トリニティ総合学園庭園部へようこそ!   作:一生ホームアローンマン

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44話 決別

「セリナちゃん!」

「ヒフミちゃん、無事でしたか。良かった……」

 

 トリニティ救護騎士団医療棟。普段はそこまで忙しい空気のない場所なのだが、今は次から次へと怪我人が運び込まれ騒然としていた。

 さらには銃で撃たれた先生などという重傷患者まで運び込まれ、一時は本当にとんでもない修羅場だったのだ。

 

 幸い応急処置がきちんとされていたため一命は取り留め、容態も安定したところだった。

 これで一安心と息をついたところで、やってきたのがヒフミだ。再会を喜び手を取り合うのもそこそこに、情報交換に入る。

 

「実はアズサちゃんが行方不明で、こちらには……」

「いえ、来ていませんね。怪我をして運び込まれたということもないです」

 

 ミサイルの着弾以降、指導者層が軒並み倒れ、トリニティ・ゲヘナ両校の生徒は混乱の只中に置かれていた。

 あるものはこれがトリニティ(ゲヘナ)の仕業だと確信し攻撃を仕掛け、あるものは何もできずただ右往左往するばかり。

 

 そんな中、補習授業部の面々はいなくなってしまったアズサを探し続けたが、なんの甲斐もないまま時間だけが過ぎていた。

 そしてハナコはシスターフッドへ、コハルは正義実現委員会へと。それぞれの場所でできることをするべく、解散したばかりだった。

 

「そうですか……」

「力になれなくてすみません。今は、私はここを離れられないので……」

 

 当然だろう。混乱が収まる気配はまるで見えず、怪我人は増えるばかりなのだ。

 目を伏せるセリナに、ヒフミは首を振る。

 

「いえ、セリナちゃんもやるべきことを。アズサちゃんは私が探します」

「外に出るならどうかお気をつけて。とても普通の状態じゃありませんから……」

 

 止むことのない銃声・爆音。キヴォトスでは珍しいものでもない……とはいえ、こんな、ほとんど戦争のような状態になるのは滅多にあることではなかった。

 

「そうだ、郊外の方では果樹園が避難場所のようになっているそうです。もしかしたらそちらに居るかもしれません」

「果樹園、ですか?」

「ええ。距離がありますから詳しい情報は入ってこないのですが……古い、神聖な場所ですから。オバケも入れないのかもしれませんね」

 

 普段意識されることは少ないが、歴史的には破壊された古聖堂よりさらに古い聖地だった。

 だが、それよりは……もしかしたらあの子がまた何か一枚噛んでいるのでは。そんな不吉な予感。

 

「ワカナちゃんとは……」

「連絡は全然取れていません。こういう時大人しくしている子じゃないですし、戦えば目立つはずですが……そういう話も聞きません」

 

 嫌な予感が、さらに。善良で優しい子だとよく知っている。

 だがそれ以上に感情的で衝動的で、いざとなれば後先考えずに走り出してしまう所があるのも知っていた。

 

「安全な果樹園で、警備に徹しているというなら良いのですが……」

「……ワカナちゃんも、見つけたら連絡を入れますね」

 

 ゲヘナを燃やそうと、大きな翼を震わせながら笑って、半ば本気で言っていたあの夜を思い出す。

 まさか、まさかとは思うが……。そうならば止めなければ。流石に冗談では済まない。

 

「お願いします。……ワカナちゃんもアズサちゃんも、どれだけ怪我をしていたとしても、連れ戻してくれれば必ず治しますから」

「セリナちゃんのお世話にならないのが一番ですけどね」

 

 あはは……といつもの苦笑い。それはそうです、とセリナちゃんも少し笑う。

 余裕はない。全くない。けれど、きっとどうにかなるとヒフミは思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのままあてもなくアズサを探し続けるヒフミのもとへ届いたのは一通のメッセージ。

 通信不安定な中、かろうじてたどりついたのだろうそれは短く、動物の名前と集合場所の座標に時間。

 

「アズサちゃん……!」

 

 通信では本名を明かさないものだと、コードネームで呼びあって。モモトークではちょくちょくスパイ映画のような遊びをしていた。

 毎回変わる動物の名前はまさに適当で、小さな楽しみだった。

 

 こんな時でなければ、いつもの日常の一コマ。穏やかな、優しい便り。

 それがなんでだろう。どうしてこんなにも焦燥を呼び起こすのか。

 

「早く、行かないと……!」

 

 日も暮れかけた中、ヒフミは走り出した。

 そこらに使っていない戦車でもあればちょっと拝借したのだが、あいにくと見つからない。ただただがむしゃらに息を切らせて走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全ては虚しい それが真実だと、これほど胸に突き刺さったことはない。

 サオリのヘイローを破壊する(をころす)

 

 血も涙もない敵であればよかった。ずっとずっと怒り狂っている、裏切った私を許さない、あの表情の通りの悪党であればよかった。

 

 でも、そうでないことを知っている。冷たく、厳しく、ただ恐ろしい。そんな人ではなかった。

 酷く歪められていたけれど、家族だった。暖かなものが確かにそこにあった。

 

 母のような、姉のような、師。そういう人を殺す。

 そんな罪人が日の当たる世界に生きる人たちと一緒にはいられない。

 だから、お別れだ。

 

「アズサちゃん、私です、どこにいるんですか……? アズサちゃん……答えてください、アズサちゃん……!」

 

 大切な大切な友達。

 きっと顔を合わせたりするべきじゃない。決意が、鈍ってしまうかもしれない。

 でも、せめて別れの挨拶くらいはしたかった。

 

「……ヒフミ」

「アズサちゃん、今までどこに……。学園は今、大騒ぎで……」

「……うん、知ってる」

 

 この優しい友人の日常は、守られなければならない。

 アリウスの使う奇妙な兵隊はアズサを攻撃しなかった。まだ、自分はアリウスの一員でもあるのだ。

 

「アズサちゃん……?」

「これを、誰かが止めなくちゃならない」

 

 今、何が起きているのか。事件の首謀者以外で最も正確に理解しているのは自分のはずだ。

 そして首謀者(アリウススクワッド)の一味である自分が、自分だけがきっと事態を収められる。

 

「それは、どういう……どうしてそんな顔で……。アズサちゃん……!」

 

「来ないで!!」

 

 駆け寄ろうとするヒフミに叫び、留める。

 触れられたら、抱きしめられたら、きっとダメになってしまう。

 

「……ありがとう、ヒフミ。でもここまでだ。ここから先に来ちゃいけない。ここから先は、私の居場所。ヒフミみたいな善良な人はこれ以上来ちゃいけないんだ」

「あ、アズサちゃん……? 何の、何のお話ですか……? 私じゃ何がダメなんですか……?」

 

 唇をわななかせ、力なく首を振るヒフミ。ああ、そんな顔をさせたくなんてなかった。

 でも、だからこそ、はっきりと告げなければ。これから消える私を……嫌って、忘れて、元の暖かい場所に戻ってもらわなくちゃいけない。

 

「人殺し」

 

「……!」

「人殺しになった私は、もう友達ではいられないだろう?」

 

 銃弾の一発で人が死なないこの世界では、人殺しは容易いことではない。

 もののはずみで人が死んでしまう、なんてことは本当に滅多にあることではない。だからこそ命は重い。とても。

 

 人を殺すには念入りに、殺意を持って、徹底的にやらなければならない。

 そんなことができる人間に、笑って暮らせる幸せな未来などあるはずがない。

 

「だ、だって……! だって、アズサちゃんはそんな……」

「私はこれから、人を殺す」

 

 決意を持って、殺意を持って。サオリを殺す。

 ハッピーエンドのない世界で、それでも、せめてもの救いが私以外の誰かにあるように。

 

「それが当たり前の場所で、それが当たり前だと教わり、それが当たり前みたいに動けるように訓練された存在……。それが、本当の私」

「アズサ、ちゃん……?」

 

 血の気が引いた頬に、理解を拒む色ばかりが浮かぶ。

 始めから違う世界に生きていた。それがただ元に戻るだけ。ただ、それだけだ。

 滲む視界を隠すため、ガスマスクを眼前にかざす。

 

「……ヒフミ。私を友達だと思ってくれてありがとう。“アズサちゃん”って呼んでくれてありがとう。可愛いぬいぐるみをくれて、ありがとう。ピクニックも、海も全部、本当に楽しかった……。可愛いものが、綺麗なものが、知らないものがたくさんあるってことを教えてくれた」

 

 マスクの影で涙を拭い……せめて最後に見せるのは、笑顔で。

 

「学ぶことは、本当に楽しいことだった。……これまでの時間は、死んでも忘れない。少しでも、補習授業部の生徒でいられて良かった……」

 

 微笑んで、最後にヒフミの顔を目に焼き付けて。

 絶望と、困惑と……そんな悲しい色ばかりで、また涙が零れそうになるのをこらえて、駆けた。

 

「アズサ、ちゃん……。きっと他に方法が……せ、先生が、みんなが……。だってまだ、一緒に遊びに行く約束も……」

 

 こちらを追う足音を振り切って。

 

「アズサちゃん……ダメです、行かないで……待ってください、アズサちゃん……」

 

 足をもつれさせ、へたり込む気配をなんとか無視して。

 

「アズサちゃんっ!!!!」

 

 息を切らせながら叫ぶ声に、心臓を掴まれるような痛みを感じながら。

 一番の友達と、暖かな日常と、決別した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 獣の遠吠えのような、それでいて不自然で、不快で、不吉な叫びが響く。

 アンブロジウス。巨大な人型のナニカが、黒いベールを纏い、人間のフリをしているような……。

 

「あれが“戦術兵器”か。ただの化け物だな」

「ケルビムちゃんとは随分違いますねえ……」

 

 “戦略兵器”の方は見た目には普通の生徒と変わらなかった。こちらもそうかと思っていたが実物を見れば全く違うようだった。

 茫洋と立ち尽くし、時折思い出したように咆哮をあげる。理性のあるもののようには見えない。

 

 ケルビムの方も理性はやや怪しかったが、一応きちんと会話は成り立っていたか。

 兵器としては、こちらの方が使い勝手が良さそうだが。

 

 トリニティの廃墟群の一角。次の作戦行動に移るため、サオリたちは仮の拠点としていた廃ビルに戻っていた。

 トリニティとゲヘナの争いは小競り合いというには少々派手だが、最善である全面抗争には未だ至っていない。更に混乱を広げ、止めを刺してやる必要がある。

 

「まあいい。使えるのだろう?」

 

 人形から説明を聞いたらしいアツコがハンドサインで伝えてくる。

 とりあえず一般生徒を圧倒する程度には強い*1。ユスティナ聖徒会ほどすぐには無理だが、倒されても少々時間を置けば復活する、ということらしい。

 

「よし、待機中の部隊へ連絡を。これよりトリニティへの進撃を……」

「……リーダー?」

 

 怪訝そうな顔をするミサキを手で制する。

 

 違和感。

 ごく僅かなものだが、それに気づくかどうかが生死をわける。そんな感覚。

 

「私たちがここを空けていたのは、どれくらいだ?」

「え、えっと、3時間くらいですね……」

 

 探し出し、仕掛け、潜む。潤沢とは言えないだろうが、十分な時間。

 一時拠点で小休止、気を抜いた瞬間。やるならば、今、ここだ。

 

「っ! 走れッ!」

 

 アツコの手を引き、駆け出す。ヒヨリは目を白黒させるばかりでついてこず、ミサキも危機感への反応が鈍い。

 間に合わない。

 部屋を飛び出し、アツコを抱えて階段に飛び込む。

 

 爆音の連鎖。地鳴りのような響き。耳鳴りで感覚が鈍る。

 

「フロアまるごと、爆破したか。やってくれる……!」

 

 ダメ押しとばかりに投げ込まれ、転がった手榴弾を蹴り返し、爆発に紛れ銀の髪が翻り物陰に消えるのを見る。

 アズサ。自身の教え子。

 

 体躯や膂力の問題から、同じように白兵戦をするのは向かないと思った。

 だから、工夫を教えた。己よりも強いものを狩る術を。そして、やるならば徹底的にと。

 

 ヒヨリとミサキはダメだ。上階は大量の瓦礫に埋もれている。掘り出せば動けるだろうが、今そんな事をしている余裕はない。

 複製(ミメシス)は使えない。アリウスの生徒(アズサ)への攻撃命令は、そのまま自分たちへの攻撃命令となる可能性がある。戒律の守護者の力は強大だが、さほど融通を利かせてくれるようなものではない。

 

「私がやるしかないというわけだ」

 

 だが、アズサの戦い方も考え方も自身が教えたもの。手の内は全て分かっている。

 

「姫、援護を頼む」

 

 腕の中から離れたアツコが頷く。特に怪我もないようだ。

 追加の手榴弾を空中で撃ち落とし、対処しきれないものは遮蔽でカバー。

 

 階段から先の廊下をクリアリング。白い羽が曲がり角に消える。

 露骨な誘いだ。

 

 散発的な銃撃。わかりやすいブービートラップに、その影に隠れた致命的で非常に巧妙な罠。

 すべて踏み潰し食い破って進むような強さは流石に持っていない。だからじっくりと、丁寧に。一つずつ対処していく。

 

 作戦の遅延は憂慮すべきだが、アズサの狙いはこちらを動揺させ、隙を突くこと。

 そうでなければ勝てないと知っているから。

 

 お手本通りのトラップ群……ではない。私を倒すため、私の知らないであろうやり方を。知恵を絞り、工夫をこらした跡が見える。

 だが、それでもまだこちらが上を行く。

 

 ハンドサインでアツコに指示し回り込ませる。仮の拠点とはいえ地形の把握は済んでいる。

 先手を取られはしたが、急場で焦って駆け回っただろうアズサよりも有利な点。

 

 確実に、追い詰める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「チェックメイトだ、アズサ」

「……くっ」

 

 銃撃で削り、駆け回らせ、トラップを逆用し。疲弊したアズサはついに倒れた。

 アズサの額に、アサルトライフルの銃口を突きつける。

 

「……お前にしては良くやった。だが、無駄な抵抗だ」

「いつから……?」

「なんだ?」

 

 恨み言でも、憎まれ口でもなく、アズサの口から出たのは問いかけ。

 

「いつからアリウスは巡航ミサイルなんて物を? それにいつの間にあんな不思議な力を操れるようになったんだ? ……“ヘイローを壊す爆弾”も」

 

 いつから、いつからだろうか。確かに、いつの間にか不可思議なものたちが身の回りに増えていったようにも思う。

 だが、それは重要だろうか。

 

「……何が人を“人殺し”にすると思う?」

 

 普通の人間と、人殺しの罪人を決定的に分けるモノ。

 

「それは“殺意”の有無」

 

 アズサの表情が歪む。そうだろう。お前はずっと、私たちとは、私とは違った。

 すべて諦めて易きに流れるような子ではなかった。甘くて、優しくて、誰よりも強い。だからこそ、こうして負けたんだ。

 

「経典に出てくる最初の“人殺し”は、たった一つの石ころで人を殺めたそうだ。……ミサイルやら何やらは単なる道具。それ以上でも以下でもないさ」

「もう一度聞く。“いつから”だ?」

 

 アズサの紫水晶(アメジスト)の瞳がこちらを射抜く。

 ああ、この目だ。理不尽に抗うことを決してやめない、強い目線。私に向けられることはこれまで多くなかったけれど。

 

「その恨み、私はあの時ただあそこで“習った”だけだ。……その恨みは、一体誰の───」

「虚しい」

 

 言いたいことは分かるさ。

 巨大な流れに木の葉のように翻弄され、ただ与えられた憎しみに身を浸し、他者を傷つけている。

 

 愚かで、醜いものに見えるのだろう。

 だが、それを自覚したところでどうだというのだ? 

 この地獄から私たちを引き上げてくれる正義の味方(ヒーロー)でも存在するとでも? 

 

「弱いな、アズサ。その弱さがお前を縛り付けているんだ」

 

 強く、正しいお前は私たちを置いて、あるべき場所(ハッピーエンド)へ向かうのだろうか。

 それは、そんなことは……あまりにも。

 

「そう、こんな状況でも離そうとしないその人形のように」

「っ!」

 

 奇妙な、白い……メガネをかけたカバのような。

 先程も見たし……補習授業部の友人から、何かの記念で受け取った大切な品らしいと、報告のどこかにちらりと書かれていたように思う。

 

「初めてのお友達がくれたプレゼント、か?」

 

 アズサに、仲間たちに、こんな風に大事にされるような何かを渡せたことがあっただろうか。

 

「虚しいな」

「ぐっ」

 

 アズサを撃つ。

 

「虚しい、虚しい、虚しい、虚しい、虚しい、虚しい、虚しい、虚しい、虚しい、虚しい、虚しい、虚しい、虚しい、虚しい、虚しい、虚しい、虚しい、虚しい」

「あぁぁっ!?」

 

 撃ち、撃ち、撃ち続ける。

 ……なぜ私はこんなことをしているのだろう。

 

 撃つ、撃つ、撃つ。

 怒りか、憎しみか、悲しみか、それ以外の何かか。自分でも理解できない激情にただただ突き動かされて。

 

 妙に冷静な頭のどこかが、傷つけ過ぎないようにと必死で止めて。大人しくさせるだけなら、もっと効率がいい方法があるだろうと苦言を呈し。

 しかし止められなかった。空薬莢が転がる音ばかりが響き、アズサのうめき声も聞こえなくなるまでずっと。

 

「……虚しいな、アズサ。友情か……ならばその無駄で虚しいものから壊してやろう。たしかヒフミ、だったか?」

 

 腕を引かれる。横目に見れば姫、アツコがふるふると首を振っている。

 挟み撃ちにし、アズサを上手く誘導してくれた彼女が戻ってきたのだ。

 

「心配しなくても、手加減はしている。こいつのことなら、よく分かって───」

 

 アツコに話しかけ、気をそらした瞬間。体を捻り起き上がったアズサは、信じられないような速さで駆け去った。

 今までなら、私が知っているあの子なら絶対に起き上がれないだけのダメージを与えたはずなのに。

 

「アズサッ! また逃げるのか!!」

 

 自身の知らない何かがアズサを、限界を超えて突き動かしている。その事実に酷く苛立ちが募った。

 追いかけようとしたが、袖を掴んでいるアツコを突き飛ばしてまで走る気にもなれず。銀の髪がなびいて消えるのをただ見送ることになった。

 

「……まあ、いいさ。どうせあいつはまたやって来る」

 

 首を傾げるアツコに、床から白いぬいぐるみを拾い上げて見せる。

 

「なにせ、この大事な“友情の証”とやらを落としていってしまったからな。……あいつは必ずこれを取り戻しに来るだろう」

 

 それは何かと、ハンドサインで問いかけるアツコに答える。

 アズサの、大事な大事な宝物。

 

「闇の中で光を見つけた虫は、もうそれ無しでは生きられない。こんなつまらない物が、アズサの心を支える(きぼう)なんだろう」

 

 本音を言えば、今すぐにも床に叩きつけ、踏み潰して、めちゃめちゃにしてしまいたい。

 だが、理性が押し止める。誘き寄せるための餌になる……だけではない。

 

 あの子にも、友だちができたのだ。

 

 子供の心はそれを大いに憎み、わずかながらもある大人の部分は、それを祝福すべきと言っていた。

 結局何もできないまま、ただ、少し強くぬいぐるみを握りしめる。

 

「……?」

 

 そんな思いが、アズサを甘く幼い子供と侮る心が。致命的に感覚を鈍らせた。

 違和感。

 

 もっとずっと早くに気づくべきだったそれ。

 反射的に腰のナイフを手に取り、ぬいぐるみの腹を割く。

 

 完全なる悪手。迷わず投げ捨て身を伏せるべきだった。

 奇妙なカバの腹綿の中から顔をのぞかせたのは、見覚えのあるもの。セイア襲撃に際してアズサに渡した“ヘイロー破壊爆弾”*2

 

「逃げろ、姫っ……!!!」

 

 アツコを突き飛ばそうとした腕が逆に絡め取られ、押し倒される。

 手放したぬいぐるみが宙に放り出され、不気味に輝くのが舞い踊る紫の髪越しに見えた。

 爆発と、衝撃。……致命的な何かが、自身に覆いかぶさったアツコの体に叩きつけられたのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………。うっ、ううっ……」

 

 どことも知れぬ路地裏のゴミ捨て場。ずっと厚い雲がかかっていた空から、ついにしとしとと細かい霧雨が降りはじめていた。

 

「ごめん、ヒフミ……ごめん……」

 

 うずくまり、膝を抱える。大切な、大切なお祝いの品。学ぶ楽しさを知った今の自分にふさわしいと言ってくれた、大事な友人からの贈り物。

 暖かく優しい世界に生きることを許された、象徴だった。

 

「私は……もうこれで、二度と……うっ、ううっ……」

 

 それを、“人殺しの道具”にした。

 ヒフミの笑顔を思い出す。皆良い点がとれたと、心の底から喜んで、祝福してくれた。

 そんなものを、使った。最低最悪の裏切り。

 

「ごめん、ごめん、みんな……うっうぅぅ……!! ああぁっ……!!!」

 

 

 涙が溢れて止まらない。サオリを、自分のすべてを超える相手を確実に仕留めるにはこれしかなかった。侮りを利用し、不意をつく。

 果たしてそれは上手くいったようだが、同時に証明でもあった。

 

 “人殺し”に明るい日向は相応しくない。

 覚悟していたはずなのに、それでもいいと決意したはずなのに。全身が引き裂かれるように痛かった。

*1
ストーリー中では疲弊していたとは言え、補習授業部とヒナツルギイオリハスミなど10人くらいで集団リンチして倒しているので結構厄介なやつだった模様。範囲攻撃が強烈なので任務でも低レベル進行だとなかなか強敵である。

*2
原理不明の生徒を殺害することが可能とされる爆弾。キヴォトスの生徒にとってヘイローが砕けることは死を意味するが、ヘイローに干渉することは基本的に不可能。この爆弾はそれを可能にするようだ。先生には効果がないらしいのでどうも概念的な兵器のようである。




原作中で一番シリアスなとこでした。キヴォトスにおける殺人の意味と重さを提示し、その価値観が共有されてるのを見れるところでもあります。2章のミカのとこでもやりましたがエデン条約中でずっと通して大きなテーマとしてあるとこですよね罪と罰。

今まで銀行強盗銃撃爆弾わっはっは~!みたいな感じだったとこに急にぶっ刺してくるのでやられた先生方も多いでしょう。作者もやられたのでしんどいですがやっておくことに。

先生は間違えてもやり直せるしそうじゃなきゃいけないという実に教育者な結論を出しましたが、ワカナちゃんは知らねーよバカ俺の好き嫌いだけで考えるわいという身も蓋もないアレなのでちょっとどうかという感じなんですが、結論は結論なので最終的にそこに向かう問題提起として再び。

次回ヒフミさんのブルアカ宣言ですがヒフミさんも極論すると知らねーよバカなので似たもの友達……というかブルアカ宣言でエデン条約編いいなブルアカいいなみたいなのが決定的になった気はするのでワカナちゃんにその影響があるのはある意味当然なのかも。
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