姉気質の優しい幼馴染と、振り回される意気地なしな俺の話。   作:true177

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007 いたずらがらす

 定期的に提供される餌場を覚える程度に頭が回る鳥なのだから、障害物に衝突するのを回避しようとして旋回してくれると思っていた寿哉が馬鹿だった。怯むことなく、無鉄砲なカラスは親しい姉貴分に突撃したのだ。

 

 咄嗟に振り払おうとしたものの、遠近感で薄れていたスピードは思ったより速かった。寿哉が突入を阻止するより速く、未空が反応して振り返るよりも速く、カラスは髪の毛を掠めてあぜ道の上を飛んでいった。

 

「……カラス?」

 

 未空は、慌てて頭を抑え込んだ。罠に鳥はかかっていなかった。

 

 何も乗っていない人の頭を襲うということが、実際にあるのか。その答えは、目の前に出ていた。お団子を頂点でくくっていたのならエサと間違われることもあるだろうが、未空の髪は短髪でバッサリとしている。地平線の彼方まで、標的となりそうなものは存在していない。誠に不思議なものだ。

 

「未空、大丈夫?」

「……おかしいなあ、光ってるものなんか頭につけて無かったのに……」

 

 乱された髪を整えるついでに、ポリポリと頭を掻いている。襲われる心当たりはないらしい。短髪なのであまり変わっていないように見えるのは言っていいのだろうか。

 

 太陽光の反射で輝いていたというのは、一つの有力な説だ。きちんとシャンプー・リンスで手入れされているツヤがある黒髪は、よく光を反射する。短くてなだらかでなくとも、多少は跳ね返しそうだ。

 

 なだめる言葉を掛けようとして、寿哉は制止せざるを得なくなった。

 

「……カラスのいたずら、かな……? どうしてあげよう、かな……?」

 

 温厚で話が通っている未空なのだが、自然界でちょっかいを出していないのに自分をからかう者に対しては、熱くなり暴走しやすいというのは知られていない。セミの幼虫に手を噛まれても掘り返しているので文句を言わないが、いきなり体当たりしようとしてきた鹿にはカウンターで退散させる。狩猟人口が減ってきている日本には朗報かもしれない。

 

 ともかく、未空のやる気スイッチがオンになってしまったことは確かだ。

 

「……何もしてないのにいたずらするなんて、カラスさんも悪い子だね!」

 

 未空が指差すその先には、先刻頭上を通過したカラスがのうのうとあぜ道の交差地点でのんびりしていた。危害を加えておきながら、何という態度だ。現行犯逮捕して生物刑務所にでも送ってやりたい。

 

 自然は悠然と大股で構えているように見えて、実は厳しい掟がある。その内容は単純明快、『弱肉強食』だ。弱いものは淘汰され、強いものが生き残る。環境についていけなかった種は滅び、適応した種は生き残る。簡素なルールでありながら、効果は計り知れない。

 

 食物連鎖ピラミッドの頂点に立っているのは人間だが、道具を持たない生身の人間が自然界に放り出されれば、恐らく短時間で腹の中に収まってしまうだろう。人間の体は貧弱であり、その肉体を持つ精神でも立ち向かっていけないのだ。

 

 野生動物は、猟銃で脚を撃たれたくらいで倒れこむことはしない。痛みを耐え抜いて、その場を走り去る。生きるためには、命がけで天敵から離れることも必要不可欠だ。

 

「未空、落ち着いて……」

「待っててね、寿哉。すぐ、終わるからね?」

 

 暴走機関車となった未空は、目的を果たすまで留まることを知らない。本来丸腰の人間を恐れない野生生物も、スーパー本気モードに変身した彼女を見るや否や恐怖心を感じて逃げていくくらいなのだ。

 

 はみ出た水草で不明瞭なあぜ道を、バランスを崩すことなく駆け抜けていく。コンクリートで舗装されているわけでもない砂利道を、陸上トラックかのように草をかき分けていく。

 

 目標物に一分一秒でも早く食らいつかんとするその姿は、一瞬の勝負ですべてを決めるチーターそのものだ。持久力で草食動物に劣るチーターは、瞬発力で首元を掻っ切る。飛びたたれてはお話にならない未空も、それに倣って疾走している。

 

 ただならぬ音を感知した鈍感カラスが、えっちらおっちら重い腰を上げた。完全に未空を舐めてかかっている生意気な悪戯好きの迷惑な奴は、悠々と翼を羽ばたかせようとしていた。

 

「カラスさーん、自分だけ逃げようなんて、ダメじゃなーい?」

 

 そのカラスを、大きく飛び上がった未空がひっぱたいた。本人の思惑としては地面に叩き落したかったのだろうが、残念なことに推進力が勝っていた。冷や汗をかきはしただろうが、命を長らえたまま大空へ飛び上がっていった。

 

 慎重に未空の後を追いかけていた寿哉は、まだ中間地点にいた。濡れていて滑りやすい砂利道を運動靴で走破したのは奇跡だったのだろう。普通なら、足元をすくわれて泥にダイビングするのがオチになる。

 

 一命をとりとめた悪ガキが見えなくなっていくのを、未空はぼんやりと眺めていた。気持ちが切れてしまっているようで、今までの熱い気持ちは何処に行ってしまったのか捜索願を出したいところだ。

 

 ……カラスも、命知らずだなぁ……。

 

 今回はそうならなかったが、過去には鹿が負傷したり猪が罠に追い詰められて味噌汁に入れられたこともある。命が残っているかどうかは、運しだい。あのカラスは、たまたま助かっただけだ。次の保証はしない。

 

 靴に泥が付きながらも、ようやく未空のもとまでたどり着いた。相変わらず、未空は魂が抜けているようだった。

 

 時間経過で復活すると言えばするのだが、この田んぼの中に長居をしたくはない。こんな時にぴったりな、とっておきのおまじないがある。

 

「……未空お姉ちゃん、もう大丈夫だよ?」

 

 決して寿哉が幼児退行したわけではなく、『お姉ちゃん』と呼ぶことで未空の何かが揺れ動かされ、正気に戻る……ということらしい。メカニズムは全く分からず、未空本人にも解明できないようだ。心理的なことは、現代医療の力を借りても無理だろう。

 

 そしてこれは、一回行っただけで扉が開くようなオートロックを解除するものではない。

 

「……いたずらめ……」

 

 まだ、元に戻ってきていない。

 

 ……いつもやってることだから、悪く思わないでよ……。

 

 そう、これは毎度儀式のようにやっていること。元はと言えば暴走してしまう未空にも日はあるのだから、大人しく従っていてほしい。

 

 寿哉は、ぷくっと膨らんだ未空の耳たぶを押しのけて、

 

「みくおねーちゃん……?」

 

 懐かしの頃に戻った気分になる。活発に動き回っていて、しばしばくたびれた未空のそばをグルグル回っていたのは峠を越えた向こうだ。

 

 生命源を吹き込まれ、ようやくシステムの再起動が完了した模様だ。虚ろな目で何もなくなった大空を焦点付かずで見上げていたのが、じっと地面と平行を見るようになった。

 

「……いたずらがらす、今度は承知しないよ? ……寿哉、また暴走しちゃってたかな?」

 

 正常に戻っても、遊び半分でちょっかいをかけてきたカラスを許すつもりは毛ほども無いようだ。黒っぽい鳥を片っ端から絞めて台所に持っていきそうで怖い。

 

 ……それでも、元に戻ってきてよかった……。

 

 闘争モードに表演してしまった未空と遭遇する度に、もうこのままなのではないかと心配してしまう。鹿を返り討ちにしていた時など、崖下に突き落としたまま十分ほど突っ立っていて、天罰で案山子になってしまったのではとオロオロするくらいには心が居たくなる。

 

「……泥で靴が汚れちゃったね。一旦家に帰って、洗ってあげようか?」

「それぐらい、俺にもできますー!」

 

 内職のやり方がさっぱり分からない程、廃れてはいない。親が手伝うことも少なくなり自立していかなくてはならない御年十五歳、身の回りのことが一通りできずにどうやって寮生活をしていけると言うのか。

 

 虫が紛れ込んでズボンにくっつく隙を狙っているかもしれない草むらを、未空は何食わぬ顔で通り抜けていく。行きで開拓された道は、歩きやすそうだ。他のあぜ道はずっと緑に埋もれてばかりの中、寿哉たちが通った道だけが一線浮いている。

 

「……田植えって、泥だらけになりながら苗を植えていくんだよね……。私に出来るのかな?」

「慣れていくんじゃない、やってる内に」

 

 後継ぎとして任命されていれば、男も女も問わず農作業に回されていただろう。長靴を履いて水田に足を踏み入れ、体に手つきを覚えさせ、それを死ぬまで続ける。江戸時代からずっと続いてきた稲作も、各地で終焉を迎えようとしている。

 

 過去には、過去の可能性が。現在には、現在の可能性がある。将来夢見ている職業も、十年間で大きく変化した。従来のオーソドックスとされてきたものが下位に沈み、新興勢力が旋風を起こしている。

 

 崩れかかった栄光に土下座するよりも、自分で新しい功績を打ち立てる。古いものは自然に姿を消し、最新のものに塗り替えられていく今、それが重要なのではないだろうか。

 

「……よーし、家の前まで競争しよう! よーい……」

「待って、まだ田んぼから抜け出て……」

 

 一方的に号令を掛けられては、為す術がない。

 

「……スタート!」

 

 同じ空気を吸ってきた姉弟が、一直線の下り坂となっている未舗装道路を駆け出した。先行しているのが姉で、必死に後を追っているのが弟だ。

 

 寿哉にも未空にも、雲一つ見えなかった。

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