「ねぇ、よいちゃん。俺今日から人は蹴らずにボールと地面だけ蹴って生きる事にする」
「ごめんなんて??」
3歳の誕生日、俺は前世の記憶を思い出した。
きっかけは目の前のバースデーケーキ。たっぷりのクリームに色とりどりのフルーツがふんだんに盛られて、3本の蝋燭に囲まれた「ともやくん おたんじょうびおめでとう」と文字が描かれたチョコプレートが乗っかった、豪華なホールケーキだった。蝋燭に灯った火を吹き消した瞬間、目に映ったキウイフルーツの断面図を見て、俺は前世の記憶を取り戻した。初めて目にする筈なのに、俺はキウイの味を知っていた。そして前世でキウイが苦手だったことも。なんか改めて文字に起こすとちょっとダサい気がする。まぁ、兎にも角にも、俺は今世における「
結果から言うと、俺はこの時いちばん苦しんだ。
理由を言うと、前世の俺の職はいわゆる暴力が主に業務内容に絡んでくるソレだったのだ。かつては自分のものだったとしても、流れ込んでくる記憶はつい先日までただの3歳児(正確にはギリ2歳児)だった俺には到底耐え難いものだった。人を殴った感覚。人を蹴った時の音。悲鳴。引き金を引いた後の腕へのダメージ。命乞い。何かが焼ける音と咀嚼音、鈍い音。俺は思わずパニックを起こして、何事だと焦った父さんと母さんにひもすがら泣きつき、夜は絵本の後に抱きしめて寝てもらった。泣きすぎたせいで翌日の寝起きはキツめの酒を飲まされた後のように最悪だった。
前世との相違点は数えきれない。まず、俺の生まれは海外の
前世の俺が逆立ちしたって手に入れないものを、俺は生まれた時から持っていた。だからこそ怖くなった。人を散々傷つけてきたこの手で、この足で、この身体で。あんなに優しい人たちのそばに居ていいのだろうかと。前世とはいえ人として許されない事をしたという自覚はある。そんな俺がどうして幸せを享受できるのだろうか。
困惑と多幸感が両立する複雑な心境の中、まずは感謝を言葉にして積極的に伝える事にした。褒め言葉のボキャブラリーは乏しかったが全く言えない訳ではない。今世の多大な幸せをタダで味わうなど申し訳なさ過ぎたが、なにぶん3歳児なので出来る事は限られている。お手伝いお使い等も率先して引き受けようとしたが、まだ危ないからと断られてしまった。不甲斐ない。
朝ご飯の支度をしてくれた母に、会社に行って帰ってくる父に、幼稚園の先生に対して感謝の言葉を返すと、皆揃って表情を柔らかくしてくれるのは嬉しかった。けど、まだまだ足りないと思った。完済には程遠い。それどころか、こんな無償の言葉一つで笑みを返してくれるのがより申し訳なくなってしまった。
「ねぇ、母さん。なんでおれに優しくしてくれるの」
足りない頭じゃ解決できない。そう判断し、俺は母本人に助言を求めた。「父さんと母さんは優しすぎると思う。おれ、何も返せないのに」と質問を続けていくと、母は顎に手を当てて少し考えるそぶりを見せた。
「難しいことは母さんにも分からないけど、母さんは倫也に“優しくしてる”とか、“代わりに何かして欲しい”って思ったこと一度もないよ?」
「……? でも、毎日ご飯くれて、いっぱいあそんでくれるし、誕生日にはケーキとプレゼントだってくれる。こんなの」
「あのねぇ!」
こんなの知らない。そう言おうとした俺の頭を、母はくしゃりと撫でてくれた。俺は母相手ですら、反射的に目の前の人間が手を翳すと警戒してしまう。こんなに心地良いのに。
「ご飯は食べないと死んじゃうでしょ!? 倫也が遊んでると幸せな気持ちになるし、誕生日は年に一度の大事な日! それは理由じゃダメ?」
「ダメじゃない、けど……それじゃおれがもらってばっかりだ」
「私たちにとっては、倫也が毎日元気でいてくれることが“お返し”なの! 健康第一で育ってくれりゃ万々歳! むしろもっと可愛がらせろ!」
「わぎゅっ」
うりゃうりゃー、と母は俺をヌイグルミみたく抱きしめて思い切り頬ずりをした。子供体温と摩擦熱で全身発火しそうに熱かったが、不思議と苦しくはなかった。そしていきなり体が離されたかと思うと「ぎゃー!」と悲鳴が聞こえてくる。何事かと思い顔を挙げると、どうやら料理中で火を止めていなかったので鍋の底が焦げてしまったらしい。あたふたと慌てる母を見て、俺は速やかに台所の窓を開けた。
その日の晩は少し焦げてしまったビーフシチュー。母は何度も「ごめんね」と謝っていたが、火傷や怪我がなくて良かった。帰宅した父は母の料理が世界一美味いと絶賛しておかわりもよそっていた。俺も素直にそう思うのでぺろりと完食すると、母は「天使が二人いる…」と胸の前で手を組んでいた。父はともかく、俺は天使なんて柄じゃないと思う。
一日一日を必死こいて生きていた前世に比べて月日が経つのは早い。あれから1年経ち、俺は4歳になっていた。
両親の温かみに触れる事で、次第に幼稚園での友達も増えてきたと思う。けど、いまだに怖いのは「伸ばした手足が誰かの体に当たってしまう」事だった。
母が料理用の包丁を持つのは最近ようやく慣れてきた。けど、幼稚園の皆と鬼ごっこや花一匁といった遊びに興じるのは少し苦手だった。鬼ごっこでは相手にタッチする必要があり、どうしても背を向ける子供に片手を伸ばす瞬間で前世をフラッシュバックしてしまう。花一匁だって、肩を組み不安定な状態で足を振り出さなければならないので、向かい側にいる子に当たってしまわないか気が気じゃなかった。幼稚園の先生は「ともやくんは部屋で遊ぶのが好きなの?」と言い、折り紙やあやとりを教えてくれた。それで友達も多少できたが、いつまでもこんなんじゃいけないというのは子供ながら分かっていた。何より、両親に心配をかけてしまうかもしれない。
きっと、こんな俺でもあの人たちは愛してくれる。けど、健康第一はマストなので判定が際どい所だ。やはりどこかで俺自身が変わらなければ。今世と前世を分けて考えるべきか。
頭を捻って自問自答し、「つまようじ」と書かれたメモ帳をぼうっと見る。ちなみにこれはお使いの紙だ。4歳になった俺はようやくはじめてのお使いに出場する資格を得られたらしい。
最寄りのスーパーに真っ直ぐ歩いていると、トントン、と音を立てて目の前にボールが一つ転がってきた。思わず足を止める。次の瞬間、子供特有の高い声が街の真ん中に軽く響いた。
「___あー、そっちいっちゃった! ねぇ、ボールけって!」
その声が自分に向けられたものだと気づくのに、数秒はかかったと思う。
メモをポケットにしまい、足元にころりと転がってきたボールを手に取る。両手で触れると子供向けに配慮されているようで、柄はサッカーボール特有の白黒模様だが触覚はツルツルで柔らかい。少し砂埃が付いていて、よく使い込まれているのが一目で見てとれた。
声のした方へ体ごと顔を向けると、こちらに向かって手を振る幼稚園児くらいの少年がいた。頭頂の跳ねたアホ毛が可愛らしい、純粋そうな少年だった。彼のいる広い公園には少年と同い年らしい子供が3人ほどいて、2対2でサッカーごっこをしているらしい。しかしボールがあらぬ方向へ飛んでいってしまったから、俺に救援を要請しているようだ。
俺はボールを地面に置き直そうとして、そのままぴたりと固まってしまう。恐怖で体が硬直したのだ。冷や汗がこめかみに伝う。呼吸と心音が少しずつ早くなる。
怖い。
俺の足は今までずっと、誰かを傷つける為にしかなかったものだから。
再びこの足で、地面以外の何かを蹴るのが、酷く恐ろしかった。
「ねー、はーやーく!」
「っ、ごめん……」
俺の気も知らずに少年は双葉を揺らして急かしてくる。分かってるよ、そっちにやればいいんだろ。別に蹴る必要はない。抱えて運んでやればいい。分かってる。
「ほら、だいじょぶだよ! こっちけって!」
頭ではそう分かってるのに、少年の声は隙間風みたいに俺の鼓膜に入り込んできた。「大丈夫だから」、俺はどうにもその言葉に弱いらしい。前世じゃ誰もかけてくれなかった台詞だ。それに加えて少年の表情や声が、今世で出会えた父さんや母さんが向けてくれるのと同じような温かさというか、安心感に溢れるものだったからだろうか。
「いくよ」
頭で考えるよりも、急き立てられた体はあまりにもあっさり素直に言うことを聞いた。
ぼん、とゴム生地が弾む音が響き、ボールは手を広げてまっていた少年の胸へと綺麗な放物線を描きダイブする。良かった、怪我はしていない。突き指もしてない。メーカーさんに感謝だ。
胸を撫で下ろしたふう、と息を吐く。これで少年らはサッカーの続きを楽しめるだろう。そう安心して歩を進めようとしたその時、少年達は試合を再開するのではなく、腹の底から「すっげー!」と俺を称賛した。
「すっ…げー! なに今の! よっちゃんのとこに一直線だった! ね、君もサッカーしてるの!?」
「え、いや俺……ボールけったの、今が初めて」
「ウソぉ!? ぜったいウソだ! プロみたいだったよ!」
「な、今のどうやってやったんだよ! ボクたちにも教えて!」
「え、え」
わいわいと盛り上がる少年たちに、俺は思わず縮こまってしまう。一度火がついた興奮は冷め時を知らないどころか、ますます燃え広がっていくようだった。
そんな中、ボールをダイレクトキャッチした双葉の少年だけが押し黙っていた。じっと両手に収まるボールを一点集中してガン見している。そのことに気づいた俺は何かまずい事態でもあったのかと思い、黒髪の少年の方を見やった。
ばっ、と同時にものすごい勢いで黒髪の少年がこちらに視線を向けた。青い目がキラキラと輝いていて、でも白く柔らかそうな頬はみるみる赤くなっていくのが対照的だった。
「よっちゃん」と呼ばれた少年は他の3人など目に入らないと言わんばかりに、階段を駆け降りて俺の元へと走ってくる。そのスピードなら俺が蹴らなくてもボール取ってこれたんじゃないか、とツッコミが出そうになるがやめておいた。少年は困惑するおれの右手を取り、満面の笑みを浮かべて再び駆け出した。
「な、いっしょにサッカーやろ!」
「えっと……でも俺は」
「だいじょぶ! ぜったい、ぜーったいたのしいから! ねっ!」
少年に手を引かれるまま、気づけば俺はサッカーチームの一員となっていた。元気パワー爆発中の彼らはやれポジションチェンジだとか、次の“かんとく”はボクがやる、などなどルール設定に興じている。完全に言われるがままされるがままで逃げ場を失ってしまった。言葉に詰まっていると、不意に「俺は潔世一! 4歳! きみは?」と問いかけられて、ようやく声を発する機会を得られたことにホッとした。
「……ともや。
「ともや、よろしくな! いまから二人で勝ちに行こうぜ!」
「う、でも……。…わ、かった。いさぎくん?」
「世一でいいよ! 皆にはよっちゃんってよばれてるけど」
「……じゃ、よいちゃんで」
少年はニッと笑って俺の呼び名に頷きを返す。幼稚園らしくないと浮いてしまいがちだが、他人を苗字で呼ぶのは前世からの癖なので抜けない。どちらを選択するか迷いかねて間を取ったのは事実だが、俺が誰かをあだ名で呼ぶのは初めてだった。
それから先は、もう何もかも初めてだらけで、新鮮だけどとても楽しかった。きっと俺はこの瞬間のために今世で五体満足に産まれたのだろうとすら思った。それほど強烈で有意義で、温かい時間だった。
俺の足は人の頭を割るためではなく、ボールを蹴るためにあるのだと思えたから。
「ねぇ、よいちゃん。みんな」
「ハァ、ハァ……なに? ともや」
「……またここで、皆とサッカーしたい。今日で終わりにしたくない。もっと楽しいこと、知りたいんだ」
「! ……ははっ、当たり前だろ!」
「てか、次はぜってーオレらが勝つし!」
「終わりなわけないじゃん! ぜったいまたしよ!」
初めてプレイした、2対2のサッカー。相手の体をドリブルですり抜けて、残るキーパーと1体1。地面に木の枝で線を書くことで表したゴールラインを目指してシュートを放つ。自分のプレイが成功する瞬間は、俺の心身を予想の何倍も熱くさせた。
「よいちゃん、俺にサッカーを教えてくれてありがとう」
少しだけ、足を中心に自分のことが好きになれた。身体も心も、こんなに楽しくなれるなんて知らなかった。俺にも、人を傷つけずに生きることができるのだと思えた。
「ねぇ、よいちゃん。俺___」
今世で改めて俺は、ようやく自分の生というものに向き合えるような、そんな気がした。
登場人物設定
男性。前世は周りがクソだったから容赦なく蹴れたけど、今世はご両親や周りからの温かさに恵まれたので暴力への躊躇がある。しかし嫌いな奴を蹴り飛ばしたい性格なのは別に変わってない。サッカーを教えてくれた潔くんが大好き(他意はない)。
潔世一
サッカーに出会って間もない4歳児。よいちゃん。倫也くんのシュートに惚れて(他意はない)サッカーの道に引き摺り込んだ張本人。
鈎家のパパママ
潔家のパパママと遠からず仲良しになる。