さて、ここで俺の転生先であるジェームスについて少し触れておこう。
ジェームスはミンチン女学院のコックである。メイド長のモーリーの夫で、作中のほとんどが料理をする姿しかない。たまに学院外から大きい荷物が届く時があるが、そういう重い物を運んだりする雑用をする事がある程度だ。
セーラに対する態度は、軽んじて見ている節はあるが、特に積極的にいじめに加担するような事はなく、比較的中立の立場だ。
ただ、ジェームスがセーラに依頼し忘れた食材をセーラの責任にした事があり、結果的にセーラはその日、雨の中2度の買い出しに行かねばならなかったエピソードもある。一方で、セーラの買い出しにベッキーが同行したいと言い出した時に、モーリーは拒否したが、ジェームスが許可を出し二人で買い出しに出かけた事もある。
一言でまとめると、クズ人間だが根っからの悪人ではないというのが、俺のジェームスに対する人物評だ。
さて、俺が厨房に行くと、そこにはセーラとベッキーがいた。ベッキーは食器を出し、セーラは
「おはよう、セーラ、ベッキー」
「おはようございますジェームスさん」
セーラは火入れ作業をしながらこちらを見上げて挨拶をする。俺はどうしたら良いか分からなかったが、まずは平静を装いながら自分の仕事をする事にした。いくらセーラを救いたいと思っていても、自分の仕事ができなければそれどころではない。まずはジェームスの役割をしっかり務めなければ。
俺は食糧庫を覗き、食材の確認をする。
よし、葉物でサラダを作り、余った食材で適当にトマトをベースにしたスープを作ろう。それにパンがあれば朝食は良いだろう。本当はタンパク質が欲しかったが、肉や玉子、ミルクがない。まあ、無い物は仕方がない。後で仕入れればいいだろう。
俺はサラダを仕上げ、それからスープを作り終えると一旦テーブルの方に置き直した。するとベッキーがサッと寄ってきた。
「あ、スープは私がお運びします」
大鍋に十数人分スープが入っており、非常に重い。以前セーラが持とうとした時に、鍋の熱さに掴む事もできなかった。それ以来、セーラに大鍋を運ばせないようにベッキーが率先して大鍋を運ぶようになっていた。
「いいよ、こいつは俺が運ぶ」
「えっ、ジェームスさんが!?」
「ああそうだ」
まあ、昨日まではずっと彼女たちに運ばせていたのだから驚くのも無理はないだろう。実際ベッキーは不思議そうな表情で俺を見つめていた。瞳からかなり困惑の色が感じ取れる。
「ベッキー、この厨房で一番腕力があるのは誰だと思う?」
「それは、ジェームスさんだと思いますけど…」
「一番の力持ちが一番重い物を運ぶ、当然の事だろう。それより食器にサラダにパンと、運ぶものはたくさんあるんだ。口よりも手を動かすんだ」
「はいジェームスさん」
セーラとベッキーは不思議に思いながらも、とにかく他の物品を運び始める。まあ、最初は動揺されても仕方ない。毎日やってればいずれ慣れるだろう。
生徒の朝食の準備を終えてから俺とモーリーも朝食を摂る。しかし、セーラとベッキーはその間も別の仕事があった。セーラは教室の掃除を行い、ベッキーは廊下の掃き掃除だ。
そして生徒の食事が終わると、今度はその食器を洗い始める。俺は特にやる事がなく、一日の献立と、仕入れる食材を書き出していた。
セーラとベッキーが食器を洗っていると、そこにモーリーがやって来て言った。
「ちょっと、まだそんな仕事してるのかい。この後は洗濯にシーツ交換にアイロンがけ。仕事は山ほどあるんだ。サッサとしておくれよ!」
するとセーラが申し訳なさそうにモーリーに言った。
「あの、モーリーさん、私たち昨日から何もいただいて(食事を食べて)ません。何かいただいてからではいけないでしょうか?」
「駄目に決まってるだろう。お前がモタモタしてるのが悪いんだ。食事が欲しいんならもっと要領よく働きな」
「はい、ごめんなさい」
セーラは悲しそうな顔をする。見ていられなくなった俺はすかさずセーラに近づいた。
「セーラ、ベッキー、食器洗いくらい俺がやっといてやるよ。お前たちはさっさと食事を済ませちまいな」
「ちょっとジェームス、食器洗いはセーラ達の仕事だろ。下手に甘やかすとこいつらが手抜きを覚えちまうよ!」
「俺はずっとこいつらの仕事ぶりを見てきたが、多少の要領の悪さはあっても、手を抜いてるところは一度も見た事がないな」
「それは私が目を光らせてるからだろ」
「だったら、もし本当に手抜き仕事をしたらその時は遠慮なく叱ってやればいい。俺は料理人だ、目の前に腹を減らしている子どもがいるなんて気分が悪いんだよ」
「ったく何だい突然。今日のあんた、朝からちょっと変だよ」
「変で結構だ。俺は俺のやりたいようにやらせてもらうぜ」
結局モーリーは呆れ顔でそのまま厨房を出て行った。
「ジェームスさん、ありがとうございます」
セーラは俺に対してペコリと頭を下げる。
「いいよいいよ、それより仕事は山積みなんだ。ここは任せてさっさと飯を食っちまいな」
俺は元気づけるつもりでセーラの肩をポンと叩く。肩に軽く触れただけだが俺はギョッとした。
「すまん、ちょっといいか?」
「えっ?」
俺はセーラの肩や背中を軽くポンポンと叩き、その肉付きを確認する。するとセーラの身体は骨と皮しかなかった。恐らくは完全な飢餓状態と言っていいのではないだろうか。
「あの、ジェームスさん?」
「ああ、すまん。何でもないんだ。早くご飯を食べな」
「はい、ジェームスさん」
院長やラビニアによるいじめ、それに業務内容の見直しや清潔保持など、問題は山積みだ。しかし最優先中の最優先で解決しなければならないのは栄養状態の改善であると確信した。
作中でも空腹のあまり、買い出しの途中で失神しかけて道路に侵入し馬車に轢かれかけたり、ついには倒れて買い物かごの中身を往来にぶち撒けてしまった事もある。
失神しないまでも、飢餓状態のセーラが20人分もの食材を持って歩くのは非常に過酷な労働だ。
ちなみに以前はベッキーが買い出しに行っていたが、計算が苦手でお釣りを誤魔化されてしまう事も多いようで、セーラが使用人になってからは専らセーラの仕事になっていた。
しかし、買い出しは負の面だけでなく、良い面もある。それはピーターとの交流だ。
没落前のセーラは自分専用の馬車があったのだが、その御者を務めていたのがピーターだ。ピーターは没落後、御者を解雇されてからもセーラを『お嬢様』と呼び、何かにつけてセーラの力になっている。
以前買い物の途中でセーラはお金を落として無くしてしまった事がある。しかしピーターがただ同然で必要な食材を仕入れ、事なきを得た事もあった。
このピーターとの交流はセーラにとっても大切な心の支えだ。これを無くすわけにはいかない。そこで、俺はセーラの買い出しに自分も同行する事に決めた。
午後の買い出しの時間、俺はセーラに言った。
「セーラ、今日から食材の仕入れは俺も行く」
「えっ、ジェームスさんが?」
「ああ。料理人として、ちゃんと自分で仕入れなきゃなと思ってな。でも俺は計算が苦手だからな、お釣りを間違えちまうかも知れねえ。だからセーラ、お前にも同行してもらいたい」
「はい、ジェームスさん」
そんな俺とセーラのやり取りを、モーリーは何も口を出さず、呆れ顔で見ていた。が、俺は何も気にせずセーラと出発した。
歩いて約20分ほどで街の市場に到着した。今回は釣銭管理の名分でセーラを買い出しに同行させたが、そもそも、セーラの案内がなければ俺は市場の場所すら分からなかったのだった。
最初に野菜を買おうと辺りを見てみると、そこにピーターがいた。ピーターは決まった職に就いている訳ではなく、日雇いで様々な仕事を手伝っていた。どうやら今日は野菜売り場を任されているようだった。
「あ、お嬢様ー!」
「ピーターこんにちは」
「お嬢様こんにちは。あ、それにジェームスさんも。ジェームスさんが一緒だなんて珍しいですね」
「よおピーター、元気そうだな」
「ええお陰様で。今日はどうしたんですか?」
「ああ、これからは俺も一緒に食材の仕入れをする事にしたんだ。まあ、セーラもお前に会えるのを楽しみにしてるみたいだからよ、お前の手が空いてる時には二人で会える時間も作ってやるよ」
「ええっ、いやあ、はっはっは…」
セーラが自分に会えるのが楽しみだという言葉が嬉しかったのか、ピーターは何やら照れ笑いを浮かべている。
「とにかく仕入れをさっさと済ませちまおう。品物を見せてくれ」
「あいよ、良い品揃ってるよ」
仕入れる食材は事前に決めておいたが、品物を実際に見て、献立を組み直した。そして安い品物中心に食材を購入する。
「ジェームスさん、予定の物と大分違いますが?」
「大丈夫だ。夕食はシチューにするつもりだったんだが、中の具材が少々変わるだけだ。こっちの食材の方が安い値段でたくさん仕入れられる。むしろ浮いた予算で少し多めに肉を買おう」
そうして俺とセーラはいつもとあまり変わらない予算で、いつもよりたくさんの仕入れをする事ができた。重い物は俺が持ち、セーラには玉子など軽い物を持ってもらう。
そもそも、予算自体もいつもより多い。というのも、どうやらモーリーが仕入れの予算を少しピンハネしていたようだ。
作中ではセーラから渡されたお釣りが予定よりも多かった時は、それをモーリーがポケットにしまい込むシーンがあった。恐らくは日常的に少額ながら買い物予算をモーリーが着服していると思われる。
自分で買い出しに行くと、こういうメリットもあるんだな。最初は重い荷物を持ってやろうと思っただけだったが、安く仕入れられる事は嬉しい誤算だった。これで賄い食ももっと豪勢になる。セーラの栄養不足問題も遠からず改善できるだろう。
そうして俺とセーラが帰ると、モーリーが怒気を含んだ険しい表情で厨房に立っていた。
「ジェームス、ちょっと二人で話がある。セーラはまだまだ仕事があるだろう、早くお行き」
「はい、モーリーさん」
そうしてセーラを厨房の外に追いやると、モーリーは俺に迫ってきた。
「あんた、今日はやたらセーラに優しいじゃないか」
「まあ、むしろこれが普通だ。そもそも今までが異常だったんだよ」
「本当かねえ。あの子、みすぼらしい恰好はしているけど、顔だけはいいからねえ。男ってそういうのに弱いんじゃないのかい?」
俺はすぐにピンと来た。そうか、モーリーのセーラに対する強い当たりは嫉妬が原因なのかも知れない。
そもそもモーリーは金持ちに対して強い嫉妬心を持っている。いくらセーラが他の金持ちと違って、誰に対しても分け隔てなく優しい心を持っていたとしても、モーリーはそれを知らない。使用人は生徒との接触を禁じられているからだ。
ただ、富豪の娘が没落して自分の手の内に落ちてきたとなって、日頃の鬱憤晴らしにセーラにキツく当たっているのだろう。それが見た目が可愛いとなったら尚更なのかも知れない。
ならばセーラの良い所をモーリーに説いた所で火に油を注ぐようなものだろう。ならば逆に、モーリーをとことん持ち上げてやろうじゃないか。こいつの承認欲求を満たしてやれば、案外嫉妬の炎が鳴りを潜めるかも知れない。
人間というものは内面が満たされて初めて外側に溢れ出すものだ。内面が満たされていない人間が、他人に優しくするなんて到底できる事ではないのだ。
「笑わせるな、俺があんな小娘にどうこう思う訳ないだろ。俺はお前みたいなグラマラスな大人の女性が好きなんだ」
ちょっと臭かっただろうか。正直、どんな距離感で接したらいいのかは俺もよく分からない。だが、意外にもモーリーの頬がちょっと赤らんでいる。もしかして上手い事いったのか?
「な、何だいいきなり。いきなりそんな、照れるじゃないか」
こいつ、きっと褒められ慣れてないのかも知れない。思ったよりチョロいのでは?
「お前にはいつも感謝してるよ。お前が頑張っているからこそ、この学院が成り立ってるんだ。はっきり言って、ミンチン院長がいなくなってもさほど困ることはないが、お前がいなくなったら学院はとんでもない大混乱になる。この学院を実質的に支えているのはお前なんだからな」
「そ、そうかい。まあ、そうだろうね。セーラもベッキーも私がいなきゃ何もできないし、あんたも料理しか能がないからね。まあ、分かってればいいんだよ」
「ああ、いつもありがとうな。愛してるぜモーリー」
怒っていたのもどこへやら。モーリーは鼻歌まじりに厨房を出て行った。マジでチョロかったな。それにしても意外に可愛げがあるじゃないか。
まあ、俺一人じゃセーラを救えないからな。この機会にモーリーも懐柔しておこう。これでセーラ達に対する風当たりも軟化すると良いのだが。
続く☆
おまけ☆
アニメ『小公女セーラ』の次回予告にて。
全てを失い、マリエット(専属メイド)も辞めなければならなくなりました。そして、想像もできない悲しい生活が私を待ち受けていたのです。
次回小公女セーラ『つらい仕事の日』。お楽しみに。
楽しみどころか、見たくないよ~(´;ω;`)
一日に2度のお使いをしなければならない私。冷たい雨の降りしきる中、私に襲い掛かった災難。
次回小公女セーラ『涙の中の悲しみ』。ご期待ください。
期待できる訳ないだろ~(´;ω;`)