【完結】さよならシュガーバレット・ガール   作:守次 奏

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Act.7 粉雪

 初雪が降る街中は、いつもより彩度が落ちていた気がした。

 それとも、私の気分が景色をそう見せているのだろうか。

 チセから指定された住所への道を、地図アプリをなぞりながら辿る傍ら、そんなことを考える。

 

 会えば、そこに行けば全てがわかるとチセは言った。

 夏祭りの頃は、隣にチセがいてくれたら、なんて浮かれたことを考えていたのに、今は会いに行くのが、怖かった。

 チセがどんな顔をしているだとか、私の前では本性を隠しているかもしれないだとか、そういうことじゃない。

 

 チセのことを、そこにある真実を知ってしまえば、きっと私たちはもう二度と、元に戻ることができないんじゃないかという漠然とした不安。あるいは、確信。

 いい予感が当たることは稀でも、悪い予感についてはよく当たる。

 それは人間の脳が幸せよりも不幸せなことを覚えているように造られたからというけれど、なんにしたって、どんな理屈だって、私に纏わりつく兆しが離れてくれない事実に変わりはない。

 

 それでも、チセが通話にもメッセージにも応えてくれない以上、私はそこに行かざるを得ない。

 

 ──本当に?

 

 不意に、脳裏をそんな問いかけがよぎる。

 別にこれは、チセと交わした約束じゃない。チセから一方的に突きつけられたものだ。

 だから、選ばないという選択肢もあるんじゃないか。真実から目を背けて、仮初めのぬるま湯に浸かり続けるという都合のいい道も、あるんじゃないかと。

 

 それでも。

 

「……チセ」

 

 私は、歩みを止めなかった。

 その果てにあるものが崩壊だとしても、あるいは私たちを繋ぎ止めていたなにかが、アスファルトへと落ちて染みになる粉雪のように消えてしまったとしても、だ。

 きっと私には、チセのことを知る義務がある。

 

 なにが理由かはわからなくても、知らなければいけないという焦燥と確信が、今の私を突き動かしていた。

 だって、そうでもしないと私は、チセに会えないから。

 選択から逃げたって、元に戻れる保証なんてどこにもないから。むしろ、その方がきっとチセは深く失望することだろう。

 

「……東都大学附属病院」

 

 そんな考えをぐるぐると頭の中で循環させながら辿り着いたその場所に書かれていた名前を、私は微かな声で読み上げる。

 病院だ。疑いようもなく、間違えようもなく、チセから指定されたこの場所は、病院だった。

 とりあえずは駐車場の端に寄って、私はチセにメッセージを送る。なぜ、ここまで来いと言ったのか、それからどうすればいいのか。

 

 簡潔に、淡々と綴ったメッセージに対して返ってきた答えもまた、普段のチセからは想像できないくらい、淡白なものだった。

 

『とりあえず受付で「509号室の葛城千歳の面会に来た」って言って』

 

 葛城千歳。

 知らない名前だったけど、チセからメッセージが届いているということは、その名前は十中八九チセ本人のものだと見て間違いないだろう。

 そうじゃない可能性だってあるかもしれない、と、脳内で何度も、何度も、いよいよ現実味を帯びてきた確信を否定したがる自分がいるのも確かだったけど、そんな安易な空想に逃げることは許されないとわかっているのもまた、確かだった。

 

 メッセージでの指示を受けた通り、私は受付で文面に書かれていたことをそのまま看護師の人に伝えると、五分ほど待合室で待機した末、509号室へと案内されることになった。

 

「お待たせいたしました、こちらになります」

「……ありがとうございます」

 

 看護師さんにお礼を言ってから、こん、こん、こん、と三回ドアをノックして、私は入室の可否を確かめる。

 一瞬がどこまでも薄く、長く引き伸ばされていくような沈黙が重い。

 もしチセがそこにいるなら。私の予感が当たっていたなら──

 

「入っていいよ」

 

 どこまでも遠く感じられた数秒の後、返ってきた言葉は、それを紡ぐ声は、私がよく知っている、そして間違えようもない、砂糖菓子みたいなチセの声。

 いよいよ、予感は確信に、確信は事実に羽化しようとしている。

 そんな恐れが、私の両足をがくがくと震わせ、慄かせていた。

 

「……失礼します」

 

 膝から崩れ落ちそうになるのを堪えて、がらり、と引き戸を開け、509号室に入った私が見たものは、点滴を何本も打って、リクライニング式のベッドに背中を預けている女の子の姿だった。

 

「おはろーやーやー、ユキ。こっちじゃ会うの初めてだよね」

 

 ああ、やっぱり。

 屈託のない笑顔を浮かべながらそんなことを言ってのけたのは、紛れもなくチセで。

 そして、何本も点滴を打っているその姿は、およそ軽症なのか軽傷なのかは知らないけど、明らかに普通じゃない。

 

「……チセ、なんですか」

 

 震える声で私は問う。

 まるで、そうであってほしくないとばかりに。それがあり得ないとわかっていても、一縷の望みを託すように。

 それが、徒労に過ぎないとわかっていても、ただ問わずにはいられなかった。

 

「うん、そうだよ。私がチセ。葛城千歳だから、縮めてチセ。ユキはなんか名前の由来とかあるの?」

 

 まるで友達を家に招いたかのような軽い声で、けらけらと笑いながらチセが問い返してくる。

 私の名前の由来だって、似たようなものだ。

 本名の「水上優樹菜」を縮めて「ユキ」。

 

 だけど、その由来を口にできるほど、チセの問いに答えられるほど、私に余裕は残されていなかった。

 

「なんで……」

「うん?」

「どうしてですか、チセ。どうして、こんな……?」

 

 なにを言いたいのかも、なにを訊きたいのかも曖昧なままに、脊髄を伝った疑問符が声になって、ぽとりと落ちる。

 どうして。なんで。なにが。

 なにもかもが理解を超えていた。目の前にいる白髪の、病院着を身につけた子がチセだと頭では分かってはいたけれど、心が追いついていない。

 

「どうして、ってのはわかんないけど、こんなとこにいる理由なら見ての通りっていうか……わたし、心臓弱いんだよね」

「それは、その」

「んで、まあ……ユキといつまで一緒に遊べるかわかんないからさ、本当のわたしを知ってほしかったんだ」

 

 事実だけを噛み砕いて要約するのなら、チセは、心臓に病を抱えて入院生活を送っていたということだ。

 個人用に作られた部屋のキャビネットにはパソコンやらなにやらが置いてあるし、私が撮影した写真をプリントしたのと思しきものが、ベッドの頭側の壁に貼り付けてあった。

 まるで、供物のように。チセはうひひ、と無邪気に笑っていたけれど、私はとても笑えない。なにをどうすればいいのかも、わからない。

 

「……チセ、は」

 

 地球が止まったような感覚の中、自転を忘れたような沈黙の中、舌先が必死に探り当てた言葉を紡ぐ。

 

「うん」

「……いなく、なっちゃうんです、か」

 

 FPSでの露骨な反応速度の低下。

 そして、まるで遺言を託すかのように、今まではひた隠しにしてきたリアルを曝け出してきたこと。

 それらが導き出した結論は、極めて簡単で、なによりも残酷なものだった。

 

 悪い夢か、タチの悪いドッキリならどれだけよかったことか。

 だけど、握りしめた拳に突き刺さる爪の痛みが、これは夢なんかじゃないと高らかに叫んでいる。

 チセは、いなくなる。それも、遠くないうちに。

 

 私が予感した最悪の可能性を、いつものようにいたずらっぽく笑って、チセは。

 

「そうだね、そんなに長くないんだってさ」

「だったら……!」

「……考えたよ。手術とかさ、移植とかさ。でも、ダメなんだってさ」

 

 もう手遅れ、だからおしまい。

 まるで他人事のようにあっけらかんと苦笑して、チセは両肩を竦めてみせる。

 嫌だ、と叫びたかった。そんなの嫌だと、チセとお別れしなきゃいけないなんて、チセがいなくなるなんて、死んじゃうなんて、嫌だと。

 

 だけど、どれだけ泣き叫ぼうとしたって、喉を伝って出てくるのはか細い嗚咽ばかりで、それ以上の言葉を私は持ち合わせていなかった。

 

「……ぁ、あ……ち、せ……」

「……泣かないで、って言いたいけどさ。ありがと、わたしなんかのために泣いてくれて」

 

 ──ユキは、優しいね。

 

 ベッドに頽れた私を抱き寄せて、チセが囁く。

 チセの腕は、体は、こんなにもあたたかいのに、こんなにも確かな熱を持っているのに、それが冷たくなっていく様なんて、想像すらしたくないし、できなかった。

 

 でも、私にできることはなにもない。

 チセの両親だって、きっと四方八方手を尽くしたんだろう。

 だけど、無理だった。無理だったから、チセは。

 

「なんで……どうして……チセ……」

「なんでだろ。長生きしてほしいから千歳、って名前つけられたのに、成人式すら迎えられないみたいだしさ。皮肉だよね」

「……チセ……っ……チセぇ、っ……!」

「だから、こんな名前大っ嫌いだった。でもさ、ユキ。ユキと一緒にいるときはさ、わたしは『チセ』でいられたんだよ」

 

 なんで、はわからなくても、どうして、は答えられるよ。

 私をそっと抱き寄せたチセは、耳元で囁きかけるように、か細い声で言葉を紡ぐ。

 喉を鳴らして、枯らして、泣くことしかできない私の髪をそっと撫でながら。

 

「どうしてかってさ……友達にさ、好きな人にさ、知ってほしかったんだ、わたしを。覚えてて、忘れないでほしかったんだよ」

 

 だから、こんな意地悪をしたんだ。

 うひひ、と、いつものようにいたずらっぽく笑って、チセは言う。

 だけど、その琥珀色の瞳からは、確かに、一粒の涙が零れ落ちていた。

 

「……ねえ、ユキ」

「……なん、ですか……チセ……」

「これからも、会いにきてくれる?」

 

 ずるい。

 逃げられないとわかっていて、逃がさないつもりで、自分の命を盾にして。

 だけど、断れるはずがなかった。もう、FPSで繋がることができないのなら、かつてのように「チセとユキ」でいることができないのなら、私たちを繋ぎ止める方法は、それしかないのだから。

 

 だから、私たちは約束を交わす。

 さよならを言うそのときまで、必ず会いにくると。

 せめて、燃えて尽きる最期のひとときまで。あるいは、降り積もる雪がアスファルトのシミになるまで。

 

 私とチセは──「水上優樹菜と葛城千歳」じゃなくて、「ユキとチセ」であり続けるのだと。さながら、世界という大きな壁に、血まみれの爪痕を立てるように。

 雪はまだ、降り止む気配を見せなかった。

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