それ往け、戦国マックイーン   作:エビフライ定食980円

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第一部『十河一存』
第1話 栄光の道


「……(わたくし)が、テイオーとともに、駿大祭の流鏑の参加候補者……ですか?」

 

「――ああ。任意参加ではあるが、今年はその春宵一刻の役割をテイオーと君に担って欲しいと思っている」

 

 天に満ちし秋気はいよいよと深くなり、菊花の花が薫る今日この頃――晩秋に、生徒会室を訪ねる1人の葦毛のウマ娘の少女が居た。

 彼女の名をこの世界で知らない者は、ほぼ皆無と断言してしまっても構わないだろう。しかし、それには1つ注釈が付くことを留意したい。

 

 ――既に、彼女の名は『過去の人物』として語られるものであるということ。

 

 そうした過ぎ去った時代の傑物の象徴ともいえる少女の名は――メジロマックイーン。『ターフの名優』と謳われた絶対的強者のステイヤーである彼女の偉業は、切り取るべき箇所に悩む程に輝かしいものである。

 

 4年前の菊花賞を集大成とするクラシック期の話か。

 あるいは3年前、2年前の春の天皇賞2連覇のことか。

 惜しくも伏兵・ダイサンゲンに勝利を譲った有記念のことか、刺客・ライスシャワーによって3連覇を阻まれることとなった昨年の春の天皇賞か。

 それとも、3年前に同門のメジロライアンにあと一歩及ばなかった宝塚記念を、昨年に雪辱を晴らしたことか。

 

 そうでないならば。同じく一時代を築き上げた『奇跡のウマ娘』である『トウカイテイオー』との運命的な関係性の話だろうか。

 

 昨年(・・)にトウカイテイオーが奇跡の復活を遂げた伝説の有記念。あれから既に季節は一巡しようかという今日にあっても、そのテイオーとマックイーン両名を語り継ぐ者は後を絶たない。

 

 

 ――ただし、紡がれる物語は『歴史』としてである。

 

 なぜならば、トウカイテイオーはその有記念後も現役続行の意志表明をしていたが4度目の骨折が発覚。一応はもう間もなくに迫っている今年の秋の天皇賞を復帰レースと位置付けていたものの、それに向けたリハビリも芳しくない状態であり。

 片やマックイーンもまた昨年の秋の天皇賞を左脚の繋靱帯炎で回避して以降、公には復帰予定を明かしていない。

 

 両名ともに怪我から1年弱は経過しているので、既に故障自体は治っている……が。けれども、長期休養を経て果たして元の一流の競走ウマ娘としての水準まで引き戻せるかと問われれば、現実問題として極めて困難と言わざるを得ないだろう。

 だからこそ世間一般には引退表明を未だしていないのにも関わらず、既に『過去』のウマ娘なのである。有識者やファンの誰しもが、良くてドリームシリーズへの転向が限度であり、再びトゥインクル・シリーズでターフを走る姿を見ることは無いだろうと考えていた。

 

 ……しかし、それは少女たちを知らない第三者の評価である。彼女たちは、自らの身体が抱える絶望的なビハインドを理解しても尚、リハビリを継続していた。そして既にレースに出走しなくなってから1年が経過しようとしているこの時期になって尚、未だにメジロマックイーンもトウカイテイオーも現役復帰を諦めていなかったのである。

 

 そんな折にトレセン学園の秋川やよい理事長とシンボリルドルフ生徒会長は、駿大祭の()とも言える花形行事である流鏑の代表としてこの両名を指名した。

 名門・メジロ家で令嬢としても育て上げられたメジロマックイーンには、その意図も酌量して次のように語る。

 

「……先年は会長とブライアンさんが務め上げたと記憶しておりますが……。

 そこで、私とテイオーですか……いえ、一応弓術はウマ娘の嗜みですので、私も教養としてならば修めてはおりますけれど……」

 

「今までの慣例を廃して古きやり方を踏襲する――それ自体で昨年は大いに盛り上がったが……いや。正直に言おう。

 私とブライアンはかの行事を盛り上げ過ぎた。それに比肩するなり手が君たちしか居ない――」

 

 

 ――流鏑とは。

 霊山にて清めの弓矢を手に、岩を越え崖を飛び、厄に見立てたいくつもの的を射抜き祓う、勇猛無比なる儀式――とはこのシンボリルドルフの談だ。

 

 言うまでもなく現代の行事として敢行するには、あまりにも安全性に難がある。ということで近年においては長らく霊山前に据え置かれた的を射る催し事に変更なされていた。

 が、それをいにしえの慣習に復することを是としたのが目の前のシンボリルドルフである。当事者として行事に参画する場合にはシンボリルドルフをしてそれは然したる問題にはならなかったのだろうが、さりとて同じスタイルでやるにはやはり『危険』であることには違いないのである。

 

 だが、餓狼と獅子のごとき前年度の鮮烈なまでのパフォーマンスが記憶に残るファンにとっては、元に戻すというのは少なからず盛り下がってしまう。ということで今年の流鏑のなり手は昨年以上に、その代表選定に慎重にならざるを得ず、結局現状においてその適任者と言うべき知名度と実績を有する『伝説的』なウマ娘は最早、トウカイテイオー・メジロマックイーン両名しか足り得なかったのであった。

 

 メジロマックイーンは自身とトウカイテイオーの『名声』について自覚的だ。だからこそ、シンボリルドルフよりこの話を投げかけられたときには大方推察できていたことであろう。

 そしてその上で一種のノブレス・オブリージュ――『上に立つ者の使命』として無碍にするものではないと判断していることがその立ち振る舞いから容易に察せられた。

 

「……メジロ家の名を背負う者として。伝統と格式ある『駿大祭』にてそのような役回りを頂けることは光栄ですわ」

 

「まさしく廓然大公といったところだ……こちらの事情に振り回させてしまいすまないね。

 それに、申し訳ないことに話はこれだけではない――」

 

「……?」

 

 そう切り出してシンボリルドルフは更に説明を加える。

 元に復した流鏑だけでは盛り上がりに欠けてしまうという懸念点。この解決策としてトウカイテイオーとメジロマックイーンの共演で対応させようという発想になった訳であるが――。

 

「――実は、そのテイオーから申し出があってね」

 

 トウカイテイオー曰く。

 ――カイチョーと同じことが出来ないのはイヤだけど、それがボクとマックイーンの脚のことを想ってのことならば何も言えないや。けどさ、カイチョー? 盛り上がらないって言うなら、模擬レースでもやっちゃえば良くない?

 

 

「……つまり、テイオーからの挑戦状という訳ですか」

 

 マックイーンは、そのテイオーの言葉を的確に理解した。

 両名の直接対決は、2年前の春の天皇賞での1回のみ。テイオーの無敗かマックイーンの連覇かがかかった大一番であったものの、それ以降トゥインクル・シリーズレースでは三女神の運命の弄びもあり対決は実現せずに、お互いが現役復帰絶望的というところまで来てしまった。公式戦ではないものの、ファンが集まる駿大祭かそれに準ずる場を利用して、これまでの積年の関係を一度清算してしまおうというのが1つ。

 

 そして。お互い、リハビリ中ということを鑑みれば。

 秋の天皇賞への叩き上げの実践練習として、マックイーンを叩き台にする、ということ。テイオーの性格からしてそこまでは考えていないのかもしれないだろうし、むしろおそらく彼女が考えていることはその真逆で『これを期にマックイーンも自分も現役復帰への声明を出せば良い』と思っているだろうということは短くない付き合いだからこそマックイーンにも察しは付いていたように思える。

 けれども、マックイーンはテイオーの申し出を『挑戦状』と形容した。

 

 ……無理もない。お互い完全ではない状態だからこそ、そのレースタイムは見るも無残なものになるだろう。そしてそれを大衆の目に晒すということは、自分とテイオーの『競走者』としての息の根を止めることに繋がるかもしれない。

 

 言い換えれば。この時のマックイーンには、こう聴こえたと言って差し支えないかもしれない。

 

 

 ――そこで奇跡を起こすだけの覚悟がメジロマックイーンというウマ娘にはあるのか?

 

 と。

 

 だからこそ『挑戦状』なのである。

 そのまま座して『2度目のトウカイテイオーの復活の奇跡』を目の当たりにする聴衆(・・)であることを受け入れるか。

 条理を覆して、理屈や常識や通念をかなぐり捨てて、全てを掴みに行くだけの『勝利への渇望』――意志を宿し、テイオーの眼前に現れるのか。

 

 ……その二者択一をメジロマックイーンは提示されたのであった。

 

 

 答えは不要とばかりに闘志を滾らせるメジロマックイーンの様子に、満足そうにシンボリルドルフは頷きながらこう補足する。

 

「……とはいえ霊山ではレースは出来ないからね。学園に戻ってからの1対1の模擬戦となる。テイオーは距離は2500mを所望しているが……」

 

「……受けて立ちましょう。あの小さな『帝王様』は2500mを私との分水嶺だと思っているようですが、そこが『長距離』――ステイヤーのフィールドであることを遅まきながら理解させてあげると致しましょう」

 

 

 

 *

 

 芝の2500m。中山の暮れの舞台――有記念においてメジロマックイーンが出走した際に1着・ダイサンゲンがコースレコードを叩きだしたタイムは2分30秒6で、その時2着のマックイーンのタイムは0.2秒遅い2分30秒8。

 あるいはトウカイテイオーの奇跡の復活劇におけるタイムは2分30秒9。

 

 つまり両名が中山のレース場にて有する過去の記録はほぼ比肩するものである。バ場状態や気候や出走メンバーは勿論のこと、トレセン学園グラウンドと中山レース場では勝手も大きく違うことから一概に同じ距離と一括りにすることは出来ないが、それでもキャリアハイの時における両者の実力はこの距離でならば拮抗していると言って差し支えなく、同時にその実力は紛れもなく超一流と呼ぶべきものであった。

 

 ――ただし、それは過去においての話である。

 

 駿大祭の流鏑――例年通りの霊山前の的を弓で射抜く行事をつつがなく終了し、トレセン学園に戻ってきた今のメジロマックイーンとトウカイテイオーの脚は常識で推し測れば、まず間違いなく当時の状態を取り戻してはいない。

 

 駿大祭用に新たに用意された和装の勝負服――白と緑を基調とした洗練としつつも短い丈の裾で現代風にアレンジされたメジロマックイーンの衣装。今までの勝負服に共通していたブーツを脱ぎ舟形下駄としており、それは和装に合わせたという意味合いもさることながら少しでも通気性を良くして脚に熱が溜まることを避けようという意図も混ざった代物であった。

 

 対するトウカイテイオーは前年度のシンボリルドルフの流鏑衣装をオマージュしつつも『青いウマ娘』の題材――つまりは初期勝負服のイメージを残した様相を示している。

 

「……テイオー」

 

「ん? どしたの、マックイーン?」

 

「……ここまで来て今更ですが、貴方はその……脚は、大丈夫なのですか?」

 

「あはは、本当に今更だなあ。大丈夫かそうじゃないかって言われたら、うん。大丈夫じゃないよ。ホント、ボクの脚って思いたくないくらい」

 

 そこでトウカイテイオーはひと呼吸おいて話し続ける。

 

「――でもさ、ボク思うんだ。もう万全の状態で走るってことの方が『過去』のことでさ、不調を抱えながら走ることの方が『いつものボク』になってるんだよね。

 ……マックイーンの方こそ、大丈夫じゃないんでしょ? その怪我、治りにくい癖に、トレーニングを再開するだけでも再発しかねないんだよね」

 

 

「……まあ、そうですわね。コンディションが最悪なのはお互い様ではありましたわ。それでも――テイオー」

 

「……そうだね、マックイーン」

 

 

 ――まだ、2人の『レース』は終わっていない。

 

 

 客観的には99.9%の確率で凡走以下の走りをすることが目に見えている模擬レース。押し寄せた大観衆もまた、これが実質的なお互いの引退レースになると――メジロマックイーンとトウカイテイオーの物語の見納めのためにやってきている者が大半であることは、言われずともメジロマックイーンもトウカイテイオーも分かってはいた。

 

 

 けれども。

 もし、多くの聴衆が見誤っていたことが1つあるとするならば。

 目の前のターフでゲートに入った2人の少女は。

 0%に限りなく近い奇跡を、その競走生活の中でずっと体現してきた少女たちなのだということ。今更、0.1%もある『分の良い』賭けにおずおずと引き下がるような精神性を持ち合わせてはいなかったのである。

 

 

 ――かくして、奇跡は起こる。

 

 

 

 ただし、誰にも予想外の形で。

 

 

 

 

 *

 

 メジロマックイーンは走りながら疑問を浮かべる。

 

 奇跡を起こすためにこの場にやってきた。全ての条理を覆し不条理を魅せつけるために走ることを決意した。

 

 ゲートが開いた直後の第一歩で繋靭帯炎が再発せず、その瞬間に痛みで倒れなかったことは幸運と言って良いだろう。

 そのままホームストレッチ側の直線を加速することが出来たのも、偶然で片付けていいかもしれない。

 しかし脚に負荷のかかるカーブを、第1、第2コーナーを曲がって尚、特段の異常が見られなかった時点でメジロマックイーンは1つの考えに至った。

 

 

 ――あまりに、調子が良すぎる。

 

 後ろを見れば、トウカイテイオーもまた後ろから追いかけてきていた。しかし、それ以外は無かった。

 声援や実況、解説の言葉――そうした全ての雑踏(・・)が、メジロマックイーンの世界から既に失われていた。

 そこにあるのはコースと、テイオーとマックイーン自身……それだけだった。

 

 起きている現象を言葉として落とし込むのであれば、これこそが『領域』というものなのだろう。極限までの集中状態に入った精神が、必要でないものを全てそぎ落とし感覚を制限してまでレースに入れ込んだ結果である。

 

 一瞥しただけで視覚は、距離とバ場状態を鮮明に映し出し。

 風切り音だけで、今の速度とテイオーの位置を把握し。

 芝と土の香りから、目には見えないバ場の柔らかさまでも試算して。

 口の中に感じる鉄の味で、自身のスタミナを推し測り。

 ターフに踏み込む脚の感覚に、それら全てが還元されていた。

 

 

 だからこそ、第3、第4コーナーを越えて最終直線に入ったその時に。

 最高速に達したその瞬間に、メジロマックイーンの表情は明らかに変わった。

 

 

 先頭を走るマックイーンが思わず声を零したのも、奇跡でありながら同時に必然でもあったのだろう。

 

「……なんですの、あれは――」

 

 メジロマックイーンの視界には見たことのない光が広がっていた。

 光が視界の中央に収束しているにも関わらず、その収束点には光源自体が存在しないのである。

 

 ――反薄明光線。裏後光とでも言えば良いのだろうか。

 

 太陽と雲の位置関係次第で発生する気象現象であるが、しかし太陽も雲も関係無く発生していた。

 その光のレールが指し示す中央はまさしくゴールのその先へと繋がっていて、しかしその光の向こう側には何があるのか見て取れなかった。何かに隠されているわけでも闇が広がっている訳でもない。ただ『領域』に入ったメジロマックイーンの領域外の空間が広がっているだけである。

 

 それはすぐ近くのようでいて、何kmも何万kmも遠くにあるものかもしれないし、もしかすればもっと遠くにあるのかもしれない。見えない『その先』はしかし、見えている光のレールによって方角だけは示されており、それはメジロマックイーンの『領域』で観測しうるゴールまでの最適ルートと完全に合致していた。

 

 

 そのメジロマックイーンが初めて見る未知の『景色』は、まるでこの世界には無いもののように見えていながら、どこか郷愁の念を覚えるような不可思議な感情を想起させる代物――しかも、まるでこの景色の向こう側にあるものこそ、ウマ娘が元来生得的な本能として追い続けていたものではないか、と錯覚してしまうくらいに暴力的な衝動を伴う根源の欲求に訴えかけるだけの『力』があった。

 

 だからこそ、メジロマックイーンは急激に湧き出てきた本能的な欲求に戸惑い恐怖した。

 しかし、生活の場ではいざ知らず何が起こるか分からないレースの中であることをすぐに思い直し、恐怖心や本能に束縛されることを回避する。

 

「行くしか、ありませんわね!」

 

 そしてメジロマックイーンは決断した。

 奇跡を起こすために今、走っている少女は、『最速の向こう側』の景色を掴むために。

 

 

 そしてマックイーンの意志にまるで呼応するかのように。『なにか』に隠れていたはずの光のレールの『先にあるもの』が垣間見える。

 

 

 その冒涜的なまでの光量と、目を焼きつぶすかのような異質なまでの『白色』は。

 

「――なっ!」

 

 

 ――メジロマックイーンをそのまま包み込んだのであった。

 

 

 

 

 ・

 

 ・

 

 ・

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 再びメジロマックイーンの意識が覚醒したとき。

 彼女がまず最初に認識したのは『黒』であった。

 

 とはいえ完全な黒ではなく、ところどころから淡いぼんやりとした光が漏れ出ているところから、視界を奪われているのではなく、今の時刻は夜であり光源の無い部屋に留め置かれているということに気付く。

 

 

 メジロマックイーン。彼女はメジロ家の『令嬢』であった。

 だからこそ、このようなあり得ない状況に陥って尚のこと――いや、陥ったからこそ冷静を保っていた。

 

「私の最後の意識はレース中……ということは、あのまま意識を失って病院に運ばれたということで……いや、違いますねこれは」

 

 彼女が、考えをまとめるために出している声はかなり小さく抑えめにしていた。そうせざるを得ない理由を、暗闇に目を慣らそうとしている最中、手の感覚で気付いてしまったから。

 メジロマックイーンの手首は縄のようなもので縛られていた。それはウマ娘の腕力をもってすれば、強引に切り裂けるくらいには甘いものではあった。しかし『縛る』という行為そのものが意味することを考える。

 

「……誘拐、でしょうか」

 

 視界が徐々に順応していく。そして現状を『誘拐』と認識したメジロマックイーンは、その制限された世界を1つ1つくまなく、自身の知識を総動員してチェックする。

 

 まず自身の衣装は勝負服のままであった。勝負服を狙った泥棒ではない。逆に服を替える余裕を犯人は持っていなかったことを彼女は推測する。

 

 次に閉じ込められているのは、部屋ではあるものの、一間の建物であった。勝負服の下駄は脱がされていてマックイーンは板の間に転がされていた。しかし拘束は手首と足首を縛るのみ。また、その板の間の板材の質の悪さにもすぐに気付き、同時に和風の庵のような……悪い言い方をすればボロの掘っ立て小屋のような佇まいであることが分かった。

 そして、そんな和風の建物なのに畳が一切敷かれていないこともマックイーンはチェックする。また玄関のように思っていた板の間同様に数畳程度しかないであろう土床部分には水瓶や、かまどが存在して古式な生活感が垣間見えた。

 

「……人を閉じ込めておく場所、というよりも。

 生活スペースに取り敢えず私を突っ込んだ、といった感じ……?」

 

 耳をすませば、決して近くはないものの、建物の外の遠くからは人の気配や金属音のようなものは感じる。大声や大きな物音を立てれば気付くかもしれないが、その気配が誘拐犯である可能性も考慮して助けを呼ぶという行動をマックイーンは取らなかった。

 

 未だに決定打となるものは無い。しかし、逆に考えると少なくともこの部屋には現代社会で生活するのにあるべきものが一切存在しない。

 

「照明も、窓ガラスも、コンセントの挿し口も無いこの小屋の主は、どのように暮らして……って仙人かなにかですか」

 

 おおよそ電気を扱うものが一切存在しないのである。テレビやパソコン、エアコンの類が無いくらいならまだ分からなくもないが、流石に照明器具まで存在しないとなるとちょっとやり過ぎだ。

 

 そしてマックイーンの嗅覚は更なる傍証を手に入れる。

 

「この縄……。味噌の香りがしますわね」

 

 手首足首を縛っていた縄。そこからは仄かではあるものの味噌の匂いがしたのである。そしてそれに気付くとマックイーンは同時に縄の材質も妙であることに気付く。編まれてはいるものの、ちゃんとしたロープではない。麻縄でもない。使い古されてはいるものの何かの植物の茎のような触り心地である。それに味噌を練りこんだ、といった出で立ちだ。

 

 そして、メジロ家令嬢としての教養に引っかかる物品が1つあった。

 

「……芋がら縄、というものでしょうか? いえ、ですが……それが使われていたのって確か日本では戦国時代までだったはずでは」

 

 

 ――しかしメジロマックイーンが、その『縄』に長考する時間は残されていなかった。

 

 遠くにあった人の気配が、喧騒へと変わり、そして間もなく悲鳴と怒号に変わった。

 

「……連中、蔵に火を付けやがったぞ! このままだと村にも燃え移るかもしれん!」

「あの長の隠し田のことがお上にバレたのよっ! あいつなんかの為に連座なんて御免だわっ! 早く逃げるわよ!」

 

 

 マックイーンの嗅覚には、それと同時に穀物が焦げたときに出る香ばしい匂いに近しいものと、そして僅かな鉄臭さを感じる。

 そして状況証拠的に『鉄臭さ』が『鉄』そのものに起因するものではないこともマックイーンは理解していたのだろう。

 

 外部の状況急変に伴い、大人しく縄打たれているだけではまずいと感じたのか、マックイーンは両手両脚に力を加えてそれまで手首足首を縛っていた植物性の縄を無理やり引きちぎる。

 そして土間の片隅に置かれて放置されていたままだった勝負服の舟形下駄を見つけるとそれに脚を通した。

 

「案外、縄で私のことを縛った方々は盗みはしない辺り、善良だったかもしれませんわね」

 

 とはいえリアルタイムで遠方から聞こえる悲鳴の中には、恐らく犯罪行為であろうことも聴こえてくる辺り、どっちつかずではあるのだろう。

 そしてメジロマックイーンは、如何に犯罪者であったとしても放火を伴って攻め寄せてくる『監禁者にとっての敵』が、必ずしも自身の味方となり得ないだろうことも悲観的に見積もっていた。

 

 ただし、このままこの村の者に便乗して逃げたとしても、マックイーンには周囲の土地勘など無いことは自明であったし、下手を打って犯罪者扱いされる恐れもあることを踏まえれば、おちおち逃げ出すのも賢い選択肢ではないように思えた。

 ……というところで、更に事態は動く。

 

「捕らえたウマ娘の女はそこの小屋に居るっ! 上等な服を着ていた! お侍さん方がおらが村に攻めてきたのはそれが理由だろうっ!?」

 

 

「――っ!」

 

 ……見つかった。マックイーンはそう思わずにはいられなかった。

 恐らく攻め寄せた側の方もマックイーンのことは無関係であったと思われる。が、しかし、ここに来て明確な『戦利品』が提示されてしまったのだ。

 気配は複数人。それが確実に近づいてきている。

 

 残された僅かな時間で改めて周囲を見渡す。出入り口は1か所のみ。小屋の壁を破壊して裏から逃げることもメジロマックイーンは一瞬思案したが、しかしそれを実行しないだけの理由が外の言葉にはあった。

 

 それは『お侍さん』というものである。

 明らかに時代にそぐわぬ呼び名ではあったが、状況証拠からしてメジロマックイーンの明晰な頭脳は荒唐無稽な結論を導かざるを得なかった。

 

 ――そもそもレース中に起きていたことからして超常現象なのである。であれば、多少の『理外』の出来事が発生していたとして、それを受け入れるだけの必要があり、そしてその前提の下で行動するだけの胆力がメジロマックイーンにはあった。

 

 

「――っ、貴様何者だ!? 名を名乗れ! でなければ、この村の者と同罪と見做すぞ!?」

 

 小屋の板扉を乱雑に開け、メジロマックイーンの姿を見るや否や大声を挙げたのは女性であった。……いや、より正しく言うのであれば、頭上に耳があり、背には尻尾が生えていることからウマ娘だったのである。

 ただし、その身は具足に包まれ、手には槍が握られ腰には帯刀すらしていた。

 

 メジロマックイーンは、内心相手にウマ娘が居ることに焦燥感を覚えつつも、自らに向けられた武器を意図的に無視して、そのウマ娘の奥に居て複数の兵に囲まれた人物目掛けてこう言い放った。

 

「……名乗りを聞くときは、まず自らが名乗ってからが作法ではなくて?」

 

 その言葉を認識するや否や、目の前のウマ娘は怒りを露わにして槍先をマックイーンの喉元に明確に差し向ける。

 が、その槍が振るわれる前に重厚な声があたりに響いた。恐らく相手方の最も高位の存在であり、同時にマックイーンが声をかけた相手であった。

 

「……待て。確かに仮に敵であろうとも我等が作法がなっていなかった。それは詫びよう。

 某は三好が一門衆、十河一存様が寄騎――松田守興である。此度の仕儀はこの村が隠田で密かに育てた作物を畠山方に貢納している一報が国衆より入り、事を明らかにすればそれが事実であったから懲罰しに参った。

 ――これで、良かろうか? して、改めて問おう。貴殿は何者か」

 

 

 メジロマックイーンはその松田と名乗る男性の言葉を一言一句注視していた。

 このメジロマックイーンというウマ娘が有するのは知識ではなく――教養である。

 

 だからこそ、松田守興という男の名も、その上司にあたる十河一存という名にも聞き及びは無かった。しかし、彼等に発見されるまで意識を『理外』の出来事にまで向けていたことで、1つだけ彼女の『教養』にて拾える文言があった。

 

 ――三好、である。

 

 

 マックイーンは戦国時代の個々の勢力図は知らないし、室町幕府将軍家の全ての治世を諳んじることが出来るわけでもない。

 ただ。律令時代に整備され平安期に機能が変わり、トレセン学園に近しい機能を有することとなった『牧』――元はその字義通り牛などの家畜を育てる場所でウマ娘が多く雇用されていた――というウマ娘育成機関の中に、摂津国の鳥養牧というものがあったということ。

 そして、その管理者の末裔たる鳥養氏の中からは高名な能書家が輩出されており、その書家が仕えた『文化人』の中に確か三好という名があったはず……というところまで瞬時に知識が結びついた。

 

 もし『三好』というものが文化や風流を理解する『家』であるならば、メジロマックイーンにはこの場を凌ぐ方法は幾らでも思いついていた。

 公家の末席である半家の庶流のような立ち位置で家名を偽れば、嘘であっても一定度合いの真実味を兼ね備えており、同時に真実だった場合には武家と公家の間の軋轢を生みかねない危険因子となることから、当座の命の危機は回避できるだろうというある種の確信はあった。

 

 そう――『家名』さえ偽れば。

 

 

 しかし。

 メジロマックイーンとは。メジロ家の名を背負う者であり、その『家』というものの重さについて正しく理解と実感を抱いているウマ娘である。

 

 だからこそ、この場において出てきた言葉が次の文言であったことは当然だったのかもしれない。

 

「私はっ……。

 ……ええ、私の名は『メジロマックイーン』ですわ――」

 

 

 メジロ家とは代々トゥインクル・シリーズにて綺羅星のごとき輝かしい名誉と栄誉を手にし続けてきたウマ娘を輩出する名家である。

 ただし。トゥインクル・シリーズという興行そのものが『近代スポーツ』である以上は、その脈々と受け継がれてきた歴史は、『近代スポーツ』としてのウマ娘レースに寄り添っている。

 

 だからこそ数百年ほど隔絶しているこの場において『メジロ』という名が通用しないことくらいメジロマックイーンも理解していた。

 

 しかし彼女が『メジロマックイーン』である以上は、相手に通用するか分からないという程度で、自らの名乗りを偽ることは出来なかった。

 

 

 彼女にとって『メジロ家』という家名の重さは、その程度のことで揺らぐことのない絶対のものである。

 

 ――たとえ、時代を違えていたとしても、メジロ家が紡いできた『栄光の道』を違えるつもりは一切無かった。

 

 

 そして幸いなことがあるとするならば。

 そうした『家名』に対する覚悟は、この時代の武家にとっても無条件で好印象に繋がるものであったということ。

 

 

 メジロマックイーンは、この松田守興という将に護送される『捕虜』として、彼とその護衛らとともに、彼らの城への帰投へ同行することとなる。

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