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冬場でも無いのにハンドクリームを取り出した彼は、私の不躾な視線に気が付いたのか、口調とは裏腹に丁寧な手つきで赤みを隠すように塗りたくりながら答えた。
「肌が弱いんだよ、生まれつき。親父が酒だの煙草だので生きてる人間だからな。そのせいらしい。ついでに集中力の欠如も親譲りだ」
「なるほどね」
「お前も似たようなものだろう、それはどうなんだ?」
「うちは養子だから、遺伝とか分からないや」
「ハ、そうだったな」
彼は嘲るように、しかしどこか寂しそうに笑った。運が良かっただけの自分を自嘲している、そんなふうに感じた。
「それで恨んだ事は無い。俺にとっては生まれた時からそうだったし、それをおかしな事だと思う前に当たり前になってしまった。……尤も、それは血が繋がっていたからであって、お前がどうかは知らんがな」
生まれながらにして背負わされている業、原罪。かつて神の園で禁じられた果実を口にした原初のヒト。人類は未だその罪を背負い続けてなお繁栄している。
いつか人間が智慧によって不死となった時、もはや神ですら救えないだろう。
「じゃあ……どうして人間は嫌いなの?」
いけない、私にも彼と同じきらいがある。自分の中で完結した問いを投げかけてしまった。しかし訂正しようとした口を開きかけた私よりも先に彼は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「智慧の実を食べたにしては人類は愚かすぎる。あまりにも浅はかで醜悪だ、いったいどれだけの人間が他人の為に生きている?」
人類は愚かだ、が彼の口癖だった。それを言った彼の目に冗談の色は浮かんでいない。
しかし細い縄の上でなんとかバランスを取ろうとしているかのように、彼はこう付け加えた。
「もちろん、俺自身もな」
尊大な物言いのくせにやたらと自嘲的なのだこの男は。いや、自罰的というべきだろうか。
失言をした後に自分の頬をいきなり引っぱたく所など見飽きてしまったくらいだ。あれには最初ぎょっとしたものだ。
何をしているのかと尋ねれば「怒られた」とぼんやり呟いた後に、子供のように素直に頭を下げるのだった。
人格分裂、防衛機制のようなものだろうか。あるいはそのようなポーズを取らなければ、その尊大な自尊心は自身を許さないのかもしれない。それとも――これは最も穿った想像だが――自らの手で先んじて罰を与える事で、他人に罰される事を防いでいるのかもしれなかった。
当たっているかもしれないし、全くの見当違いかもしれない。全ては私の想像に過ぎない――そう考えた所で私の意識は目の前の現実へと戻った。
「ん? ああ、戻ったか」
「……ごめん、また飛んでた」
彼は私を一瞥すると慣れたものだとでもいうように手を振り、いつの間にか運ばれてきていたチョコレートケーキを食べ始めた。
繊細な手つきでフィルムを剥がし綺麗に4等分に畳む。小さく切り分けたケーキを口に運び、ミルク混じりのアールグレイを楚々として啜る。
言動のギャップがおかしくて、ついそれに見入ってしまう。前から思っていたが妙なところで上品だ。
「育ち良いわよね、あんたって」
そう言うと彼はフォークを咥えながら不思議そうに頭を捻った。
「そうか? まあ躾が無かったと言えば嘘になるが別に作法にうるさかったわけでは……どちらかといえば今は上品であろうと思って上品でいるからな、育ちとはちと違うかもしれん」
「実存主義? ご大層な事ね」
反射的に皮肉った。きっと真っ当な育ち方が羨ましかったからだ。そんな私の胸中を知ってか知らずか口を開く。
「そうかもな。だが俺もそれなりの我慢を強いられている、たとえば……このフィルムについたクリームを舐められなかったりな」
名残惜しそうな目でクリームの残ったフィルムを見つめる。いつの間にかケーキは綺麗に無くなっていた。
「それは……つらいわね」
たしかに、上品もなかなか考えものだ。
なんとなく反抗したくなった私は、自分の注文したショートケーキのフィルムをできる限り丁寧に剥がし、少し考えて裏についたクリームをフォークで削ぎ取った。
……甘い。
角がズレながらフィルムを畳んでいると得心したような呟きが聞こえた。
「なるほど、それなら許されるか……?」
こんな事でそんな難しい顔をするのはやめて欲しい、アホ男。
「まあお前はお前の生きたいように生きるといい、それは誰に止められる謂れも無いとも」
「……そうね」
真面目腐った台詞に、私はなんだかバカバカしくなって、いつもは最後までとっておく苺にフォークを突き刺した。
◇
自分の持っていない、けれど可能性のあった不幸を一体どうして切り捨てられるだろうか。