背信の陰陽師   作:もやしナムル

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崩壊

 

 

(……これが犬神?一尺一寸(35cmほど)じゃないのか?)

 

 

 

 

それは全長四メートルを超え、犬というより狼に近い。目は爛々と光っており、こちらを品定めするようにじっと見つめていた。

 

艶をなくしたパサついた銀の毛に所々血が飛び散っているような赤い部分がある。そして口元は本来の狼より裂け先端が尖っていた。

 

 

 

【⠀…久しいの、娘。 】

 

 

身の毛もすくむような低くしわがれた声だった。あまりの圧迫感に声を出せずにいると、こちらを一瞥もせず姉に向かって声をかけた。

 

 

【⠀…… 後悔はないか。】

 

姉は黙ったまま一礼して肯定した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一瞬だった。

 

 

 

姉の首に噛み付いたのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……え?…なん…で?姉さん?姉さん!」

 

犬神が口を離すと同時、鮮やかで綺麗な血が噴き出した。

 

 

バランスを失った姉の体が床に打ち付けられる前に抱きとめる。そして今日、一度も合わせていなかった顔が見えた。

 

 

 

 

いつも輝いていた五芒星が刻まれているはずの左目が無く、抉り出したのは数時間前かのようにすっかり伽藍堂になってしまった眼孔からは血が滲んでいた。

 

 

 

残った右目はひどく焦燥に駆られている自分を写していた。

そこには場違いに発光しているように白く刻まれた五芒星を宿した自分の顔が。

 

 

姉の無くなった左目と自身に浮き出た印が無関係なわけがない。

 

 

なにがどうして、と問い質したくなるのを堪える。

 

それよりも今は首からの出血の方がまずい。いますぐ医者にかからねば命の保証はない。かかったとして、助かるのか分からないほどの出血量であるのは素人目にしても充分理解出来るからだ。

 

 

 

 

「……っ。誰か!…姉さんが!姉さんが大変なんだ!このままでは死んでしまう!誰かきてくれ!早く!」

 

 

 

どんなに大声を上げても誰も来てはくれない。物音ひとつしない。広い部屋で自分の声だけが大きく反響していた。

 

 

 

古くからあるこの本邸は経年劣化に伴い所々改築をしているが、それでも古き良き屋敷として形を残している。

つまり防音なんて洒落た部屋は無い。

 

 

ということは自分の声は聞こえているのだ。内容までは聞こえずとも大声が、叫びが、届かないはずはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと思った。

 

 

 

ー朝迎えに来たいつも無表情な使用人の驚きの表情

 

 

ーいつも待っててくれるはずの姉が自分を置いていったこと

 

 

ー鍵の掛けられた部屋

 

 

 

 

 

ひとつひとつはなんて事のないものだったのかもしれない。だが疑問に感じつつも全て素通りした自分を殴りたかった。考えたくない答えにたどり着く。

 

 

 

ー使用人はアザミの左目に五芒星がある事に気づいて驚いた。

姉の親愛と決意を慮って言わなかっただけ。

 

 

ー姉は弟に気付かれる前やらねばならなかった。

当主は自傷でのみ印を破棄できる。例え贄の儀式と知らない弟だとしても自分の目をえぐり出そうとすれば、必ず止めるから。

 

 

ー頑丈な扉と鍵。

贄となった者が逃げられないように。

 

 

 

 

 

気付くのが遅すぎたのだ。

どこが優秀なのだ。ちやほやされていたこの頭脳は唯一の姉すら守れない、守られたのは自分の方なのだ。

 

 

 

絶望が頭を占める中、弱々しくも優しい姉の手が自身の頬に添えられた。

 

「…ねえ、アザミ…。そんな顔しないで?姉なのだから弟を守るのは当然なのよ?」

 

そう言った姉は微笑みながらも首の出血は止まらず、どんどん顔も青白くなっていく。

 

 

姉の命が溢れていく。軽くなっていく体と対比するように血を吸って重くなっていく着物。

 

 

受け入れられないと、嫌だと喚きたい。しかし、頭のどこかで姉の残された時間は僅かだと悟る。だから姉の最期の言葉を聞くために自分の気持ちに蓋をして黙って聞く。

 

 

「……いい子ね。…アザミ、人に優しくしてあげてね……良い事をすれば必ず返ってくるのだから……姉さんは…いつまでも…アザミの味方だか…ら………」

 

 

優しく頬を撫で終えるとフッと力が抜けるように手が落ちた。

 

 

 

大好きだった宝石のような瞳はもう光を無くして。

もうここには居ないんだと突き付けられたようで心が痛い。姉を抱きしめている手に力が入らない。

それでも頭はどこか冷静だった。それが悲しい。

 

 

軽くなった姉を静かに床に横たえる。

 

 

 

 

自分には聞かねばならないことがあるのだと。この胸のしこりを解消しなければ到底前に進めない気がして。

自分は姉の代わりに当主として一族を支えなければならないのだから。

 

 





犬神「呼んだ?」
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