魔王討伐に貢献したオークの英雄、数百年後の世界で人間の女戦士を嫁にする   作:京谷ぜんきまる

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第92話 妻のひとり、と言われた夜

 その日、英雄バルカーマナフの帰還と勝利を祝う酒宴がオークの都モーベイのいたるところで行われた。

 石造りの街中の至るところで篝火が焚かれ、火の粉が舞い、ジオルミ結晶灯の光とともに酒を飲み、笑い声を上げるオーク達の影を踊らせた。

 

 元君主の後宮であるルサイド氏族の宮殿にバルカ達は再び招かれて、昨夜とは比べものにならない盛大な戦勝の宴が開かれた。

 

 広間は熱気と酒気で満ちていた。

 ルサイド氏族の者たちはもちろん、オーク族の乗用獣ダイノボアの管理を任されているダムバラ氏族やパーム農場を管理し酒造を行うアブラン氏族、その他氏族の有力者が集まり、酒樽を叩き割る勢いで杯を重ねていた。

 年老いたダムバラ氏族長バランドは顔を赤らめて杯を掲げながら言った。

 

「皆、ギルベーダには苦い思いをしながらも、同族同士、争わぬよう我慢に我慢を重ねていたが……もうええでしょう。皆、正直になろうや。奴の横暴は目に余っていた! だがもう我慢することはない。帰還を果たしたバルカーマナフ様がギルベーダを倒したんじゃからな!」

 

 周りがどっと沸く。

 篝火の近くで、ルサイド氏族の男が大声で叫ぶ。

 

「ギルベーダとその取り巻き、地底界からやってくる度に処刑した首を晒して、クソ高い関税をふっかけて地底界の物を押し売りしやがってよ!」

 

 隣のオークが酒を吹き出しながら笑う。

 

「ははは! あのジジイ、毎回毎回、わがアブラン氏族の最高のパーム酒を没収しやがったんだぞ! 格下のはずのグラント氏族の他の連中までもがでかい態度で『グラントの名において』とかふざけたことをほざいていたが、奴らももう終わりよ!」

「そうだそうだ! バルカ様万歳!」

「ギルベーダの首が飛んだぞォォォ!」

 

 叫ぶハイオークの男の隣にいた妻らしき女が笑いながら突っ込みを入れる。

 

「いや、まだ死んではいないでしょ」

「とにかく、もうあのクソ支配から解放だァァァ!!」

 

 喝采が広間全体に広がる。

 昨日は、

 

“人間なんかと組む英雄など”

“バルカーマナフの生まれ変わり? まさかそんな”

 

 と、疑いや嫌悪の表情を浮かべ、陰で毒づいていた者たちまでが、バルカの名を連呼し始めていた。

 当のバルカは広間の中央に座らされ、しきりに酒を勧められていた。

 飲みながら、この掌返しの状況にしばし唖然としていた。

 ここまで賞賛され、お世辞の嵐にあったのは魔王を討伐したとき以来だ。

  

 隣に座るメトーリアも、ハイオークたちの熱狂を戸惑いながら見つめていた。

 レバームスは昨日と同じ宮女と酒を酌み交わしながら言った。

 

「昨日の今日でこれだ。オークというのは、良くも悪くも本当に単純だな。 昨日までは“バルカーマナフの生まれ変わり”と言っていたのが、今では“バルカーマナフその人が復活して戻ってきた”という話にすり替わっている。しかも、その大半が疑いもしない」

 

 レバームスとメトーリアの目の前を横切り、バルカの傍らまで歩み寄ったアブラン氏族長のバランドが言った。

 

「バルカーマナフ様。いつか帰ってくるという伝説、儂は信じておりましたぞ」

 

 年老いたルサイド氏族の長老が、バルカの前に杯を差し出しながら言った。

 

「へ? あ、ああ……」

 

 そんな伝説があるということも知らなかったバルカは、呆気にとられながら自分の杯を持ち上げた。ニカリと笑いながらバランドは杯を触れあわせる。

 中の酒がこぼれるくらい勢いよく杯を打ち合わせるのがオーク同士の杯の合わせ方だ。

 

 周りのオークたちが再び杯を掲げ、大声で叫ぶ。

 

「俺たちゃもうギルベーダに怯えなくていいんだ」

「バルカ様万歳!!」

「ギルベーダのクソ支配は終わったァァァ!!」

「これからはバルカ様の時代だァァァ!!」

「今夜は飲み明かしましょうぞ、バルカ様」

「う、うむ」

 

 内心では早くメトーリアと二人きりになりたいと思っているバルカだが、断れる雰囲気ではなかった。

 

    ×   ×   ×

 

 メトーリアはバルカの隣にいたが、彼女に声をかけるオークはいない。

 バルカは次々に自分の元へやってくる同族達と杯を交わしている。

 その最中にちらりと視線を送ってきたので、メトーリアはバルカに小さく頷いた。

 

 メトーリアはバルカの隣に座りながら、広間の喧騒を静かに観察していた。

 

 ハイオークたちの熱狂は、まるで堰を切ったように溢れていた。

 昨日まで「人間の女など連れてくる英雄など」と陰口を叩いていた者たちが、今はバルカの名を叫び、杯を掲げ、肩を組み合って歌い踊っている。

 その変わり身の早さは、さすがにどこか不自然にさえ感じられた。

 メトーリアの視線が、広間の奥に立つラケーシへと移る。

 ルサイドオークの氏族長は優雅に杯を傾けながら、こちらを見ていた。

 紅い瞳が、微笑みを湛えたまま、メトーリアとバルカを交互に捉える。

 

 その視線に、メトーリアはふとラケーシが何かにつけてバルカの肩に手を添えたり手を取って握ったりして触れる事を思い出す。そして、なぜか緊張を感じた。

 

 メトーリアとバルカのもとにラケーシがゆっくりと歩み寄ってきた。

 

「皆、聞いてほしい」

 

 彼女の声は穏やかだったが張りのある良く通る声だった。

 周囲の喧騒がしんと静まりかえった。

 

「バルカーマナフはギルベーダとの決闘で疲れてる」

 

 ラケーシはそう言って、バルカの肩にそっと手を置いた。

 事あるごとにラケーシはバルカの体によく触れる。手を握ったり……。

 メトーリアは反射的にその手をジッと見つめたが、その視線にラケーシは気づいたようだが、気にする様子もなく微笑む。

 

「いうて瞬殺だったじゃないっすか」

「そんなに疲れてないでしょ」

 

 とかいったオーク達からあがった小さな声をラケーシは無視して続ける。

 

「明日は地底界のバサルデ・レルムの統治者選びの話し合いにも参加してもらう予定だ。だから、今夜はもうゆっくり休んでいただきたい。もちろん、メトーリア殿も一緒に。彼女は人間だがバルカのつがい……()()()()()なんだからね」

 

 周囲のハイオークはお互いの顔を見合わせた。

 バルカのことは手放しで賞賛しているが、人間のメトーリアがバルカのつがいである事にはやはりいい顔をしない。

 だが、ラケーシが認めているのなら――と、納得はしたようだ。

 

()()()()()()……」

 

 思わずメトーリアは呟いた。

 

「な、何か、色々勘違いされてるみたいだな。あとで言っとく」

 

 バルカは少し困ったようにそう言い、メトーリアは小さく頷いた。

 

「……行こう、バルカ」

「ではこちらへ」

 

 と、ラケーシに連れられてメトーリアとバルカは広間を後にし、ジオルミ結晶の淡い光が導く回廊を進んだ。

 

    ×   ×   ×

 

 バルカとメトーリアは昨夜と同じ寝室に案内された。

 香炉から立ち上る例の甘い煙。

 湯気の立つ浴室の気配。

 しかし今夜は侍女たちの姿はなく、静寂が重く沈んでいる。

 ラケーシは扉を閉めると、ゆっくりと振り返った。

 

「バルカ」

 

 彼女の声は低く、しかし熱を帯びていた。

 

「明日の話し合いは重要だ。ギルベーダが敗れたことで、グラント氏族に苦しめられてきた地上の氏族達と地底界のオークが入り乱れて、バサルデ・レルム(圏域)をめぐって血で血を争う抗争が始まるかもしれない。ぶっちゃけると、あたしはバサルデ城の城主にはあんたになって欲しいと思ってる。他の氏族長もそう思ってるはずさ」

 

 バルカは困った顔をした。

 

「ちょっと待ってくれ。皆が盛り上がっているところ悪いが、俺は地上のフィラルオーク達を復興させるのだけでも精一杯だ。それに……ギルベーダは死んだわけじゃないだろう?」

「……なにが言いたいんだい?」

「あいつとの決闘は地上界に進出できるようになっても人間やエルフ達に報復するかしないかを決める……ただそれだけの決闘だったはずだ。ギルベーダがその約束を守り、これからは同族を簡単に処刑したりするようなことは止めて、おとなしくするのなら、おれは別にそれで――」

「いや、だめ」

 

 ラケーシは首を振った。

 左頬にかかっていた長い黒髪がフワリと揺れ、隠れていた左眼が露わになる。

 紅玉のような輝きを放つ瞳にジッと見つめられた瞬間――。

 バルカは思わず、次に言おうとしていた言葉を飲みこんでしまった。

 

「あんたは伝説の英雄。魔王を討ち、地上の呪いを解いた者。全てのオークは、あんたに膝を折るさ。せめて混乱が収まるまでの間だけでもバサルデ城の主になってくれないかい? 地底界のバサルデ・レルムは私たち地上のハイオークの領域と、下級……いや、フィラルオーク達が住む呪いの影響下にあった地域のちょうど中間点だ。そこにあんたがいてくれれば……こんなに心強いことはない。フィラルオーク達だってそう思うんじゃないかい?」

 

 たしかに、ラケーシの言うことは理にかなっているような気がする。

 

「……考えてみるよ」

 

 あとでレバームスに相談しようと思いながら、とりあえずバルカはそう返答した。

 

「お願いだよ。これからも、なるべく穏便に、仲良くやっていきたいからね」

「モーベイの統治者がそう言ってくれるのは、心強いよ」

「お互いの意見が一致してるなら、話が早いね。それなら……当然、ハイオークの女を何人か、あんたの妻に迎えてくれるよね?」

「……………………なに?」

 

 バルカは息を飲んだ。メトーリアもラケーシの言葉にハッとする。

 

「ハイオークの妻……?」

「ああそうさ」

 

 ラケーシは「当たり前じゃないか」と言わんばかりの顔でバルカを真っ直ぐに見つめた。

 

「昨日も言ったけど、強いオークはその強き血を残さねばならない。ましてや大きな群れの長ともなれば妻を何人も娶り、数えきれない数の情婦(おんな)を囲っているもんだ。そうだろ?」

「そ、それは……昔はそういうのが多かったが」

「今だってそうさ」

 

 たしかにオークの社会は、力がすべてだ。

 強いオークほどたくさんの妻を持ち、子孫を繁栄させていった。

 それは力こそがすべてを決めるオーク社会の掟であり、オークとして生きていく上での義務でもあったのだ。

 だが……バルカは違う。

 魔王討伐戦以降、人間と同じように“ただひとりの妻と添い遂げたい”と思うようになっていた。

 

(そもそも俺は……ッ)

 

 ラケーシは今度はメトーリアを見た。

 

「あんたを一目見たときから分かってたよメトーリア。強き女だと。だから、バサルデ城に忍び込み、モーベイまで来る旅を共にしたんだろう? でも他にもつがいの女達はいるだろ? それなのにハイオークの女とはつがえないなんて、モーベイのオーク達は納得しない……ねえバルカ。あたしとか、どうだい?」

「んな!?」

「なんでそんなに驚くんだい? あんたは昨日言ったよね?“会ってまだ一日も経ってない女と寝るつもりはない”って。もう二日目だよ♪」

「う……」

 

 バルカはしどろもどろになって、うろたえた。

 メトーリアはそれを見て目をみはった。

 このように弱々しいバルカを、メトーリアは初めて見た。

 

「バルカーマナフは様々な種族とパーティを組んで、魔王が討伐されるまでの長きの間、戦いに明け暮れていたと伝え聞いているけど……でもまさか、女をつくる暇がなかったわけじゃないだろう?」

 

 バルカの灰緑色の顔が赤らんだ。

 

「……ふーん?」

 

 小首をかしげたラケーシの紅い瞳が、ふと妖しく瞬いたようにバルカには見えた。

 

「ごめんよ。急な話だと思うかもしれないけど、明日にはバサルデ城に行くわけだからさ。お願いだから。どうか、考えてみておくれ」

 

 そう言ってラケーシは入ってきた扉の方へと一歩下がった。

 

「あんたの時代……昔のオークの国は全ての部族が君主の下に従うしきたりがあったんだろ? でも君主不在が四百年以上続いた結果……今のオークの国は、氏族と部族が付いたり離れたりを繰り返してる不安定な寄り合い所帯に過ぎない。ルサイド氏族の長として、モーベイの民を束ねる者としてオークの内乱を治めるのが四百年の悲願なんだ」

 

 最後にそう言い残して、ラケーシは寝室から出て行った。

 

    ×   ×   ×

 

 寝室に、重い沈黙が落ちた。

 ラケーシが出ていった後、ふたりはしばらく言葉を失っていた。

 香炉の甘い煙が、ゆっくりと部屋を満たしていく。

 バルカの顔のほてりはまだ消えない。

 ラケーシの指が触れた肩の部分が、じんわりと疼くような感覚が続いている。

 メトーリアはベッドの端に座ったまま、膝の上で手を固く握りしめていた。

 彼女の瞳は、扉の向こうを見つめたまま動かない。

 

「メトーリア、今からレバームスのところに行かないか? あいつは明日、俺たちよりも早くここを発ってネイルやウォルシュ達のところへ行く。その前にあいつの意見を聞いておきたい」

 バルカは立ち上がり、メトーリアに手を差し伸べた。

 当然、一緒に来るものだと思っていた。

 しかし、メトーリアは首を横に振った。

 

「……私は、ここにいる。少し……一人で考えたいことがある」

 

 バルカは手を止めた。

 メトーリアの瞳に、強い決意と、隠しきれない不安が混じっているのが分かった。

 

「………………えっと、大丈夫か?」

「ええ。大丈夫よ。お前は行って。ちゃんと話してきて」

 

 メトーリアは小さく微笑もうとしたが、唇がわずかに引きつった。

 バルカは一瞬迷ったが、彼女の瞳を見て頷いた。

 

「……わかった。すぐ戻る。メトーリア」

「ん?」

「俺は、俺がつがう相手はひとりだけだ」

「うん」

 

    ×   ×   ×

 

 扉が閉まる音がした瞬間、メトーリアの肩から力が抜けた。

 彼女は深く息を吐き、静かに呼びかける。

 

「……ギデオン」

 

 ふわりと光が集まり、小さな少女の姿をした器械精霊が現れた。

 

「ふわぁぁ……よく寝た。いよいよギルベーダとの対決ダネ。いやぁドキドキしちゃうネ~」

「もう決闘は終わったぞ。バルカが勝った」

「ファ―――!? ちょっとちょっとちょっと!? なんで休眠状態のままにするんっスか? ヒッッッッッッッッッッッッドイ!!」

 

 ギデオンはメトーリアの膝の上にちょこんとすわり、地団駄を踏んだ。

 

「す、すまん。昨日の夜、色々あって休眠状態のまま起動するのを忘れていた」

 

 メトーリアは頰を赤らめ、声を極力抑えていった。

 

「フゥン……フゥ~~~ン?」

 

 ギデオンは地団駄を止めてメトーリアの鼻先まで飛翔して、興味津々と行った顔でメトーリアをジロジロと見つめる。

 

「それでな、ちょ、ちょっと……聞きたいことがあるんだ。バルカのこと……」

 

 先程までの怒りが一瞬で消え去り、ギデオンは目を輝かせた。

 

「何でも聞いてヨ~!」

 

 メトーリアは深呼吸をしてから、勇気を振り絞るように言った。

 

「バルカって、昔、女の人と、その……したことあるのか? 魔王討伐の頃。強いオークの雄はつがいや妾をいくつも持つって聞いたのでな。昔のあいつはどうだったのかな、と」

「う~ん、そ~いうプライバシーに関わるセンシティブなことには回答できないんだよネ~」

「そ、そうか。そうだよな。お前も魔王討伐パーティのメンバーなんだもんな。仲間の秘密をおいそれとは――」

「でもサー! 推測はできるよネ~~! 今私を装備してるのはバルカじゃなくてアンタだしさ!」

「そうか! じゃあ、その推測を教えてくれッ」

 

 ギデオンはくすくす笑い出った。

 

「バルカはぁ………………女っ気ゼロだヨ~! 初恋の人にボコボコにされてから超オクテになったって聞いてるよ! 行く先々でけっこうモテモテだったけど、本人は『戦いが先だ』って全然手を出さなかったんだから! 童貞確定ネ~!」

 

 メトーリアの顔が、一瞬で真っ赤になった。

 しかし、同時に胸の奥が、温かく、ほっとしたような感覚で満たされていく。

 

「……そう、か」

 

 彼女は胸に手を当て、目を閉じた。不安が、溶けるように消えていく。

 代わりに、バルカへの想いが、静かに、強く、胸の中で膨らんでいった。

 ……そして、同時にラケーシに対する警戒心が強まる。

 ラケーシは純粋にオーク族のことを憂いているだけのような気もする。だが、それ以外の思惑がある気がしてならない。

 

 彼女がバルカや自分に微笑むとき。バルカに触れながら言葉を発するとき。

 メトーリアはなぜ自分が緊張するのか分かった気がした。

 

 ラケーシもバルカのことを、好きなのだろう。おそらくだが。

 

(……嫉妬、しているのか? それとも、不安に思っているのか?)

 

 考えていると、ふとメトーリアの脳裏にアルパイスの姿が浮かんだ。

 

(なぜだ…………いや、たしかに、ラケーシとアルパイス様はどことなく似ている……。)

 

 最初はただ、同族達の男達を従えている威風や風格に似たものを感じただけだと思った。

 彼女がバルカに好意を持っているのは分かっている。

 だが、他にも、何かがあるような気がしたのだ。

 改めて感じた……どこか似ている。

 一見ラケーシは自分を尊重してくれているように思える。

 だが腹に一物あるのをメトーリアは直感していた。

 

    ×   ×   ×

 

 一方、バルカはレバームスの部屋に向かっていた。

 回廊の暗がりを歩きながら、胸のざわめきが収まらない。

 扉を叩くと、中からレバームスの声がした。

 

「誰だ?」

「俺だ。入るぞ」

 

 許可の言葉を待たずにレバームスの部屋の扉を開けると、中から慌てた気配がした。

 宮女のオークが、胸に手を押し当てて飛び起き、顔を真っ赤にして部屋の隅へ逃げるように移動する。

 

「……」

 

 まったく想定していなかった展開にバルカは声もなし。

 彼女はバルカと目が合うと、恥ずかしそうに視線を逸らし、急いで衣服を羽織って部屋の奥の扉へ向かった。

 

「もう一回風呂に入っておいで。俺はちとバルカ殿と話をするから」

 

 優しげな声でレバームスが言った。バルカとメトーリアの部屋よりはかなり狭いがそれでも別室に風呂はあるようだ。

 

「は、はいッ、し、失礼します!」

 

 すれ違いざま、小さな声で謝りながら、彼女はそそくさと出て行った。

 扉が閉まる音が響く。

 バルカは呆然と立ち尽くす。

 

(今の女性は昨日の宴でレバームスと酒を酌み交わしながら話をしていた娘か?)

 

 そういえば、昨日レバームスを寝室に案内していたのも彼女だったことをバルカは思い出す。

 

「お前……昨日の今日で、手を出すのが早すぎんだろ」

 

 レバームスはベッドに腰掛け、満足げに肩をすくめた。

 

「たまにはいいだろ、な?」

「そういえば、昔のお前はよくモテてたもんな……まあ、ルサイドオークの女は美人が多いし、牙が生えた緑の肌のエルフみたいにも見えるか」

「……ちょっと待て、それはちょっと聞き捨てならん発言だぞ――アズルエルフの俺にも、ルサイドオークのオークにも失礼だろうが」

「……そうか? どこが?」

「まあ、いいや。突っ立ってないで座れよ」

 

 バルカはため息をつき、部屋の中央に座り込む。

 レバームスは宮女が入っていった扉をちらりと見てから、にやりと笑う。

 

「で? なんの用だよ」

 

 バルカは出来るだけ手短にラケーシが寝室で話した事を話した。

 

「なるほどね……とりま、今のお前の腹を聞かせてもらおうか。どうする気だ?」

 

 バルカは座り込み、ため息をつく。

 

「正直……分からん。バサルデの統治者になるのは、荷が重すぎる。でも、放っておけば混乱が広がるのも事実だ。それに……ラケーシの言う『妻を複数』ってのも、オークの掟では正しいんだろうが……」

 

 レバームスは寝台の小卓に置いてあった水差しを持って、コップに水を注いだ。

 

「横暴の限りを尽くしたギルベーダによる支配が終われば、確かに地底界のバサルデ・レルムとモーベイ周辺がきな臭いことになるだろうな。放っておけば、また権力の座を狙う者達による争いが起こり、被害が広がるだけだ。それを治めることができるのは……まあ、お前が適任っちゃ適任だが、肝心のお前はどうしたいんだよ?」

 

 即答せず、バルカは目を伏せた。

 

「そもそもお前は魔王討伐戦が始まる前、オークの君主になるための修行の旅をしていたんだよな? 君主になるの、夢じゃないぜ。今のお前なら」

「……今の俺は、フィラルオークを助けたい。メトーリアと一緒にいたい。それだけだ。でも……オーク同士の争いを止めさせるためにバサルデ・レルムを治めて欲しいと、頼まれた時、そうしなければいけないのかと思ったのも、たしかだ」

 

 レバームスは舌打ちをした。

 

「お前まさか、今のオーク国の分断状況に責任を感じてるんじゃないだろうな? 自分がギルド同盟の罠にかかって封印されなければ――って」

「……」

「まあ、メトーリアの嬢ちゃんとは無事結ばれたわけだし? メトーリアが許すんなら、側室や妾をとってもいいんじゃねえの? オークの君主も人間の国の王も、昔からそんなもんだし。彼女だって辺境の小さな土地とはいえアクアルの領主をやってるんだ。オークのリーダ―と人間の辺境領主が結婚するってのは色々と大変だろうが――んん?」

 

 バルカがそわそわして、自分から目を逸らしていることに気づいて、レバームスは怪訝な表情をする。

 

「なんだよ? だってお前、今日の決闘の後のお前と彼女の様子、もう完全に相思相愛の、それこそ本当の“つがい”だったじゃねえか。だろ?」

 

 バルカは咳払いをした。

 

「ちぇ、チェンバー・アーツというやつをラケーシ達が勧めてきたので、断ったんだ。そしたら、その後メトーリアに()()をしてもらったんだ。昨日はそれだけで、今日、その、ちゃんと気持を伝えようとしたらラケーシが――」

 

 聞いてるうちにレバームスは察して、飲み干していたコップをガツンと音を立てて小卓に置いた。

 

「ちくしょう! もういい! もううんざりだ。何でなんだよ!? そんなに難しいことじゃねえだろ! いいか、ラケーシにははっきり言ってやれ。それから、メトーリアには全て話せ。お互いに何もかも打ち明けて、理解し合え。お前ら二人なら、絶対に難しくねえはずだ!」

 

 そう言って、レバームスはバルカを部屋から追い出した。

 

    ×   ×   ×

 

 決闘敗戦の夜……グラント氏族の居館に引きこもったギルベーダは自暴自棄になっていた。

 その胸の内に渦巻くのは怒りと……恐怖だった。

 居館の寝室は、ジオルミ結晶の薄暗い光だけが頼りだった。

 胸の深い傷には包帯が巻かれていたが、まだ癒えきらず、血がにじみ、息をするたびに激痛が走る。

 本来なら回復に専念すべきところだが、今の彼にはそんな余裕などなかった。

 

 敗北は、力と恐怖で支配していた自分の基盤が全て崩れ去ったことを意味する。

 それが怖かった。

 恐怖を紛らわすために、彼は女奴隷たちを寝室に連れ込み、犯し続けていた。

 

 テッサもその中にいた。彼女の体は汗と涙で濡れ、目は虚ろだった。

 抵抗する気力さえ失い、ただ耐えるだけ。

 

 ギルベーダの荒い息が部屋に響き、女達を繋ぐ鎖の音が時折混じる。

 その時、扉が静かに開いた。

 

 ラケーシが立っていた。

 赤いドレスがわずかに揺れ、紅い瞳が闇の中で妖しく光る。

 彼女は一言も発せず、ゆっくりと近づいた。

 

 ギルベーダはラケーシに気づき、動きが止まる。

 白く濁った目が、ラケーシを捉える。

 

(なんや……なぜここに?)

 

 ラケーシは自分とつがいになることを、今までずっと、やんわりとだが拒み続けてきた。

 それに、バルカに降参しようとしたとき、この女の挑発に乗ったせいで戦闘を続行し、このような深手を負ったのだ。

 

「どしたんやッ……な、なんで来たん?」

 

 ギルベーダの声は掠れ、震えていた。

 ラケーシは微笑む。

 だが、その笑みは冷たく、底知れぬ闇を湛えていた。

 

「つれないことを言うじゃないか。傷の具合を見に来たのさ」

 

 そう言ってラケーシは音もなくギルベーダに接近した。

 指先から、可視化されるほどの気が静かに溢れ出していた。

 

「うそやろ……儂を、見捨てんでくれるのか」

「ふふ……」

 

 ラケーシから発するオーラがギルベーダに触れた。

 

「闘気やない……マジで儂を癒やしてくれるんか――ッ!?

 

 そう思って、喜悦の表情を浮かべたギルベーダの顔が、瞬時に違和感を覚えて歪む。

 

 ――違う。

 これは治癒(ヒール)スキルではない!

 

 ギルベーダがそう感じ、身を引こうとしたときにはすでに四肢は動かなくなっていた。

 胸の傷が再び開き、血が滴る。

 

「やめ……ろ……」

「ギルベーダ。あんたは、あたしを苦しめた。私の体を、氏族を、モーベイを奪おうとした。毎日、毎日、あたしは耐えた。あんたは私を力で押さえつけた気でいたかもしれないけど、違うんだよ。私の声を聞く度、私に触れる度に、あんたは私の()にあてられて意識を少しだけ誘導させられていたのさ。今まであたしを手籠めにしなかったのは、あたしのスキルに引っかかってたんだよ。あたしの、ルスト・アーツ(淫術)にねッ」

 

 赤紫色の気が、ギルベーダの体を這い上がる。

 

「好いてもいない男を絡め取り、力で屈服させるしか能の無いオークの雄を御するのがルサイドオークの役割なのさ」

 

 彼の力が、精気と共にラケーシへ流れていく。

 

「う、お、おおぉ……」

「でもどんなにいやだったことか。お前みたいなクソジジイに色目を使って、なだめて、ときには思わせぶりな仕草で気を引いたりしてさ……心底吐き気がしたよ」

 

 ギルベーダの目が、次第に虚ろになる。

 

「殺そうと思えば、殺せた。本気で誘惑(テンテプーション)のスキルを全開にすれば、洗脳することも完全な傀儡にすることもできた。でも、それをやるとね……あんたのレベルが下がって使()()()()()()()()()()からね。他のクソが台頭するだけだからやらなかっただけさ」

 

 テッサは震えながら、それを見ていた。

 彼女の瞳に、初めての光が宿る。

 ラケーシは静かに囁く。

 

「お前とはこれでおさらばさ。本当の(おとこ)が現れたからね。あんたより遙かに強くて、優しくて、そして……ふふ、初心な可愛い英雄様がね」

「ぁ……ぁぁ……」

 

 ギルベーダの体が、あの巌のようだった巨体が縮み、年老いた皺顔の下にあった鋼の肉体が、干からびて萎んだ。

 部屋に、重い静寂が落ちた。

 

 ラケーシはゆっくりと立ち上がり、テッサに視線を移す。

 

「テッサ……」

 

 彼女はテッサの頰に手を触れる。

 淫気が、今度は優しく、癒やすような気に変じて流れる。

 テッサの体が温かくなり、震えが止まる。

 

「もう、こいつに苦しめられることはない。これからは……私と一緒に、バルカに可愛がってもらおうよ」

 

 テッサは涙を浮かべ、ラケーシの胸に顔を埋めた。

 

(バルカ……あんたは、私のものになる。どんな手段を使っても……)

 

 ラケーシは彼女を抱きしめながら、暗い瞳で虚空を見つめた。

 

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