チセが亡くなったのは、年の暮れのことだった。
辛うじて私がサンタクロースの格好……というには脚が涼しい衣装を着て、イルミネーションをバックに撮った写真を見てくれたらしい、というのは、お葬式でチセの両親から聞かされたことだ。
もうその頃には、ほとんど目も見えない状態だったらしいけれど、チセは笑っていたと──愛おしそうに、その写真を抱いて、眠るように逝ったと、そういう話だった。
実際、チセの死に顔は穏やかなもので、眠っているようにしか見えなかったことを、覚えている。
だけど、触れたその肌は硬く、冷たくて。
チセはもう帰ってこないんだと、本能がそう理解して、棺に縋り付くように泣き喚いたことを、覚えている。
そしてきっと、忘れることはない。
なにがあったとしても、この先私がどう生きていくのだとしても、チセがもうこの世にはいないのだという欠落は、深く深く刻まれた傷跡のように、ついて回ってくるのだろう。
お通夜では、チセの親戚たちが彼女を憐れんでいたことを思い出す。
まだ若いのに可哀想だとか、不幸だとか。
それは、その人たちなりにチセの人生を理解しようとして、出てきた言葉なのかもしれない。
地球の裏側で今日も誰かが、今も誰かが命を落としていたって私たちは気にすることなくご飯を食べているように、距離の遠い死というものは、いつだって他人事だ。
だから、その人たちはただの一般論に従ってお悔やみを寄せたというだけの話だとわかっていたのに、私は怒りを堪えきれなかった。
「あなたたちに、チセのなにがわかるんですか」
チセが笑ったところも、どんな風に生きて、どんな風に死んでいったのかも伝聞でしか耳にしていないような誰かが、チセの死を語ることに、堪えられなかったのだ。
千歳、という名前に込められた祈りは果たされることなく消えていった。
その悲しさを、心臓を抉り出されるような痛みと空虚さを、一体どれだけ大人たちは理解しているのか。
などと、私が幼い怒りをぶつけたところで、それが理解されることなどないこともわかっていたのに、それでもそうせずにはいられなかったのは、ひとえにチセがチセとして生きた時間を、誰かの月並みな言葉で括られたくなかったからだ。
当然、可哀想な人を見るような目で見られたことはいうまでもない。
だって、若くして亡くなってしまった親戚が私にもいたなら、きっと同じことを言っていただろうから。
それでも抵抗したのは、反発したのは、単なる若気の至りだとは思いたくなかった。
チセと過ごした日々を、もう二度と帰ってくることはない、愛おしいあの日々を、「可哀想」なんて言葉で、「不幸な」だなんて言葉で、飾られたくなかったから。
チセが不幸だったかどうかなんて、誰かが決めていいことじゃない。
だって、そうでしょう。
私はチセが楽しそうに笑っているところを知っている。
幸せなときを過ごしたことを知っている。
チセの一生は悲しいことばかりの人生だったわけじゃないのに、ただありふれた悲劇のように扱われることは、我慢できなかったのだ。
我を忘れて親戚たちに噛み付く私を止めてくれたのは、チセの両親だった。
もういいと、もういいんだと。諭すように、私の肩にそっと手を置いて、その首を横に振りながら。
「もういいんです、水上さん」
「だって……!」
「娘は、幸せでした。貴女と出会えて……きっと、悔いのない人生を送れたと、私たちはそう思っています」
貴女という友達がいてくれてよかった。
娘はきっと幸せだった。
親戚たちに食ってかかる私を引き止めながら、涙と共にそう言ってくれたことは、一抹の救いだったけれど。
その全てが過去形になってしまったことに今更気付かされて、私は泣き崩れた。
もう、チセが笑ってくれることはない。
いくら写真を送ったって、喜んでくれることはない。
チセは、確かに思い出の中で生きている。
だけど、思い出の中でしか生きられない。
そして、私たちは、チセが生きる思い出の世界に立ち入ることは、戻ることはできないのだ。
その残酷さを、それでも生きろと願い、呪ってくれた最後の言葉を思い出して、慟哭に暮れたことを、今でもはっきりと覚えている。
死んだら、人はどこに行くのだろう。
良い子には天国があると、小さい頃に聞いた説法のことを思い返しながら、私は読経を聞いていた。
死んだあとのことなんて、それこそ死んでみなければわからないのだから、天国の存在も、その反対にある地獄の存在も、誰も証明できやしない。
だったら、だとしたら。
今聞いているありがたい供養の言葉は、死者に向けて唱える念仏は、全てが虚しいんじゃないだろうかと、自暴自棄になりかける。
それでも式の途中で叫ばなかったのは、ただ涙を零すだけにとどまっていたのは、チセが遺してくれた呪いと願いがあったからなのかもしれない。
── いっぱい生きて、いっぱい笑って、いっぱい……楽しんで。お土産いっぱい持ってきてくれないと、許さないからね。
後を追おうと、何度思ったことか。
チセのいない人生になんの価値があるんだと、どれほど自問自答したことか。
それでも、私は生きなければいけなかった。託された願いを叶えるために、刻まれた呪いを受け入れるために。
そして、この悲しみさえいつかは時の流れに押し流されて、摩耗していくのだと思うと、気が狂いそうなくらいの絶望に襲われたけれど。
やっぱり、私が足を止めることを、チセは決して許しはしないのだろう。
人生が八十年だと仮定して、私が抱える余剰は六十三年。
それほどの時を、ただ無為に……チセがいない時間を生きられる気なんて、とてもじゃないけどしなかった。
だとしても、人はどうやったって忘れていく生き物だ。
身を引き裂くようなこの痛みも、どれだけ願ったって、いつしか記憶の彼岸に押し流されていくことに変わりはない。
そうして私は本当の意味で思い知る。
チセの「生きろ」という言葉がどれほど重いものであったのかを。
忘れることなんてできるはずはない。だけど、傷跡はいつか癒えていく。
チセとの思い出の日々も、チセを喪ったこの痛みも、全部忘れることなく抱えて生きていられたら、と、深く、深くそう願うけど。
全てを終えて、喪服のまま倒れ込んだベッドの上で、私はもうとっくに流し尽くしたと思っていた、枯れ果てたと思っていた涙を零し続ける。
「……チセ……チセ……ちせ……っ……!」
FPSを起動して、ログインすれば、ロビーにチセが待っているような気がして、反射的にパソコンの電源を入れたけど、フレンドのログイン通知を見れば、チセの時間は去年のまま止まっていた。
そして、それが動くことはない。
止まった時の中で、思い出の中でしかチセはもう生きられないんだという現実に再び打ちのめされて、ただ私は打ちひしがれる。
もっと一緒に話したかった。
もっと一緒に、他愛もない時間を過ごしたかった。
刹那の中に芽生えた恋心だけを色褪せた世界に残すんじゃなく、二人で水をかけて育てていきたかった。
あれほど後悔しないようにと、チセの命が尽きるまで、最善を尽くしたつもりだったのに、不思議と後悔は、叶わなかった「たられば」は、いくらでも溢れ出してくるから、皮肉なものだ。
最善なんて、選べない。
どれほど力を尽くしたって、どれほど決意を固めたって、例え最善を果たせたとしたって。
人は、それ以上を求めてしまうものだから。
もっと違う結末があったはずだと泣き叫ぶ私の声は、きっと神様には届かない。
ただ人の運命を弄ぶように、ダイスを転がし続けるだけだ。
私がチセと過ごした時間は甘美な思い出として、心に刻みつけられている。
だけど、それが戻ってこないことも、失ったものであるという事実もまた、心にまとわりついているのも確かなことだった。
「……ち、せ……チセぇぇぇっ!」
だからこそ、私は深く、深くその名前を、もう二度と戻ってくることはない愛しい名前を、慟哭のように叫ぶことしか、できなかったのだ。