I will always love you! 作:リアム
深呼吸を一つ、二つ。
声帯を震わせて声を出す。
しかしそれは掠れてまるで音になりません。
頭を振って、もう一度。
デイヴィッド
男はアルコールに侵された様な声で名前を呼びます。
隣に立つ人間にすら聞こえない程小さな声で。
それでも、一頭の馬は直ぐに耳を立て、男がいる方向へ顔を向けたのです。
Ladybugs laugh.
メイクデビュー。ウマ娘の最初の一歩。最初の関門。
笑顔も、涙も、そこから全てが始まるレース。
「か、てる……?」
一人のウマ娘が目の前にある日付けに丸印が書かれたカレンダーをジッと見つめながら部屋の中で呟く。
疑問符の付いた声に応える声は無く、部屋の中で虚しく反響している。
「……か、つ?」
カレンダーから目線を外し静かに身体を横たわらせる。
昔は、一人で出来なかった動き。
ウマ娘は目を閉じて契約を結んだトレーナーの事を考える。
自分に優しくしてくれるヒト。
自分に温もりをくれるヒト。
自分の隣に立っていてくれるヒト。
ウマ娘は端的に言えば、何かが欠落している。それ故に周りは面倒臭がり、不気味がり、手を離す。
ウマ娘の方も身体が縛り付けられて手を伸ばす事が出来なかった。
だが、トレーナーは手を握り続けていた。
彼はそれを「エゴ」だと形容したが、ウマ娘にとってその温もりは与えられた事の無い安心だった。
両親とは違う温もり。
心に直接響く温もり。
ずっと待ち続けた温もり。
「か、ちた、い」
あのヒトの為に。あの温もりの為に。
「デイヴィッド」と、呼んでくれたから。
レース場は普段の賑わいとは違った異質な空気に包まれている。第5Rに予定されているメイクデビューに出走予定の一人がジュニア級を歩み始めたばかりのウマ娘に混じり、クラシック級を過ぎた年長のウマ娘だったからである。
その事実は、心配・好奇心・嘲笑・猜疑、様々な感情を巻き込んで一人のウマ娘に注がれていた。
「ゼッケンの固定良し。靴紐の緩み無し。デイヴィッド、身体の不調とか脚の違和感はあるか?」
レース前、控室の中で一張羅とも呼べるスーツに身を包んだトレーナーと、体操服を着たウマ娘が最終チェックを終わらせる。
デイヴィッドと名前を呼ばれたウマ娘はトレーナーの言葉に首を振り、用意されたドリンク類からミネラルウォーターを一瞬躊躇った後、手に持ち口にする。レース前独特の緊張感に苛まれるのを落ち着けながらその時を待っていれば、扉がノックされレーススタッフがデイヴィッドの名を呼ぶ。
「じゃあ、俺はここまでだから」
「う、ん」
デイヴィッドとトレーナーが控室から出る。デイヴィッドはターフ、トレーナーは観客席へ脚の先を其々向けている。
一歩踏み出しかけた途中、トレーナーが声を上げデイヴィッドを呼び止める。
「デイヴィッドごめん!……これを」
「……なに」
「願掛け、御守り、かな。デイヴィッドが元気でゴール出来ますようにって」
トレーナーがデイヴィッドの何も無かった右耳に飾り気の無いシンプルなシルバーリングを飾る。
内側にはひっそりと彫刻された可愛らしいてんとう虫が微笑んでいる。
「Have a blastだ。デイヴィッド!」
「う、ん……行って、き、ます……!」
改めてお互いの向かうべき方向へ踏み出す。
その顔は晴れやかで、迷いは無かった。
東京レース場最終直線。
例年とは一味違うメイクデビューを16人のウマ娘が疾走する。己の願い、目標、夢の為にゴールだけを見つめて一人にしか与えられない「勝利」に歯を噛み締めて、疾走する。
「負けないッ!」
「わ、たしが!一番に!なる!!」
「ここで立ち止まる訳にはいかないんだから!!」
芝が抉れる。蹄鉄の跡を刻み込む。
観客のボルテージは最骨頂。実況の声がそのまま興奮となって湧き上がる。
メイクデビューとは思えない激しい先頭争い、抜かし抜かされの目を奪われるレース。
最終コーナーを抜け、ラストスパートをかけるタイミング。16人中後方待機を選んだのはたった5人。その内の1人が、牙を剥く。
途端にウマ娘にだけ感じられる威圧感。脚が自然と重くなってトップスピードが緩やかに殺される。
大外に陣取る一人のウマ娘が、その、青空の瞳をゆっくりと開く。
「勝利、する……!」
アナタへ栄誉を捧げるために。