——と、
「…——あんパンっ」
いきなり古河が声を張り上げた。
「っ!?」
俺は思わず
それは、最初の出会いの時、ここで古河が自分を奮い立たせる為にやってたおまじないだった。
頑張った自分へのご褒美を口にする事で自分を励まし、前に進む勇気を出す為に。
そして、古河は俺に目を向けると、意を決して口を開いた。
「あの、昨日の夜。穂積くんから電話があったんです」
「……そうかよ」
息を呑んだ俺は、それを吐き出すように言った。
やっぱりさっさと立ち去れば良かったと後悔しながら。
「それでわたし、穂積くんにこの間の答えを——」
聞きたくなかった。こいつが誰と付き合おうと俺には関係ない筈なのに、何故だかこいつの口から、はっきりとそれを聞くのが怖かった。
「——言おうとしたんですけど、その前にフラれてしまいました」
「はぁ!?」
一瞬、古河が何を言ったのか理解できずに唖然となった俺は、えへへと笑う古河をまじまじと見返した。
「フラれたって、あいつから付き合ってくれって言ったんじゃないのかよ」
「はい、だから穂積くんに、この間の話は無かった事にしてくれって言われまして」
と、古河はふっと、その時の会話を思い起こすように遠い目をした。
『ゴメン古河、この間の話無かった事にしてくれないか』
『え?』
『俺、ホントはあんな事言うつもりなかったんだ。最初から古河がなんて答えるか分かってたから』
『………』
『古河が高校の話すると、何時の間にかこの間一緒にいた岡崎って奴の話になって、そいつの話をする古河すごく嬉しそうだった。——俺三年間ずっと見てきて、そんな楽しそうな古河見たの初めてだったから、ちょっとそいつの事が
『穂積くん……』
『だからあの時、俺木の陰にそいつが居るの気付いて、ついあんな事言ってしまったんだ。そいつが羨ましくて意地悪したくなってさ』
『………』
『本当にゴメン。あいつにも古河から謝っておいてくれないか。でも古河が好きだってのはホントだから』
と、つい長々とその時の会話を思い出していた古河は、ハッとして俺を見た。
「そうです。穂積くんが岡崎さんに謝っておいてくれって言ってました」
「あいつが俺に?」
電話の内容を知らない俺は思いっ切り顔を
あんな奴に訳も分からず謝られるなんて気味が悪い。
「はい、穂積くん、これから受験勉強で忙しくなるので、もう会えないだろうって」
「受験って、あいつ大学生なんだろ?」
「辞めるんだそうです。元々自分が行きたかった学部じゃなかったらしくて。でも、浪人するのが嫌で滑り止めで受けた今の大学へ入ったんですけど、ダブっても高校で頑張る私を見て、自分ももう一度頑張ろうって気になったんだそうです」
そう言って古河はにっこりと微笑んだ。
「これも、みんな岡崎さんのお蔭です」
「なっ、何言ってんだよ。俺は何も——」
「わたしが今まで頑張ってこられたのは、岡崎さんがいつも傍に居てくれて、励ましたり、背中を押してくれたからです」
慌てて言い返す俺の言葉を遮り、古河はきっぱりと言った。
「そんなわたしを見て穂積くんが頑張ろうとしてるなら、それはやっぱり岡崎さんのお蔭だと思います」
「………」
——本人前にして、どうしてこいつはこんな赤面モノの
余りの恥ずかしさに俺が何も言えないでいると、古河は俺から視線を
「——わたし、岡崎さんのお蔭で、杏ちゃんや椋ちゃんやことみちゃんや、他にもこの学校で話のできる人ができました。でも、それでも岡崎さんには傍に居て欲しいです。たとえこれから先、もっとたくさんの友達ができたとしてもです」
「……こんな不良の俺が傍にいたら、迷惑だろ」
「そんなこと無いです。わたしにとって岡崎さんはとてもいい人です。こんなわたしに声を掛けて、力を貸してくださった人ですから」
「………」
——ああ、そうだ。他人の評価なんかに左右されず、自分の目と心で見て感じた事をただ信じる。こいつはそういう奴だった。それだから俺は、こいつの傍らに居られたんだ。
でも、こいつに友達や彼氏ができた今、俺の役目は終わってしまった。だったら後は潔く身を引くべきだと思ったんだ。所詮不良の俺と真面目なこいつでは余りにも違いすぎる。互いに相容れない者同士なんだから——と。
なのにそんな俺が、今更こいつに甘えるなんて虫の良すぎる話だ。
けど、もしもう一度こいつの傍に、俺が俺で居られるあの心穏やかな場所に戻る事ができるなら、それはなんて贅沢な事だろう。
「…——本当にいいのか、俺なんかが傍に居て」
「はい、居て欲しいです。何時までもずっと。岡崎さんが嫌でなかったら」
その言葉が嬉しくて、俺は思わず古河の頭に手を乗せた。
「じゃあ居てやるよ」
今度こそ、おまえが本当に俺を必要としなくなるまで、何時までもずっと傍に。
「はい、お願いします」
顔を綻ばせて古河は言った。
その笑顔につられ、俺は更に贅沢を言っていた。
「なぁ、おまえのこと、もう一度『渚』って呼んでいいか?」
「はいっ」
俺の言葉にパッと顔を輝かせ、嬉しそうに力一杯古河——渚は返事した。
「この間、岡崎さんに『古河』って言われた時、なんだか岡崎さんが遠くに行ってしまったみたいで、すごく淋しかったですから、またそう呼んで貰えると嬉しいです」
「そっか……」
もう俺なんかいらないだろうと勝手に思い込んで、こんなにもこいつを不安にさせていたなんて。
俺は悔いると共に、二度と渚にこんな想いをさせまいと思った。
「じゃあ、行くか」
今から行けば、三限には十分間に合う。
「はい」
渚はにっこりと微笑んでそう応え、俺と肩を並べて歩きだした。
そして、俺達は登り始める。
何処までも二人で、長い、長い坂道を——
〈君思う 了〉
これは四作目で、「春」の話はこれで終わりです。
次は「夏」の話になります。