今世は人を蹴らずにボールを蹴って生きようと思う   作:そす

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Unsinniges Testament

俺の前世はきっぱり申し上げて、“クソ”の一言に尽きるものだったと自負している。

 

親の顔も知らずに何故か生を受け、ガキの頃に物乞いをした相手が悪かったせいで金切り声と共にヒールで喉元を蹴り飛ばされたのが最初の記憶。痛みが迸った直後、当然のように嘔吐した。しかし胃には何も入っていなかったので、血まじりの胃液が喉を醜く焼き付けた。ひっと声を漏らした女はゴミでも見るような目で俺を見下ろすと、先刻俺を仕留めたヒールを掻き鳴らして街を後にした。

 

女が去った後も切り傷は膿み続け、何日も痛みで声すら出せず、鈍い鉄の味が食道の底まで染み渡ったのを覚えている。おかげでヒールを身につけた女を目にした暁には言葉を発するよりも前に鳥肌が止まらなくなってしまった。最低最悪な事この上ない。

 

それから数年経ち、物乞いに続き俺は新たに生きる手段を身につけた。盗みはかなりの大博打だったが、物乞いよりもリスクが高くとも得られる成果が比較的大きいと分かり実行に移した。見つかり次第にヒールより恐ろしい折檻が待っていると分かっていても、袋叩きにされ道端に元通り捨てられる恐ろしさに震えようと、腹の音は鳴り止まないので仕方がない。舌を出すのは内心でのみに抑えた俺を誰か褒め称えて欲しい。

 

そうまでして、このゴミ溜めもとい貧民街(クソスラム)で死に損ないながら生き延びてきた。生きるのは苦しかったが、それ以上に死にたくなかった。

時折、路上で動かなくなった死体をひとつ見かけるたび、その思いは強くなる。骨や歯が異様に浮き出るほど痩せこけて、ボロ布も同然の衣服すらも死体漁りに剥ぎ取られた死骸。体のあちこちをネズミに齧られて、飢えた蝿にたかられ、目も当てられなくなった亡骸。それが己の迎える姿だと思うと、どうにも死が恐ろしかったのだ。地獄に張られた幅数センチの綱の上を、落ちないようにと怯えながら進み続ける途方もない絶望感は、死の絶望とどちらが勝るか。それを判別できるほど俺は賢くなかった。

 

そして、前世における転換期と言える瞬間は、俺が約12歳の時に唐突として訪れた。

久々の戦利品である石のように硬いパンを両手で持ち、唾液でほぐしながら時間をかけて噛み潰していると、思わず顔を顰めるほどの異臭に気づき足を止める。臭いをモロに食らったせいで、ただでさえ埃が混じって少し不味かったパンが完全に不味いパンへと変貌を遂げてしまったではないか。どう責任をとってくれる。

立腹しながら懐にパンの残りを仕舞い込む。どうやら、この臭いは路地裏の方から立ち込めているらしい。普段なら早歩きで無視するところだが、何故か俺の足は路地裏の方へと向かっていた。嗅いだことがなくとも不快と分かる臭いの正体が気になったのか、怒り任せになっていたのかは覚えていない。

 

パシャ、と穴だらけの靴が泥を跳ねる。その日は小降りながらも雨が降っていた。別段珍しいことではないが、俺は雨が好きではなかった。皮膚に跳ねた泥が落ちないまま乾いてひび割れる痛みはなんとも形容しがたいし、骨や筋肉が軋み古傷のついた喉元も不思議と痛むのでそこも頂けない。つまり、俺の気分は最悪だったわけだ。つまりは怒り任せだったと言える。

 

ずかずかと身を乗り出して覗き込んだ路地裏の奥。俺は自分の目を疑い、三、四度くらい無意味な瞬きを繰り返した。異臭の正体はすぐに分かった。肉の焦げる臭いだ。それとぐちゃぐちゃと何かを口に含む音。己の目を信じてみるに、野良犬を焼き殺して食っている男がいた。その辺に落ちているライター等は揃って着火できない不良品なので、焦げすぎなくらいに焼いて食っているのは石でも使って火を起こしたからだろうか。

己と同じく、異様に骨の浮いた男だった。だがそれに加えて、栄養不足のせいか歯があちこち欠けている。手も服も返り血に染まりきっていて、身も心も文字通り怪物のような容貌をしていた。年齢を片手で数えられるようなガキだった頃、食うものに困って木べらを口寂しさ故に噛んだことは何度かある。だからと言って、いくら肉を食べる機会に恵まれていないとしても、犬にすら食指が動くようでは人生を諦めた方が良いとすら思っていた。そんな馬鹿げた死生観を持つ俺は勿論、一目で男を心の底から軽蔑した。同時に拒絶反応から思わず悲鳴を上げてしまいそうになったが、手首の関節を口に含ませて無理やり声を押し殺した。

 

しかし、運悪く俺の足はふらついて路地に腰を抜かしてしまう。なんとも情けない。ショッキングも度を過ぎると人一人の気をやりかけるのか。煙が目にしみる。ひどい臭いが鼻につく。男がこちらに気づいた。ああ、死ぬかも。なんとなく分かった。しかしここに来てもまだ、俺は心の底から死にたいとは思えなかった。

 

男は何やら言葉を発しているようだった。文字は読めずとも言葉は通じるのだが、何を言っているのかさっぱり分からない。そんな動揺をよそに男は腰を抜かした俺に乗り掛かると、右手に持ったナイフで俺のボロいシャツを引き裂いた。元々雨で張り付いていたので、素肌にも縦一直線の傷がつき、やっと反射的な悲鳴が喉から出てくる。ナイフは血で真っ黒だった、あの犬を解体するのに用いたのだろうか。

男はニタニタと笑うと、ナイフを自分が元いた所へと適当に放り投げ、大人気なく俺の首を掴んで地面に押しつけた。気道が閉まり一瞬で意識が遠のく。やはり口封じか戯れのために殺されるらしい。そしてきっと、死んだ後にはあの痩せた犬の隣に焚べられて、数時間後には奴の胃袋で溶かされのだろう。

嫌だ。

これまでどんな痛みにも、苦しみにも挫けず生きてきたつもりだった。

しかし、これほど鮮明に「死」のイメージが脳裏に浮かんだのは初めてだった。酸欠で次第に視界は男の輪郭すら捉えられなくなっていく。嫌だ、こんな所で死にたくない。

 

生きるのは、苦しいだけだった。

たぶん俺はあと5分くらいで死ぬ。あの犬みたいに、焼かれて食われる。死体すら残らない。

こんな奴に殺されるせいで、俺が死ぬ。

嫌だ、

それだけは、絶対に___

 

強く握りしめた右手を振り翳した瞬間、首への圧迫が一気に和らいだ。同時に頬に何か生温かいものが数滴飛んでくる。酸素が一気に肺へ侵入して、仰向けのまま酷い咳き込みが暫く止まらなかった。首にはきっと派手な手形がついているだろう。みんなして俺の喉元に何か恨みでもあるのだろうか。

目の前には、何故か右目からだくだくと血を長し痙攣している男がいた。ふと自分の右手を見ると、どうやら無意識に手頃な石を握りしめていたらしい。相当強く掴んでいたのか、俺自身の手のひらにも内出血が見られた。殴打した証拠に、石にはべっとりと男の血が付着している。なるほど。

 

数秒かけて状況をあらかた理解し終えると、俺はゆっくりと腰を上げる。今度はなんの躊躇もなく足音を鳴らした。そして再び、なんの躊躇もなく男の後頭部へと石を振り下ろした。ガッ、ガッと鈍い音が路地に虚しく響く。それを何回か続けると男は動かなくなった。何回目でそうなったのかは分からない。死に様まで汚らしいのが癪に触ったので、すっかり手に馴染んだ石を男の口に突っ込むと、思い切り顎を蹴り飛ばしてやった。子供の力といえど衝撃は相当なもので、男の死体からちぐはぐだった前歯が全てなくなった。ざまあみろ。それを見て漸く溜飲がわずかに下がり、男の死体から視線を外す。俺は切り裂かれてよりいっそうボロになった服を手に取ると、無惨な姿になった犬の上へと被せてやった。これで少しは浮かばれるだろうか、という精一杯の善意をもって。

 

俺は前世、12歳で初めて人を殺した。

だけど、そのことに対して、特に何も感じなかった。

貴重な飯を不味くされた怒り、ボロ布とはいえ大事な衣類を裂かれた痛みと不快感、そして同じ人間として犬を食うという行為に対する嫌悪感はあった。ただ、“あの男を殺した”ことについては一切の罪悪感や後悔などなく、むしろスッキリしていたのだ。むしろ善い行いをしたと少し自惚れてすらいた。こうして暴力は俺の中にあまりにも簡単に溶け込んだ。同じ貧民街(スラム)出身であっても、例えば同い年のノエル少年がスポーツで苦境からの脱却を図った経緯を考えれば、俺は至極順当に人としての道を踏み外したことになる。

 

ああ、人を殺しても何も恥じず、死をただ怯える自分はなんて愚かな人間なんだろう、と。俺は今後一生正しい人間にはなれそうにないんだな、神様がいるならなんて残酷なんだ、と。頭のどこかでは分かっていた。俺はクズ野郎だから、きっと生まれるべきではなかった。

 

だけど、そんなクズの俺にすら“死んだらいいのに”と思わせる奴なんか、よっぽど生きてる価値が無いんだから死んで当然の人間だったんだ。そんな自己中満点の新たな見識に気づけたからだと思う。だから俺は天職である暴力沙汰にまつわる金稼ぎを始めた。最後にゃ決まって人を蹴り飛ばせば解決するような、学も技もない俺向きの簡単なお仕事だ。俺は気に食わない奴を殴り蹴りできるし、これまで実施してきた物乞いや盗みなどとは比べようがないほど金回りは良かった。winwinというやつだろう。調子に乗って荒稼ぎしていたら、いつの間にか思わぬ昇格をしていた。

文字通り“何の躊躇いもなく”人を蹴る喧嘩屋。人の心を持たない悪魔のような男。そういった噂に尾鰭がついたのか、俺の強さはそれなりの規模を持つ組織に買われ、14の頃に雇われ用心棒へと転身した。俺としては前より美味い飯が食えるので有り難く応じた。武器は両手両足に加え、ガタが来ていた木の棒から拳銃一丁にランクアップした。

当初は成り上がりのガキである俺を周囲が見くびっているのが丸分かりだった。不愉快な視線がうざったかったので、その辺りは仕事ぶりで答えを示した。そうすると皆が俺を恐れ称えるのだった。そうして信頼やら地位やらは堅実に手に入れた。喧嘩屋時代では相手の生死など興味はなかったが、金が絡む任務となれば人を殺した事も稀にあった。仕事で蹴り飛ばした人間の数は両手両足の指で足りなくなった辺りで数えるのを諦めた。命じられるまま引き金を引いて人を殺してもなお、俺は何も感じられなかった。ただ、自分が死にたくないが故だった。

 

二つ目の転換期は17歳の頃。単刀直入に言うと、俺の前世における享年だ。転換期が死期と重なるというのに首を傾げる方もいるだろうが、今世と前世を跨いでいるのでそこは大目に見てほしい。

17になり、俺はすっかり背も伸びて正装(黒スーツ)の似合う男になったと思う。いくら汚れ仕事の担当といえど形式的な都合上、堅苦しい服の方が何かと都合が良いとのことだ。返り血が目立たなくて便利なのは分かるが、いかんせん窮屈なのが考えものだと思う。 2、3年前までは発表会のお坊ちゃんと揶揄されもしたが、今となってはそんな口を叩ける猛者は一人といなくなっていた。少し寂しい。

 

盾とお飾りを兼ねてお偉いさんの後ろに控え終わると、決まって慣れないネクタイで縊死しそうになってしまう。立ち仕事がようやく一段落すると、即座にネクタイを最大限に緩めてワイシャツのボタンを上二つ分外した。大きく伸びをして一度深呼吸を挟むと肩が少し軽くなった。

凝った首をぼきぼき鳴らし、遅めの昼食を摂ろうと考える。小さな紙袋から先ほど購入したサンドイッチを取り出し、豪快に齧り付いた。一口で半分ほどが無くなったミートサンドは相変わらずの絶品だ。ガキの頃から涎が出るほど焦がれただけのことはある。残り半分も人思いにぺろりと食べ尽くし、ペットボトルに入った水で流し込んだ。最高の気分だ。邪魔立てさえなければ。

 

「ぷは、んまい。あー、一応言っとくけど物欲しそうに待っててもテメェにはやんねーぞ? 全部俺が買った俺の飯だ。パンくずの一つだってくれてやるかよ」

 

明らかに他者に向けた俺の言葉を聞き届けても、ご本人様自ら出てくる気配はない。だが生まれながらに人の顔色や細かい動作を伺い続けて生きてきたオレには分かる。空気の流れがあの死角部分だけ、子供一人分ほど(・・・・・・・)堰き止められている。火を見るくらい明らかだ。

 

「野良猫にしちゃあデケェよなぁ〜? 野良犬にしちゃあ可愛げがねぇし、カラスにしちゃあ馬鹿そうだ。……出てこいよー、俺いま仕事オフモード」

「……」

 

パキ、とペットボトルを軽く握って音を鳴らすと、より一層空気の乱れは強くなった。やがて意を決したように、恐る恐る気配が輪郭を纏って物陰から現れる。予想はしていたが少しばかり驚いた。現れたのは正真正銘の子供だったから。それも予想よりも幾つか幼い。

環境のせいで荒れてはいるものの艶やかな金髪に、青い目を持った美しい男児だった。最近お世話になってるハゲ狸……お得意様が好みそうだな、というのが第一印象だった。見た感じだと6〜7歳くらいだろうか。ここら辺にいる子供は揃って栄養不足で背が伸びにくい(自分もそうだった)ので、外見年齢と実年齢が噛み合わないことなどしょっちゅうなのだが。

 

「あーあーあー、素直に出てきちゃって。男前の食事シーンがそんなにお気に召したか?」

「…………別に、見つかって殺されるならそこまでの人生だったってことだろ。孤児院(あそこ)に戻っても上の奴らに虐められるか、こき使われて飯抜きにされるだけだから」

「……はー。お前はお前で色々苦労してんだな。よしよし」

 

ペットボトルを持つ方と逆の手で、ガキンチョの金糸をわしゃわしゃと撫でてやる。手を振り上げた瞬間、頭を守るようにびくんと身体が震えたのは見逃さなかった。オレが別段危害を加えるつもりがないと分かると大人しく撫でられる辺り、まだお子ちゃまだ。

気まぐれに撫でながら観察してみると、ガキンチョの指先はささくれや擦り切れがいくつもあって、地肌の白さも相まって痛々しく際立っていた。孤児院が出来ただけ自分の世代よりマシな世になったかと思いきや、世の中そう簡単に上手い方へは運ばないらしい。

 

「んで、撫でられてるとこ悪いがガキンチョ。お前さ___」

「……ミヒャエル」

「あん?」

「ミヒャエル・カイザー 。……俺の名前」

「おいおい、悪い大人にホイホイ本名教えんなよ。足つくぞ」

 

名は天使、姓は皇帝。学のない俺にもわかる。こいつの親は何を思ってこの大層な名を与えたんだろうか。名が生を表すのだとしたら、とんだ逆境物語だ。

 

 

「…………アンタより嫌な奴なら孤児院に腐るほどいる。手を振り上げて殴らなかったのはアンタが初めてだ」

「唐突なアンタ呼びはさておき、ちょっと撫でたくらいですぐ懐くとか捨て犬か? 焼いて食われねぇように気をつけろよ」

「何の話……」

「あ、おい!」

 

ムッとしたように声を上げたガキンチョだが、文句の一つも紡ぐ間なく唇が急に動きを止め、そのままぐらりと後ろにバランスを崩したので思わず片手で頭を抱えてやった。おそらく空腹によるめまいの症状だろう。経験が物を言う。

最悪だ。変に焚き付けなければこんな面倒ごとに巻き込まれず最高のランチを締めくくれたのに。頭を掻きむしって後悔しても時既に遅い。クソ悪いガキンチョの顔色からして、時間はかけられない。ああクソ、とスラングを吐きつつ、俺は紙袋の奥から秘蔵の品を取り出した。軽食用に取っておこうと、ミートサンドと合わせて買っていたフルーツサンドだ。しかも期間数量限定でなかなか手に入らない一品。名前通り贅沢なガキだ。

乱雑に包装を破り、パンを一口大にちぎってガキンチョの唇へと運んでやる。薄紫の口にクリームがついた。ガキンチョは俺が何をしているのか上手く理解できていないようで、死にかけながらも器用に怪訝な顔をして見せた。んな顔された所で俺にもわかんねぇよ。

 

「なに、して…んだ?」

「っ、あークソが、テメェの腹の音がさっきから耳障りなんだよ。とっとと食え。喰らいつけ。ガキの死体処理とかクソ面倒な仕事増やすんじゃねぇよ」

「……あ、」

 

ガキンチョは大人しく口を開いたが、パンを噛みちぎる力すら残っていないらしい。相当空腹に耐えかねて孤児院を抜け出してきたことがわかる。そりゃミートパイの香りにも釣られてくるわな、とトントン拍子で納得がいくが、現状は何も解決していない。

そこで俺はパンは諦め、泣く泣く中のフルーツに目を向けた。クリームに塗れてイチゴやミカンが視界に映る中、俺が指で摘み出したのは二切れのキウイフルーツだった。あの店のサンドイッチは天が創造したと言える出来栄えだが、唯一キウイフルーツは俺の好みじゃない。だからって金を払って買った食い物を粗末にするなんて塵屑じみた所業は俺のポリシーに反する。

俺はクリームまみれの指で、ガキンチョの口に爪で小さく千切ったキウイを突っ込んだ。クリームが潤滑油代わりになったらしく、パンよりもスムーズに喉へ通ったようだ。ゆっくりと噛むのを見届けてからペットボトルに余っていた水を飲ませてやると、ガキンチョの顔に少しずつ色が戻ってくるのが分かった。

ようやく咀嚼できる程度に体力が戻ってきたらしく、図太さも取り戻したようで「もっと食べたい」と宣いやがるくらいには回復したようだ。こんのガキ、とも思ったが、流石にこのフルーツサンドの残りを食う気にはなれなかったので、大人しく丸ごとくれてやることにする。夢中で齧り付く様子を見ながら、クリームまみれになった手を軽くハンカチーフで拭った。途中であまりの勢いに喉に詰まらせそうになっていたので、ペットボトルに残った水も渡してやった。ガキンチョとの間接キスなどご遠慮願いたい。

 

「お前顔面全部が口なのか? どう食ったらそんな汚せんだよ。寝てる間に蟻にたかられても知らねぇぞ?」

「それくらい後で……んぐ」

「オイ、食いながら話そうとすんな。汚ねぇだろ」

 

せっかく手に入れたデザートが見ず知らずのガキンチョの胃袋に収まることになってしまった。良いことをした後は良い気持ちになる奴もいるかもしれないが、俺はそんな善性など持ち合わせていない。なので、初回は無料サービスでも、次回からは別だ。

 

「……おいガキンチョ、今思いついた良い話がある。しばらくクソ孤児院に戻りたくはねぇんだろ。なら、ちょっくら小銭稼ぎする気はねぇか?」

「なんだ、藪から棒に」

「難しい言葉知ってるな……いいか、よく聞けよ。俺はよくここで飯を食う。だが、手頃な価格や栄養価云々を考えると、どうしても口に合わない品が含まれている事もある訳だ。今回のフルーツサンドでいうとキウイだな。だがお前は食った」

「……何が言いたいんだよ」

「お前を今日から俺の残飯処理係に任命する。一食完食するごとに1ユーロだ。行く宛のないテメェにこんな良い話はねぇだろ?」

「…………」

「どうだ? 嫌なら倍額出すが」

 

交渉の成功率を上げるため、視線を合わせるよう腰を落としてやる。少しの間沈黙が続き、ガキンチョは徐に口を開いた。

 

「金は欲しいけど、別に無くてもここに来たいとは思う」

「へぇ、なんで?」

「……初めてなんだよ。名前以外で、俺に何かをくれた人は」

「取引成立だな。ハイ報酬。あ、受け渡しの前にその手拭けよ」

「ん」

「…………俺に? 拭けってか?」

「ん」

「ハイハイ、仰せのままにクソ皇帝様!」

 

こうなりゃヤケだ。忌まわしきキウイ二切れで手懐けられたガキンチョは、俺にハンケチーフで清められた手で2ユーロを受け取った。

これで今日一日くらいは死なずに済むだろ。初対面の子供に舐められるという不名誉に関しては今後の改善案として活かそう。ともかく飯と後味が悪くなるのは避けられた。万事解決。

 

2ユーロ硬貨を握りしめたガキンチョをさっさと追い返し、空になった紙袋を畳んでいたら、食事用に設けられていた休憩時間が終了間近になっていた。そろそろ戻らなくては。

慌てて緩めきったネクタイを締め直していると、背後から足音が聞こえてくる。音からして子供のものじゃない。近くに来るまで気付かなかった。チッと舌打ちが漏れる。仕事始まりから嫌な奴と顔を合わせなければならないようだ。

不機嫌を隠す気のない俺と同じく、背後の男も嫌味ったらしい本性を気配に滲ませ隠そうとしていない。振り返った俺と目が合うや否や、「いやはや」と乾いた拍手を贈られた。何の敬意も感じられなかった。

 

「いやあ、感動してしまいました。まさか敵も味方も恐れる雇われ用心棒様が、飢えた子供に施しを差し上げるとは!」

「……別に、さっきまでの俺はただの俺で、用心棒でもテメェの盾でもねぇよ」

「見事な計らいでした。アレくらいの子供の肉は丁度柔らかくて食べ頃なのですよ。調理の工程は面倒ですが」

「…………クソ、カニバ野郎が。噂には聞いちゃいたが趣味悪りぃな」

「よく言われます。遺憾ですね」

「コソコソ覗き見しやがって。あの死にかけのガキンチョに何か用でもあったのか?」

 

何が面白いのか、男はくすくすと笑って丸メガネのレンズを布で拭き始める。悪巧みをする際の癖だというのは分かっていた。こちらを侮るような仕草といやに余裕そうな態度が気に食わない。

 

「ええ。子供一人で向かえる場所などたかが知れています。足跡を追う事くらいわけはない。鴨が自ら群れへと案内してくだされば、さぞや良質なネギがたらふく私たちの懐に入る事と思いまして」

「テメェ……」

「さすれば貴方の雇い主様もお喜びになられる。実に合理的ではありませんか?」

「それは上の御判断か? それともテメェの独断か?」

「愚問ですね。私は命でしか動きませんよ」

「成程、後者だな」

 

やっぱりあの時、見て見ぬ振りをすればよかったんだ。此処は俺らみてえなクズの掃き溜めだ。あんなガキンチョがのこのこやって来て良い所じゃない。曲がり角から顔を見せた瞬間に、頭ひっ掴んでゴミ捨て場にでも放り投げてやればよかったんだ。そう後悔してももう遅かった。

 

「カタギの餓鬼まで食いもんにする気か? 御法度だろ。貧民街(スラム)はテメェの食糧庫じゃねぇんだよ。大人しくその汚ねぇ爪垢でも一生しゃぶってろ」

「お若いといえどボスのお気に入りとあろう御方が、随分と甘っちょろい事を仰るのですね」

「人様の寛ぎの場に土足で入り込む下衆よりはマシだろ? オフの時くらい一人ゆっくりランチタイムも碌に楽しめねぇのか俺は」

「……個々の考えの違いを強調するのであれば、是非とも教えて頂きたいものです」

 

なにを、と声を発するより先に乾いた銃声は響いた。次の瞬間、喉の奥から見たこともない量の血が溢れてきて口の端から零れ落ちる。どうやらノータイムで放たれた弾丸が俺の喉元を抉り取ったらしい。あまりに唐突で一瞬反応が遅れた。世界はよっぽど俺の首に胴と繋がっていて欲しくないらしい。痛みと失血に耐えきれず体勢が崩れる。

 

「あ゛……ぃっ……」

「仕事であれば、貴方は標的が女子供でも容赦なく手にかける。その徹底した仕事ぶりには私も心の底から尊敬の念を抱いているのです。だが逆に、貴方は標的以外の人間には決して手を出さない。たとえ現場を目撃されようと、だ。……貴方のくだらない気まぐれのせいで、これまで私がどれだけ後始末に手を焼いてきたと……」

 

ハァ、と両手を大袈裟に挙げて呆れを表す男に、「知るかよ」と吐き捨ててやりたかったが、外傷のせいで発声は難しかった。つまり何か。俺が今まで見逃してきた奴らは皆コイツに殺されたのか。可哀想に。俺を見かけさえしなければ死なずに済んだものを。

 

「忠告で済ますつもりでしたが気が変わりました。厄介の種は早めに潰します。ああ、先程の野ネズミも貴方への餞として遠からずそちらへお送りしましょう。多少汚れていてもガワや中身は高値がつきそうだ。……あのネズミは大罪を犯しました。貴方の手ずから物を食べさせて貰えるなど……」

 

男はヒステリックにぶつぶつと恨み言を吐き続けている。その爪を噛む癖は一生治らないのか。子供食わずに自給自足で生きていけよ。てか、このままだとアイツ殺されるのか。それは嫌だな。折角くれてやったフルーツサンドと2ユーロが水の泡じゃねぇか。

 

俺は丸腰相手とタカを括る目の前の男に気づかれないように、残された体力を振り絞って体勢を立て直した。1秒後、地面を思い切り蹴って男の懐に飛びかかり、弾丸のお返しに左耳を噛みちぎってやった。同じ肉でもミートサンドとは比べ物にならない程に味は不味くて、ぺっと一口分の肉塊を吐き出す。男は痛みで尚のこと喧しく叫び続けていた。(そんなもん)ひとつで良い気になってるから寝首かかれんだよ。

喋れない口の代わりに、男を黙らせたくて靴の踵を顔面にぶち込んだ。ごしゃ、ぐしゃ、と骨と肉が潰れる音が響く。完全に男から生の気配が無くなるまで、足を振り下ろす以外のことを考える余裕はなかった。意外と呆気ない男の最期を確認する余裕もなく、血濡れの地面に再び腰を預けた。

 

(痛……あー、死ぬ。つかコイツに殺されて死ぬとか最悪だな)

 

今気づいた。組織内での殺し合いも御法度じゃん。億が一生き延びても俺どっちにしろ連中に殺されんじゃん。少し考えて、男が死後まで律儀に握りしめていた銃を指から抜き取る。何本かは邪魔だったので踏みつけて逆方向に折り曲げた。男より俺の方が傷は重いだろうから、持ってあと2〜3分。ま、それだけあれば十分だ。

俺はこめかみに銃を向けると、何も考えずに引き金を引いた。覚悟していた痛みは感じなかった。左目が最後に捉えたのは、吹き飛んだ右の眼球がコロコロと転がっていく光景だった。

意識は一瞬で途切れる。ざまあみろ。俺は奴に殺されたのではなく、自分の手で生を終えたのだ。あんなに死にたくなかったのに、死が確定していると妙なこだわりが出る事に自分でも驚いていた。血で滑り落ちた拳銃が硬い地面に叩きつけられる。もうその音も耳は捉えなかった。

 

(……そういやあのガキ、靴履いてなかったな……)

 

ふと、奴を殺害する最も大きな要因であったガキンチョの顔がえぐれた脳裏に浮かぶ。昔の自分もボロ靴がいよいよ履けなくなれば裸足だった。何でそんな事を今際の際に想起するのか分からない。上物の黒革靴を以って男を蹴り殺したからか、組織のいざこざに巻き込まれるかもしれないガキンチョを今際の際に憐れんだのか、正確には分からない。

 

「……es tut scheiße weh……Mein Leben ist das Schlimmste……」

 

ああ死ぬ。もう死ぬ。今更痛ぇしそれなりに怖ぇ。死んだ。死にたくねぇ。地獄にも天国にも行きたくない。気持ち悪い。こんなとこで終わんのかよ。マジ何のために生まれてきたんだ。何で俺は生まれてきた。

 

「es gibt keinen gott auf dieser welt……」

 

だってまだ、一度だって誰かに言われたことがないんだ。17年しか生きてないけど、一生に一度すら。

愛してるって、

ありがとうって、

お前がいて良かった、って。よくよく考えたら一度も言われたことない。こなした仕事の割に合わねぇ。ぼったくりじゃねぇか。

 

「……ich wollte glücklich sein」

 

あー待て、そもそも俺が産まれてきた事自体が間違いだったのかもしれない。そう考えると辻褄が合っちまう。

だって俺、生きるために仕方なかったかもしれないけど、色々悪いことしたんだろうし。碌でもない奴ばっかりとはいえ何人か殺してるし。今も人殺したし。俺のせいじゃないけど、直接手を下してないとはいえ何人か俺に関わったせいで死んだ奴も居たみたいだし。

 

これくらい無様な死に方がお似合いだよな。

 

「…………ich will noch nicht sterben」

 

___さっきからゴチャゴチャ五月蝿ぇよ、クソ野郎。

泥沼の中であぶくみたいに呟かれた俺の戯言を、居もしない神はどこまで聞き届けてくれたのだろうか。

 

 

____________________

 

登場人物設定

 

夢主《前世》

男性。名前はない。生まれはドイツの貧民街(スラム)。享年17歳。生きてればノエル・ノア(31)と同い年。死後、日本人である鈎倫也(まがりともや)(3)の前世として記憶が蘇る。

生きたい<<<<<死にたくない≦相手の思い通りになりたくない くらいの精神で生きている。

人を蹴るのは地面を蹴るのと同じ。ヒールは地雷。硬すぎるパンの反動で柔らかいパンが好き。キウイは嫌い。

 

鈎倫也(まがりともや)《今世》

後に自身のプレイを「コート上の死神」とか「殺し屋投入」みたいに言われるが本人は不服。サッカー番組でどこか見覚がある青年の活躍を見て「ああ、アイツ良い靴買えてんだな」と感慨深く思ったとか。てかお前あの時何歳だったの?

 

ミヒャエル・カイザー

推定6〜7歳くらいと見られていたが、夢主に比べて体格に恵まれていたので実は初対面時で約4歳(14年後の原作で18歳前後)。将来は夢主より背が伸びる。栄養失調の幼児にいきなりフルーツサンドと水はよろしくないので真似しないでください。

初めてのお使いならぬアルバイトを初日でトンズラされた。死体は片付いていたが血痕までは消しきれなかったので何となく察してる。キウイは好きでも嫌いでもないけど懐かしい気分になる。今頃あの人どうしてるんだろ。

 

潔世一

初めて七五三の着物を着せてもらった、まだノア様の魅力を知らない頃のよいちゃん。一年後にサッカーに出会い、そのまた一年後に初めてのお使い中の倫也くんに出会い新たな蹴りの使い方を教えてくれる。幼稚園は倫也くんと別で、小学校から同級生に。朝はパン派。




ここまでお読みくださり感謝です!

ブルロ関連の作品は本作が初投稿になります。原作の人間関係や描写が熱すぎて執筆は緊張しました。深夜テンションがなければ書けなかったです。

以下、書きたかったシーンやこだわりまとめ↓

・人蹴る仕事なのにヒール地雷な夢主
・しれっと初間接キスを奪われた、キウイ好きでも嫌いでもないカイザー
・「金なくても良い」って言ったカイザーに倍額の方あげる商談ヘタクソな夢主
・夢主わりと犬派(野良猫にしちゃデカい、のくだりからも)
・4歳よいちゃんの隠せぬエゴみ
・○し屋にハンカチで手と口拭かせる4歳カイザー
・始終子供よりごはん優先の夢主
・今代家のほのぼの
・公式で朝はパン派のよいちゃん
・ガキンチョ、捨て犬、残飯処理係、食べ頃、野ネズミ呼ばわりされるアルバイト初日のカイザー
・買い物メモ「つまようじ」
・「男前の食事シーン」「孤児院はテメェの食糧庫じゃねえ」「靴履いてなかったな」辺りのセリフ
・男を石で殴り潰した部位と、自害した際に吹き飛んだのが同じ右目 (最初の殺しと最後の殺し)
・訳してほしいドイツ語の遺言(お手数ですが選択→翻訳もしくはコピペ→Google先生にお尋ねください。タイトルはいつも通り単純に付けました)

実は転生前は女主設定にしようか迷ってたので、服裂かれたシーンは名残です。はい。 ご感想くださると大変喜びます!

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