百獣と呼ばれぬ男 作:八海山
海軍大将と新進気鋭の賞金首の衝突。
その余波は、小さくない傷をシャボンディ諸島に刻んでいた。
「これを、十代の子供がやったのか?」
戦慄を隠し切れない海兵が見つめる先。
そこに広がっていたのは、
小波の立つ穏やかな海だった。
シャボンディ諸島の無法地帯。その一角がこの日、文字通り消し飛んでしまった。
原因は言わずもがな、カイドウと“灰鹿”の衝突に因るものだ。
「大将灰鹿に張り合った上に、最後はあの人の得物をへし折ったんだ。その上、何処に逃げたのかも分からないときてる」
「海に落ちたって話でしたっけ?」
「ああ、そうだ。大将の攻撃ですら受けきった奴だからな。どこかに生き延びているかもしれない」
海兵たちの専らの話題は、この状況を作り上げた男について。
海軍大将というのは伊達や酔狂で、最高戦力等と呼ばれている訳では無い。
その戦闘能力は、単騎であっても並大抵の海賊ならば百や二百押し寄せても一蹴しかねない。そんなレベルであり、だからこそ海軍の顔であるとも言えた。
そんな海軍大将と互角に戦った。それも、十代の少年が。
その事実を認識するだけで、“正義”に殉じるつもりの海兵たちの顔色も青白くなるというもの。
海軍というのは、市民の盾だ。鍛え上げてきた肉体も技術も、その全てを矢面に立つ事で活用していくことになる。
その中でも特に衝突が多いのが、海賊だろう。
強い海賊というのは、確かに存在する。現在は、偉大なる航路“新世界”へと向かった“白ひげ”や“金獅子”、“銀斧”、“王直”など。
何れも、海軍大将であろうとも油断できない相手ばかり。
そこに片足とはいえ突っ込んでいる子供。恐ろしくない筈もなく。
自然とお通夜のような雰囲気となる中、近付いてくる一つの足音。
「ふむ、やはりやり過ぎてしまったな」
「!大将“灰鹿”!」
慌てて敬礼をする海兵たちに腕を振って作業へと戻らせ、
最後の衝突の瞬間、暫くの拮抗の末に吹っ飛ばされたのはカイドウで、得物を破壊されたのは灰鹿であった。
元々、長年使いこんでいた大鎌だった、というのもある。
だがそれ以上に、
(あの瞬間、カイドウは確かに私の覇気を僅かにだが上回っていた……)
認めざるを得ない事だった。
覇気を用いる上で重要なのは、意志の力。どれだけ強大な力を有そうとも、心が屈してしまえば覇気は目に見えて力を失う。或いは、使えなくなる。
海軍で言えば、その胸の内に宿る“正義”だろうか。
とにかく、自分の中の折れない一本の芯がある事こそ、覇気を扱ううえで重要な要素でもある。
ではあの瞬間、灰鹿の正義を、カイドウが上回ったのかどうか。
そもそも、カイドウの力の源は、前世の経験に端を発する。
奪われ続け、踏みつけられ、虐げられてきた一生。
そんな惨めな立場に戻るかもしれない一抹の不安と、その不安を種火に一気に燃え上がった赫怒の炎。
主な要素はこれ位か。ここに、
何より、
(衰えた、か)
灰鹿自身の衰え。
島への被害なども考慮して、全力の全開とはいかなかったもののそれでもあの場では本気の戦闘だった。
その上で、取り逃がしてしまったのは相手の力の上昇量を甘く見たせいか。
(次は逃がさんぞ、カイドウ。例え、刺し違える事になろうとも、貴様を捕らえるのは私だ……!)
決意を新たに、灰鹿は踵を返す。
海軍内でも世代交代の気配はあるのだ。
現に、今現在中将の階級にある海兵たちは何れも現役大将に迫る、ないしは凌駕しているのではないか、という噂も流れている程なのだから。
それでも、灰鹿は譲るつもりはない。
暴威の荒波から市民を守る事こそ、海兵の務めだと考えるからだった。
偉大なる航路には様々な島々が存在する。
それぞれの四季から動かない、春島、夏島、秋島、冬島などはその最たる例だろう。
その他にも、空に浮かぶ空島や一定の周期で島内の一部が沈み等間隔の円形に並んだように見える島、などなど。気候のみならず、島にはそれぞれがそれぞれに大きな特徴を有していた。
そんな島の中でも、空島と並んで特異な環境に置かれているのが、海底の楽園“魚人島”。
陽樹“イヴ”の恩恵を受けて、海底一万メートルという深海にありながらも、日の光の恩恵を受けることが出来る魚人並びに人魚の楽園。
もっとも、それは周囲からの意見と視点であり、現実はそこまで綺麗なものでは無いのだが。
その外。魚人島の負の側面とも言える海底にある街“魚人街”。
謎の巨船である“ノア”の置かれたこの地区は、本来は孤児たちを預かる巨大な養護施設であった。
だが、何時しか荒くれ者が集まる無法地帯となり、今では王家も手を出せない始末だ。
そして、そんな魚人街とはまた違う、海底の一角。
そこは、海流によって沈没船の残骸が流れ着く船の墓場。その一方で陽樹“イヴ”の恩恵を受けて日差しが届き、サンゴが広がり魚や鯨たちが多数集まる場所。
名を、“海の森”。海の底にあるサンゴの森だった。
その奥に、シャボンによって構成された大きさのドームがある。
とある理由によって設置されているのだが、その隅に一人の男は寝かせられていた。
彼の周囲では、所々に包帯を巻いた魚人や、シャボンの外で何やら作業している人魚たちの姿がある。
「――――……ん?」
不意に、寝かされていた男、カイドウが身動ぎをして目を覚ます。
ぼんやりとシャボンの天井を見上げる彼だが、不意にその視界に魚人族の男が割り込んできた。
「目が覚めたか?」
「…………ここは」
「魚人島近くの海底にある、“海の森”さ」
「海底、だと……?」
男の説明に眉間に皺をよせながら、カイドウは上体を起こした。
その体には複数の包帯が巻かれている、がその下にある肉体には既に痛みは無く動かす分にもダメージの残りは感じられなかった。
「……何で俺はここに居る?」
「それは、私たちが貴方をここまで連れてきたからです」
カイドウの問いに答えたのは、腰の辺りにシャボンの輪を嵌めた人魚族の女性だった。
「まずは、感謝を。私たちは、あの天竜人の男に買われた奴隷だったのです」
「…………で?」
「貴方が場をかき乱してくれたおかげで、私たちは鍵を奪って逃げることが出来ました…………海底なら、海軍もそう簡単には来れませんから」
魚人族、そして人魚族のこの世界における扱いは、悪い。いや、悪いという言葉が陳腐に思えるほどに劣悪だった。
彼ら彼女らは、ただその場に居るだけで人間からの迫害を受ける事になったからだ。
その特異な見た目や能力。人間の十倍以上の筋力など、兎にも角にも迫害を受け、排斥され、彼らはそんな世界から逃れる様に海底の楽園に住んでいた。
加えて、海面へと近づけば待っているのは、売りさばこうとする人攫い。奴隷へと身を落とす者も珍しくなく実に散々。
いつしか、彼ら彼女らには人間に対する憎悪と恐怖が混ぜこぜになった暗い感情が染みついていた。
だが、それはそれ、これはこれ。
どんな理由であれ、奴隷にされそうだった彼ら彼女らにとって、天竜人を殴り飛ばしたカイドウは救いの神であった。
幸いと言うべきか、大将灰鹿と最後のぶつかり合いの結果、彼は海へと落ちた。
そこを回収しシャボンでコーティングした小舟へと乗せて、人魚複数人で引っ張る事でここまで連れてきたのだ。
頭を下げる人魚や魚人達を前に、カイドウは頭を掻いた。
「……そもそも、俺はお前らを助けるために動いちゃいねぇよ。ただ単に、
「それでも、構いません」
「…………」
面倒くさい。それが、今のカイドウの内心だ。
助ける事にも、助けられる事にも理由を求めない彼だが、意図しない事をここまで感謝されると逆に居心地が悪いというもの。
とはいえ、意図せずとも“新世界”の入り口にやって来た。
頭を切り替え、カイドウは今後の事へと思いを馳せ、
(…………地上にどう戻れってんだ?)
割と困った問題に直面するのだった。