この教室にはサイコキラーがいます。   作:イナバ

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第三話

 

 その日は、朝から雨が降っていた。

 じめじめした空気が体内にまで浸透して、脳みそに苔でも生えてしまったのか、誰もが平時より活力を失っている様子が見て取れた。雨雲で日光が遮られ、セロトニンの分泌が阻害されてしまっているのだから、無理もない話だろう。

 

 そんな日であっても、蓮見は精力的に教師としても日常をこなしていく。

 授業を終え、生徒とのスキンシップをこなし、苦手な同僚との談笑をやりすごし、5限目の授業を終える。6限目の予定はなかったが、生徒指導部として早めに帰るわけにもいかない。

 

 生徒たちが授業をしている間、校舎の中はまるで夜の病院のように静かだった。いつの間にか雨も上がっている。

 無意識に口笛で『三文オペラ』の『モリタ―ト』を奏でながら、蓮見は何かに誘われるように、校舎と学生寮を繋ぐ道に出た。

 

 茂みにしゃがんでいる女子生徒がいる。明るい茶髪のような髪色だ。偶然にも、見覚えがあり、蓮見はその生徒の正体を後ろ姿だけで看破した。

 

「っ」

 

 真鍋志保は蓮見が声を掛けるより先に、振り返り、背後のものを守るように身体を硬直させた。

 野生動物で、親が、外敵から子供を庇う時に特有の動作を彷彿とさせる。

 

「ごめんごめん。そう驚くな」

「蓮見……」

「こら、先生をつけなさい」

 

 相手が気心の知れる担任だったからか、もしくは、あまりに蓮見の態度が柔らかかったからか、真鍋は少しだけ緊張を解いたようだ。

 

「駄目じゃないか、授業を抜け出したら」

「大丈夫。龍園の許可は貰ってるから」

「おいおい、学校のルールより龍園の方が優先順位は上か?」

「そうでしょ。だって、アイツはもうウチのクラスの王様みたいなもんだし」

 

 その言葉に、蓮見は強烈な不快感を禁じ得ない。

 

「さしずめ、一年Cクラスは龍園翔の“王国”、か?」

「言い得て妙ね。当たらずとも遠からずじゃない。あんま違和感はないね」

「なら、担任である俺は何なんだ?」

「え……ん~、さぁ? 悪い王様に立ち向かう、正義の宰相、みたいな?」

 

 蓮見が目指す所とはまるで違う例えを出されたのは遺憾だが、あながち間違いでもないかもしれないな、と振り返る。学校全体で見れば、蓮見はベテラン教師たちの都合の良い小間使いだ。権力者というよりも、補佐官という地位のほうが、実態としては似合っている。

 もちろん、そんな場所に縛られ続けるのは、ごめんだが。

 

「後ろに何があるんだ?」

「は、え、何って、何が?」

「とぼけるな」

 

 必死に隠そうとする様子は、蓮見の興味を掻き立てるばかりだった。

 真鍋は諦めたように、茂みの中に潜んでいたものを蓮見に見せる。

 そこにいたのは、弱弱しく震える、毛並みの良い子猫だった。やせ細っていて確信は持てないが、おそらくは純血のラグドールだろう。

 

「何で子猫が?」

 

 純粋に、疑問に思う。

 学校の敷地内には、動物園はもちろん、ペットショップだって存在しない。

 

「多分、野良……だと思う」

「うーん、野良なんて、立地的に考えにくいけどなぁ」

 

 高度育成高等学校は、東京都内の埋立地に建てられており、本土からのアクセス手段は限られている。毎朝、学外から出勤している蓮見は、どれだけ移動が面倒か痛感していた。野生動物が渡ってくる可能性は、限りなくゼロに近いだろう。

 なら、誰かが持ちこんだ動物だろうか。この地域には、一般人も入ってくることがある。検問もないし、あり得なくはない。動機は、皆目見当もつかなかったが。

 

 話を聞くと、どうやら真鍋は四日ほど前にこの猫を発見し、以降ここで餌付けをしているらしい。校舎からも寮からも死角だし、夜になれば外灯も当たらないため、今まで誰にもバレずに済んでいたとのこと。

 

「そういうこと、一人で抱え込むなよ」

「だって……バレたら、連れていかれるし、私がお世話しなきゃ、死んじゃうと思ったから……」

 

 哀しそうに目を伏せる真鍋だったが、蓮見はその心の温度を共有しない。

 野良猫には、一つも良い思い出がない。下手に人に懐いている個体は、こちらに怯えず餌をせがんでくるし、いつの間にか軒下に住み着かれていたこともある。死骸の処理も、人間ほどではないが、面倒だ。出没しないに越したことはない。

 思春期のような年頃の少女には、その苦労を斟酌することが出来ないのだろう。

 

「敷地内で保護することは出来ない」

「……ほら、だから言いたくなかったんだ」

「真鍋」

 

 優しく話しかけるも、不貞腐れたように俯いて、返事がない。

 

「分かったよ。先生に任せろ」

「え?」

「東京は、保健所もTNRも信用ならないからな。結局、ひとづてに里親募集するのが一番だ」

 

 外部との連絡が禁じられている生徒には出来ない芸当だ。教員なら、内外を自由に行き来できる。

 

「ホントに?」

「ああ。教室で飼ってやりたい所だが、理事長や、真嶋先生が五月蠅いからな。その辺は妥協してくれ」

「……ううん。十分」

 

 蓮見の想像していた真鍋志保は、支配欲と自己顕示欲が強く、傲慢で虚勢の激しい、自意識の肥大化した典型的である意味完全に不完全なティーンだったが、今の反応を見る限り、一概にそうとも言いきれないようだ。

 自分を満たすために矮小な動物を利用しているのではなく、真鍋は、本心からこのラグドールの命を案じているらしい。

 

 自分の認識と、生徒の実態に乖離が発生している。

 何か、もっと効果的な、情報収集の手段を考えた方がいいかもしれない……。

 

「引き取ってくれる人が見つかるまでは、どうするの?」

ESS(英語研究部)の部室を使うさ。無理そうなら、最悪俺の家で預かっておくよ」

「そっか、なら安心だね! バレたのが蓮実でマジ良かったー!」

「先生をつけなさい」

「ごめんごめん、ハスミン」

 

 敬称を要求すると愛称で呼ばれてしまったが、親しみ故の言動であるため咎める必要はない。

 

 蓮見は、校舎に戻っていく真鍋を見送ると、雨に濡れた子猫を抱えて駐車場へ向かった。小さなサイズだったので、人に見られないよう持つのは難しくなかった。

 中古で落とした真っ黒な軽ワゴンが、蓮見の移動手段だ。

 トランクを開け、床下のスペースを開くと、そこに猫を詰め込み、蓋をした。夜までに窒息してくれていることを願い、ワゴンをロックする。

 

 猫には帰巣本能がある。県外に捨てられた飼い猫が、自宅に戻って来たという話もあるくらいだ。生かしたまま都内に捨て、万が一にも学校に戻ってこられると二度手間になる。

 かといって、こんな死にかけの子猫を里親に出そうにも、虐待を疑われたのは本末転倒である。

 

 よって、殺処分が最も楽であり、確実なのだ。

 

 夜、業務を終えて車に戻ると、ラグドールは息を引き取っていた。路上に放置すれば翌朝にでも清掃業者が始末してくれると思うが、万が一にも死体遺棄で警察の目に留まるわけにはいかない。

 蓮見は東京郊外の自宅に戻ると、花壇用のスコップで庭を掘り起こし、ビニールで包んだ猫を埋めた。

 

 

 × × ×

 

 

 テスト期間も佳境に迫った頃だった。

 職員会議で、テスト範囲が変更されると聞かされて、蓮見はこの学校のやり方をおおよそ理解できた。

 既に中間テストまで一週間を切っている。このタイミングでの範囲変更は、生徒への嫌がらせのようにも思えるが、成績向上のためには効果的な手法だ。

 そもそも、この学校は普通科しか存在しない。Aクラスの卒業生は政府権限で将来を約束する、という話だし、そうでない生徒も、大半は大学に進学することだろう。その場合、必要になるのは入試で発揮する学力のみ。

 

 赤点さえ取らなければ、究極的には退学にさえならなければ、大きな不都合は起きない。重要なのは数字を取ることではなく、学力を上げることだ。

 

 その旨を交えて説明すれば、Cクラスの生徒たちから理解を得るのは難しいことではなかった。むしろ今までよりやる気に燃えて、再度テスト勉強に尽力するとのことだ。

 

 全体的に、クラスの雰囲気はまずまずだ。

 今ではいじめも喧嘩もない。

 蓮見という一つの光の元に、統率すら取れてきているように思える。

 だが、それは表面上の話だ。

 

 ……瞠目し、このクラスの実像を考える。

 

 蓮見聖夜という指揮者が(タクト)を振るい、舞台の上で39体の人形が躍っている。ちぐはぐだった動きも、ようやく連動し始めた。交響曲は一章の終盤に差し掛かり、会場の空気を圧倒していく。

 

 しかし、よく見てみると、人形の一体が舞台を去り、いつしか鑑賞席に座っているではないか。音が出ない不良品だというのなら、それもいい。しかし鑑賞席の人形は、壇上の数名を指差すと、蓮見の指揮とは違う動きを指示し始めた。

 

 龍園翔によって、演目が狂わされていく。

 

 自分はCクラスという楽器を演奏する、偽りの奏者に過ぎず、実質的な指揮者は龍園である。

 そう考えると、無性にイライラして、胸の内側が痒くなった。

 

「みんな、突然で悪いんだが、ちょっとしたアンケートを実施しようと思う。10分程度の簡単なものだ」

 

 蓮見は40人分の用紙を取り出すと、前の席から順に配り始めた。

 

「成績には一切影響しない。俺が学生指導のために使う、個人的なものだ」

「……なんだこりゃ? こりゃまるで……」

「おい翔、指示があるまで見るな。俺と一緒に指導室で昼を過ごすか?」

「へいへい。悪かったよ」

 

 不遜な龍園と言えども、時間を拘束されるのは嫌らしい。

 

「難しく考えず、直感で答えてくれていい。それでは始めてくれ」

 

 龍園以外は、誰も何の疑いも持たず、素直にシャーペンを走らせている。

 

 このテストは、生徒の自我分析と、クラス内の相関図を把握するためのものだ。

 TEG(東大式エゴグラム)を参考に、蓮見が独自に作成した。このデータを用いて、多次元尺度構成法による二次元分析のチャートを作り、クラス内の人間関係をおおよそ把握することが出来る。前の学校で、クラス掌握のために行っていた手法だ。

 また、回帰分析の手法によって、クラスの抱えている問題を浮彫にし、問題に該当する生徒を割り出すことで、不良債権の具体化を図るという意味もある。

 

 一件、単なる心理テストだ。興味深そうにアンケ―ト問題を眺めていた龍園も、最終的には諦めた様子で記入し始めた。念のためペンの走る先を観察しておいたが、真面目に記入しているらしい。

 

 10分後、蓮見の元にアンケート用紙が回収される。

 

「みんなおつかれ! それでは、張り切って一限目に臨んでくれたまえ!」

 

 急いで分析結果を出す必要はない。時間を要する作業だ。

 中間テストの指導と並行して、テスト結果が出るまでに完成させれば上々だろう。

 職員室までの道中、蓮見は優先順位を組み立て、まずは一学年の英語教師としての職務に、注力することに決めた。

 

 

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