「燐兄さん!頼みたいことがあるんだけど、良い?」
「いやだ」
ここはテイワットで最も栄えている場所、璃月港。その一角にある唯一の辛気臭い場所、往生堂が一室である。
空気が白んで見えるほど焚かれている線香をかき分けて現れた堂主を一瞥し、少年は鬱陶しそうに本へ目を落とした。
胡桃はそんな態度を全く気にせずに話を続ける。
「前言ったじゃない?往生堂で管理していた過去の葬式目録と手順詳細が書かれた書物を久しぶりに見たらなんとビックリ!虫に食われまくってたって話。復元と写しも行っているけど、うちは万年人手不足だし貴重だから外部の人に触らせるわけにもいかないし」
「それはとりあえず洞天に放り込んで、あとから写真機で記録を取るってことで解決しただろ」
「解決してませーん!目録が無いので見つけられませーん!」
胡桃がおどけながら燐の本を奪う。表紙とタイトルを記憶しつつ、話を続ける。
「それでさ、うちの前の掲示板に求人広告だしたのよ!『諸国と葬儀の歴史に詳しい専門家、求ム!衣食住完全保障!特別対応で歓迎します』ってね。そうしたらなんと本当に見つかったのよ、私よりも詳しい人!」
「良かったじゃん、で頼みっていうのは?」
燐はどうでもよさそうに答え、話の続きを促した。
「しかーし、普通に考えて怪しい!私よりも葬儀の知識がある若い男!そこまで教養深いならどこぞの豪商の次男坊くらいかと思いきや、郊外の小商人の生まれで家業はすでに途絶えていると言う!」
それ仙人じゃない?
パンピーのフリをする仙人の定型文である。仙祖たる岩王帝君が言い出し、みんな真似をするようになった。
「そこで、燐兄さんにはその人に悪意が無いか図ってほしいの。最近は詐欺まがいなことをする盗賊も増えたでしょう?往生堂の歴史とその資産は絶対に守らなければいけないからね。……虫食いにさせた私が言う事でもないけど」
胡桃は腕を組むと、物憂げに燐の本を開いた。中にはボインボインな狐お姉さんのイラストが印刷してある。
うへぇ、こういうのが趣味なんだ。
うるせぇ。
燐は本を奪い返すと洞天に放り込み、思案した。もとより書庫の管理が粗雑になっていたことは胡桃への業務引継ぎを不十分にした燐の責任でもある。加えてもし応募者が仙人であった場合、全力で弄り倒すのも面白いだろう。
「わかったよ、その程度ならできる。他は問題なかったんだろ?」
「ありがとぉー!私が出した課題論述と口頭試問の出来は満点だったの!燐兄さんの面接を通過できれば採用決定かな」
胡桃は先ほどと打って変わり満々の笑みを浮かべると、燐に飛びついた。
すぐに、燐はこの決断をひどく後悔する。
断るべきだった。いや適当に理由をつけて採用を辞めさせるべきだった。この男と共に働くくらいなら、燐が書庫管理を全部担当しても良かった。
「はじめまして、凡人の鍾離だ」
「凡人は自分の事を凡人って言わないんだよ!」
隠居した
「燐殿の話は胡堂主から聞いている。往生堂の墓守を代々務め、その若さで璃月人の先祖たちを守る優秀な者だと」
「しらばっくれても無駄だからね?そもそもその仕事押し付けた当人じゃねえか」
自称凡人は静かにうなづくと目を閉じて首を振った。所作がいちいち優雅なのが特徴的である。
「俺は岩王帝君ではない。鍾離だ」
「バレてるんだよジジイ、素直に認めろよ」
「爺という表現は適切ではないだろう。俺はまだ若造だ」
「何千年サバ読んでんだよ!さすがに無理があるわ」
燐は自称凡人若造鍾離の頑なさに辟易し、天を仰いだ。
一度決めたら譲らない。無敵の頑固さを誇る岩の化身を相手することに疲れたのだ。
出会った時からそうだ。俺のものは俺のもの、お前のものも俺のものマインドでまさに闇の帝王状態だった性格を矯正するためにどれだけ燐と帰終が苦労したか。だいたい出会った時も……と数千年前の記憶を掘り出したところで、エセ凡人は声を出した。
「甘雨は全く気付かず仕事の斡旋をしてくれたぞ」
「あの子の労働環境が心配だよ」
手元の資料をめくると胡桃の書評、試問記録と共に月海亭の推薦書が挟まっていた。なにゆえ総務司ではなく月海亭が仕事の斡旋をしているのか、相当寝ぼけてたのかもしれない。
岩神は凡人を偽る事を止めたのか、戸棚を眺めては「さすが璃月最古の葬儀屋だ。良い品が揃っている」と感心している。
燐は頭を抱えた。人材としては璃月一適任だろう。なにせ雇用契約は必ず守り、できない事は無いと言わせしめるほどの完璧人間(人間?)だ。
しかし一緒に働きたいかと言えば断固拒否である。
こいつと仕事?あの血反吐吐くほど忙しかった5千年を繰り返せと?無理に決まってんだろボケ。
家財の物色にも飽きた岩神は燐の手元にある面接マニュアルを覗き込み、1人で勝手に答え始める。
「俺の特技は完全な記憶力だ。生涯に見聞したもの一言一句誤ることなく思い出すことができる。もちろん璃月の葬儀についてもその文化が形成された5732年前から説明できる」
「能力的に問題は無いんだわ。むしろ人智超越レベルなんだわ……」
「短所は……。ふむ、考えたことが無かったな。敢えて言うのであれば海鮮物が苦手な事だろうか。燐殿は何だと思う?」
小学生か。
燐は答えるのも面倒くさくなり、机に伏せて唸った。
「志望動機?そうだな。俺には璃月の歴史に対して専門家にも負けない造形があると自負している。時に璃月で一番歴史を重んじる職は往生堂であると思い、応募した」
「さいですか……」
胡桃に頼まれたのは応募者が往生堂に害をなすかどうか判断することである。であれば答えは一つしか無い。
さようなら俺の憩いの職場。
燐は苦渋の思いで一筆したため、鍾離に渡した。
「採用です。堂主にこれ渡してください。ついでに俺は今までに貯まっている500年分の有給を消化します、探さないでくださいと堂主に伝えておいて……」
「燐殿、璃月の法律で認められる有給休暇は2年までだ。計画的に消化することをお勧めする」
誰のせいだと思ってんだバーロー!
本能のままに目の前の美形を殴りかかりたくなるが、必死で堪えた。それをすれば最期、萩花州から風のように現れた男が燐をボコボコにするからだ。
燐は泣いた。うっかり往生堂と無期限雇用契約を結ぶ以来の涙であった。
時は同じ、万民堂にて。
胡桃は今日の営業を終わらせて、遅い昼食を取っていた。
「鍾離さん?知ってるよ!万民堂でよく食事をして、アタシの料理を褒めてくれるんだ」
胡桃はやけに真っ赤な謎の餡掛け麺を箸で突きながら、香菱の話にふむふむと頷いた。
香菱は胡桃の対面に座り、頬杖をつく。その隣には謎の火を吹く熊、グゥオパァーの姿もあった。
「こないだもね、彼に山椒豆腐を出したんだけど、一口食べて何の塩を使ったか聞いてきたんだ。それで答えたら、『孤雲閣の浅海で作った海塩を使うといい。その味わいは豆腐の鮮度を高められるだろう』て教えてくれたの。でね、言われた通りに試したら本当に味が全然違くて!食に詳しい人は璃月にたくさんいるけど、食材のことを理解している人は珍しいよね」
「珍しい、ねぇ……」
胡桃は香菱の言葉を復唱すると、じとっとした目つきで笑う。
ああこれは良からぬことを考えている目だな、香菱は呆れながら友から逃げるように皿を片付け厨房に戻る。
「ねえグゥオパァー。知らないものが無いってくらいに知見に飛んでいて、言葉遣いも礼儀作法も完璧で、見目麗しい男性が噂も無しにいきなり現れることなんて有り得るのかな?」
「グゥ?」
「ふふふ、『郊外の小商人に生まれたしがない身』か。まるでおとぎ話に出てくる仙人のようだなー」
グゥオパァーの膨らんだ頬を揉みながら、胡桃は愉快な未来を想像した。
るんるんと浮き立つままに帰宅した胡桃を迎え入れたのは泣きながら退職届を差し出す燐であった。
「今までお世話になりました。往生堂辞めて山に帰ります……」
「ナンデヨ!?」
胡桃は仰天して燐の辞表を奪うと、そのまま炎元素で炭に変えた。