なるべく柔らかい笑みを浮かべるように心掛け、歩いている人たちに愛想よく手を振る。
生活する上で僅かでも互いを知っているということは意外と大切で、その与える印象が良ければ大切さに輪をかけ、重要な何かに至ったりするものだ。
知らなければ零だが、知られていれば一からそれ以上になる。
広く知られることは案外馬鹿にできない。
だからこうやって様子見ついでに顔を売る。
「オタクくんさぁ」
俺を真似して小さく手を振っている少女が呟いた。
声に応えるよう顔を向けると、同じように木に体を預けていた。
ふわふわとした長い黒髪は白いリボンでツインテールに結われている。
服装はモノトーン調を意識しているのだろう、俺からしたら少し短いと感じるスカートの裾が風で静かに揺らめいている。
オタクくん、と彼女は俺のことを呼んだが別にバカにしてるわけではない。
内心はわからないが、会話からは読み取れない。
「何かな、地雷ちゃん」
少女のことを、地雷ちゃん、と呼んだが俺もバカにしてるわけではない。
ただ、くじ引きで作られた二人組として、互いの呼び名をどうするか話し合った際に決まった呼び名だ。
少女は昔流行った『地雷ファッション』とやらが好みらしく、そう呼んで欲しいとお願いされた。
俺もそれに倣った結果、昔流行ったオタクとやらを参考に『オタクくん』と呼ばれるようになった。
「いや、明日からの授業どうするか聞いとこっかなって。あたし、よくわからなくてさぁ」
「よくわからんって別に好きなように受けたら……。ああ、なるほど」
途中まで言いかけて、一人で納得する。
平日の月曜日から金曜日までは講義をやっていて、座学と実技が入り混じっている。
義務教育みたいなカリキュラムが無く、自由に選んで学べる点は大学の授業に近い。
大学との違いは必修科目が無いことや、卒業に単位を必要としないことだろうか。
地雷ちゃんは見た目通りなら義務教育を終えたばかり、それでなくても高校生程度の年齢だろう。
自由に授業を受けられるという事実に抵抗を感じるかもしれない。
「最初の1ヶ月は概論とか基礎ばかりらしいから気軽に色々受けたらいいかもね」
「がいろん?」
「大雑把にこういうことしてますよ、みたいな説明してくれるって考えたらいいよ」
配布された本、いわゆるシラバスを開いて見せる。
大学で配られたシラバスは薄い冊子だったが、持っているそれは冊子と呼ぶよりは最早書籍に近い厚みと重さだった。
あまりピンときてないのか「うーん……?」と地雷ちゃんは小首を傾げた。
俺も同じようなものだが、だからこそ色々と受けてみる予定だ。
実際の講義内容がイメージ出来ないのは知識や経験が無いからで、僅かでも積み立てれば見通しに繋がるかもしれない。
知らない物を想像するのは難しいし、大抵は徒労に繋がる。
しかし、僅かでも知っていれば比較の対象にも使える。
「地雷ちゃん、一緒に受ける? 最初だけでもいいし。俺も一人だと不安だから居てくれると助かるんだけど」
「えー、じゃああたしも受けよっかな」
「そんなに誘われちゃったらなぁ」と照れたように地雷ちゃんが呟いた。
若い女の子と仲良くしたい下心もあるが、一人で講義を受けるのは実際心許ない。
年齢だけでなく、出身地も様々な環境だ。
全身凶器みたいな奴や猛獣みたいな奴が近くに座ったり、難癖をつけてきたら失神する自信がある。
「そしたらあれだな、明日の午前は講義を受けてみようか。まず迷宮基礎は受けたいな。地雷ちゃんはなんか興味ある?」
「シラバス、読んでみる?」と開いたシラバスを地雷ちゃんに見せる。
彼女にも配布されているだろうが、厚みの無いバッグ、サコッシュとやらしか身に付けていない。
「シラバス?」と首を傾げた地雷ちゃんに、「これからの授業計画を簡単に纏めた物かな」と伝えれば納得したように頷いた。
講義名や講師名、授業の要約、講義形式、ページ数が書かれていて、指定されたページ数をめくればより詳しい内容を知ることができた。
「え、なんだろ。……メイク?」
「メイク?」
「お、お化粧、みたいな?」
「あ、化粧か。お洒落路線だな」
「やっぱりダメ?」
「ダメ? なんで? いいんじゃない? 素材を使った化粧品とか人気らしいじゃん」
「ホントに?」と聞かれたので「ほんとほんと」と気軽に答える。
「ホントにホント?」と聞かれれば「ホントにホントにほんと」と目を合わせて答える。
「やった!」と地雷ちゃんは小さく喜んでいた。
それはそれとして、化粧品と繋がりそうな講義をざっと探してみる。
応用できそうなのは錬金術だろうか。
やはり知識不足を感じる。まさかお洒落に応用が効く講義の発見に知識を必要とするとは思わなかったが。
「化粧品だと、まあ錬金術かな」
「錬金術! ……れんきんじゅつ?」
「魔法文明の化学みたいなやつ」
「化学かあ……」
地雷ちゃんが遠い目をして、少し離れた位置にある門を眺めた。
少し前までは行列のできる飲食店かと思えるほどの賑わいは鳴りを潜め、ぽつぽつと人が入って行く。
そちらに手を振れば、朗らかに返してくれる人ばかりとなった。
混雑時は怪訝そうにこちらを見る人、完全に無視する人などばかりだったので、慣れた人たちが入る時間なのかもしれない。
地雷ちゃんは勉強があまり得意では無いのかもしれないが、この機会に頑張ってほしい。
錬金術入門に書かれている指定されたページをぺらぺらと捲って開けば、従業計画や授業日数、必要教材、講義室など詳しく書き記されている。
途中で目に入った上級剣術の実技は運動場で行うこと、そして剣を振ることしか書かれていなかった。
おそらくシラバスに記載される内容は講師毎に任されているのだろう。
「も、文字の圧がしゅごい……」と慄き、ただの計画書に挫けかけている地雷ちゃんの様子に笑みが浮かぶ。
「あと魔法も良さそう」
「魔法! 実はあたし、魔法に興味ある。ちょっとね」
「俺もあるよ。かなりね」
どんな感じなのだろうかとシラバスを流し見する。
うーん、これは……。
「やっぱり俺はあんまり興味無いかもしれない」
「えぇー?」
簡単に意見を翻した俺の様子に、地雷ちゃんは僅かに不満げだったが言い訳させてほしい。
魔法、と一括りで表現したが、軽く見ただけでも多岐に亘っているせいだ。
魔法学入門から始まって、初級魔法(青)、それに連なって現代魔法、近代魔法、古代魔法、異界魔法と続き、属性や応用、中級、上級、と掻い摘んでも終わりが見えない。
なんなら(青)の次は(赤)が始まり……と、つらつらと続く魔法の多様さに辟易する。
さらに魔法だけでなく、魔術入門まで発見してしまった。
魔法が8割を占めている事実を見せつけると、地雷ちゃんは「……あたしもあんま興味無いかも」と呟いた。
「それはそれとして、俺はそんなに魔力ないから初級で終わりそう」
「あーね。……あたしもあんまり無いらしいから初級なのかな」
「成長期までは増えやすいって聞いたから地雷ちゃんならもっといけちゃうんじゃない?」
「えー? オタクくんはー?」
「オタクくんはもう22歳なので成長期とかそういうレベルじゃないんだよなぁ」
「22なの!? おじピッピじゃん!」
「待って。22は若いでしょうが。その前におじピッピって何さ」
俺がおじピッピだと俺の叔父さんは何ピッピになるんだよ。
おじピッピッピッピか等と益体も無いことを考えていると、地雷ちゃんが片方の手のひらを広げ、いわゆるパーを俺に見せた。
俺は首を傾げながらチョキを出して見せると、地雷ちゃんも首を傾げた。
「俺の勝ち。なんで負けたか、明日の冒険者入門までに考えといてください。そしたら何かが見えてくるはずです」
「あ、じゃんけん。……ふふ、違うから。あたしより5歳以上も上じゃんってこと」
俺がチョキを見せつけていると、ケラケラと笑いながら地雷ちゃんはグーを出してきた。
なるほど、負けてしまった。
両手をひらひらさせながら「俺の負け。なんで負けたか、明日の冒険者入門までに考えてきます」と俺が言う。
ニコニコとした地雷ちゃんは両手をチョキにして「さっき負けたらカニが見えてきましたぁ」と続けたので、釣られて俺も笑った。
「明日は朝の授業ね、りょ」
「りょ?」
「りょ」
「りょ」を息継ぎ無しで限界まで連呼して聞かせれば、地雷ちゃんも真似して「りょ」を連呼した。
門に入って行く人たちに向けて手を振りながら「りょ」を一生懸命連呼し合う男女コンビがここに誕生した。
なお数十秒で息切れして解散した模様。
「で、今日はどうするの」
「そうだね……。やっぱり今日はこのまま様子見かな」
「えー」
「だって俺、後ろで地図を描く人だし……」
地雷ちゃんが武器を持っているなり、杖を持っているなりしたバトルタイプの人だったら話は変わったのだが。
と言っても後ろに付いて行くだけだ。
外でぼやーっと手を振るか、中で後ろをぼやーっと付いて行くだけの違い。
「あたしの知ってるオタクと違う。漫画とか本だとオタクはめっちゃ強いんだけど。魔法か剣か、変な技でサイキョーみたいな」
「俺の知ってるオタクとは違うんだが。例えば自室から出ない最強の拒絶タイプ的な」
「出ないの?」
「出てるが」
「オタクくんさぁ、罪深いよ。これ、オタク詐欺だね。オタク詐欺は嘘つきの始まりだから罪深いと思います。ね、罪深くない?」
「深さは知らないけど突然降って湧いた罪に戸惑ってる。参考までにどうやって償うか聞いてもいいかな」
「え? ……トラックに轢かれるとか」
「死は救済……ってコト!?」
「なんとかなれー!」と叫びながらトラックに轢かれる自分を幻視する。
ある意味なんとかなるけど、別の何かが発生しそうだ。
「いや、違くて。トラックに轢かれると転生して強いオタクになれるってあたしの記憶がそう言ってる」
「転生ってことは死んでるじゃん」
「それはそう。……たぶんそう、部分的にそう」
「俺が思い浮かべているのはオタクですね……ってコト!?」
確かに思い浮かべているのはオタクについてだが、俺と地雷ちゃんとの認識にこんなにも違いがあるとは思わなかった……!
ケラケラと地雷ちゃんが笑う。
俺とのちょっとした会話が暇つぶしになっているのならいいんだけど。
今日の方針は門から出てくる人たちから話を聞くことだが、誰もが入る一方で出てくる気配がない。
「そういう地雷ちゃんは何ができるんだい」
ちなみに俺はさっきも言った通り地図を描く人だ。
大学では別に地図を描くことに適した勉強はしていない。
未経験で初心者だが、誰もが似たような物で誤差だ。
例えば前衛だってこれまでモンスターを殺したことが無いんだから未経験だし、初心者みたいな物だ。
まさに紙一重、職業に貴賤なし。
「あたしはこれかなぁ。試してみる?」
「……それじゃ腕前を見せてもらおうかな」
地雷ちゃんの手にはサコッシュの中から取り出された道具があった。
俺が神妙に頷けば、にっこりと地雷ちゃんは笑みを浮かべた。
手際よく準備する様は堂に入っているように感じた。
「意外。超やばーい。オタクくん、ちゃんと爪の手入れしてるんだぁ」
「別にやばくなくない? それなりに気を遣う機会があったからね」
寄りかかっていた木の傍、適度な長さの雑草が生えた地面に向かい合って座り、俺の爪のケアを始めた。
地雷ちゃんはネイリストに憧れたらしい。
専門学校に入って普通にネイリストになっても給料が安いとか、変わった素材を使えないとか、そういう事情で進路を決めたと話してくれた。
「上手だね。あんまりわからんけど」
「えへへ、照れる。もっと褒めて」
「えっ、もっと褒めんの?」
「オタクくんさぁ、チャンスなんだよ? 女の子を褒めるチャンスをあげてるんだからさぁ。感謝して?」
上機嫌にニコニコと笑う地雷ちゃん。
チャンスかどうかはわからないが、爪が綺麗にされているのは確かなことなので。
「えぇ……。ありがとうございます?」
「どういたしましてぇ」
「……地雷ちゃんは爪も綺麗にしてるね。とても上手です」
期待の眼差しに負け、テキトーに褒めれば上機嫌に鼻歌混じりのリズムを刻みだした。
一緒に組んで活動する予定であり、少しは仲良くなったと思っていいだろうか。
目下最大の障害は……。
「俺たちは冒険者だからダンジョンに行かなくちゃいけないんだよな」
「それね。どうしよっか。オタクくん、爪に毒とか塗っちゃって引っかくとかどう?」
「良くて爪が割れるんじゃないか。それに、突き指か骨折は普通にすると思う。そもそも毒がない」
「あーね」
とりあえず魔法の講義を受けてから、という方向に決めた。
何か有効な魔法を覚えられるかもしれないし。
部活くらいしか運動経験が無いから武器を使うのもあまり現実的じゃない。
俺が前衛になるために頑張るのは論外だ。
自分が出来ないなら、出来る他人に助けてもらえばいい。
「パーティが組めるようになったら前衛に来てもらおう」
自分で言ってて楽観的な意見だが、当てがないわけではない。
とは言え、今はこのままなのも確かだ。
悲観的になるほどでもないが。
「当分はこのまま知り合いとか増やして……」
助けてくれる人を見つけよう、と続けたかったが阻止される。
目的だった門から出てきた集団を発見したためだ。
話を聞きに行くために地雷ちゃんに声をかけていると、その集団の先頭に立っていた女性が叫んだ。
「わたくしたち、ダンジョンを踏破しましたわー!!」
迷宮学園のダンジョンが初日クリアされてしまったらしい。
こんな時、どんな顔をしたらいいかわからない。
目を丸くした地雷ちゃんと見つめ合うと、なるほどこういう顔になるんだなと納得した。
そして、たぶん俺も同じ表情を浮かべているだろう。
「お嬢様ってホントにいるんだ。コストが掛かってそうなドレス着てたけど」
「あたしも着てみたいなぁ」
「地雷ちゃんも似たような恰好してるけど関係ある?」
「無いなぁ。ゴスロリを着やすくしたら地雷ファッションみたいなところがあるし。……え、あたしってもしかしてジェネリックお嬢様ってコト!?」
「ジェネリックお嬢様」
「さっきのお嬢様が真・地雷ちゃんってコト!?」
「真・地雷ちゃん」
「あたし、一日で偽物になっちゃった……」
「地雷ちゃんって忙しい娘だね」