のび太が犯罪者を裁き始めてから数カ月が経過する。のび太は順調に犯罪者の裁きを進めていた。その情報源はテレビとインターネット。
のび太はジャイアンとスネ夫の死亡事件の直後、両親に頼み込んで自分専用のスマホとテレビが欲しいと頼み込んだ。両親も、友達の死の淋しさを癒すためには必要だろうと判断し、のび太にそれらを買い与えたのだった。
犯罪者への裁きが始まった当初は、世界中がパニックに陥った。
原因不明の心臓麻痺。ICPO(インターポール)は緊急会議を開き、WHO(世界保健機関)は新種のパンデミックを疑った。だが、死んでいくのが「凶悪な犯罪者」に限られていることが判明すると、人々の恐怖は急速に「別の感情」へと変質していった。
インターネット上では、顔の見えない正義感たちが熱狂的に彼を支持し始めた。
『これこそが真の正義だ』
『こんなこと人間にできるハズがない、神が現れたんだ!』
『けしからん、もっとやれ!』
その一方で、人権団体や法学者はこの未曾有の事態に激しい危機感を露わにする。
『個人の主観で命を奪うなど、許されるはずがない。これは史上最悪の連続殺人だ』
『人の罪は法で裁くべきだ!』
教室でも街角でも議論は絶えなかった。誰もがその正体不明の存在を『キラ(キラー)』……すなわち殺人者と呼び、畏怖と羨望の入り混じった視線で、毎日スマホに流れてくる最新の死亡者リストをチェックする。
のび太の通う小学校でも、休み時間の話題はそれで持ちきりだった。
「キラってすごいよな、悪いやつを全滅させるつもりなんだぜ」
「でも、警察に捕まってないだけで悪いことしてる人なんて、いっぱいいるじゃない。そいつらは裁かないのかな?」
「逆に捕まってても、本当は間違いで、何も悪いことをしてない人だっているんでしょ?」
自分の机でじっと俯くのび太の耳には、それらの声がすべて『自分への告発』のように聞こえていた。救世主になりたかったはずなのに、みんなが口にするのは『殺人者キラ』。その不吉な響きが、のび太の繊細な心をじわじわと削り取っていく。
のび太は家に帰るとスマホ画面を見つめ、不満げに頬を膨らませる。
「ドラえもん、キラなんてひどいよ。これじゃまるでぼくが悪者みたいじゃないか」
「そうは言われてもねえ」
犯罪者を裁く行為はのび太にとっては人類全体の救済、あるいは自分自身の贖罪のためであった。その行き着いた先が『キラ』では不満が募るもの無理はない。
「ねえドラえもん。もっと他の呼び名に変えられないかなあ」
「ふうん、どんな名前だい?」
「うーんとねえ…。ねえ、何かない?」
ドラえもんに丸投げする姿勢に思わずずっこけてしまう。が、それでも結局のび太に代わって考えてしまうのはドラえもんの甘さだろうか。
「そうだねえ。いくつか思いついたよ」
「本当、教えて教えて」
「一つはジャスティス、正義って意味だね。続いてピース、これは平和って意味があるよ。お次にホープ、希望だね。最後はライト、光って意味だ。きみが目指してるのはこんな所だろ?」
のび太はちょっと考えてみる。今回聞いた中では『ライト』がすっと心に入って来た。
「そうだなあ、ぼくはライトがいいなあ」
「そうかい、じゃあこれからはきみはライトでいいか?」
「でもちょっと待ってドラえもん」
のび太は部屋の窓から外を眺める。空はどこまでも青く澄み、平和そのものの昼下がりが広がっていた。だが、その眩しさが今ののび太にはひどく毒々しく、刺さるように感じられた。
窓枠に切り取られたのび太の影だけが、真っ黒く畳に張り付いている。
外の光景に反して、のび太の心に罪の意識はまだ強く、暗い夜のようだった。それに、自分自身は陽の光の下に出る事ができない。ただ闇に紛れて犯罪者を裁くだけだ。
「うーん、光は光でも、ぼくの中のイメージは闇夜を照らす月の光のイメージかなあ」
「ふうん、そんなもんかねえ。それじゃあ、月の光でムーンライト?」
「それはそれで長いなあ。それなら、音はライトのままで、意味は月っていうのはどう?」
「つまり、月と書いてライトと読ませるって事?」
「そうそう、そんな感じ。それに月の光ってさ、自分で光ってるんじゃなくて、太陽の光を反射させてるだけだって聞いた事があるんだ。もしかしたら、ドラえもんの道具を借りて犯罪者を裁いてるぼくにピッタリかも知れない」
のび太がジャイアンとスネ夫の名前をデスノートに書こうとした時、ドラえもんは何度ものび太を止めた。今にして思うと、あの声は温かな太陽そのものだった。
ドラえもんにはぼくの太陽でいて欲しい。
ドラえもんがいてくれるからこそ、ぼくはまだこうして立っていられる。だから、ぼくは太陽の光を写す、月くらいがちょうどいいんだとのび太は思った。
「月でライトだなんて、なんだかへんてこりんでのび太くんらしいや」
「へんてこりんとは何さ、ぼくなりにちゃんと考えたんだぞ」
「ごめんごめん。うん、いいと思うよ
ドラえもんはのび太をじっと見つめながら言った。
「月にまつわる言葉には『
ドラえもんの忠告は、半分冗談のように響いたが、その瞳は笑っていなかった。
「いいよ、その時にはキミがデスノートにぼくの名前を書いてぼくを殺してよ」
「いいよ。もしきみが望むなら、いつでもぼくがきみを終わらせてあげる。ライトとしての痕跡ごと全てね」
ドラえもんの真剣な表情に、のび太は思わず後ずさる。もうすでに遊びでは済まない所まで来てしまった事を改めて実感した。
「ところで、ライトって決めたのはいいけど、これを世間に広めるなんて、何か方法があるの?」
「ああもちろん」
ドラえもんは腹のポケットから、一本の試験管を取り出した。
「流行性ネコシャクシビールス~!」
それを見てのび太はすぐにピンと来た。過去に一度使用した事があったためだ。
試験管の中のビールスに、自分の伝えたい事を話しながら培養して散布すると、その伝えたいことが世間一般に浸透するというものだった。ただし、効果は一過性で、わずか一日しか持続しないという脆弱性があった。
「ドラえもん。確かに効果はすごいけどさ、でもたった一日しかもたないじゃないか」
「だから、何日もかけて毎日散布するんだよ」
「毎日って何日くらい?」
「そうだね。一週間も散布すれば十分じゃないかな」
「たった一週間? そんな短期間じゃすぐ元に戻っちゃうんじゃないの?」
「大丈夫だよのび太くん、毎日どれだけの情報量が出回ってると思ってるんだい。紙の出版物やホームページ、ブログなどなど。それらを全てライトからキラに戻すのはどれだけ膨大な労力がかかると思う?」
「ええっ、そんな事分からないよ」
「それに出版物というのは、完成してから実際に世の中に出回るまでに何日もかかるんだ。だから、もしライトと呼称して原稿を書いた人が、やっぱりキラに戻したいと思っても、その記事はすでに印刷済み、あるいは配送済みになっているかも知れない。そしたらもう取り返しがつかないんだよ。だから、余計な損失を生みたくない人たちはたとえ内心キラだと思ったとしても、もうライトのままの方が良いと主張するしかないのさ」
「なるほどね。でも、紙媒体はともかく、インターネットなんかはもっと手軽に直せちゃうんじゃないの?」
「それも大丈夫だよ。のび太くんは語源がすごく気になったみたいだけど、一般大衆にとってはキラもライトも、ただの対象を識別するための記号でしかないんだ。一度浸透してしまった言葉は、普通はわざわざ変えようなんて思わないんだよ」
「そんなものかねえ」
のび太はまだ半信半疑だった。
「よし、それじゃあ一つ例えを出そうか。例えばほくの未来のアイテムを、未来道具とか、秘密道具って言ってるけどさ。道具の言葉の本来の意味って知ってる?」
「道具の本来の意味?」
「もう少し具体的に言うと、道具の『道』って何の道だと思う?」
のび太はちょっと考えてみる。が、全く何も閃かなかった。
「道具は道具なんじゃないの?」
「いいや、実は道具の道は、仏道を表してるんだ」
「仏道?」
「元々、仏教の修行僧が使用する仏具や法具などを指して道具って言ってたんだよ。それが一般大衆にいつのまにか広まったんだ」
「へえ、全然知らなかった」
「そういうもんさ。一度広まってしまった言葉は、みんなその中身なんてどうでもいいんだよ」
「なるほどね。それじゃ早速、ネコシャクシビールスの培養を始めようよ」
そうしてのび太はネコシャクシビールスをビーカーに垂らし、「犯罪者を裁いている、キラと呼ばれているものはライトだ。月と書いてライトだ」と話しかける。するとビールスはどんどん増殖し、ビーカーの中に一杯になった。のび太はそれを、窓を開けて中のビールスを街に向けて撒き散らす。
窓から放たれた目に見えないビールスは、穏やかな午後の風に乗って、下校途中の学生や、買い物袋を提げた主婦たちの間をすり抜けていく。
街のあちこちで「クシュン!」という小さなくしゃみが連鎖した。これはネコシャクシビールスに感染した証しである。それはまるで、世界という巨大なシステムが、音もなく静かにリブートを始めた合図のようであった。
「さて、どうなる?」
のび太は机の上に置いてあるテレビを点けて、適当にチャンネルを回す。すると民放の一つが生中継でキラに対する討論番組を行っていた。すると真剣な表情をして討論を行っているコメンテーターたちが、突然くしゃみをした。するとまるで操り人形の糸を付け替えられたように、突然キラの名称についての話題を始めた。
『ところで急に閃いたのですが、キラという呼び名は相応しくないと思いませんか?』
『ああ、実は私も全く同じことを考えていたんです』
『キラってキラーから来ているのでしょう。彼は犯罪者しか殺していないのだから、むしろ光じゃありませんか?』
『ああ、キラというよりライトの方がその本質に近いと思います』
『では我々はこれからキラではなくライトと呼称しよう』
番組のテロップが、生放送中にも拘わらずジジッというノイズと共に書き換わる。
【緊急特番:キラは悪か?】という文字が溶け、【緊急特番:ライトは神か?】という端正なフォントが浮かび上がった。
そうして、突如様々な有識者やインフルエンサーがキラをライトと呼び始めた。それはもちろん新聞や雑誌、様々な配布物にも印刷された。そうしてドラえもんの見立て通り、わずか数日切れ目なくビールスを散布した結果、すっかりとライトの名称が浸透したのだった。
シャッターが閉じられ、自然の光を完全に遮断した都内のホテルのスイートルーム。部屋を支配しているのは数十台のサーバーが吐き出す微かな熱気と、無数のモニターが放つ冷たく青白い光だけだった。
その光の渦の中心に、猫背の影が一つ。
男は椅子の座面に足を乗せて膝を抱える独特のスタイルで、目まぐるしく更新される世界中のトレンドワードの波を凝視していた。
指先でつまみ上げた角砂糖を、一つ、ひょいと口に放り込む。
「…15時44分、突如キラがライトに置き換わった。統計学的な揺らぎを無視した、あまりに急激な言語の遷移。これは自然な流行ではありません。意図的な『情報操作』だ」
その男は世界一の名探偵と呼び声の高い、L(エル)であった。Lは膝を抱えたまま、親指を咥える。
「心理学的な集団暗示、あるいは脳の神経伝達物質の操作……。いずれにせよ、月(ライト)はキラ本人が社会に浸透させたと考えるべきでしょう」
Lは濁りのない瞳で、無数のモニターから映し出される映像を追う。そこには『死の恐怖』に怯える獄中の犯罪者や、『得体の知れない多幸感』に包まれた民衆の姿が溢れていた。
「自然現象説、食中毒説、未知のウィルス説……。これまで様々な超自然的な仮説を検証してきましたが、一つ確かなことが見えました。この歪な現象の中心には『意志』がある。キラ、お前は人間だ。間違いなくこの世界に実在する」
Lは世間が「ライト」と呼び名を改める中で、あえて「キラ」の名称を捨てなかった。その鋭い洞察力は、この流行の背後に潜む、強制的な言語の書き換えへの嫌悪感を敏感に察知していた。
「それにしても、お前はライトと自称しながら、その心情風景は月なのか…」
Lはまるでのび太の心、その深淵を覗き込むように呟いた。
「だとすればキラ、お前は今、その強大な力の重みゆえに、今もきっと苦しんでいるはずだ。……ならば私がお前を救ってやる。法の裁きという名の、唯一無二の救済。キラ、お前を処刑台へ送ってやる」
Lは最後の一つ、最も歪な形の角砂糖を口の中に放り込む。カリリ、と乾いた咀嚼音が、静寂の中で大きく鳴り響いた。
続く☆
【制作こぼれ話】
ドラえもん✕デスノートのエピソード。開始時は3話完結の構想でした。
2話目はLが日本警察のキラ捜査本部とのやり取りから始めるつもりだったので、この2話目は丸々おまけのようなものです。
1話目を書き終わった後、のび太がキラ(キラー)と呼ばれて嬉しい訳がないと思い、じゃあ何と名乗るかと考えたら、本家主人公の月(ライト)だと熱いと思いました(更には、タイトルを見た読者様に本家主人公が出るのかとミスリードも誘える)。
じゃあ、それをどうやって広めるか。ネットで【世論 秘密道具】などで検索しても、そんな都合の良いアイテムがヒットせず、色々と調べてようやく見つけたのが『流行性ネコシャクシビールス』でした。
のび太がライトと名乗るまで、や、流行が世間に定着するまでの過程、リードタイムなど、つじつま合わせが自分の中で楽しくて、話が膨らみ過ぎてしまいました。本当は冒頭でちょっと触れるだけにするつもりが。それだけで1話分になってしてしまいました。