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僕の好きだった人は、夜中に車どころか人っ子一人居なくても赤信号は律儀に守る人だった。
もちろん、それが彼女の好い所全てという訳では無い。彼女は凡そ周りの人間に優しかったし、努力家で頭が良かった。一方で勉強を面倒だと嫌味でなく本気で言いつつ、やめることは無かった。
時々、本当に数えるくらいしかないが、嫌な友達について相談されたことがある。僕はその度に面倒に感じるなら関係を切ってしまえばいいと提案したのだけれど、結局彼女が時間経過以外でそうした所は見た事がない。
僕にはその2つが同じ事のように思える。
或いは学生時代、僕は誘いをよく断られたけれど、断り文句はいつもめんどくさいだとか眠い、寒い。人が多いから嫌だなんて言う事もあった。
普通はもう少し建前だとか多少の嘘を交えるものだと思う。他人にはそこまで直截的な物言いをする人じゃ無かったから、僕だけだったかもしれない。でも僕はそれを彼女なりの誠実さだと受け取った。彼女は少なくとも僕に嘘や建前を使う事は無いと。
希望的観測、もしくは狂信だという人もいるだろう。
とにかく僕はその事が他の何よりも美しく思えて、その美しさを守りたいと思った。
それが信仰なのか恋慕なのか、それとも両方なのかわからないまま、教義のように彼女を真似した。僕が赤信号を渡ることは無いだろう。今までも、そしてこれからも。
でもきっと、目の前で点滅し始めた信号を渡るようになるんだと思う。それは例えば予定に間に合いそうになかったり、あるいはもっと単純に寒くて早く帰りたかったりで。
言い換えればそう、きっと僕は少しだけ自己中心的になる。彼女が行動基準の全てで外付け良心だった10年から、外から見れば大きな変化では無いけれど僕にとってそれは全然違う事だ。
それでももちろん、彼女への信仰を無くした訳じゃない。彼女の善性を信仰して、その美しさが変わってしまう事が堪らなく悲しいと嘆いて、それならばいっそ見えない遠くの夜空で太陽よりも明るく輝いていることを自分だけが信じられれば良いと思っていた。僕だけのピストルスター。
現実にするにはあまりにも押し付けがましかったし、自分で諦めるにはあまりに時間が経ちすぎていた。
これからはもう彼女は外付け良心では無い。10年間で培った僕の中の理想像が勝手にその役を果たすだろう。そして僕はそれを信仰し、自分の中の事だからとたまに裏切ってみたりするんだろう。
そしてその事に現実の彼女は一切関係が無い。変わってゆく神体を見続ける事と、二度とそれを目にしないと誓う事、いったいどちらが不幸だっただろう? 今となってはもう分からない事だ。
信仰と恋慕の狭間で苦悩する事に甘美な背徳感はあったけれど、あまりおすすめはできない。どちらを選ぶ事になっても悲しいし、なにより信仰を捨てる事にならなくて幸運だったな、なんて僕以外の誰にも思って欲しくは無いからだ。
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認知的不協和、言ってしまえばこれはすっぱいブドウの話だ。僕は彼女を恨みたくも嫌いたくもない。だからそう思う事で自分を納得させているんだと思う。
ピストルスター:地球からはとても弱い光しか見えないけれど実際には遠く離れていて光が届かないだけで太陽よりも何倍も何倍も明るい恒星。