エリカは早朝からユリアスの屋敷に向けて出発した。異世界から帰って来てからは、幾度かユリアスと手合わせしているエリカにとっては、もはや通り慣れた道だった。
おおよそ2時間ほど馬を走らせユリアスの屋敷に着くと、今までの雰囲気とは全く違っていた。
いつも人気がなく、ひっそりと佇む屋敷に一人でいたユリアスだが、今はもうその面影はない。屋敷の前は人だかりができており、受付や人員を整理するボランティアまで自発的に生まれ、屋敷の前は活気に溢れていた。また、待ちながら食べられるような軽食の屋台などもいくつか出ており、まるでお祭り会場のようである。
「エリカ様、ここがヴァンパイアの屋敷なんですよね?」
「ああ、そのはずだ」
あまりの変貌ぶりにエリカ自身、本当にユリアスの屋敷だったのか少し信じられなかった。
そして、エリカは従者を連れてユリアスの屋敷に歩を進める。すると、受付をしていたボランティアの中年女性に声を掛けられた。
「騎士様、ここで受付をしております。順番が来たらこの番号でお呼びいたしますのでしばらくお待ちください」
そう言いながらエリカに番号の書かれた整理券を渡そうとする。
「すいません。私は治療に来たのではありません。ここを通してください」
「あっ、はい、失礼いたしました」
エリカは行列を無視してユリアスの屋敷に入っていく。すると、屋敷の中も患者でいっぱいだった。それを見て、エリカはますます心が痛む。
(何故彼を討伐しなければならないのか、全くバカバカしい・・)
そうは思いつつも、エリカは行列の一番前に進んでいく。そこは応接室だった。どうやらここが今は診察室として使われているらしい。
エリカはノックをせずに、応接室の扉を開けて中に入る。
「失礼します!」
中に入るとユリアスが少年の治療をしている所だった。ユリアスはエリカを一瞥だけすると言った。
「貴様か。生憎だが私は今手が離せない。患者が帰ったら相手をしてやるから、しばらく待っていろ」
エリカはユリアスの言葉が一瞬信じられなかった。あの、闘争を何よりも最優先にするユリアスが、闘いよりも治療を優先するとは、噂には聞いていたが驚きだった。
「変われば変わるものですね、ユリアス・フォルモンド」
「ああ、私も自分で驚いているよ。だが、存外に悪くはない。むしろ、毎日が退屈で、闘争しか興味がなかったあの頃よりも毎日が充実していると言ってもいいかも知れぬ」
「そうですか。闘いの中でしか生を実感できなかったあなたが、まさか他者への奉仕に喜びを
ユリアスは手を止め、エリカを改めて見つめ直した。
「それは貴様の意志か?」
「いいえ、私の意志ではありません。王から私に直々に勅命が下りました。申し訳ありませんがここで死んでいただきます、お覚悟を」
そう言うと、エリカは
「野暮用が入った。すまないが少し待っててくれないか」
「あ、先生!」
すると少年は、すぐ脇に置いてあった松葉杖を掴むとよろよろと立ち上がり、エリカの前に立ちはだかる。
「止めてください騎士様、先生に酷い事をしないでください!」
「えっ!?」
少年の行動にエリカとユリアスはどちらも驚き、思わず少年の次の行動を見守る。
「僕は生まれてから、ずっと歩く事ができなかったんです。でも、ユリアス先生のおかげで、松葉杖を使ってですが、やっと少し歩けるようになったんです。ユリアス先生は僕の恩人なんです。だからお願いします、先生に酷い事をしないでください!」
少年は真剣な眼差しでエリカの目を見つめる。
元々エリカもユリアスを討つつもりは微塵もなかった。どうせ本気で闘っても負ける、ならば形だけでも討伐に赴いて、せめて騎士としての名誉を守って死のうと考えていた。しかし、ユリアスを守るように立ちはだかる少年を見て、もはやそんな気すら失せてしまった。一方、ユリアスは少年を見て笑いを堪えられなくなって笑い出した。
「これは
しかし、完全に戦意を失ったエリカは
「いいえ、私はこのまま立ち去ります。治療の邪魔をして申し訳ありませんでした、引き続き民の治療をお願いします」
「騎士様、ありがとうございます!」
そうしてエリカは応接室を出ていこうとした。その背中に向かってユリアスが言った。
「待てエリカ。騎士が一度剣を抜いたのだ。そのまま鞘に納めたからと言って、お咎め無しで済まされるハズがないだろう?」
「そうですね。確かにけじめをつける必要がありますね。では、あなたの好きになさってください」
「では、今回は平手一発で勘弁してやろう」
「あら、その程度でよろしいのですか。優しいんですね」
「それはどうかな。私の平手は並みの男の拳よりもこたえるぞ」
「構いません。どうなろうと覚悟はできていますので」
(それに帰ったところで、討伐失敗の責を負わされ、処刑されるだけですし)
「では、歯を食いしばれ」
エリカは言われた通りに目を閉じると歯を食いしばった。その次の瞬間、ユリアスの平手打ちがエリカの左頬を打った。その威力はもはや平手打ちと表現してもいいものか怪しい勢いで、エリカの身体は数メートルほど吹き飛び、壁に叩きつけられてそのまま床に転がった。
「これで収めていただけますか、ユリアス・フォルモンド・・」
エリカはよろよろと起き上がる。その顔の左半分は大きく腫れあがり、口の中を切ったのか、少し血の味がした。
「うむ、なかなか良い面構えになったぞエリカ。これで、王への言い訳くらいにはなるだろう」
「言い訳?」
「王とは体裁ばかり気にする愚か者が多い。このまま貴様が何もせずに帰ったとあっては、王の面目は丸つぶれだろう。その責任を貴様が取らされる事は容易に想像がつく。場合によっては極刑まで有りうるだろうな」
「そうですね、恐らくはそうなるでしょうね」
「そうか。では、ついでに王への伝言も頼もうか」
「伝言、ですか?」
「ああ、王に伝えろ。王よ、もし私と遊びたいのなら今度はこちらから出向いてやる。首を洗って待っていろ。もし命が惜しいのなら二度と私に関わらない事だ。それと、エリカは私の遊び相手だ、貴様の勝手で壊す事は許さん。以上だ」
「まさか、私の身を案じて・・?」
「勘違いするな。貴様のためではない、私のためだ。貴様との闘争は私にとっては数少ない娯楽だからな。王などに勝手に奪われるのを許すわけにはいかん」
「そうですか、分かりました。では、確かに伝えます」
それからユリアスはエリカの連れていた従者の方を見る。
「おい貴様、貴様は報告係だろう。ここで起こった事をどう報告するか確認させてもらおうか?」
エリカの従者は、確かに報告係だった。もしもエリカに何かがあり、報告できなくなった場合、あるいはエリカがユリアスと結託して虚偽の報告をした場合にはエリカに代わり、真実を報告するために付いてきていたのだった。
「あ、はい、エリカ様はヴァンパイア、ユリアス・フォルモンドと全身全霊をかけて闘いましたが、あと一歩力及ばず敗走する事になったと報告いたす所存です!」
「うむ、それでいいだろう」
すると、外から応接室の様子を覗き込んでいた患者の一人が言った。
「あ、あんた、マリサさんとこの息子じゃないか。もしユリアス先生に迷惑をかけるような報告をしたら私が許さないからね!」
「あ、どうも、おばさん、いつもお世話になってます。大丈夫です、皆さんに迷惑になるような事はいたしません」
待っている患者の中に、たまたま知り合いがいたらしく、従者は苦笑いを浮かべている。しかしこれで個人が特定され、無茶な報告をされる事もないだろうと思い、エリカも小さく安堵した。
そうしてエリカは軽く会釈をしてから応接室を出ると、そのまま馬を走らせて城に戻り、王に報告をした。エリカの報告を受け、王は震えあがる。
「そうか、それはご苦労だった。ゆっくり休んでくれ。とりあえずヴァンパイアの一件はもうしばらく様子を見よう。民のためになっているのなら、素晴らしい事じゃないか。これ以上私からとやかく言う事は何もないな・・」
そうしてエリカは特にお咎めもなく、無事にユリアス討伐の任を終えた。そして、それ以来、王はユリアスに手を出すことはなかった。
エピローグ
そして、それから10年の月日が経過する。
とある医療大学の医学生がT字杖を使って歩いていた。今日も授業で医学の知識を学び、医師になるために必死に勉強をする。
その医学生の友人が、杖を使っている医学生に話しかけた。
「お前、いつもすげえ勉強頑張ってるけど、将来どんな医者になりたいんだ?」
「僕は、僕の足を治してくれたユリアス先生みたいな立派なお医者さんになりたいんだよ」
「へえ、ユリアス先生って、あの貧富の差を気にせずどんな人でも無償で診てくれるっていうあの伝説の名医のユリアス先生の事かい?」
「ああ、そのユリアス先生さ。僕はずっと車いすの生活だったのに、先生のおかげで歩けるようになったんだ」
「へえ、さすがは伝説の名医。やっぱすごいんだな」
「まあね。今は勉強して一人前の医者になれたら、今度はユリアス先生と一緒に治療をしたいんだ。だから、今はしっかり勉強して、先生の足を引っ張らないようにしなくちゃならないんだ」
「そっか、具体的な目標があるっていいかもなあ」
「まあね」
そう言ってその医学生は再び医学書に目を落とす、いつかユリアスと一緒に働く日を夢見て。そうして勉強する青年の心は希望に満ちていたのだった。
おしまい。