魔王討伐に貢献したオークの英雄、数百年後の世界で人間の女戦士を嫁にする 作:京谷ぜんきまる
――オークの都モーベイ、ルサイド宮殿。
冬のモーベイは、雪に閉ざされつつあった。
バルカーマナフが去って以来、英雄の帰還に沸いた都の熱は冷め、夜ともなれば住人達は家屋に引きこもり、通りは重苦しい沈黙に包まれていた。
ルサイド宮殿の一室では、赤い結晶灯の光の下、氏族長ラケーシが酒を傾けていた。
傍らに、四人の侍女が控えている。
侍女長のエジャン、ゼフラ、アジュ、リン。
宮殿の宮女の中でも、ラケーシの手足となって働く腹心達だ。
いずれも、ウルドログの女丈夫テッサを毎夜ラケーシと一緒になって愛撫し、夜伽に交じっていた女達だった。
「ねえ」
ラケーシは盃を置いて、侍女達を見回した。
声は静かだった。だが、その分だけ、侍女達の背筋は凍った。
「あの夜あたしが寝入った後、テッサは宮殿から出て行った。あたしに一言の挨拶も無くね……お前達、少しテッサにきつくやりすぎたんじゃないのかい?」
テッサは、ギルベーダ亡き今、ラケーシを除けば最強のハイオークだ。
ラケーシがテッサを見初めたのはバルカを自らのつがいにすることが出来なかった喪失感を埋めるためだけではない。
彼女と肉交し、同時にチェンバー・アーツを仕込むことによって互いの強さを高める意図があった。
だが、テッサは自分から離れていった。
バルカのように。
侍女長のエジャンが、恐る恐る口を開いた。
「も、申し訳ございません。まさかテッサ様がモーベイを出奔するとは思いもよらず……」
「まったく、このあたしが短い間に二度もフラれるとはね」
ラケーシは、くすりと笑った。
笑いながら、目だけが笑っていなかった。
ギルベーダから助けてやった女だ。目の前で暴虐の暴君を殺して、自由にしてやった。
恩に着せるつもりは無かった。
多少の淫気を当てた。だが、それはテッサが自分に懸想していることを見越して、できるだけ早く関係を深めるためだ。
ラケーシとしては決して強引に手籠めにした気はなかった。
だが、テッサは去って行った。
衆目の前で、あの男に袖にされた。
バルカの時には事を急ぎすぎた。
だから同じ轍を踏まないために、充分優しくしたつもりだった。
それなのに。
「あんた達にも責任はあるんだからね……まあ、いいわ。今夜はあんた達で埋め合わせしてもらおうか」
一番小柄なリンが、小さく息を呑んだ。
その時だった。
宮殿の外、都城の中心の方角から、聞いたことのない音が響いた。
窓の外の空が、夜とは違う色に染まっていく。
ラケーシは立ち上がり、窓辺へ寄った。
侍女達も、恐る恐るその後ろに続く。
都の中心に聳える、君主の城。
四百年以上も主の不在が続く城に放置されていたギルドクリスタル。
それが、今、起動していた。
城の上空に、空を背負う巨影が結ばれる。
赤いマグマのようなエネルギーの線が流動する漆黒の巨躯。
炎のような闘気。黄金の二つの灯。
そして、声が轟いた。
――俺の名はバルカーマナフ。
ラケーシは、見上げていた。
盃を握る手が、小さく震えているのに、自分で気づいていなかった。
「……バルカ」
誰に言うでもなく、ラケーシは呟いた。
自分を拒んだ男が、世界に名乗りを上げていた。
その名を、世界が聞いていた。
出奔したテッサもまた、どこかでこの声を聞いているのだろうか。
ラケーシの唇が、怒りとも笑いともつかぬ形に、歪んだ。
× × ×
――同盟圏、聖教の祈祷室。
会議が終わり、クリスタルの光が消えた後も、大聖躯シェディア・オルヴェーナは、しばらくその場に佇んでいた。
傍らに控えるオルタン大司教が、窺うように声をかける。
「シェディア様……先ほど、あのオークをご覧になって何かお気づきになった様子でしたが」
「ええ」
シェディアは、目を伏せた。
「あの方の霊体には、無数の霊が取り憑いていました」
「取り憑いて、いたと……?」
「ワニのような姿をした亜人の霊です。非常に強い霊でした。行き場を失くした魂……怨霊と呼ぶべきものも、少なくありませんでした」
オルタンの顔が強張った。
聖戦の名分を担う聖教にとって、怨霊を背負うオークなど、討伐の大義そのものに等しい。
だが、シェディアの声には、嫌悪も恐怖もなかった。
「けれど、不思議でした」
「……と、申されますと」
「あの霊達は、あの方を祟ってなどいなかったのです。取り殺そうともしていない。縋るように、庇護下にあるように、あの方に負われていた」
シェディアは、遠くを見るように言った。
「あのオークは、死者達にさえ、慕われているのでしょうか」
オルタンは、答えられなかった。
× × ×
――南海の島国、サフィラ・クエインの宮殿。
会議を終えた女王は、海図の広がる卓の前で、御付きの将校達と向き合っていた。
「女王。あの巨大なオーク、我らも目撃しております……北のオークどもの件、我らは静観ということで」
「ああ。今のところはね」
サフィラは海図の北端へと、視線を走らせた。
北海。
バルカーマナフが「俺の縄張り」と宣言したその海は今の季節、厚い氷に閉ざされている。
「……氷が、溶けたらさ」
サフィラは指先で、海図をなぞった。
「一度、船を出してみようかね。オーク族のリーダーがどんな男か、実際に会ってみたい」
「じょ、冗談ではございませんな。同盟に知れれば、ただでは済みますまい」
「知れたら知れたでいいさ」
女王は、歯を見せて笑った。
「海の女王が、挨拶もなしに隣の海の主を見過ごす方が、よっぽど無礼ってもんだ」
× × ×
――ヴァルダール王宮。
会議の行われたドーム状の部屋で、ヴァルダール王は浮遊椅子に深く沈み込んでいた。
胸元の衣は乱れ、顔色は土気色だった。
精神体を掴み上げられ、締め上げられた感覚が、肉体にまで残っているかのように、喉がひゅうひゅうと鳴った。
「治癒士を呼べ……! 今すぐだ、かかりつけの者を……!」
こめかみに指を当て、念話で誰かにそう怒鳴った後、王は震える拳を握りしめた。
「おのれ、バルカーマナフ……この屈辱、必ずや晴らしてくれる……!」
傍らでは、魔法士ヴェルミーヤが、どこからか持ち出した果物を齧りながら、その様子を眺めていた。
「止めはしないけどさ、彼、本物のバルカーマナフよ? 私見たことあるもん」
王の動きが止まった。
「……なに」
「あ、それから地底界のオークの知能を抑制してる秘法も彼が破壊したみたい」
「ど、どういうことだ……!?」
ヴェルミーヤは首を傾げて、考え込む素振りを見せた。
「無数のクロキアの霊を背負ってたから十中八九、怪獣の生き残り……ベヒーモス・クロキアも彼が倒してるわね♪」
「つ、つまり?」
「オークの抑制されていた知能が元に戻るわねぇ。北の大地にいる普通のオークも自由に南下できるって事ね。ねぇねぇどうする? 逆に同盟圏に攻め込まれるかもよ〜?」
王の目が、白黒した。
「そ、そんな、馬鹿なことが……」
言葉は、最後まで続かなかった。
ヴァルダール王は浮遊椅子の上で目を剥き、そのまま、倒れ込むように卒倒した。
椅子が傾ぎ、慌ててかけつけた側近と、遅れて到着した治癒士の悲鳴が重なった。
「あ、倒れちゃった」
ヴェルミーヤだけが、果物を齧りながら、のんきに眺めていた。
× × ×
――レギウラ王都メルバ、ギルドハウス。
ギルドクリスタルの間。
世界への投影が終わり、青白い光が収束していく。
部屋の中央に据えられたクリスタルの前で、バルカーマナフの巨躯がゆっくりと瞼を開いた。
霊体は肉体へと戻っていた。
だが、戻った肉体は重かった。
バルカは片膝をつき、床に手をついて、荒く息をついた。
「おっと」
傍らにいたレバームスが、咄嗟に肩を貸そうとして、その重さに顔をしかめた。
「……クロキアの霊群を憑依した状態でのタイタン・アバタール、予想以上の消耗だったようだな」
「霊力を、根こそぎ持っていかれたような感覚だ」
バルカは額の汗を拭った。
「自然に怨念が浄化されるのを待つのはさすがに厳しいんじゃねえの。どうすんだよ」
「大丈夫だ。あてはある」
彼の肩の上で、蒼い光が瞬いた。
器械精霊ギデオンだ。
いつもの得意げな様子はなく、バルカの霊体の残光を確かめるように、彼の周囲を一巡りした。
「……バルカ、消耗の他に、霊体を巡る霊力の出力波形に、少しだけ乱れがありマス。通常の霊力消耗による一時的なものだとはおもいマスガ」
「気にするな。少し休めば戻る」
「そうですか。……記録はしておきますね」
ギデオンはそれ以上は何も言わず、光度を落としてバルカの肩に乗った。
レバームスはクリスタルの間の出口へと視線を向けた。
「さてと。あとはメトーリアと一緒にアゼル達をここの地下のワールドノードで根の谷まで移動させるだけだな」
「俺たちも一緒に行った方がよかったんじゃないのか」と、バルカは心配げな声を上げる。
「いや、何度も話し合ったろ。こういうのはタイミングとスピードが重要なんだ。タイタンアバタールを見て、今は王都中の住人が腰を抜かしているはずだ。この混乱に乗じて一気にシェイファー館の人質を脱出させる手筈だろ。手練れのナキム達と一緒なんだ。心配すんな」
「いや、やっぱり迎えに行ってくる。お前は地下のウォルシュ達の護衛を頼む。行くぞギデオン」
「リョーカイ」
「世界中に気炎をあげたあとは、嫁の出迎えか」
クリスタルの間から出ていくバルカの背を見送りながらレバームスは肩をすくめた。
× × ×
レギウラ王都メルバも、突如上空に現れた巨人の姿に街中が大混乱に陥っていた。
その混乱に乗じて、人質としてアゼルたちが囚われるシェイファー館の敷地に忍び込んだメトーリアやナキム達数人のフィラルオークは、空を見上げていた。
特に、メトーリア以外の者はタイタン・アバタールを初めて見る。
だが、みなあれがバルカだと気づいているようで、恐怖などせずにむしろ興奮し、感嘆の吠え声を上げていた。
王都メルバの空に結ばれた、漆黒の巨影。空を背負う肩と、赤い闘気と、黄金の二つの灯を見据えて、メトーリアは小さく息を吐いた。
腰ベルトに付けているギデオンの分霊メダルが振動した。
会議の結果を伝える、ギデオン本体からの短い報せだった。
――赦免、成立。アクアル全民の課役解除、聖戦は発令されず。
メトーリアは目を閉じた。
(終わった……いや、ここからだ)
法の上では、アクアルは自由になった。
だが、妹と、家臣の家族は、まだこの館の中にいる。
館に常駐しているはずの衛兵達はなぜか一人もいなかった。
番兵達に対しては、元々そう数も多くないし、メトーリアは
レギウラ国内でも指折りの戦士でメトーリアだったが、バルカとの旅と戦い……そして彼との霊体の
今の彼女なら、衛兵に気づかれることすらなくことごとく気絶せしめることも容易だっただろう。
館のホールにメトーリアが足を踏み入れたその時、背後で、衣擦れの音がした。
メトーリアの手が、剣の柄にかかる。
振り返った先に――アルパイスが、立っていた。
レギウラ公王、アルパイス・テスタード・レギウラ。
水色に光る霊脈の紋様がある鎧に黒いマント。金色の長い髪。
メトーリアの師であり、支配者――。
かつてのメトーリアなら、視線を受けただけで息が乱れた。
今も、背筋を冷たいものが走るのは同じだった。
だが、メトーリアは剣の柄から手を離し、身構えるナキム達を手を上げて制し、まっすぐにアルパイスを見た。
「すごいものだな。あれが報告にあったタイタン・アバタールか」
アルパイスの声は静かだった。
いつもの声だ。何事もなかったかのような、穏やかな威厳。
空の巨影のことなど、まるで見なかったかのように。
「はい」
メトーリアは答えた。
「アゼルと、家臣の家族を、迎えに参りました」
沈黙が落ちた。
アルパイスの瞳が、僅かに細められる。
主君と臣下。
師と弟子。
そして、母と子のような関係でもあるふたりは――向かい合って対峙した。
これまでの投稿で評価や感想、ブクマなどしてくださった方ありがとうございます。
ずっと前から「ここどうしようか」とあれこれ悩んでたポイントを通過できたのでこれからは更新速度を出来るだけ上げていこうと思います。
正直更新してもなんのリアクションが無いのは辛いので、読んでくださるだけでも嬉しいのですが、感想や評価をいただけるのならモチベに繋がりますので!
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