百獣と呼ばれぬ男 作:八海山
突然だが、今世においてカイドウは酒が好きではない。
元々前世において良い思い出が無いのだ。彼の、暴力に晒された記憶の片隅には、いつもアルコール飲料の影があった。
今世、飲めない訳では無い。ないが、しかし忌むべき記憶というものは消えない。
「意外だな。海賊なら、浴びる程酒を飲むかとも思ったが」
「俺は単なる、賞金首だ。海賊じゃねぇよ」
酒の入った瓶を傾けるフィッシャー・タイガーは、対面の炭酸水の入ったボトルを傾ける男へと眉を寄せた。
ここは、“海の森”にあるシャボンの中。
タイガーからカイドウへの印象は、噂話を聞いた時からかなり変わったと言える。
粗暴で粗悪。暴力が服を着て歩いている様な、典型的な戦闘狂。少なくとも、噂話だけを聞いた時の印象は決して宜しくない。
しかし、実際に相対し、そして拳を合わせてみれば印象は大きく変わったと言える。
確かに、ぶっきらぼうだろう。言動も、決して優しいとは言えない。
だが、悪逆ではない。非道でもない。
「カイドウ。お前は、何で
「あ?なんだ、急に」
「言っちゃなんだが、お前にとっては欠片も得にはならねぇだろ。寧ろ、魚人の中には助けたお前にも牙を剥くような奴だって居る。それでも、何で助ける?」
タイガーの問いに、今度はカイドウが眉根を寄せる。
「……別に、特別な意味なんか、ねぇよ」
シャボンの向こう側を眺めながら、カイドウは目を細めた。
「単に俺が、気に入らねぇだけだ」
「気に入らない?」
「奴隷なんざ、クソ食らえだ。見てるだけでも、吐き気がする。そして、その奴隷を黙認する政府も海軍も気に入らねぇ。提供する人攫いなんざ、論外だ。奴らをぶっ潰してるのは、その副産物でしかねぇよ。お前ら魚人が助かってるってのも、結果論だ」
そう言って、カイドウは瓶から直接、炭酸水を呷る。
彼自身は、正義の味方を気取るつもりはない。あくまでも、自己満足のための行動に終始している。
気に入らないから、ぶっ飛ばす。気に入らないから、ぶっ壊す。行動原理は至極シンプルで、行動結果は暴力に帰結した。
「……奴隷になった経験があるのか?」
「いいや…………だが、あそこまで自由を侵害されるのは、な」
カイドウの返事に、僅かに肩から力を抜いたタイガー。
地雷を踏み抜いてしまったかと、僅かに焦った。
沈黙。
「……奴らは、なぜ奴隷を欲しがるんだろうか」
「さあな…………根本的に、俺達とは考え方がちげぇんだろ」
「奴隷を見た事はあるか?」
「ああ。ひでぇ有様だったがな」
炭酸水を呷り、ふとカイドウはあの男は逃げ延びただろうか、と目を細めた。
結果的に助けたような形とはなったが、その他はノータッチとならざるを得なかった。
後悔しているかと問われれば、それは否だ。
結局、この世界は弱肉強食。これは、この世界に生まれ落ちてから培われた価値観である。
「カイドウ」
「あ?」
「この島を、どう思う」
「…………悪ぃが、俺は魚人島には上陸してねぇ。見てもいねぇものを評価できるかよ」
「おれは、この島をいずれ出るつもりでいる」
酒を呷り、タイガーはシャボン越しに海底近くでありながら日差しの恩恵を受ける島を見上げる。
「陽樹“イヴ”の恩恵のお陰で、魚人島は深海でも太陽の光を浴びることが出来る。だがな……」
「規模の問題だな?」
「ああ、そうだ。魚人島に住める人数はどうしたって限りがある。そのシワ寄せがきているのが、魚人街だ」
荒くれ者、逸れ者。
自業自得だという者達も居るが、その言葉と共に排斥の対象となっている彼らもまた被害者としての側面がある事を忘れてはならない。
「なら、どうするつもりだ?」
「この世界は広い。なら、魚人島に似た環境の島があるとは思わないか?」
タイガーの言葉に、カイドウは眉を上げる。
海洋ばかりのこの世界だが、その一方で島はそれぞれに独特の環境を有している場合が多い。
特に、偉大なる航路の島々はその特性が強いと言えた。
「つまり、魚人島に近い環境の島を探すって事か」
「ああ。そしてそこを、第二の魚人島へと開拓したい」
「…………そいつは、人間どもがウルセェだろうな」
「だろうな。まず間違いなく、世界政府からの干渉がある。そうでなくとも、周辺諸国からの反発もあるだろう。だが、それでも誰かがやるべき事だ」
魚人街に住むからこそ、フィッシャー・タイガーはその現実を何度となく見てきた。
染みついた恨み辛み。そして人間に対する憎悪。それらが煮詰まっていると言っても良いのが魚人街だ。
そして、タイガーは自身よりも後の世代にその恨み辛みが受け継がれていく現状を変えたかった。
タイガーの言葉を咀嚼しながら、カイドウは自身の事を考える。
そもそも、彼が出奔したのは、自分のウォッカ王国での扱いに我慢が出来なくなったから。
海賊を襲うのは、彼らが堅気にも手を出しているから。
海軍を襲うのは、そもそも王国と取引をしたのが海軍であるから印象最悪だから。
天竜人を殴ったのは、その存在を許容できなかったから。
世界政府に喧嘩を売るのは、上記の海軍並びに天竜人の案件と自分達こそが世界の王だとでも言うべき態度が気にくわないから。
「…………面白れぇな」
「あん?なんだ、急に」
自由に世界を見て回る事も目的にはなるが、それだけではどうしたって飽きが来る。
「俺に一枚噛ませろ、フィッシャー・タイガー」
「……急だな。どういう風の吹き回しだ?」
「何の目的意識も無く世界を回るんじゃあ、ダレて来るからな。その点、一生かかって見つけられるかどうかも分からない島を探すってのは、面白れぇ」
「面白い、か……確かにな。誰も見つけた事のないモノを探すってのは、ロマンがある」
「後は、アレだ。魚人空手の授業料だとでも、思っておいてくれ」
「ふっ……まだまだひよっこのおれの魚人空手で、お前を動かせるほどじゃないと思うがな…………良いだろう」
そう言って、フィッシャー・タイガーは掴んでいた瓶をカイドウへと向ける。
何の説明も無くとも、カイドウはその意図を察して自身の呑んでいた炭酸水入りの瓶を合わせる様に持ち上げる。
「音頭はどうすんだ?」
「そうさな…………未だに誰も到達できない浪漫に、でどうだ?」
「浪漫か」
どちらともなく笑みを浮かべ、
「「浪漫に」」
キィンと甲高い音をたてて軽くぶつかるビン。そして二人は中身を一気に飲み干した。
ここに誕生した、人間と魚人の奇妙な協力関係。その第一歩は。
「髪を一本貰えるか?もしくは、爪の欠片でも良いが」
「良いが、何をする気だ?」
「この広い世界で単独で動き回ればどうしても会えない事もあるだろ。その為に、ビブルカードを作っておく」
「ビブルカード?」
「ああ。新世界の方に出ていた奴に聞いたんだが、特殊な紙で、こいつを持っておくと製作に使用された部位の持ち主の場所まで導く代物、らしい」
「ほう?」
「カイドウ。お前はこれから、更に悪名を高めていくだろう。拠点を持たずに動き回るかもしれないお前への、連絡手段みたいなもんだな」
「成程な」
納得、そしてカイドウは数本の髪の毛をフィッシャー・タイガーへと渡す。
受け取った髪をポケットに突っ込み、タイガーは瓶を置いた。
次の旅は、もう間もなくだ。