら焼いてみた」
塩を擦り込んで鉄皿に乗せて蓋つき竈で焼く、途中で染み出た脂に水を足し、
ついでに肉に汁を上から掛けながらさらに焼く、最後に野菜を放り込んで焼く。
野菜は玉葱や芋、様々な根菜を臭み消しの香辛料と果実油で和えた物。
皮を剥いただけ、雑に半分に切っただけ、そんな塊を肉と共に焼く。
「すると、だいたいこんな感じ」
「ほほお」
鉄竈の蓋を開け、凶悪なまでに強烈な肉と香辛料の香りが通夜の席を走る。
肋骨が手で取れるほどに肉は柔らかく、高温の蒸し焼きを強調している。
そして熱に固められた上部を作業用ハンドが押せば。
ばりばりばりと乾いた音がして、そのまま千切りとって皇女に渡された。
「外側は焼いた鳥皮の如くに破裂し、味は濃く、しかし中は極限に柔らかい」
本当に牛かコレと呆れた感想が零れれば、見ていた者が我先と肉に群がった。
「熱ッ、めっちゃ熱ッ」
「玉葱がカリカリしっとりって」
「やべえ、少し引っ張っただけで肉が剥がれ落ちる」
「芋ウマー」
再度の争乱が訪れ、幾度もの打撃音が響き続け、再度に獣神が全てを殴り倒す。
やがて酒が入り幾度もの争乱が訪れ、生傷だらけの生き残りが倒れ伏す夜。
アビヤドは途中で寝てしまったので、終盤には止める者が居なかったが故。
―― そうさ獣人たちの通夜は陽気な物さ
奏でられた歌の通り、戦後の夜は騒々しく過ぎていった。