【完結】さよならシュガーバレット・ガール   作:守次 奏

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Act.8 眠り姫

 チセの容体は、日に日に悪化していった。

 その後も投薬治療は続けていたけど、それはあくまで──言葉通りの延命措置でしかない。

 気づけばもう、チセは自分の足で歩くことさえできなくなっていた。

 

「今日も雪だねぇ」

「ええ、今年はホワイトクリスマスだとか」

「そっか……ユキ、駅前のイルミネーション見に行ったりする?」

「写真ですか? それなら撮ってきますよ」

「うひひ、ならもうちょい頑張って生きないとね」

 

 クリスマスイヴまであと十日。

 チセの病状がどんなものなのかは、専門家じゃないし、その専門家こと医者に話を聞く権利もない私には知りようもない。

 それでも、刻一刻と、加速度的に命の残り火がチセの中から消えかけているのは、体感としてわかっている。

 

 あと十日。冬休みを迎えた学生たちにとってはなんでもなく、ただ惰眠を貪っていても過ぎていく当たり前の日々を、チセは生きられるかどうかもわからない。

 それほどまでに今のチセは弱々しく、頼りなかった。

 車椅子を押していると、またじわり、と涙が滲んでくる。あとどれだけ、どれだけ私たちの間には、同じ時間が、「チセとユキ」でいられる時間が残されているのだろう。

 

「まーた泣いてる。ユキは泣き虫だなぁ」

「……当たり前じゃないですか」

「心配しなさんな……っては言えないけどさ、一緒にいるときぐらいは楽しいこと考えようよ」

 

 悲しんでたら、泣いてたら、それこそ残り少ない時間が無駄になるよ。

 どこか諦めたように、割り切った笑顔でチセが呟く。

 本当は誰よりも怖いはずなのに、本当は誰よりも恐ろしくて仕方ないはずなのに、諦めと笑顔の下にそれを押し込めて笑っている。

 

 そんな歪さに対して、私がしてあげられることなんてものは、なにもなかった。

 チセがいなくなってしまうのは、近いうちに死んでしまうのは、覆すことのできない事実なのだから。

 だからせめて、最期のときぐらいは、最期を迎えるそのときまでは、いつも通りの私たちでいようと約束したはずなのに、涙は零れ落ちることをやめてくれない。

 

「……楽しい、こと」

「そうそう! ユキはさ、大学行くんでしょ?」

「……ええ、一応」

 

 答えるけれど、それは本当に一応、程度の思いでしかない。

 叶うのなら、チセと一緒にプロゲーマーになりたかったという思いは、今でも私の中で燻っている。

 だけど、その願いはどうやったって叶わないから、とりあえずは、と、この時期になっても第一志望すら決めず、模試も受けず、漠然と、担任に勧められた大学を受けようかと考えているだけだった。

 

「そっかー、きっと楽しいよ? 授業サボって遊び放題って聞くしさ」

「知識が偏りすぎでは」

「大学生なんてそんなもんでしょ? 昼間っからFPSやってるのなんて大概学生ニートみたいなもんだし」

「方々に喧嘩を売るような発言ですね……」

 

 大学生になった自分なんて、今はまだ想像もできない。

 でもきっと、チセが言う通りろくに授業も受けないダメ学生になってるんだろうな、とは思う。

 だって、熱意がないから。理由もないから。

 

 とりあえず入って、単位を落とさない程度に勉強して、卒業して、就職のための切符を得る場所。

 それこそ大学という教育機関に喧嘩を売っているような考えではあるけど、今の大学なんてやっぱりそんなものだと思う。

 もっとも、就職できるかはわからないし、やりたい仕事なんて余計に浮かばないんだけど。

 

 それ以上に私は、チセを失った自分を上手く思い描けていない。

 車椅子を押して、他愛もない話をしている今だって、チセの命は、少しずつ灰になっていく。

 だから、明日なんて来ないでほしいと、心の底からそう思う。

 

 不思議なものだ。

 チセと出会ってからは、明日が来るのが楽しみで仕方なくなっていたのに、今は一緒にいるのに、明日なんてもう来ないでと願っている。

 足を止めたら、涙もまた止まりそうにないから、私たちは病院の廊下を無為に往復することを繰り返す。

 

「ねえ、ユキ。少しだけ外に連れてってもらっていいかな」

 

 廊下を何周したか数えるのもやめたそのとき、チセは唐突にそんなお願いを持ちかけてきた。

 

「大丈夫なんですか?」

「少しだけなら平気だって」

「……本当に、ですか」

「本当だってば」

 

 信用ないなぁ、と肩を竦めながらいたずらっぽい苦笑を浮かべるチセに呆れながらも、私はその願いを静かに聞き入れる。

 外はいわゆるドカ雪で、電車も止まっている始末だった。

 だからわざわざ病院まではタクシーできたのだけれど、そんな私の交通事情はともかくとして、そこに見るべきものなんてなにもない。

 

 一面の銀世界といえば聞こえはいいけど、実際はただ不便で寒々しいだけだ。

 それでも、チセがそう願うなら。

 そんな不毛な景色でも、その目に焼き付けておきたいと願うのなら、私に止める理由は残されていなかった。

 

「……少ししたら、戻りますよ」

「わかってるってば」

「本当ですか?」

「本当本当、うひひ」

 

 そういう笑い方をするときのチセは信用できない、と言ったところで、聞く耳なんて持っていないんだろう。

 そのわがままに従って、私は一応巡回する看護師さんの目から逃れるように、そっとチセの車椅子を外に出した。

 コートとかは部屋に置きっぱなしだったこともあって、刺すように冷たい吹雪が容赦なく私たちを打ち据える。

 

「おー、さむさむ……だけど生きてるって感じするねぇ」

「どんな理屈ですか……」

「サウナと水風呂往復して整うとかいうじゃん? そんな感じ」

「あれも危険なんですよ、一応」

 

 確か、ヒートショックだったか。

 急激な寒暖差で心肺だったか血管だったかが悲鳴を上げるらしい。

 だからこそ、一目見たら満足したことだろうと引き返そうとした私を制するように、すっかり痩せ細ったチセの手が伸びる。

 

「ちょいちょいちょい、まだ用事終わってないから!」

「これ以上外にいると、体に障りますよ」

「わかってるって! でも外じゃなきゃさ、言えないんだってば!」

 

 いつになく必死な形相でチセが叫ぶ。

 言えないこと。

 それに心当たりはなかったけど、それでも必死に、息が上がるのを堪えて伝えてくれたのだから、大事なことに間違いはないだろう。

 

 足を止めて、車椅子のブレーキを固定する。

 そして私は、チセの前に膝をついて、視線を合わせた。

 降り積もる雪が、チセの白い髪を、細い肩を濡らす。一秒を引き延ばした、刹那の中の永遠を漂うように、私たちはただ、見つめ合う。

 

 ──そして。

 

「ユキはさ、誰かを好きになるってどんなことか、わかる?」

 

 重く冷たい沈黙を破ったのは、今にも泣き出しそうなのを堪えているような笑顔を浮かべたチセだった。

 誰かを、好きになること。それが、ライクなのかラブなのか、それとも、もっと違う話なのか──少しだけ迷ったけれど、きっと全部なのだろう。

 全部ひっくるめて、恋も、愛も、無償のそれも、全てを包括して誰かに自分の人生を託したくなったことがあるかと、チセが問いたいのはきっとそういうことだった。

 

「……全部は、わかりません」

 

 誰かに恋をしたことはない。

 誰かに恋心を抱かれたこともない。

 そんな私が、恋を、ましてやその先にある愛を語るなんて、おこがましいことなんだろうけれど。

 

「わたしもおんなじだよ。でもさ」

「ええ」

「……最期ぐらいさ、本気で好きだって思った誰かにさ、あげたいんだ」

 

 わたしの、はじめてを。

 チセは頬を赤く染めて、涙を零しながらその願いを口に出す。

 いいのだろうか、とは訊けなかったし、訊かなかった。私も、同じだったから。

 

「だから教えてよ、ユキ。最期にさ、恋の味ってやつを」

「……チセ」

 

 その願いに応えて、私たちは惹かれ合う。

 磁石のように、雪が地面に降り積むように。

 そうして交わした温もりは、寒さの中ではあまりにも頼りなくて、今にも消えてしまいそうだったけれど。

 

 ああ、これが恋なのか、と、身体の芯にぼうっと熱が灯るのがわかる。

 命を燃やすような感覚と、少ししょっぱい舌先の味。

 ファーストキスはレモンの味なんて言ったのは、一体どこの誰だったか。誰だっていいし、どうだっていいけど、嘘つきも甚だしい。

 

 だって、私の初恋は。

 私たちのファーストキスは、涙に塗れた味が、零れ落ちていく命の味がしたのだから。

 

 それを最期の思い出になんて、悲しすぎるけれど、他にどうすることもできなければ、どこに行くこともできない私たちは、世界に爪を立てるように唇を交わしていた。

 

「……ねえ、ユキ」

「……なんですか、チセ」

「すぐこっちに来たらさ、許さないよ」

「……」

「いっぱい生きて、いっぱい笑って、いっぱい……楽しんで。お土産いっぱい持ってきてくれないと、許さないからね」

 

 写真を送り続けるように、生きた証を、生きようとして、生き抜いた──自分が生きられなかった分の人生を、お土産にしろと、チセが私の明日を呪う。

 それがどれほど、欠伸が出るほど退屈な日々だったとしても、燃えて尽きた灰が風に吹かれて舞い散るようなものだったとしても。

 途中で断ち切られてしまった、地球三周分のフィルムの続きを生きろと、涙を零して私に願う。だから。

 

「……クリスマスの写真、楽しみにしていてくださいね」

「……うん」

 

 きっと、それが最後だから。

 言葉には出さなかったけれど、私たちは同じ想いを確かめ合うように小さく頷き合って、病院のエントランスに引き返していった。

 

 だから、生きる。

 生きて、生きて、生き抜いてやると、叫びに代えて私はひたすらに涙を零す。

 最初で最後のキスを思い出に。消えない願いと、癒えない呪いを心に刻みつけて、生きてやるんだ。

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