逃げられない呪い   作:布団は友達

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決別の日まで
傑の呪い①


 

 

 

 高専生活も二年になれば慣れる。

 茹だるような暑さに目眩がする季節だ。

 今年は災害がよくあり、呪霊の発生が凄まじく、来年はさらに酷い事が予測されている。私に回される任務の量も増えて、いつもより疲れていた。

 そして、やっと得た休日。

 星漿体の任務以来、私――夏油傑は違和感に襲われていた。

 任務で誰かを救う度に強くなる感覚。

 以前ならば、強者(じゅつし)として弱者(だれか)を救う道が誇らしいと感じていた心が軋みを上げている。

 認めたくない。

 知りたくないと叫ぶ。

 だが、あの日は忘れられない。

 

 私は夕闇に沈む校舎の廊下をそぞろ歩く。

 特に目的は無い。

 ただ、歩みを止めた瞬間に自分が壊れるという漠然とした危惧があった。肉体の損傷とは違い、奥深くで痛みを発する傷の治し方が私には分からなかった。

 どうしてこんなにも意気消沈しているのか、原因については明白だ。

 つい先刻、報告があったのだ。

 先日、廃病院にて呪霊被害に遭い失踪していた一般人を呪霊から救出したのだが、後に聞いた話で彼らは強姦未遂事件を起こしたという。

 私の救った命で、誰かが脅かされた。

 命を賭けて守った人で、誰かが死に陥れられる。

 

「――何なんだ、一体」

 

 私は何の為に頑張っているんだ。

 あの日から変わったのは私だけではない。

 悟は一人格段に成長を続け、今では肩を並べていられるかも不安になる。そんな彼へ募る呪術界の弥増す期待に比例して任務量も増え、会う事も少なかった。

 茈苑だって、そうだ。

 以前より仕事に消極的になった。

 きっと、理子ちゃんを救えなかったトラウマが拭えないのだろう。

 

 

『親に恵まれたな。――だが、その恵まれたオマエらが呪術も使えねえ俺みたいな『猿』に負けたってこと。長生きしたきゃ忘れんな』

 

 

 瀕死の時に聞いた声が頭から離れない。

 私の手を悉く凌駕し、真正面から打ち砕いた非術師の男からの悪意を私は心底から不快だと感じた。人間にそんな一面がある事なんて、人として集団の中で生活すれば多かれ少なかれ体験する。

 それでも何故か、私には強く刻まれた。

 どうしてしまったんだ、私は。

 

「――茈苑?」

「……傑」

 

 教室で茈苑が一人座っていた。

 机には色々と何かを並べている。

 傍まで歩み寄って見ると、内容はいずれも名家の呪術師らしい男たちの履歴書……否、釣書に似ている物だった。丁寧に茈苑が読めるよう点字で記載されている。

 茈苑はそれらを指でなぞっていた。

 文字を指先で辿り、そして時折顔を顰める。

 

「これは」

「実家からの縁談。ボクももう十七になるから」

「ここで見てたのかい?」

「いつも部屋で見てるけど、嫌になるから気分転換」

「君ほど有望で実力のある人間を結婚させたい男はたしかに沢山いてもおかしくないし、術師の家系がそんな感じだとは耳にするけど……茈苑はそれで良いのか?」

「ううん。良くない……けど」

 

 茈苑が深くため息をつく。

 顔ではなく、声色で語る彼女から聞いたその声から深い深い疲れと嫌悪を感じ取れた。

 

 

「失敗したボクを自由にする意味が無いから」

 

 

 失敗、とは何の事か。

 茈苑は「実家に任された極秘任務」と言った。

 その為に呪術高専に来たのだが、任務を果たさない茈苑にはもう相伝を次代に継がせる為の母胎以外に役割が無いと断じた。

 術師もまあ、醜い物だな。

 

「その任務は、君でも困難なのか」

「難しい、というよりやりたくない」

 

 茈苑は机に腕枕で突っ伏した。

 眠気と言うよりは嫌気が差したのだろう。

 任務が達成出来ないのであれば、もう茈苑には女としての役目しか求めない意向で、いくら茈苑が否定した所で実権を握る当主と、その彼と懇意にしている御三家の人間が認めてくれないそうだ。

 茈苑は昔から彼らの走狗。

 任務の為に育てられた兵器だという。

 そうか……茈苑もまた何かに追われているんだな。私は一般の出だからそういった柵も無いが、茈苑も二年でかなり俗世に慣れてきたとはいえ根は呪術界の住人。

 

 また……彼女を使い潰す気か。

 

 今度は術師ではなく、母胎として。

 方向性は変わったが、依然として不快である。

 さんざ術師の天敵なる術式だからと侵害しながら、いざ歳を重ねれば貴重だからと次代を生め、なんて虫がいい話である。

 なんて、醜い事か。

 呪術界(ここ)では茈苑も笑えない。

 あの笑顔を、見る事が出来ない。

 

「いっそ、独立するかい?」

「え?」

「冥さんのように、二人で営むのはどうかな。……実現は難しいかもしれないけど、そんな未来もある」

「傑に迷惑」

「そんな事無い。私も最近忙しいしね、いっそ自分のペースでやれる自営業も悪くない」

 

 そう言うと、茈苑の体が微かに震える。

 小さく漏れてくる声から笑っているのが分かった。

 そんなに可笑しかったのか、少し心外だな。

 思い付きの提案だったが、案外悪くない。私と茈苑で営むとなれば、それはそれでかなりのやっかみを買いそうだが、実力はあるので依頼の数には困らないかもしれない。

 それに、自分のペースで仕事……それは魅力的だ。

 最近は仕事に疲れているから尚更。

 

「五条くんと硝子は誘わないの?」

「悟はどうかな。御三家の人間だし、あの強さだから私たちよりは呼吸がし易いとは思うよ」

「硝子は……」

「多分、一人だけ人件費がバカにならない」

「うん。分かる気がする」

 

 茈苑がこちらに顔を上げた。

 

「傑。……『視ていい』?」

「是非とも」

 

 私の『承諾』を得て茈苑が私を見た。

 呪いの込められていない親しみの眼差しだ。

 いつも無表情だが、開いた目は思いの外感情的だ。普段から『縛り』で目を閉じていないといけないから、目を日常的に閉じようと努める事で表情も引き締まってしまい、いつしかそれが常態化してしまった……うん、大体読める経緯な感じがする。

 私は茈苑の隣に腰を下ろした。

 

「でも、ボク遠慮する」

「どうして?」

高専(ここ)を離れるなら、いっそ呪術からも離れたい」

「……そう、か」

 

 術師としての責任。

 私が貴ぶ物が茈苑にとっては重石のようだ。

 

「じゃあ、別の方で雇うよ」

「え?」

「私が働きに出て、茈苑は家で帰りを待つ。ご飯を一緒に食べて、一緒に笑う……どうかな」

「それ、仕事?」

「立派な仕事だよ。少なくとも私は救われるかな」

 

 ちょっと強引に出てみた。

 茈苑が呪術を離れつつ、一緒にいられる未来。

 多少、私といるから呪術関連にも触れてしまう事があるかもしれないけれど。

 果たして、私の提案に……茈苑は微笑んだ。

 ああ、これが私の見たかった物だ――。

 

 

「幸せそうだけど、良いのかな」

 

 

 茈苑がそう言って、私は勝利を確信した。

 いや、何に勝ったつもりでいるのかは自分でも分からないが。

 机の上にある釣書の束を私は掴み、後ろの宙空へと無造作に放る。後方で頭だけ顕現させた手持ちの呪霊にすべて食べさせた。

 茈苑がきょとんとする。

 

 これなら、頑張れそうだ。

 

 たとえ、違和感に苛まれようとも茈苑が隣にいてくれる未来が見える。

 術師は非術師を守る、この信条に従って今度は術師を辞めた彼女を本格的に守る対象に加える名目が出来たのだから。厳密に言えば非術師では無いが、呪術から離れるのであれば大した差は無いだろう。

 

「じゃあ、卒業後はそうしようか」

「卒業」

「それまで、私はこの仕事を頑張る。茈苑の仕事は、卒業まで結婚を躱す事だ」

「うん。うん。頑張れそう」

 

 茈苑が何度も頷く。

 

「じゃあ、ボクは料理の勉強頑張る」

「え?」

「一緒にご飯食べるって言ったから」

「……はは、楽しみだよ」

 

 手料理の方はもう美味しいのを知っているから、頑張る必要があるのかとも思うけど。

 度々、食堂で彼女が作った物を食べる事もあったから、知り尽くしていると言っても過言ではない。途中から硝子にバレて、彼女も一緒に食べているけどね。

 

 

 

「よし。――頑張ろ、傑っ」

 

 

 

 意気込む彼女に同意するように、私も頷いた。

 これから幸せな未来が待っていると、信じた。

 

 

 

 それから、度々茈苑の不思議な姿が高専内で目撃された。

 賃貸情報を集めたり、経理の勉強を始めたり。

 勘違いした硝子が「補助監督になるのか?」と尋ねたら、茈苑が首を振って「卒業したら傑と二人で仕事するの」と言ったものだから、三時間に亘る硝子の追及を躱さなくてはならなくなったが。

 それにしても、経理の勉強か。

 もしかして、私の為かな。

 ついそんな風にニヤついてしまう。

 

 きっと、全ては叶わなくてもお互いをより深く知って、離れられなくなるくらいになるのか。

 

 そんな予感があった、あったのに。

 

 

 

 

 

 

「茈苑さー。五条家に来ねえ?」

 

 冬の頃、茈苑を見かけた。

 話し相手は悟である。

 正気かと思う発言につい驚いて物陰から出る前に足を止めてしまい、二人に声をかけるタイミングを失った。

 茈苑はというと、その台詞に顔を顰める。

 何だか、私の時には見せないくらい険のある表情だ。

 相当嫌われてるな、悟……そんな様子は無かったが。

 

「五条家は信用ならない」

「敵対してるからあっちも信用しない。でも、要は味方になれば良い……簡単な話だろ」

「禪院のスパイだと思われる」

「へー、やっぱ雇い主は禪院かよ。禪院の誰?当主のジジィ?」

「……扇」

「ははっ、あの枯れ木かよ!」

 

 何だか、かなり不穏な話だ。

 

「なあ、五条家に来いよ。楽だぞ、多分縁談も来なくなるし」

「……縁談知ってたの?」

「俺のこと何だと思ってんの?」

 

 茈苑は縁談の話題で顔が曇る。

 

「最近は特に困ってんだろ。たしか、春には見合いさせられるって」

「……だ、大丈夫。卒業まで頑張る」

「……卒業したら結婚すんのか」

「結婚はしないけど、一緒にいたい人――グッ!?」

 

 次の瞬間、茈苑は袖口から放つように取り出した短刀を逆手持ちで構えた。

 同時に、その刃が悟の手を貫通する。

 いつの間にか、悟が接近していたようだ。

 茈苑の首へと伸びる掌を短刀で貫き、必死に押し返そうとしている。

 

 は?何、だコレは……。

 

 茫然自失とする私の前で、二人は呪いの眼差しを至近距離で交わし合う。

 そこには、互いに一切殺意以外含まれていない。

 

「俺以外と?何だ、それ」

「さ、悟に迷惑かけてない……!」

「かけてるだろ。姉の事といいさ」

「っ……」

 

 それを言われた茈苑の力が緩む。

 一瞬の隙を見逃さず、悟は短刀を取り上げてもう片手で茈苑の肩を掴んだ。

 

「五条家に来い」

「でも……」

「縁談躱せれば良いんだよ。五条家の傘下に入っちまえば、後は俺がどうとでもしてやる。そしたら卒業後に好きなことでもしろよ……出来るかは知らねーけどさ?」

 

 茈苑は悔しそうに歯噛みした後、弱々しく頷いた。

 悟はその頭をぽんと叩いて去っていく。

 

「後の事は任せとけよ」

 

 その一言に、茈苑はその場に座り込んだ。

 私は慌てて彼女へと駆け寄る。

 

「茈苑、大丈夫か」

「うん。ごめん、変なの聞かせて。ボクの家の話だから、気にしないで」

「だが、あれは」

「ボク、実は五条くんを殺す為に高専に来た」

「――――」

 

 茈苑の告白に思考が停止した。

 悟を、なんだって?

 まさか、あの時に言っていた家からの任務っていつのは――。

 

「皆の知らない所で、五条くんを何度も襲った。殺せなかったけど……それで迷惑かけたから」

「そう、だったのか……」

「ごめん、傑」

 

 茈苑が私の方に顔を上げた。

 

 

 

 

「やっぱりボク、傑と一緒にいられない」

 

 

 

 今度こそ私は頭が真っ白になった。

 気付いたら私一人で茈苑はいなくなっていた。

 折角、きっと二人で支え合うんだと言っていたのに……君の方から勝手に離れていくのか。

 私に希望を見せておいて、君は簡単に諦めて私をドン底に残していくんだね。

 

 思考がゆっくりと巡り始める。

 

 考えるほどに沸々と胸の内で怒りが湧く。

 こんなに、こんなにも素敵な夢を見つけたというのに。君が一緒だからまた頑張れたというのに、私はまた独りで悩まなければならないのか。

 

 この時、私は呪ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、茈苑。君は本当に愚かな子だ」

 

 

 

 

 

 心の底から茈苑を憎んでしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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