ネアンデルタール人の見た景色   作:彼岸花ノ丘

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見慣れた光景

 部屋の中に、目覚ましの音が響く。

 喧しい、というほどの大きさではない。けれども七時間たっぷりと睡眠を取った彼女の意識を覚醒させるには、十分な音量だ。

 布団の中に寝包まる彼女は、まだあどけなさの残る少女だった。身長は百五十五センチ。十六歳という年頃からするとやや低めだが、不健康や障害を疑うほどではない。身体はやや細身ながら、こちらも痩せ過ぎではなく、極めて健康的な体躯をしている。胸が平坦なのも栄養不足が原因ではなく体質だ……とは、この少女は認めていないが。

 顔立ちは可愛らしいが、特別愛嬌がある訳でもない。彫刻のように整っている事もなく、万人を虜にするほどでもない。極々普通の十六歳の少女だ。

 

「んっ……んん……」

 

 少女は布団の中でもぞもぞと動き、身体も目覚めさせる。起き上がり、布団の中から出ると、それだけで部屋の中に鳴り響いていた音はぴたりと止む。

 一旦身体を起こせば、二度寝の衝動もなくパチリと目が冴える。少女は自室を、ぐるりと見渡した。

 部屋の中は、真っ白な壁に覆われていた。

 新築の病室のように清潔で、埃どころか染みも殆ど見られない。洋服タンスやクローゼットも、新品同然の綺麗さをしている。本棚にはたくさんの本が並び、タンスの上には可愛らしい小物も置かれていた。部屋の隅にはテレビとパソコンもあるが、これらも新品のように綺麗だった。洗面台もあり、室内で身支度全てが行える構造となっている。

 窓からは初夏の日差しが入り込み、部屋の中を照らす。本来陽光は明るさだけではなく暑さも届けてくるが……部屋の中はそこまで暑くない。何故なら部屋に設置されたエアコンが、少女にとって過ごしやすい室温に調整しているからだ。

 部屋の明かりは点いていないが、それは今が日の差し込む時間帯だから。昼を過ぎ、日差しが入らなくなれば自動的に点灯する。夜十時を過ぎれば、『申請』しない限り消灯も自動的にされる。

 そして朝食も、自動的に配膳される。

 少女が目を覚まし、洗面台で顔を洗い終えてしばし一休みしていると、部屋の壁の一部がぱかりと開く。奥からは大きめのトレーと、その上に乗せられた食器が出てきた。

 食器の中には、朝食に相応しいメニューが並ぶ。

 食パンが一枚とスクランブルエッグとソーセージ、それと野菜スープ……パンは既製品だが、他はいずれも見た目と香りが非常に食欲をそそる。

 出てきた朝食を少女は受け取り、部屋の中心にあるテーブルへと運ぶ。席に座り、姿勢を正す。

 

「いただきます」

 

 それから一言、作り手と食材に感謝を伝えて、朝食を食べ始めた。

 朝食はどれも非常に美味だ。パンはふっくらとしており、スクランブルエッグも彼女好みのやや半熟寄り。野菜スープも少し薄めの味付けで、朝食には丁度良い。少女の舌は大変満足しており、いくらでも食べられそうな気持ちになる。

 とはいえがっついて食べる事はしない。ゆっくり、味わうように、しっかり噛んでから飲み込む。急いで食べれば五分で片付く食事を、二十分ほど掛けて堪能した。

 食べ終わった後の食器は、部屋の隅にある『投入口』に入れる。投入口の先は緩やかな坂道になっていて、食器類はここを滑るように下っていく。この先がどうなっているのか、少女はよく知らない。

 

「ふぅ……」

 

 食器を片付け、歯ブラシをし、寝間着からセーラー服へと着替えたら、少女はベッドに腰掛けた。小さな息を付きつつ、しばしぼんやりと過ごす。暇を持て余したらテレビを付け、ニュース番組やバラエティを眺める。

 部屋には時計が掛けられていて、その針が『九時』を示すまで自由に過ごす。

 九時になった瞬間、部屋にある扉がノックされた。

 

「はーい。どうぞー」

 

 入室を許すと扉は開かれ、二人の女性が入ってきた。

 女性達はいずれも二十代後半ぐらいの顔立ちをしている。体格は大人の女性としてはやや小柄であるが、少女よりは少し高いぐらい。

 その服装はスーツ姿で、女性達が仕事として此処を訪れているのが分かる。

 

「アローナさん。学習の時間です。学習室まで移動してください」

 

 女性達は少女――――アローナにそう指示してくる。

 指示する声は人間のものだが、感情の起伏に乏しい……極めて機械的なもの。

 当然だろう。それは機械音声なのだから。女性達が被っている、カチューシャ状のヘッドセットから出ているものだ。

 

「ええ、分かったわ」

 

 アローナは指示に従い立ち上がる。女性達と共に扉を出て、長い廊下を歩く。

 本当に、とても長い廊下だ。廊下の左右には幾つも扉があり、何処までも続いていく。学習室は廊下の突き当りにあり、徒歩三分は掛かる。

 その三分の道のりで、アローナは女性達に尋ねた。

 

「そう言えば、先日出した外出申請は通ったのかしら? ちょっと遠出だから、もしかして無理?」

 

「いいえ、現時点では問題なく処理されています」

 

「あ、そうなのね。でもその割に、許可されましたーって話全然返ってこないけど」

 

「警備体制の準備に、少し時間を取られています。遠出ですから、ルートや警戒シチュエーションがとても多いので」

 

「……守られる私が言うのも難だけど、ちょっと過剰過ぎやしない? 警戒も何もちょっと町の外で自然を満喫するだけなんだし、別に『乱獲』なんかもされないわよ。あなた達の中に、そんな異常者がいるとも思えないし」

 

「ゼロではない以上、警戒は必要です。何より危険なのは人間だけではありません」

 

「そうですよー。今は自然の回復に伴い、大型動物も数が増えているんです。油断したら、ぱくーって食べられちゃいますよ」

 

 アローナの意見をさらりと否定する女性達。一人は如何にも事務的に、もう一人は同年代の友達のように、アローナを窘めた。その言葉に「そうだけどー」とアローナは同意しつつも不満を表す。

 同時に、胸の奥底で思う。

 異常者がいる可能性はゼロではない? よく言えたものだ、そんな奴がいれば()()()()()()()()()()()

 心の奥底から湧き出す負の感情。自分の心の狭さか、或いは醜悪さか、それともこれは()()()()()()。兎も角薄汚れているように感じる感情に、ため息を吐きたくなる……アローナは自分の気持ちに自己嫌悪していたが、学習室に辿り着いたところで気持ちを切り替えた。

 今は勉強の時間だ。勉強せずとも暮らしに困る心配はなく、この学習が役立つ時は来ないかも知れない。だが無知でいるよりは、有識でありたいとアローナは思う。その方が豊かで幸福な生活が送れる筈であり、何よりそうでなくては、自分がどうしようもないほど馬鹿では自分に連なる全ての祖先に申し訳ない。

 何故ならアローナはこの地球にいる最後のヒト。

 今や絶滅が確定したヒトという種の、たった一人の生き残りなのだから――――

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