この教室にはサイコキラーがいます。 作:イナバ
その日は、朝から雨が降っていた。
じめじめした空気が体内にまで浸透して、脳みそに苔でも生えてしまったのか、誰もが平時より活力を失っている様子が見て取れた。雨雲で日光が遮られ、セロトニンの分泌が阻害されてしまっているのだから、無理もない話だろう。
そんな日であっても、蓮見は精力的に教師としても日常をこなしていく。
授業を終え、生徒とのスキンシップをこなし、苦手な同僚との談笑をやりすごし、5限目の授業を終える。6限目の予定はなかったが、生徒指導部として早めに帰るわけにもいかない。
生徒たちが授業をしている間、校舎の中はまるで夜の病院のように静かだった。いつの間にか雨も上がっている。
無意識に口笛で『三文オペラ』の『モリタ―ト』を奏でながら、蓮見は何かに誘われるように、校舎と学生寮を繋ぐ道に出た。
茂みにしゃがんでいる女子生徒がいる。明るい茶髪のような髪色だ。偶然にも、見覚えがあり、蓮見はその生徒の正体を後ろ姿だけで看破した。
「っ」
真鍋志保は蓮見が声を掛けるより先に、振り返り、背後のものを守るように身体を硬直させた。
野生動物で、親が、外敵から子供を庇う時に特有の動作を彷彿とさせる。
「ごめんごめん。そう驚くな」
「蓮見……」
「こら、先生をつけなさい」
相手が気心の知れる担任だったからか、もしくは、あまりに蓮見の態度が柔らかかったからか、真鍋は少しだけ緊張を解いたようだ。
「駄目じゃないか、授業を抜け出したら」
「大丈夫。龍園の許可は貰ってるから」
「おいおい、学校のルールより龍園の方が優先順位は上か?」
「そうでしょ。だって、アイツはもうウチのクラスの王様みたいなもんだし」
その言葉に、蓮見は強烈な不快感を禁じ得ない。
「さしずめ、一年Cクラスは龍園翔の“王国”、か?」
「言い得て妙ね。当たらずとも遠からずじゃない。あんま違和感はないね」
「なら、担任である俺は何なんだ?」
「え……ん~、さぁ? 悪い王様に立ち向かう、正義の宰相、みたいな?」
蓮見が目指す所とはまるで違う例えを出されたのは遺憾だが、あながち間違いでもないかもしれないな、と振り返る。学校全体で見れば、蓮見はベテラン教師たちの都合の良い小間使いだ。権力者というよりも、補佐官という地位のほうが、実態としては似合っている。
もちろん、そんな場所に縛られ続けるのは、ごめんだが。
「後ろに何があるんだ?」
「は、え、何って、何が?」
「とぼけるな」
必死に隠そうとする様子は、蓮見の興味を掻き立てるばかりだった。
真鍋は諦めたように、茂みの中に潜んでいたものを蓮見に見せる。
そこにいたのは、弱弱しく震える、毛並みの良い子猫だった。やせ細っていて確信は持てないが、おそらくは純血のラグドールだろう。
「何で子猫が?」
純粋に、疑問に思う。
学校の敷地内には、動物園はもちろん、ペットショップだって存在しない。
「多分、野良……だと思う」
「うーん、野良なんて、立地的に考えにくいけどなぁ」
高度育成高等学校は、東京都内の埋立地に建てられており、本土からのアクセス手段は限られている。毎朝、学外から出勤している蓮見は、どれだけ移動が面倒か痛感していた。野生動物が渡ってくる可能性は、限りなくゼロに近いだろう。
なら、誰かが持ちこんだ動物だろうか。この地域には、一般人も入ってくることがある。検問もないし、あり得なくはない。動機は、皆目見当もつかなかったが。
話を聞くと、どうやら真鍋は四日ほど前にこの猫を発見し、以降ここで餌付けをしているらしい。校舎からも寮からも死角だし、夜になれば外灯も当たらないため、今まで誰にもバレずに済んでいたとのこと。
「そういうこと、一人で抱え込むなよ」
「だって……バレたら、連れていかれるし、私がお世話しなきゃ、死んじゃうと思ったから……」
哀しそうに目を伏せる真鍋だったが、蓮見はその心の温度を共有しない。
野良猫には、一つも良い思い出がない。下手に人に懐いている個体は、こちらに怯えず餌をせがんでくるし、いつの間にか軒下に住み着かれていたこともある。死骸の処理も、人間ほどではないが、面倒だ。出没しないに越したことはない。
思春期のような年頃の少女には、その苦労を斟酌することが出来ないのだろう。
「敷地内で保護することは出来ない」
「……ほら、だから言いたくなかったんだ」
「真鍋」
優しく話しかけるも、不貞腐れたように俯いて、返事がない。
「分かったよ。先生に任せろ」
「え?」
「東京は、保健所もTNRも信用ならないからな。結局、ひとづてに里親募集するのが一番だ」
外部との連絡が禁じられている生徒には出来ない芸当だ。教員なら、内外を自由に行き来できる。
「ホントに?」
「ああ。教室で飼ってやりたい所だが、理事長や、真嶋先生が五月蠅いからな。その辺は妥協してくれ」
「……ううん。十分」
蓮見の想像していた真鍋志保は、支配欲と自己顕示欲が強く、傲慢で虚勢の激しい、自意識の肥大化した典型的である意味完全に不完全なティーンだったが、今の反応を見る限り、一概にそうとも言いきれないようだ。
自分を満たすために矮小な動物を利用しているのではなく、真鍋は、本心からこのラグドールの命を案じているらしい。
自分の認識と、生徒の実態に乖離が発生している。
何か、もっと効果的な、情報収集の手段を考えた方がいいかもしれない……。
「引き取ってくれる人が見つかるまでは、どうするの?」
「
「そっか、なら安心だね! バレたのが蓮実でマジ良かったー!」
「先生をつけなさい」
「ごめんごめん、ハスミン」
敬称を要求すると愛称で呼ばれてしまったが、親しみ故の言動であるため咎める必要はない。
蓮見は、校舎に戻っていく真鍋を見送ると、雨に濡れた子猫を抱えて駐車場へ向かった。小さなサイズだったので、人に見られないよう持つのは難しくなかった。
中古で落とした真っ黒な軽ワゴンが、蓮見の移動手段だ。
トランクを開け、床下のスペースを開くと、そこに猫を詰め込み、蓋をした。夜までに窒息してくれていることを願い、ワゴンをロックする。
猫には帰巣本能がある。県外に捨てられた飼い猫が、自宅に戻って来たという話もあるくらいだ。生かしたまま都内に捨て、万が一にも学校に戻ってこられると二度手間になる。
かといって、こんな死にかけの子猫を里親に出そうにも、虐待を疑われたのは本末転倒である。
よって、殺処分が最も楽であり、確実なのだ。
夜、業務を終えて車に戻ると、ラグドールは息を引き取っていた。路上に放置すれば翌朝にでも清掃業者が始末してくれると思うが、万が一にも死体遺棄で警察の目に留まるわけにはいかない。
蓮見は東京郊外の自宅に戻ると、花壇用のスコップで庭を掘り起こし、ビニールで包んだ猫を埋めた。
× × ×
テスト期間も佳境に迫った頃だった。
職員会議で、テスト範囲が変更されると聞かされて、蓮見はこの学校のやり方をおおよそ理解できた。
既に中間テストまで一週間を切っている。このタイミングでの範囲変更は、生徒への嫌がらせのようにも思えるが、成績向上のためには効果的な手法だ。
そもそも、この学校は普通科しか存在しない。Aクラスの卒業生は政府権限で将来を約束する、という話だし、そうでない生徒も、大半は大学に進学することだろう。その場合、必要になるのは入試で発揮する学力のみ。
赤点さえ取らなければ、究極的には退学にさえならなければ、大きな不都合は起きない。重要なのは数字を取ることではなく、学力を上げることだ。
その旨を交えて説明すれば、Cクラスの生徒たちから理解を得るのは難しいことではなかった。むしろ今までよりやる気に燃えて、再度テスト勉強に尽力するとのことだ。
全体的に、クラスの雰囲気はまずまずだ。
今ではいじめも喧嘩もない。
蓮見という一つの光の元に、統率すら取れてきているように思える。
だが、それは表面上の話だ。
……瞠目し、このクラスの実像を考える。
蓮見聖夜という指揮者が
しかし、よく見てみると、人形の一体が舞台を去り、いつしか鑑賞席に座っているではないか。音が出ない不良品だというのなら、それもいい。しかし鑑賞席の人形は、壇上の数名を指差すと、蓮見の指揮とは違う動きを指示し始めた。
龍園翔によって、演目が狂わされていく。
自分はCクラスという楽器を演奏する、偽りの奏者に過ぎず、実質的な指揮者は龍園である。
そう考えると、無性にイライラして、胸の内側が痒くなった。
「みんな、突然で悪いんだが、ちょっとしたアンケートを実施しようと思う。10分程度の簡単なものだ」
蓮見は40人分の用紙を取り出すと、前の席から順に配り始めた。
「成績には一切影響しない。俺が学生指導のために使う、個人的なものだ」
「……なんだこりゃ? こりゃまるで……」
「おい翔、指示があるまで見るな。俺と一緒に指導室で昼を過ごすか?」
「へいへい。悪かったよ」
不遜な龍園と言えども、時間を拘束されるのは嫌らしい。
「難しく考えず、直感で答えてくれていい。それでは始めてくれ」
龍園以外は、誰も何の疑いも持たず、素直にシャーペンを走らせている。
このテストは、生徒の自我分析と、クラス内の相関図を把握するためのものだ。
また、回帰分析の手法によって、クラスの抱えている問題を浮彫にし、問題に該当する生徒を割り出すことで、不良債権の具体化を図るという意味もある。
一件、単なる心理テストだ。興味深そうにアンケ―ト問題を眺めていた龍園も、最終的には諦めた様子で記入し始めた。念のためペンの走る先を観察しておいたが、真面目に記入しているらしい。
10分後、蓮見の元にアンケート用紙が回収される。
「みんなおつかれ! それでは、張り切って一限目に臨んでくれたまえ!」
急いで分析結果を出す必要はない。時間を要する作業だ。
中間テストの指導と並行して、テスト結果が出るまでに完成させれば上々だろう。
職員室までの道中、蓮見は優先順位を組み立て、まずは一学年の英語教師としての職務に、注力することに決めた。