『有馬権現は葦毛を好まぬ』。
その言葉を聞いたときに、メジロマックイーンが感じたのは不条理でも、論理性の欠如でも、意外性でも、怒りでもなく……ある種の納得であった。
他の葦毛のウマ娘はいざ知らず、確かにメジロマックイーンにとって『有馬』の相性はそれほどよろしくない。もっとも、それは松永久秀の指す『有馬温泉』のことではなく『有馬記念』に対しての考えではある。
とはいえ、それはそれとして『いきなり出会い頭に失礼なことを言いますわね』くらいの気持ちがメジロマックイーンの中に無かった訳でもない。
「つまり……松永様は、
事実の確認であるとともに、若干の意趣返しを込めた発言。
「いや……違いますな、マックイーン殿。某はあくまで貴殿の御身を案じてのことで御座いまする」
それは表層的には『心配』の言葉ではあった。しかしメジロマックイーンは、この目の前の御老体の真意を見透かすことは出来なかった。だからこそ、その『心配』の言葉にこう返す。
「生憎ではありますが。私が『有馬』に嫌われておりますのは重々承知しておりますわ」
「……左様でしたか」
そこで一旦、松永久秀は言葉を区切る。そしてたっぷり時間を使ってからゆっくりと次のように続けた。
「……で、左脚の炎症は、いつ再発するのですかな?」
「――なっ……」
十河一存は、メジロマックイーンの身のこなしから左脚を庇う動きを看破して、かつて怪我をしていたことを即座に見抜いた。
しかし、松永久秀はそこから更に一歩進んで、その左脚のかつての怪我が『炎症』であり、同時に再発する類のものであることを確信している。
何を根拠に、とメジロマックイーンは疑問符と驚愕の表情を浮かべていたが、松永久秀はそれすらも読み取って話す。
「――お忘れでしたかな? 貴殿はこの城へ来た折に、医師を呼ぶ騒ぎになったことを。
その差配を担っているのは某ですからな。京の医師らとは多少の知己がありますれば……」
この松永久秀、当代の『医聖』とも呼ばれる京で最も高名な医師――
だからこそ、メジロマックイーンについた三好家医師団らが、マックイーン自身が所望した『白湯』という処方を即座に受け入れたことにも通じていた。それが松永久秀によって編成された医師団であったためである。
そして、謀将・知将と呼ばれる類の人物である由縁にも繋がるが、そうした行動1つを無駄にせず複合的に結び付けてくる。
メジロマックイーンが体調を崩したこと自体は、松永久秀にとっては単なる偶然に過ぎなかっただろう。しかし、それを奇貨として、彼女の健康上のデータを取ったことは偶然ではなく彼の指示によるものであった。
策に嵌めるには正しい情報が必要であり、知略を駆使する者とはデータを重視する理論派であることが多い。別に彼はメジロマックイーンについて知るために医師団を整備したわけではない。ただ飯盛山城で病や怪我などの診察を受ける者の診察データを手元に集めることで、交渉やいくさ場、あるいは三好家中における派閥抗争などに密かに転用していただけである。
医師を掌握するというのは、小姓や側室候補を送り込むような戦国スタンダードの情報収集の形ではない搦め手であり、そして実際にそれが治療技術の向上という形で家中のいずれの者にも恩恵が与えられるからこそ深く突っ込みにくい。
またメジロマックイーンの『走り方』ですら秘術扱いされるのだから『医療技術』というのもまた本来は秘伝の類であり、同時にそういった一子相伝の技に接続できるネットワークを有しているだけの人物というのは、それだけで希少なのである。
だからこそ、松永久秀が医師団を掌握していることに仮に不満を覚えたとて、その代替が出来ないからこそ閉口するしかないのだ。しかも戦働きのような『映え』が無いからこそ、諸将に『気に食わないけど、まあ裏方仕事だしいっか……』という心理を植え付けることが出来る。
だから別に松永久秀はメジロマックイーンを知るためだけに三好医療チームを率いているわけではない。だけど、それはその諜報網にモロに引っかかったマックイーンの『情報』を利用しないことと同義では無かった。
ただ彼が手にした情報というのも、実はそこまで多くない。楓林にも伝わっていた『現在外傷は無い』という一般公開情報。十河一存が見抜いたような『左脚を庇う所作がある』という情報。
そして実際に走った際には、特にその走法にブレが見られなかったという十河一存からの情報が重なり、それらを松永久秀自身の医学知識と彼に後援されている医師チームの知識サポートを経て出た推論が、『炎症』という外からは見えない症状が直近の過去にあったのではないか? ということになる。
で、そこから『読み』として、メジロマックイーンの行動を追えば、岸和田から飯盛山城への移動に『走術の専門家』であるにも関わらず輿を使ったこと、あるいは飯盛山城に到着した後も、しばらく『走ろうとしなかった』事実が転がっている。
なれば武士が日頃から鍛錬に励むようなことを『走術流派』に属する者がサボることには何らかの理由がある――『炎症は再発するのではないか』と、そこまで繋がるのだ。
これはまさしく、松永久秀という男が非凡であることの証であった。
そして。
メジロマックイーンもまた、非凡にあらず。ここまでの彼の読みについて粗方察していたのである。
「怪我の再発は、まさしく神の差配の領域でしょう。神ならぬ地を這う人の身――ウマ娘の身では、それを窺い知ることはできませんわね」
「……至言ですな」
「――ですから、松永様は不安視していらっしゃるのはきっと。
私が一存様と共に赴いた先で怪我が再発すること、ですわね?」
「……良き慧眼をお持ちで。そこを弁えておりますれば、私からこれ以上は申し上げますまい。
では、切支丹の宣教師らから蹄鉄を受け取りに参りましょうか。それもまた怪我を防ぐ代物なのでしょう?」
――蹄鉄だけで繋靱帯炎が防げるのならば苦労しませんわ……。
メジロマックイーンは内心では、そんなことを考えつつも言葉には出さずに松永久秀とともに蹄鉄を受け取りに行くのであった。
*
「……三好家、十河一存さん……松永久秀さん……、有馬での湯治――そして、その有馬の権現は葦毛嫌い……。
何かありそうですけれども、さっぱりですわ! ……こういうときに、歴史に堪能なアルダンさんがいらっしゃれば、すぐにピンと来たのでしょうが……」
メジロマックイーンは、南蛮寺に控えていた宣教師らのサポート人員として付けられていた海外のウマ娘が私用していた蹄鉄の予備を分けてもらい、同時に次の交易品の産品として指定することを松永久秀経由でお願いした。
宣教師らは快くそれを引き受けてくれたが、メジロマックイーン個人が使用するものであれば、彼らが布教拠点としている九州から融通が出来るものの、それ以上の量――それこそ、三好家のウマ娘の装備として順応させていく程の数を集めるのには数年単位で時間がかかるとのことだった。
何故か。まず大前提として宣教師らは船でヨーロッパから日本まで来ている。そして、そのインド洋経由の航路を掌握しているのはポルトガルで、ポルトガルのインド総督府のガレオン船船舶量って思ったよりも少なく、建艦ペースも平均すると数年で1隻あるかといった感じだ。
だからこそわざわざ日本まで回す船というのは精々年間1隻あるかないか。来たとしても九州の寄港地を立ち寄るくらいが精々で、そこから堺、ひいては三好勢力圏まで渡るのにタイムラグがさらに生じる。
そしてガレオン船は帆船である以上は、季節風の影響が航海日程にダイレクトに響くので、いつでも好きな時に出航できるわけではなく、シーズンごとの往来になる。季節によって風向きというのは変わるからだ。
……とはいえ、これに抜け道が無いわけではなく、日本までやってきている宣教師やポルトガル商人の多くは、倭寇船に同乗してやってきていたりもする。
それで、宣教師とはスーパーエリートである。何故か。
彼等の多くはこの時代のヨーロッパの大学課程を修めた上で、『必修』として課されたのは『修辞学』。
古代ギリシアから脈々と受け継がれてきた弁論や演説技能こそを何より貴んだ。それに加えて今で言うところの『自然科学』分野を収める修道士も多い。天文学・医学・物理学・生物学・土木工学・建築学などの理系のプロフェッショナルが割合として多く、しかもそうした一流知識人を惜しみなく『宣教師』として遠隔地へ派遣した。
そして彼等は『現地語』にて布教活動を行っている。日本だったら日本語――特に『京言葉』で、南米の熱帯雨林なら部族間の商取引などで用いられた共通語を、あるいはヨーロッパにおいてならば当然その地域の言語を。
つまりこれだけの知識を擁した上で更にマルチリンガルは当たり前、といった破格の性能を有しているのだ。あのフランシスコ・ザビエルだって本国では文学修士号を取得した上で、一時期大学のアリストテレス哲学コースにて教鞭を振るっている。
と、ここまで来て、今度はメジロマックイーン側。
メジロという家は、天皇賞とステイヤー路線を重視していることから、一般的なイメージだと国際的な視座よりもむしろ内向きの印象がやや強いかもしれない。
メジロのウマ娘が海外遠征に赴くことは少なく、それはむしろ他の名家の方がより積極的に行っているのも確か。
ただしそれはメジロ家が『国際派』ではないことに直結しない。
まず見えている範囲から言えば、メジロ家のウマ娘って結構お茶会とスイーツの印象が色濃い。マックイーンがその最たる例ではあるけれども、真に国際派でなく内向きであるならば、それらのイメージは茶の湯や和菓子パクパクに取って代わられるべき話だ。
メジロのお屋敷を見れば分かる通り、『メジロ家』というのは『和』ではなく明らかに『洋』の名家なのである。
では、そのルーツがどこにあるかと言えば――フランスである。メジロ家は、初めて自家のウマ娘が天皇賞を掴み取った後の過渡期に、現在ではGⅠレースに昇格しているフランス・オペラ賞の第1回優勝ウマ娘を指導者として招き、その彼女の教え子が再び天皇賞を取った。
そうして、その代々発展・昇華させていったメジロ家の指導技術――言わば『系譜』はメジロマックイーンにも脈々と受け継がれている。あるいは、そうした経緯を有する以上、メジロ家の育成記録の古いものの中にはフランス語で書かれた指導書なども数多く眠っている。メジロマックイーンが高々『言語の壁』程度でそれらのデータを読み解くことを諦めるはずもなく。
だからこそ。メジロマックイーンと一部の宣教師や彼らに追従する海外ウマ娘とは意思疎通が可能なのだ――フランス語で。
そういったこともあり蹄鉄を譲り受けた際に、元々の持ち主であったウマ娘からフランス語でこう話しかけられたのであった。
「――気を付けて。あの松永久秀っていう男には、特にね」
「……? は、はあ……」
勿論、フランス語を介したヨーロッパウマ娘は、松永久秀の人となりを知るわけではない。彼女はただ宣教師らが朝廷の排外主義的傾向に憂慮していたこと、そして久秀がその朝廷との橋渡し役にも任ぜられていることを又聞きし、警戒を強めていただけである……つまりはマックイーンとは無関係な私情による反感であった。
ただし、メジロマックイーンは生来から、取り敢えず言われた言葉は素直に受け止めて考える性質であった。だからこそ、先の『助けてアルダン!』という考えに集約されたのである。
「松永さんは、私のことを一存さんから遠ざけようとした……。それは私の怪我が再発して足手纏いになることを恐れたため……。
……? でも、それだとおかしい。だったら最初から怪我に言及すれば良かったはず……『有馬権現は葦毛を好まない』なんて遠回しな言い方をする必要なんて無い。
それに松永さんは奉行衆の元締めなようですから、別に私に告げるまでも無く、同行に難色を示す奉行らの支援をすればそれで良くて……?」
考え事をしている間、お嬢様言葉が抜けてしまう癖が露呈していたものの、今このタイミングではマックイーンは居室で一人きりであったために口に言葉を出しながら考えをまとめていた。
「……私が『怖いので行くの辞めます』と言い出すのを待っていた……? いや、でもそれだったらあまりに松永さんの諦めが速すぎる……?
じゃあ『何かあるかもしれない』ということを警告すること、そのものが目的……? でも、何故松永さんは私の身を案じる必要が……三好家指南役という体裁から? それとも部外者であっても捕まえていた者に危害が及ぶのは後味が悪いから――」
確実に言えることは有馬の湯治には何か裏がある、ということと。恐らく松永久秀は、それを朧気ながら知っているということ。
詳しく問い詰めれば何か分かるかもしれないが、詰問したくらいで零すような相手が奉行とはいえ武士の取り纏めを出来るとは思えない。メジロマックイーンよりも遥かに血気盛んで掛かりやすい彼等を相手にする松永久秀が、何か情報を落とすのであれば、先に会ったときに既に話しているはず。だから、その行動はほぼ無意味だろうとマックイーンは判断した。
「……結局、座して十河一存さんに何も起こらないことをこの城から祈り続けるか、何か起こるかもしれなくても同行するか……ですか」
そしてその二択が、状況のままに流されるか、能動的に動くかという対立である以上は、メジロマックイーンというウマ娘が取り得る選択肢は自明であった。
――ただ流されるように生きているウマ娘に、春の天皇賞の連覇など出来るはずがない。
メジロマックイーンは改めて、有馬への同行を決断する。
*
「……あれ? 楓林さんも十河一存様と私と共に有馬までいらっしゃるのですか?」
「私の今の主命は、マックイーンさんの側仕えです。貴方が動くのであれば、私も付いていかねばいけませんから――」
数日後。三好長慶直々の決定事項として、メジロマックイーンの有馬湯治への同行が認められた、という一報が楓林経由でマックイーンの下へ入った。
それは、この飯盛山城に初めて来て以来の大きな移動。そして前にこの城まで来たときは輿を使ったが、今度は浅沓と蹄鉄が手に入ったために自らの脚で移動することが叶う。
楓林もまた蹄鉄を慣らす練習はしていたものの、流石にマックイーンとともにトレーニングを始めてから日が浅かったこともあり、彼女は今まで通りの足袋で同行する。
そして、当日。
「……一存様。この度はよろしくお願いいたします」
「マックイーン殿と楓林よ。刻限通りだな。
――では、行こうか。有馬へ」
元はと言えば、この十河一存の病の治癒に向けた湯治であったはずなのに、大ごとになってきたなあ、とメジロマックイーンは思わざるを得なかった。