鏡の中の愛 作:鏡の国のアリス
皆さんのお陰でここまで来れたよ。ありがとう
「う~ん……ちょっと不安だな」
「なにが?」
本日の収録が終わり各々が帰り支度を進める中、リオンが小さく呟いた。
そのまま虚空に溶けていくと思われた言葉は、隣にいたフリルの耳に届いていたらしい。黒髪の美少女は小さく首を傾げた。
「いや…焦ってるなあ、と思ってさ」
そう言う彼の視線の先には、共演者である黒川あかねの姿があった。リオンの視線を追い、フリルは彼が何を言わんとしているか理解した。
「確かに、今日の収録はいつもと違ってたかも。前のめりだったよね」
︎︎「ああ」
本日の収録の際、あかねは必死に前に出て、何とか目立とうと足搔いていた。しかし、あまり結果は芳しくないだろう。
この番組は既に、各人の立ち位置が確定しているといってもいい。番組の中心人物は決まっているし、カップリングも出来上がりつつある。
そんな中で今まで目立っていなかった人間が目立とうとするのは難易度が高く、生半可な方法では不可能と言ってもいい。
考えられる手段としては、アクアのような大立ち回りを演じるか、自らにヘイトが向くのを承知でヒールを演じるか、圧倒的な才能で他を捻じ伏せるか……どれを取っても容易な方法ではない。
普通の方法じゃ無理だというのは彼女自身も分かっているようで、今回の収録では色々と試してはいたものの、効果的な手は打てずに空回り。
そのせいもあって、あかねは自らの焦燥を隠しきれないほどに追い詰められているようだった。
「焦りで視野が狭くなってるな。だから、自分の短所で無理な勝負を仕掛けてる。大方、事務所から何か言われたんだろ」
「そうだね。……どうするの?」
フリルに問われたリオンは、頭を搔きながら答える。
「どうするって言われてもな…今アドバイスしても良い方向に進むとは限らないし…」
あかねの精神状態を鑑みると、今アドバイスをするのは得策ではない。
彼女は今、自分に自信がなくなってしまっている。そんな中、リオンやフリルといった人気のある人間がアドバイスをしてしまうと、それが100%正しいと思い込み、そのまま実行してしまう可能性がある。
臨機応変を求められる恋愛リアリティショーにおいて、他人の言葉に自らの行動を全て委ねるのはリスクが高い。アドバイスが完璧に正しくて、アドバイス通りに完璧に動けるなら話は別かもしれないが、そんなことは不可能だ。
そもそも、他人の言葉を鵜吞みにし、身を委ねたところで上手くいくわけがない。結局、また失敗してしまい、更にメンタルにダメージが入る。
かといって、アクアにした時のように煽るのもあかねには逆効果だろう。故にリオンは行動を起こさない、が……。
「けどまあ、俺以外から何か言われる可能性もあるしなぁ」
「たしかに。どうしよっか」
リオンが何も言わなかったとしても、他の人間から何かを言われる可能性はある。例えば……事務所の人間や番組のスタッフ等だ。
そうなると、リオンではどうしようもない。精々できることと言えば…。
「何か起きないようにフォローするくらいしかできないかな」
「それしかないかぁ。じゃ頑張って、リオン」
︎︎「おめえも頑張んだよ」
杞憂だといいが…と心の中で呟いたリオンは再びあかねに視線を向ける。
あかねは熱心にメモ帳と睨めっこしており、その姿が益々リオンの不安を大きくしていった。
ーーー
焦燥に駆られたあかねは、番組に自らの爪痕を残すため、ゆきからノブユキを奪う悪女として振舞うことを決めた。
しかし、この選択はあかねの意思で行ったものではなく、番組のディレクターに言われるがまま流された結果だ。
あかね本人はこんな立ち回りをしたいとは思っていないし、自分に向いてるとも思っていない。そもそも、どういう風に動けばいいかも分かっていない。
ただ、何をすればいいか分からなかったから、ディレクターの言葉に自分の意思を委ねた。
そんな人に言われて決めたような中途半端な立ち回りが上手くいくわけがないし、人気を獲得できるはずもない。
むしろ、あかねの中途半端な立ち回りは人気になるどころか、SNS等で批判の的になっていた。
『あかねとかいうやつ、今更でしゃばってくんなよ』
『あかね?刹那で忘れちゃった』
『あかねOUTして男メンツ入れて〜!』
SNS上の心無い言葉があかねの心を痛めつけ、更に余裕を無くしていく。
それ故に、他の選択肢を取ることが出来ず、ただただディレクターも言葉を盲信し、下手くそな立ち回りを繰り返す。
ただ、この悪女ムーヴも、自分で考え自分の意志で決めた動きだったなら、ここまで酷くはならなかっただろう。他人の言葉を頼りにし、考えることを止めた結果がこれだ。
彼女の動きには芯が無く、強い意志も無い。ただ他人の言葉に従う人形。
上手くいくわけがないのは、誰の目から見ても明らかだった。
「あかね、最近焦ってる?」
「え?」
今ガチの収録前。
あかねにネイルアートを施していたゆきが、徐に口を開いた。
︎︎「番組も終盤だし、気持ちは分かるけどね」
︎︎「別にそんなんじゃ…」
︎︎図星を突かれたあかねは、頬に汗を流しながら答えた。
︎︎焦っているというのは、あかね自身も分かっている。しかし、焦らないといけない理由が彼女にはある。
︎︎あかねは小さな声で、私は結果を残したいだけだと零した。それに対し、ゆきはネイルアートに使うハートをピンセットで掴んで言う。
︎︎「私は自分の立場を譲る気は無いよ。悪く思わないでね」
︎︎撮影がスタートした。
︎︎あかねは何とか爪痕を、存在感を残そうと、必死で立ち回る。ゆきを巡る三角関係を構成する一角であるケンゴに積極的に話しかけ、必死で自分をアピールする。
︎︎しかし、あかねの会話はたどたどしく、テンポが良くない。それ故に、横から飛んできた小悪魔に持ち場を奪われる。
︎︎「ね、ケンゴくん!あっちにでっかいラブラドールいた!」
「まじで!?」
「見に行こ!」
ゆきがケンゴの手を取り、そのまま2人でその場を立ち去ろうとする。
その時、あかねの中で何かが弾けた。
「やめてよ!」
反射的に口から言葉を放ち、手を思いっきり振る。振るわれた手は、ゆきの頬へと向かっていき……頬に当たる直前で、唐突に動きを止めた。
「えっ?」
自らの腕の動きが止まった。否、誰かに腕を掴まれた。
閉じていた瞼を上げると、目の前に蜂蜜色の髪をなびかせる美青年の姿が見えた。
「あかね」
目の前にいたのは、真剣な表情を見せるアクア。彼はあかねの華奢な手首をがっちりと掴んだまま、彼女の名を呼んだ。
あかねだけでなく、すぐそばにいたゆきとケンゴも動きを止める中、再びアクアが声を発する。
「落ち着け」
「え、アクア…くん?……っ!」
諭すような声を聞き、あかねは漸く冷静さを取り戻した。アクアから視線を外し、自らの指先へと目線を向け、息を飲んだ。
あかねの指先を彩る、収録前に施してもらったネイルアート。鋭く尖った煌びやかな先端が、あと数cmでゆきの頬へと食い込もうとしていたのだ。
「え…あっ、ちが…わたし…そんなつもり……っ!」
あかねは空いている手で口元を覆い、目じりに涙を浮かべる。
もし、アクアが止めていなかったらどうなっていたか。きっと、あかねの爪はゆきの頬を容赦なく切り裂いていただろう。
︎︎それを想像しただけで、あかねの全身に怖気が走り、正常な思考を飛ばす。
「あかね、落ち着け。大丈夫だ。…ゆきも怪我はないか?」
「う、うん。私は平気だよ」
「ごめ、ゆき…私…!」
「あかね!」
未だにパニックに陥っているあかねを、ゆきは優しく抱きしめる。彼女は優しく…けれど力強く、あかねの心に響くように言葉を紡いでいく。
「大丈夫!私は怪我してないよ。わかってる、焦っちゃったんだよね?皆の期待に応えようとして向いてないことしちゃって、分からなくなっちゃったんでしょ?」
ゆきの言葉に、あかねは頬に涙を伝わせながら頷いた。その様子を見ていたアクアは、額に冷や汗を流しながら溜息を吐く。
近くにいるであろう、憎たらしい笑みを浮かべる親友の姿を思い描きながら。
ーーー
数十分前。
ゆきがあかねにネイルアートを施していた頃、アクアとリオンはスタジオの端に2人きりでいた。
「で、どうした?話があるんだろ」
口を開いたアクアの視線の先には、今までにないほど真剣な表情を見せるリオンがいた。そこに普段の飄々とした様子は微塵も感じられない。
リオンはその表情を崩さず、静かに告げる。
「黒川さん、最近焦ってるだろ」
「そうだな」
話題に出たのは、共演者である黒川あかね。リオンの言葉通り、彼女が最近焦っているのはアクアも感じ取っていた。
「あれはあんまり良くない焦り方だ。自分を見失ってる」
そう告げるリオンの瞳には、有無を言わさぬ迫力が感じられる。そしてそれは、対面するアクアが最も強く感じていた。
「多分今日、何か問題が起きる」
「おま、何を…」
何を言ってんだよ、と続けようとしたアクアは口を噤んだ。
なんの根拠もないリオンの発言。だがアクアは、本当にそうなるかもしれないと思ってしまった。…いや、リオンが放つ迫力にそう思わされた。
「…起こるって、何が?」
アクアは質問を変え、何が起こるのかを問う。しかし、この問いにリオンは首を横に振った。
「そこまでは分からない。だからアクア、1つ頼みがある」
「…頼み?」
何やら面倒事の予感がしたが、それだけで幼馴染の頼みを無視するほど、アクアは人情を捨ててはいない。若干渋い顔になりながらではあるが、続きを促す。
「黒川さんが何かヤバいことになりそうだったら止めてほしい」
少しアバウトな頼み事ではあったが、無理難題でもなければアクアにデメリットがあるわけではない。それに万が一、共演者に問題が起きればアクアとしても寝覚めが悪い。断る理由は特になかったので、頼みを引き受けることにした。
アクアは了承の返事を送ると同時に、1つ気になることを聞き返した。
「…別にいいが、なんで俺に頼む?」
「俺とフリルも同じように動くけど、ずっと黒川さんの傍にいれるわけじゃない。人数は多い方がいい」
リオンはニヤリと憎たらしい笑みを浮かべて、言葉を続ける。
「それに…お前は結構信用できるからな」
ーーー
「ほら、とりあえず飲めよ」
「うん…ありがとう」
学校を模したスタジオの比較的隅にある教室の中で、アクアは椅子に座るあかねにペットボトルの水を手渡した。あかねは少し疲れた様子を見せており、緩慢な動きでペットボトルの蓋を開け、中の水を喉に流し込む。
「少しは落ち着いたか」
「うん…その、さっきは…止めてくれてありがとう…」
ペットボトルの水を半分ほど飲み干し、あかねはアクアに向けて礼を言う。
実際にあかねを止めたのはアクアだが、それもリオンの言葉があったからだ。もし、リオンがいなかったなら。もし、リオンが何も言っていなかったら。今頃、あかねは大切な友人に傷をつけていただろう。
そういう訳で、自分だけ礼を言われるのは少し嫌だったので、アクアは事の顛末を正直に話すことにした。
「気にすんな。元はリオンの頼みだしな」
「…リオンくんの?」
「ああ。あかねが焦ってて心配だから、何かあったら止めてくれって」
「そっか。私、みんなに心配かけてたんだね…」
あかねは小さく呟き、膝を抱えて俯いた。勝手に焦って慣れないことをして、色んな人に心配をかけた挙句、友人を傷つけそうになった。その事実がどうしようもなく情けなく、自分が嫌いになりそうだった。
あかねの瞳から大粒の雫が流れ、地面へと落ちていく。目の前で少女が泣いているのを見たアクアの右手は、自然と彼女の頭へと添えられていた。
「え…」
「あ」
アクアとあかねの口から、ほぼ同時に声が漏れた。
無意識に彼女の頭を撫でてしまったのが何故か、アクアも分からなかった。
周囲にカメラマンはいないが、各教室には定点カメラが設置されている。この様子もまず間違いなく撮影されているだろう。しかし、1度撫でてしまった手前、もう引っ込みはつかない。
腹を括ったアクアは、あかねの頭を撫でながら優しい声音で語りかける。
「……あかねが頑張ってたのは俺も見てた。あかねが努力家なのは俺も、リオンも、ゆきも…メンバー皆が知ってる。だから、今回のは気にすんな。気を取り直して頑張ろうぜ」
「う…うわあああああん!」
アクアの優しい声が響いたのか、あかねは涙を隠そうともせず、声を上げて泣き始めた。
あかねの嗚咽を聴きながら、アクアは優しい手つきで頭を撫で続ける。青みがかった濡羽色の髪の毛を慈しむように撫でていると、不意に控え室の扉が開かれる。
「あかね!大丈…夫…?」
扉から姿を現したのは、アクアとあかね以外の今ガチメンバー。もれなく全員揃って扉の前に立っており、室内を見て目を丸くしていた。
控え室の中には、嗚咽を上げて泣きじゃくるあかねと、彼女の頭を優しく撫でるアクア。そんな様子を見て最初に声を上げたのは、おもしれー女代表の不知火フリルだった。
「アクアさんが…黒川さんを泣かせた!?」
言ってることは間違っていないのだが、どこか語弊があるように聞こえる発言だった。
アクアは空いている手で思わず頭を抱え、大きな溜息を吐いた。
あかねちゃんが炎上するのは心が苦しいので今回は炎上しません。
さすがリオンさん!そこに痺れる憧れるゥ!